忍者ブログ
DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
<< 03  2024/04  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30    05 >>
[40]  [39]  [38]  [37]  [36]  [35]  [34]  [33]  [32]  [31]  [30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

DeathPlayerHunterカノン[慟哭の月] EPISODE11
哀しいねぇ……。人を愛して、人を信じて、でも自分しか信じられなくて、ついには四面楚歌。哀れで一途な、美しい満月だったよ。くすくす。
 
 
 

 解っていたことだが。
 起き出した朝方に、ルナの姿は宿屋になかった。
 そうしていくら待ってみても、昼すぎまで彼女の姿を見ることはなかった。
「……」
 カノンは痛む頭を抱えながら、昼食の席に着く。
「……大丈夫か?」
「……だいじょうぶよ」
 アルティオからの問いに、小さく答えて紅茶のカップを持ち上げる。僅かな溜め息が紅色の水面に波紋を立てた。
「ルナは?」
「戻ってないわよ」
 同じく、苛立ちの溜め息を吐くシリアから答えが返って来る。食欲も湧かなくて、極軽い食事だけを注文した。
 食事が運ばれてくる間、誰も口を開かなかった。
 やがて、甘さを抑えたフレンチ・トーストがカノンの前に置かれる。手もつけずに、しばらく眺めていると、不意に沈黙が破られる。
「で、どうする気だ?」
「……」
 いつも通りの冷静な声に、問いかけられる。しかし、返答など浮かぶはずもない。
「この際、あいつがシンシアに加担していたことは置いておく。
 あの分では、ちょっとやそっとで、易々と決意を揺るがすようなこともしないだろう。止める、というのは難しいな」
「そんなこと言ったってッ!!」
「お、落ち着けよ、カノン」
 がたんッ、と立ち上がって身を乗り出した彼女を、アルティオが慌てて抑えた。剣呑な視線を向けられたレンは、僅かに眉間に皺を寄せる。
「事実だろう。あいつはお前以上に意地を張る天才だ。ここまで拗れてしまっては、修正も聞くまい」
「……あたしのせいだって言いたいの?」
「そんなことは言っていない。ルナの方にしても、クオノリアの一件から、いや、ひょっとしたら俺たちと再会する前から決めていたことなのかもしれん。
 もしも、研究が流出することがあったなら、何をしてでも止める、とな。
 そうだとしたら、今さら俺たちがどうこう言ったところで、あいつの態度は変わらんさ。
 カノン、あれの強情さはお前もよく知っているだろう?」
「……」
 そう強情。頑固。
 飄々と生きているように見えて、その実、内面は他の誰よりも健気で一途。きっと、彼女の頑固さに比べたら、カノンの負けん気など到底及ばない。
 そんなことは解りきっていた。
「でも……ッ! 何でッ、何でルナがそんな危ない場所に行かなきゃいけないのよッ!? おかしいでしょうッ!?」
「か、カノン、声でかいってッ!」
「せっかく、昔の仲間とも会えたってんじゃないッ! もういいじゃないッ! 何でそんな責務を負わなきゃいけないのッ!? ナンセンスにも程ってもんがあるわッ!!」
「……」
「カノン」
「何ッ!?」
 声を荒げさせるカノンを制したのは、レンの声ではなかった。頬杖をついたシリアが、いつになく真剣な目を向けて来ていた。元来、美人で目は切れ長だ。その眼差しを向けられて、カノンは僅かにたじろいだ。
「皆、そんなに器用じゃないのよ」
「……」
「確かに、私だってそんなところに行こうとする知り合いがいたら、止めるけど。
 でも、考えて見なさい。もしも、もしもの話よ?
 この中の誰がどうしても戦争なんて場所に行かなくちゃいけなくなったら、貴方はどうする?」
「―――ッ」
 ぎゅ、とカノンの眉間に皺が寄った。逡巡の色だ。シリアはきぃ、と小さく椅子を鳴らして椅子の背もたれに寄りかかった。
「私なら、レンが行こうとすれば止めるし、それくらいなら自分が行こうと思うわ。そんな知らないところで、無事に帰って来る保障もない場所で、好きな人の命を運に任せるなんてごめんだもの」
「……」
「あの娘はきっと、今、そういう心境なんでしょ。
 ねぇ、カノン。いくら貴方が鈍い、って言ったって、いい加減解るでしょう? あの娘が、イリーナって子や、あの白子[アルビノ]のチーフにかけてる想いがどれだけのものか。
 あの娘にとって、たぶん、自分が疑われてるかどうかなんて至極、些細な問題なのよ」
「それは……ッ」
「貴方の言いたいことも解るけど。でも、だからって人間、そんなに器用にいくものじゃあないじゃない」
「……」
 がくり、と彼女の肩から力が抜けた。傾ぎかけた彼女の身体を、アルティオは慌てて抱え上げる。
 それに支えられたまま、茫然とカノンはテーブルの端を見つめたまま、力なく口にする。
「………それでも、何も一人で抱え込むことないじゃない……」
「……」
「辛いなら、辛い、って言えばいいのよ……。泣きたいなら、泣けばいいじゃない。
 あたしには気持ちが解らない、なんて……そんなの、言ってくれなきゃ解るはずないじゃない……。
 あたしは、そんなに頼りないっての……?」
「カノン……」
 ゆっくりと、カノンはアルティオの手を払う。そのまま、静かに椅子へ腰を落とした。
 誰も何も言えなかった。
 カノンが一番、激昂したのはルナがシンシアに加担していたことなどではない。ただ一人で、内密にことを運ぼうとしていたことだけだ。
 誰にも言わず、誰にも言えず、ただ茨が生えた路を行く。それがどれだけ辛くて、痛みを伴うことなのか、カノンだって知っている。だからこそ、独りよがりに行こうとした彼女も許せないし、彼女のそんな想いに気づいてやれなかった自分も許せない。
 ただ、それだけなのだ。
 しばらく、くしゃくしゃになった自分の金の髪を眺めていた。
 頭が冷えない。冷えてくれれば、きっとこれからどうすればいいか、考えることも出来るのに。
「あの……」
 重い沈黙に割り込んだ声は、弱弱しく、申し訳なさそうな小声だった。
 カノン以外の三人が、顔を上げる。テーブルの正面に、初老の小柄な男が、所在無げに立っていた。
 ここ五日あまりで顔なじみになってしまった宿屋の主人だった。
「お取り込み中、すいません。ええっと、カノン=ティルザードさんは?」
「?」
 名指しで呼ばれて、ようやくカノンは顔を上げた。それを見て、主人はテーブルの真ん中に、手に持っていた何かを置いた。
 それを目にして、カノンの表情が疑念に揺らぐ。
 真っ白な、飾り気の一切ない封書。その片隅に、カノンのフルネームが記述されている。それだけを見るなら、ただの手紙と受け取ってもいい。
 だが、一つだけ異様だったのは、

