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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE15
その紅い悪魔はすべてを奪う凶器。その最中に『彼女』は再び糸に辿り着く――。


 『彼女』とアレイアが眠っているケナをつれて表に出たときには、既にその炎の波は村中を包んでいた。どちらともなく固く喉を鳴らす。いくら狭い村だと言っても、一度に何箇所か同時に火の手が上がらなければ、もしくは余程大きな火種が撒かれなければ、こんな短時間にここまで燃え広がるなんてないだろう。
 『彼女』の脳裏に浮かんだのは、つい先ほどアレイアが口にした言葉だった。

『それ以来、兵士は――』
『ここは奇跡的に戦火を逃れているが、山の向こうでは――』

 首を振る。まさかそんな、タイミングが良すぎる。そんな都合の悪い話があるものか。けれど、ぞくりと『彼女』の肌は粟立って、背筋に緊張が走る。
 昨日の昼間、村長の家で感じたあの透明な殺意と、見えざる手。じりじりと、首を絞めようと構えてくる、手。
 ――まさか……。
 唇を噛んで再度、激しく首を振る。村の外にあるアレイアの家は未だ無事だったが、いつ炎に撒かれるとも限らない。『彼女』は示唆された場所に走り出すより一瞬前に、奇妙に明るい村を見下ろした。
 赤い舌と煙とで何も見えない。ハンナは? 村長は? 本当に皆、こんなところから逃れられたんだろうか。そこには慣れ親しんだ菓子屋も八百屋も公園も、何も見えなかった。
 が、
「……?」
 『彼女』は目を凝らす。何か。何か、炎の中に影が見えたような。……まさか、まだ人が、
「フィーナ!」
「……っ!」
 嫌な想像を掻き消すように、炎の海から逃げるように。『彼女』はケナを背負ったアレイアの後を追った。


「アレイアの旦那!」
 聞き覚えのある声でそう呼ばれ、アレイアは反射的に振り返る。炎を逃れて林の中へ逃げ出した人波の中から、人好きのいいおばさんが手を振っていた。
「ハンナ! 無事だったか!」
「ああ、平気さ! フィーナちゃんもケナちゃんも無事かい!?」
「わ、私は平気」
「……」
 平静を繕った、だがやはりどこか余裕のない大声で問われて、彼女は声を上ずらせた。アレイアの背中でショックを隠しきれないのだろう、青ざめて真っ白な顔をしたケナがほんお小さく頷く。
 辺りはすすり泣きとヒステリックな怒号が混じっていた。それでもハンナのように冷静を保った人間が何人か、先導して地に足がついていない人々を纏め上げている。女、子供。けたたましい泣き声と、キナくさい空気が肺と胸を同時に焼いた。
「旦那、向こうで村長たちが火を食い止めてるんだ。手伝ってやってくれないかい? フィーナちゃんとケナちゃんは私が見てるからさ」
「ああ、わかった。フィーナ、ケナ、大人しくしてろよ?」
 そう言ってアレイアは背中のケナをハンナに預け、走り去ってしまう。
「あ、あの、ハンナさん……。何か私も手伝うこと……」
「ああ、フィーナちゃんは落ち着いてるね。よかった、助かるよ。皆、浮き足立って、泣いてる子を世話するのが足りないんだ」
「あ、は……」
「ハンナさん!」
 答える『彼女』の声遮って、半泣きの揺らいだ声が上がった。顔をあげるとほとんど転がるようにして、林の方から女性が駆けて来る。
 村で何度か見かけたことがある。ただ、今は艶やかな髪も、下ろした服もすすで塗れていて、ところどころ破れていた。やや正気を失った表情で彼女は縋りつうようにハンナの腕を引いた。
「ハンナ! どうしようっ! リックが、あの子が、まだ村に……っ」
「!」
 よく女性が男の子の手を引いていたのを思い出す。確かケナともよく遊んでいた。はっとしてハンナに抱かれた彼女を見ると、ただでさえ青ざめていた顔が、とうとうくしゃり、と歪むところだった。
「う……ふえええええっ!」
「ああっ、大丈夫だよ、大丈夫……だから落ち着いて」
 一瞬後には火がついたように泣き出した。女性はさらに錯乱し始めて、ハンナが慌てて両方を宥めようとする。『彼女』ははっ、と顔をあげた。来る途中に見えた炎の中の影。大きさはわからなかったが、もしかしたら――
「……私、ちょっとだけ見てくる!」
「フィーナちゃん!?」
 駆け出した『彼女』をハンナの声だけが追う。子供を抱えて女性に縋り疲れた格好のハンナが、彼女を追うことはできずに、『彼女』の背は瞬く間に林の向こうへと走り去ってしまったのである。