 封書の表面に、突き刺さるように糊付けされた鴉の羽。

 黒、という色が否応無しに誰かを連想する。
「……店主、これは?」
「はい、いや、私も解らないんですが。いつのまにかカウンターに置かれていて……
 宿帳に書かれているお名前と同じものでしたので、とりあえずお聞きしてみようと……」
 場の重い雰囲気に押されてか、それとも差出人不明の封書に疑念を抱いてか、しどろもどろに答える主人。
「カノン……」
 アルティオが問うようにカノンの名を呼んだ。
 知らず知らずに固唾を呑む。
 いつもいつも、大方の時間をカウンターで過ごしているはずの宿屋の主人。その目を掻い潜って、どうやってか届けられた手紙。
 そしてこの最悪のタイミング。
 睨むようにそれを見て、カノンはそっと手を伸ばす。
 表面に何か薬のようなものが塗られていないか、刃が飛び出ていることはないか、いや、主人が普通に持っていたということは、そんな工作はないだろう。
 となれば、重要なのは中身だ。
 宿屋の主人に適当な礼を言って追い返す。他人の前で開けるようなものじゃない。
「レン、シリア、アルティオ」
 覚悟を確かめるように、全員の名前を呼ぶ。全員が無言で頷いた。
 軽く、カノンは頭を振る。切り替えろ、切り替えろ、あくまで冷静に。
「……代わるか?」
「いいえ、大丈夫」
 紙の破る音が、いつもより神妙に聞こえる。破いた封書の隙間から、何の変哲もない羊皮紙が見える。
 その手紙を、いつもの三倍は丁寧に開いて、
「・・・え?」
 それを目にした途端、カノンの茫然とした声が辺りに漏れた。