 がらがらと焼けた木材が炭となって落ちる音。パチパチとうるさいほど叫ぶ火花。そして轟音にさえ聞こえる焔の鳴き声。ランプの中で小さく燃えているときにはあんなにも頼りになるのに、いざ姿かたちを変えると尋常ならざる恐怖になる。
 あの女性のように、『彼女』も錯乱してもおかしくはなかった。けれど何故か『彼女』の脳は、混乱しつつも冷静を保っていた。明るすぎる村にに飛び込むときは足がすくんだが、焼けた村の門を潜った後は、まるで日の中の歩き方を知り尽くしているように、炎の赤い舌をかいくぐってストリートを駆けられた。今は炎よりも己自身に恐怖する。私は何者だったのだろう。何故、こんな場所を歩けるのか、ただ迷子の子供を助けるためだけに。
 『彼女』は激しく首を振った。今はいい。今は自分が探しに来た子供のことだけ考えよう。
「!」
 灰と火の粉の降る広場に差し掛かって、噴水の影に布切れを見つけた。だだっ広い広場は火の手の周りが遅いようだった。『彼女』は迷わず駆け抜ける。噴水の影に何度か見た覚えのある小さな男の子が倒れている。慌てて首を触ると、そこは確かに脈動していて、胸を撫で下ろした。
「とりあえず、早く逃げなきゃ……」
 転びそうになるフレアスカートの裾を裂く。気になどしていられない。急いで子供を背に負ぶって――
「――っ!」
 それを感じ取ることが出来たのは奇跡だったのか。それとも脳と身体に刻まれた本能だったのか。『彼女』は子供を庇うようにして、反射的に後退った。その足元に、

 ざくっ!!

「・・・!」
 自分のスカートの裾を裂いて飛来したそれに、『彼女』の背中に戦慄が走った。身体が凍りつく。
「何よ……これ……」
 それが何なのかなんて知っている。きっと見たら誰だって判断がつく。でも、それが己に放たれるのを見た者と見たことがない者。数えたらきっと後者の方が圧倒的に決まってる! 
 肉を抉るために尖り、磨かれた切っ先が、今はやすやすと乾いた地面に突き刺さる。
 ・・・弓矢、だった。
 足元から恐怖が駆け上がる。それでも膝が折れなかったのは、『彼女』の中に残っていた』本能が、一番の恐怖を理解していたからだ。
 即ち――矢を放った者がどこかにいるのだ、と。
「!」
 もう一度、殺気が背中を貫いた。『彼女』は子供を庇いながら、身体を反転させる。

 ざくっ!

「――っ!」
 鋭利な痛みが太股を裂いた。背中の子供を庇った『彼女』の足を掠めてとんだ弓矢は、そのままざっくりと裂けたスカートの布切れを地面に縫いとめる。
 『彼女』は顔を上げた。

 息が、詰まった。

 明確な殺意が、真っ向から『彼女』を貫く。焼け残った屋根の上。舞う火の粉を背にして、彼女は静かに弓を構えていた。
 凍りついた表情。淡い桃色の髪。無機質な、人形のような紫の瞳。灯るのは肉食獣が獲物に向けるような――悪意なき殺意。
 見覚えがあった。村長の家の階段から転がり落ちた、あのときの――!
「――!」

 彼女は、『彼女』を狙っていた。

 悟った瞬間に、『彼女』は駆け出そうと足に力を込める。だが『彼女』の意思とは裏腹に、恐怖に竦んだ足には上手く力が入らずにがくりと膝が折れる。
 かちかちと奥歯が鳴る。何、何なんだろう、この世界は。ここは本当につい先ほどまで平和だったあの穏やかな村の中なんだろうか。炎に包まれて、さらにあんなものが見える。悪夢なら早く覚めればいいのに、鏃の掠めた太股が、嫌が応にも現実を突きつける。
「……」
 無感情な瞳がまた矢を番える。そこには何の躊躇いも見えない。
 ――っ!
 声さえも出なかった。。殺される、と思った瞬間に、まだ気絶したままの子供を抱きしめて目を瞑る。何か考えられたわけじゃない。ただ本能的に、せめてと思っただけだ。暗闇の中でほぼ無意識に口を開く。助けを叫ぼうとした唇からは、しかし、とうとう何も出て来なかった。
「――っ!」

 きぃんっ!

 ……澄んだ金属音が響いた。訪れると思っていた激痛は、いつまで経っても襲って来ない。
「……」
 子供を抱きしめながら、『彼女』はゆっくりと面をあげる。そして、息を呑んだ。

 炎の逆光に、大きな背中が聳えていた。

 足元に折れた矢が転がって、ざくりと地面に突き立てられているのは複雑怪奇な紋様を描く大振りの剣。呆然とした頭で、その剣が飛来した矢を叩き落したのだと知る。火の粉の舞う中に佇む背中は、暗色の長いコートに覆われていて、コートの背にさらりと焔と同じ鮮やかな黄昏色の髪が落ちる。
「……」
 ぴきん、とこめかみが、軋んだ。何故なのかは、わからなかった。

「――去れ」

「……」
 低い。低くて、些か怒気を孕んだ声が耳を打った。静かだがけして無感情ではない。心地よいテノール。
 男の背中越しにかろうじて見える屋根の上、弓の構えた女は、やはり無表情に男を見下ろしていた。しかし、しばらく無言を貫くと屋根を蹴る。猫か猿のような身軽さで隣の屋根へと飛び移った女は、瞬く間に炎の中へ姿を消した。
「……」
「あ……」
 女の姿が完全に見えなくなるのを待って、男が振り返る。瞬間、

「・・・!」

 鳶色の、鷹の瞳と目が合った。身体が動かなくなる。息が詰まる。でもそれは鋭い眼光に睨まれたせいじゃない。
 黄昏と同じ色をした髪が炎に溶ける。逆光の中に光を放つ瞳が霧氷上位、彼女を見下ろした。
 ――あ、つ……っ!?
 脳髄が急激に、焼けるような熱を持った。胃液が逆流して器官を焼く。異様に熱をあげた身体は、自身をいじめるようにがんがんと芯から、頭から、身体から自由を奪う。矢先を向けられたときとは違う感覚が、膝から力を奪う。
「うっ、く……っ!」
 早く逃げなくてはならないのに、ぐらぐらと煮えくり返る脳が邪魔をする。そのときだった。
「……っ!」
「……こんな場所にいると、死ぬぞ」
 容赦のない言葉と裏腹に、丸めた背中をまるで窘めるように大きな手のひらがなでた。視線を上げると、赤い光の中に影を作る。
 暗緑のコート。胸元には奇妙な紋章。細められた鳶色の瞳は、無表情ではあるものの、先ほどの女のような冷たさは感じない。
 むしろ、
 ―― ……?
「立てるか」
「……」
 『彼女』の代わりに子供を片手で担ぎ上げた男が問う。頭一つ分半は高い背丈。黄昏の髪、何故だかどこか物悲しい瞳、背中に添えられた無骨でとても大きな手。
 呆然と男の顔を見上げたまま、口から滑り出した言葉はほぼ無意識だった。
「……貴方、」
「?」



「貴方、私を知ってる?」



「――っ!」

 無表情な男の顔に、明らかな同様が走った。わずかに見開かれた鳶色の目が、複雑な色に変化する。だが、それが何より明確な答えだった。
「知って……る、の?」
「……」
 自らの困惑を押さえつけながら、『彼女』はよく回らない舌で言葉を紡ぎ出す。男は答えない。そして『彼女』がもう一度、同じ問いを繰り返そうとした、刹那、
「っ!?」
「――すまない」
 首筋の辺りに軽い衝撃があった。歯を苦縛る間もなく、休息に意識が落ちる。
 ――うっ……く……っ!
 暗闇のカーテンが落ち切る直前、『彼女』が最後に目にしたのは、苦痛と、何故だか痛ましいほど悲しく歪んだ男の顔だった。