「ん……」
 頭ががんがんと痛む。いや、がんがんなんて優しいものじゃない。耳のすぐ脇で、遠慮無しにでかい鐘か何かがごんごん打ち鳴らされている、というか。
 ともかく、そんな耐え難い痛み。
 でも、もっと耐え難いのが、
「……ッつぅ」
 身を起こした瞬間、腰から下に走った激痛に、またベッドの中へへたり込む。
「~~~あんの馬鹿、マジで無理矢理やりやがったわね……」
 カーテンの隙間から日の光が見える。大体、昼過ぎ、だろうか。日が傾くまで熟睡していたらしい自分に少し呆れる。
 ―――まあ、あたしのせいじゃないけど……。
 明け方まで身体を拘束していた腕の主の姿はもうなかった。意外ときちんと後始末はしていったらしく、落としたはずのマグカップは片付けられていて、代わりに既に乾いた服が折り畳まれて置かれていた。その上には、煙草の空箱と新しい印が刻まれた羽飾り。
 気だるい身体を何とか起こして、髪を掻き揚げる。
 早く体裁を整えなければ。夕方の約束に遅れてしまう。
 ―――とりあえず、ラーシャたちと訪問には行かないと……
 行って、もし解決したとして、その後は、一体どうするべきなんだろう……?
 大仰な溜め息が漏れる。知らず知らずのうちに、畳まれた服の上に置かれる箱に手を伸ばした。空だと思っていたそれには、一本だけ折れた煙草が残っていた。
「―――フレイ・フレイア」
 極少に魔力を抑えた火炎魔法で着火して、口に加える。苦い煙が、口腔に広がった。
「………マズ」
 何も言わぬ床だけを見つめながら、小さく吐き出した。
 頬に伝う幾重もの涙の跡に、彼女が気づくことは、ついに、なかった。