 アレイアは焦っていた。火の勢いが弱まり始め、疲労した老人たちを避難所へ送り届けてみると、そこにフィーナの姿はなかった。
 わかっている。自分はそんな心配ができるような立場じゃない。ただ、まだ忘れ得ぬ想い人の面影を彼女に重ねているだけの、酷い男だ。自惚れることさえできない。
 だがそれでも、見捨てられるはずはなかった。
 ――くそっ! あの馬鹿……っ! 後先考えずに……っ!
 どこが火の元で何が原因かもわからない。それなのに。至極、彼女らしいと言えばそうなるが、笑い事でも冗談でも、済ませられるものじゃない。
 林を抜けて、焼け残った村の柵の袂に差し掛かる。そのときだった。
「! フィーナ!」
「! アレイア!」
 子供を抱きかかえたまま、すわり込むフィーなの後姿が見えた。声を張り上げると、金色の頭が振り返って、名前を呼び返す。
 一瞬、安堵したアレイアだったが、彼女の傍に佇んでいた男に、即座に表情を強張らせた。
「アレイア……?」
「!」
 "それ"に気がついたアレイアは迷わず腰に下げていた剣を抜いた。
「アレイア!?」
「フィーナ下がれ! その男から離れろ!」
「け、けど……!」
 言い澱むフィーナを庇うように前に出て、長身の男を睨み上げる。鷹のような鋭い目。着込まれた軍服の胸元意、あの忌まわしい紋章が張り付いていた。
「八咫烏の紋……っ!」
「え……?」
「貴様、エイロネイアの『七征』か……っ!?」
 ――っ!?
 アレイアの吐き出した、にわかには信じがたい単語に、フィーナの瞳が見開かれる。男の眉がわずかにひくり、と動いた。アレイアはフィーナの腕を引き、後ろに下がらせると、剣の切っ先を男へと向けた。
「まさか、村を焼いたのも貴様らか!」
「……違う」
 しかし、アレイアの瞳は疑惑を湛えたままだった。


 『彼女』はアレイアと彼とを交互に見比べる。そして意を決したように唇を引き結んだ。
「待って、アレイア」
「フィーナ……っ!」
「貴方の気持ちもわからなくない、けど、でも……」
 『彼女』は一度、言葉を切った。遮るアレイアの腕を押し退けて前に出ると、真っ向から高い鳶色の瞳を覗き込んだ。
「――貴方、私を知ってるのね」
「……」
 男はわずかに顔をしかめてみせた。けれど何故だか彼女には解った。それが、何よりの肯定なのだと。
 男は静かな瞳で、一度だけ『彼女』を見た。わずかに唇を噛み、それでも口は開くことなく踵を返す。
「ま……っ!」
「さっさと去れ。いつまでもここにいると死ぬぞ」
 それだけ告げると男は地面を蹴った。凄まじい速さで林を駆け抜ける。子供を抱えたまあの彼女に、それが追えるはずもなく、その場で足を止める。
「フィーナ……?」
「……」
 肌が妙に粟立っていた。地に足が着かない。アレイアが呼ぶその名前が、いつも異常に遠かった。
「……?」
 視界の隅が光ったような気がして、視線を下ろす。固く焼けた地面の上に、きらりと小さく、何か鎖のようなものが落ちていた。拾い上げると、金属であるソレは妙なほど温かかった。つい先ほどまで人の手の中にあったかような。
 ――……ネックレス?
 シルバーの鎖に繋がれたのは、小さな、透明なベルと銀色の指輪。シンプルで、けして華美ではなくて、飾り気のあまりない。
 ――……。
 無意識に、彼女はそれを手の中へ握り締めた。
 心臓が、何故だか痛いほど熱かった。


 ぱさり、と床にワンピースが落ちた。昨日の今日で、呑気に朝から郊外を散歩しているような人間もいないだろうが、一応はカーテンを閉めておく。
 郊外にあったアレイアの家は運良く庭を舐めた程度の被害で済んだ。今、狭いリビングでは何人かの村人たちが避難して来ている。早朝で疲れもあるのだろう。今は皆眠っている。少し経てば、皆起き出して村の復興を始めるんだろう。
 火が消えたのはもう明け方近くになってからだった。呆然と立ち尽くす人、泣き疲れて切り株で眠ってしまった人、悲嘆にくれる人。そんな中で村長やハンナは残った家から食べ物や水をかき集め、手製の竃で温かいものを振舞っていた。それに元気付けられたのか、村人たちの間では、朝になる頃にはあそこはああ直して、今度は家をこうしたい、なんて会話がちらほら聞こえ始めていた。
「今まで戦火なんか遠くて、実感なんてなかったけどね。でも私らだって、そんなに弱くないさ。壊れちまったものを嘆いてばかりじゃ生き残れないしね」
 ハンナは疲れた顔に笑顔を浮かべながら言った。
 生物の生命力は凄い。それは人間も変わらずに、逆境に生きている人間ほど根底が強いのかもしれない。彼らも嘆いていないわけではないだろう。ただ生きるために一生懸命。それが、殊更に美しく見えた。
「……」
 何故だろう。それを思ったとき、『彼女』の中に湧き上がったのは、小さな、されどけして弱くはない衝動だった。無意識に、意図的に遠ざけるように、クロゼットの奥に仕舞い込んでいた服を引っ張り出す。黒のシャツを被って、オレンジのコートを羽織、ベルトを締める。悩んだ後に髪を括ってバンドで締めた。磨かれずに曇った鏡の中には昨日までとまったく違う自分がいる。
 だが、これが本来の『彼女』だった。あの日、アレイアの家へ運び込まれたときに、恐怖し、遠ざけた。彼女が自分自身を恐れた最大の理由は、
 ―― ……。
 壁に持たせかけた、優美な、しかし曲々しいラインを描く、女の手には一見そぐわないもの。弧月を描く鎌は振り上げれば容易く命を奪うだろう。直に伸びる逆端の刃は、生ける者を貫くために造られた。美しくも見えるその凶器が、己の罪の象徴であるかのようで、『彼女』は記憶を失ったあの日、目と耳を閉ざすように、そっとそれを戸棚の中へ押し込めた。
 今一度、その中心の柄を握ってみる。握り締めれば、それは驚くほどしっくりと『彼女』の手に馴染んだ。
「……ごめんね」
 自然と言葉が零れ落ちた
「ずっと、一緒だったのいね」
 それは手の中で弧を描く武器に対してだったのか。それとも――。
「……」
 『彼女』はカーテンを開けた。淡く、薄暗い光が森の向こうから漏れてくる。黎明の明かりが、『彼女』に何かを告げていた。
 ベッドサイドに置いたネックレスを手にする。ベルの澄んだ音がりん、と鳴る。朝の空気に冷たくなった鎖が、指先に熱い。『彼女』は括られていた銀の指輪を指に転がす。ほとんど無意識にその裏を返す。
 そこには、その名が刻まれていた。