 違和感が、あった。
 静か過ぎる。
 だるい身体を引き摺って、フランシス邸の前まで来たルナは足を止める。
 夕刻の町。フランシス邸は、街中から一本外れた郊外に近い場所に在り、人通りという人通りも少ない。ましてや、夕暮れ時は人一人さえ。高級街の一本道などに用件のある人間はいないのだろう。
 だから、別段、騒がしさがないことは道理がいく。
 いくのだが、
「……?」
 今日はラーシャと直接現地で待ち合わせていた。昨晩、トラブルはあったがそれで放り出すような無責任なことをあの厳格な女軍官がするはずもないだろう。そもそも、昨日の騒動は彼らの任務と何ら関係があるはずもない。
 少し早かったか、と思って辺りを見渡して。
 ルナはその違和感に気が付いたのである。
 遙か高みまで聳え立つフランシス邸の門。その門が、中途半端に開いているのだ。一応、言って置くが今までこんな無用心な構えだったことは一度もない。
 フランシス家は豪族だ。敵も多い。こんな門構えを放置しておくなど、ありえない。普通なら。
 ―――……。
 いやな予感がした。
 クロード=サングリット、フェルス=ラント。どちらもあの黒衣の少年に、シンシアの聖騎士がエイロネイアの刺客だと語るあの少年に加担していた男の名。そしてその末路は哀れなものだった。
 もしも、もしもディオル=フランシスが、エイロネイアに武器を密輸していたとしたら―――。
 益をもたらす者だから、といういい訳は通用しない。だって、クロード=サングリットも、フェルス=ラントも、何らかの形であの少年の利益になっていたはずだ。だが、殺された。
 同じ、だ。
「ッ!」
 嫌な想像が頭を巡った。礼儀に反することだと知りながら、ルナは門の中に飛び込んだ。
 広い庭をかける。訪れるたびに、美しい水の曲線を描いていた噴水は止まっていた。青い芝生は番犬に踏み荒らされたのだろうか、ところどころ剥げている。
 そういえば、音を荒げればすぐさま黒い番犬たちが吠え立てて来たというのに、その声も聞こえない。その理由は、玄関に辿り着いて明らかになった。
「ッ! な……ッ!!」
 異臭に、鼻を抑える。
 玄関の白い、豪奢な扉が乱暴に開け放たれていた。その半壊した扉には、赤黒いモノが付いている。
 歪に飛び散っているのは、異様な匂いを放つ正体。その体液を流すのは、扉の前に折り重なるようにして横たわった、三匹のブラックハウンドたちだった。
 番犬としてのきりり、とした表情がだらしなく垂れて、涎と赤い舌をべろりと剥き出している。
 そこに、命の灯火など感じるわけもなかった。
 ぞくり、ぞくり、と悪寒が背中を駆け抜ける。こんなものは、こんな惨状は、閑静な郊外の邸にはあまりにも似つかわしくない……ッ!
 ルナははっとして、屋敷の中に目を向ける。
 石段にぽたり、ぽたりと続いた血液の跡が、屋敷の赤絨毯に続いていた。
「……ッ」
 だんッ!!
 石段を蹴って、ルナは犬たちの頭上を跳んだ。屋敷の赤絨毯を踏みしめて、屋敷の中へと入る。
 傍目には何も変わっていない。だが圧倒的に違う。人の気配がしないのだ。普段は入ると同時に使用人の一人や二人とすれ違うのに、その気配もないとはどういうことか。
 少し考えてから、屋敷の奥―――ディオルといつも謁見している間に行こうと思い至る。
 何故、玄関が開け放たれているのか。理由は簡単。とんでもなく乱暴な客が来たのだ。客をもてなすのはどこか―――応接室だ。
 吐き気が込み上げた。奥に行くほど、匂いが強くなっていくのだ。
 何度も嗅いだ、そして未だに馴れない、血臭、というやつが。
 周囲の扉が、中途半端に開け放たれている。だが、どの部屋からも人の―――生物の気配がしない。
 自分の中の瑕を抉るような真似はしたくなかった。だから、ルナは気配にだけ賢明にアンテナを張り巡らせながら、ひたすらに奥に向かう。
 それでもちらりと見えてしまったドアの内部。
 赤かった。
 そして、くすんでいた。
 影が見えた。
 凝視をすれば、それはきっと見知った形を取るのだろう。
 人の影―――いや、命のもうないそれは人形だ。そんな人形が、玩具箱をひっくり返したときのように散らかされ、あるいは放り出され、あるいは幾重にも重ねられているのだ。
 ありえない。
 あんなものは、人殺しなんて可愛らしいものじゃない。虐殺だ。
 脂汗が浮かんでいた。止まりそうになる歩みを、一歩一歩、堪えながら進めていく。直に見てしまえばその場でへたり込んでしまうかもしれない。だから、ルナは周囲なんかに気を配らぬよう、歩いていく。
 鼻は抑えているのに、異様な吐き気だけが高まって、胃を焼いた。
 ―――………。
 前にも、こんな空気の中を進んだことがある。
 そうだ、あのニード=フレイマーが『月の館』を襲ったときのこと。ちょうど授業の最中だった。昼過ぎの授業中で、皆、心地良い眠気に耐えていたときだった。
 火が放たれている、と叫んだのは誰だったか。窓の外から立ち込める白煙を目にした途端、その場は騒然となった。
 教師たちは慌てて生徒たちを先導しようと奮闘した。だが、混乱に陥った生徒たちが言うことを聞くはずもなく、さらなる混乱を招くだけだった。
 それでもルナはイリーナたちを、唯一火の気が届いていなかった通路まで送り届けると、踵を返して地下に向かったのだ。
 理由は一つ。
 授業の最中に、カシスがいなかったからだ。
 あの男にとって、サボリなんてしょっちゅうで、しかもルナにも解らない研究か何かに数日前からずっと没頭していた。どうせ、また研究室で篭っているのだろうと考えて、ルナもそれほど気に留めていなかった。
 けれど、地下研究室という場所は外部から遮断されて安全であると同時に、一番、異常に気づきにくい場所でもある。
 今日に限って、サボリを叱り飛ばしにいかなかった自分を呪いながら、炎の熱をすり抜けて、研究室まで赴いた。
 そこで見たのは―――
「―――ッ!」
 激痛が胸に走る。
 駄目だ、今、集中力を途切れさせるようなことはあってはならない。
 首を振って、はっと気がつく。
「なッ……」
 そこは、応接室の扉の前だった。
 その前に、
「……」
 仰向けにされた、人の体が、大の字に倒れていた。
 ぱっと見は、ただ寝ているだけにも見えた。しかし、黒いタキシードを一部の隙もなく着込んだ、貧相な顔のその執事は、胸の中心に一振りのナイフを飾りに、まっすぐに倒れていた。
 その様はまるで、ナイフの持ち主から主を守ろうとして、犯人を最期にかっと見開いた目に焼きつようとした、抵抗のよう。
 ごくり、とルナの喉が鳴った。
 青白い体から目を逸らす。歯軋りで吐き気を抑え、むかむかする胸を強引に諫めた。
 笑い始める足を叱咤して、その眠る死体を跨いだ。いつのときも、そうして生き残ってきたように。
 ぴったりと、扉の取っ手に手を重ねる。体重をかけて、果たして扉は開かれた。
 心臓に悪い音がする。ぎぃぃぃ、と大層な音を立てて、細い隙間から中が明るみになっていく。眩しくも、開放感もない。ただ暗い口が、開く。
 そして、その向こうに。
「・・・?」
 初めは背が見えた。
 自分のものより高く、しかし、筋力はそれほど感じられない。やがて、その背がスーツだと気がつくのに、そうそう時間はかからなかった。
「フランシス卿……?」
 その背中と蒼い髪は、まさしく卿のものだった。問いかけると、その肩がびくり、と震える。
 まだ、彼は生きている。
 とりあえず、そのことに安堵して、ゆっくりと視線を下ろし―――



 そこで見たのは―――



「・・・ッ!」
 全身の血が凍った。
 五年前の忌々しい記憶がリフレインする。あのとき、研究室に辿り着いたルナは、研究室の重い扉を開けて、開けてそして、見てしまったのだ。
 研究室の中には、見慣れないものがいた。
 顔さえ覚えていない。ただ、ただ薄ら笑いを浮かべた男たちが、各々得物を持った者たちが、数人立っていて、その中央には―――
 横たえた、微動だにしない白子[アルビノ]の男の姿。
 もう過去の話だ。
 彼は生きていた。
 生きていた、だからあれは幻想だ。彼は生きていた。生きていたのに。
「なん、で……」
 なのに、何故?

 何故……今、またその幻想が、目の前で起こっている―――?

 見間違えなどあるはずがなかった。もともと目立つ髪の色。暗闇でも光る白い髪を振り乱して、うつ伏せで表情は見えないけれど、ああ、あの白い上着は、うん、そう―――彼のものなんだよね……?
 ぽたり、と立ち尽くした男の手に握られた短刀から、一滴の血が、滴った。

 がしゃんッ!!

 ディオル=フランシスが慌てて刀を手放す音が、響いた。
「……ち、ちがう…」
「……」
「ぼ、僕はただ誰かに襲われて気を失って、目が覚めたらこの男が倒れていてッ!!」
「……」
「僕じゃない、僕じゃないッ! ほ、ほら、こんなものまで握らされてッ!
 だ、大体、誰かもわからないこんな男、僕が殺す理由はないだろうッ! き、聞いているのかッ、ええッ!?」
 聞こえなかった。
 震えた声の戯言など、聞こえるはずもなかった。
 ああ、あのときと同じなのだと。もう何も考えられなかった。考える? 一体、何を考えろというのか。全身が熱い。血が沸騰している。これは怒りじゃない。怒りなんてそんな、優しいものなんかじゃない。
 目の前の光景が、あまりにも、同じだったから。
 だから、ルナは何事か喚きたてる卿に耳など貸さず。
 無言で腰に下げた短剣を抜いた。

 男の断末魔は、ひしゃげた哀れな声だった。


「ッ、はぁ、……はぁッ……!」
 返り血が、頬にかかった。頬だけじゃない。服に、全身に。ぬるぬると気持ちの悪い体液が、飛び散ってこびりつく。
 がたん、と掌から短剣が滑り落ちた。赤い軌跡を描きながら、それは仰向けに倒れた男の脇へ落下した。
 でもそんな死体など、彼女の目には見えていなかった。
「ッ! カシスッ!」
 弾かれたように、彼女はうつ伏せた白い身体に手を伸ばした。
 弾かれたように、そちらを、そちらだけを見た。
 それはつまり、周囲に、先ほどまであれほど注意を払っていた周囲を、初めて疎かにしてしまった、ということで―――。

 ゴッ!!