『Kanon』


「行くのか」
 声をかけられたのはちょうどドアを開いたときだった。足音は聞こえていたから驚かない。振り返ると、徹夜で火を消し、避難を手伝っていたせいか、やや目の赤いアレイアが立っていた。
 答えに迷う。でも、アレイアの目に宿っていたのは優しいものだった。
 溜め息が漏れる。ほんの少しだけ眉を曲げて、アレイアはくしゃくしゃと頭を撫でてくる。
「そんな顔するなよ。美人が台無しだ」
「……ごめん」
 頭を撫でるアレイアの目には、もう昨夜の悲痛な色は残っていなかった。いや、きっと見えないだけで奥には寂寥にも似た何かが潜んでいるのかもしれない。けれど、アレイアの手と目にあったのは、家族や兄弟に向けるような、慈愛の優しさだった。
 何を言えばいいんだろう。楽しかった。去ることを決めても、ここに来てよかったと思えた。昨夜だって確かに心は揺らいだのだ。恐怖していた本当の自分を追うよりも、ここで安らかに暮らすのも幸せなのかもしれないと思った。
 けれど、そのどれも言い訳のように聞こえて、残酷な置き土産となりそうで。『彼女』はただ歯を噛み締めることしか出来なかった。
 ブーツの紐を締めて外に出る。早朝の切るように冷たい空気が、目を覚ましてくれる。
「元気でな」
「……うん」
「この村はなくならない。村長もハンナたちも、……俺も頑張るさ。お前も頑張れよ」
「…………うん」
 声も息も詰まって、上手く言葉が出て来ない。何も問いたださないアレイアの優しさが、胸に響いた。
「……ごめんね、アレイア」
「……」
「でも、私思い出したから。思い出さなきゃいけないヤツがいるって」
 曖昧に笑って、アレイアはもう一度頭を撫でた。
「何て呼べばいいかな」
「え?」
「もうフィーナ、はおかしいだろ。俺はお前を何て呼べばいい?」
「……」
 『彼女』は少し俯いて悩んだ。でもすぐに顔をあげる。胸に下げた小さなベルが、ちりん、と音を立てて、『彼女』の背中を押してくれた。
「カノン」
「……そうか。いい名前だな」
 アレイアはそっとカノンの肩に手を置いた。思わず肩を強張らせる。一瞬だけ、額に温かな感触が触れた。
「旅の行く先に幸あらんことを。俺の郷里のまじないだ」
「……ありがとう」
 カノンはゆっくりとアレイアから離れる。アレイアはふう、と晴れ晴れとした息を吐いて笑顔を浮かべた。
「ケナには俺が上手く言って置くよ」
「……うん」
「疲れたり、何かあったら帰って来い。いつでも歓迎するからな」
「うん」
 最後にお互いに微笑んで、朝の空気を吸い込んで。身体の中が澄み渡る。
「もうすぐ皆起きるな。そろそろ行け。……それじゃあな」
「うん。アレイア、ありがとう。……元気で」

「ああ。俺もだ。ありがとう。また、いつか」
「うん、またいつか」


 少女の背中が見えなくなって。アレイアは大きく息を吐いた。
「……これで、良かったんだよな」
 そう呟いて、家の中へ戻ろうと踵を返し、
「……アレイア=ブロード、だな」
 その背中に声がかかった。気を抜いていたアレイアは、そのまま振り返る。顔色が変わるのが、自分でもわかった。


 目を覚ますと、隣で眠っていたアレイアはいなくなっていた。ほとんど無意識に、ケナはふらふらと立ち上がって、父親の姿を探す。
 足の裏に冷たい廊下を歩いて、玄関が妙に騒がしいのに気がついた。広い小屋でもないから、ケナはすぐに扉に辿り着く。背伸びをしていつものように扉を開ける。
「ん……おとうさ……………」
 寝惚け眼でその向こうにいるだろう、父親に呼びかけて。
 その声が凍りついた。
 扉の向こう。乾いた地面の上。よく背負われる大きな背中が、うつぶせている。変な色の、赤黒いものがその下に流れている。扉が開いても、ケナの声が聞こえても、その背中が振り返ることはなく。
 その動かない背中を取り囲むように、黒い鎧を着た大きな大人が何人か立って無表情にケナを見下ろしていた。一番、先頭に立った大人は、変に粘ついた変な色の液体がこびりつく剣をだらん、と下げていた。
 ケナの顔からすべての表情が抜け落ちた。
 何が、何が起こったのか理解できない。目の前が暗い。
「何だ……子供か」
「待て。ヴェッセルに関わった者を隠蔽せよ、との命令だ」
 かちん、と嫌に澄んだ金属音が聞こえた。呆然としたケナの身体は、凍りついたように動かなかった。
「すまないな……。命令なんだ。恨まないでくれ」
 妙に赤黒い剣がゆっくりと持ち上がる。いつも父親が握る守ってくれる刃しか見たことがなかった。けれど、その切っ先が自分に向けられる。





 少女の視界の正面に、朝日に照り返す刃の先が煌いて、そして。








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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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