「―――ッ!」
 首の後ろに衝撃が走った。がくり、と膝の力が抜ける。力を取り戻そうともがいてみるが、徒労だった。
 受身を取る間もなく、肩が絨毯に打ち付けられる。
 そのまま、ゆっくりと、瞼を黒いカーテンが覆っていった。
「か……し…す………」
 最後の呟きは、うつぶせた身体に届くことなく、小さく消えた。


 力なく倒れ伏す少女の背後に立って、少年は小さく溜め息を吐く。
「………最後の悲鳴が、愛した男の名前とはね…。随分と健気な娘だ……」
 ふわり、と黒の残像が棚引いて、人の形を取り繕う。青白い顔の少年は、眠る少女の横顔にそう呟いた。
 ふと気がついて、かつかつと、少女の視線の先にいたうつぶせた死体の方へ行く。徐に、少年はその死体を蹴り上げた。あまりに乱暴で、うつ伏せていた身体は傾いでその顔を曝した。
 それを冷たい目で見下ろしながら、少年は再度、溜め息を吐く。
「哀しいねぇ……。人を愛して、人を信じて、でも自分しか信じられなくて、ついには四面楚歌。
 哀れで一途な、美しい満月だったよ。
 それに比べて、」
 ふと、少年は顔を上げる。
 開け放たれた扉の方へ目をやって、目を細めた。そこには僅かに―――悪戯好きの子供を窘めるような、静かな笑みが浮かんでいた。
「まったく酷い男もいたものだよ、ねぇ?」
 きぃ、と扉が軋んだ音を立てる。いつのまにか、その扉を支えにして立っていた男は、薄い唇をにぃ、と吊り上がらせて、赤い舌で舐め取った。

 暗闇の中、白い髪の鬘を振り乱した、能面の大きな人形が、だらりと少年の足元に転がっていた。


「ここ……よね?」
「みたいだな」
 羊皮紙から顔を上げて、カノンは目の前の歪な光景を見上げた。
 町の外、郊外の湿った森の中。かつて暗黒時代と呼ばれた、遥か昔には、銀が掘られた場所だったらしい。
 森の一角に、ドーム上に広がる石の洞穴がある―――宿屋の主人から聞いた場所は、間違いではなかったようだ。
 獣道を進んで、唐突に道が切れたと思ったら、その穴はぽっかりと口を開けていたのだ。
 人が三人ほど並んで入れるような、洞穴にしては広い穴。視線を上げると、梢と蔦の向こうにけして高くはないが、低くもない山並みが見える。おそらくは、あそこに向かって掘られたものなのだろう。
 カノンは唇を真一文字に引き締めた。辺りの気配を探る。とりあえずは、何もなさそうだ。山中の苔むした匂い以外、何も感じられない。
「まったくもって意味が解らないわ。何を考えているのかしら?」
 シリアの苛立った声が上がる。警戒は緩めないまま、カノンはそのふざけた手紙に視線を落とした。

 拝啓 カノン=ティルザード様
  貴女のご友人の旧友イリーナ=ツォルベルン様をお預かり致しました。
  憂いでありますならば、町外れの洞穴までいらしてくださいますよう。

 普通の人攫いならば、脅迫状をカノンたちに渡すなどありえないだろう。お門違いにも程があるし、わざわざ旅の人で政団に所属する彼女を狙う理由が存在しない。
 となれば、やはり最初の予想通り、連中の仕業なのだろうが……
「……何で、イリーナさんが」
「あんの野郎、相変わらずやることが汚ねぇぜ! 言うに事欠いて、女の子を、それも俺らと関係ない子を誘拐かよ!」
「いや、妙だな」
「あ?」
 激昂して指を噛みながら言うアルティオへ、最後尾からレンが口を挟んだ。手紙を降ろしてカノンが後を継ぐ。
「街中であんなに派手にやらかしてくれたくせに、今度は今さらこんなこそこそと誘拐なんてやらかして、町の外に引っ張り出すなんて、確かに妙ね。
 どんな罠を張ってるにしても、あれだけの事件を揉み消せるような手段があるなら、別にわざわざこんなところに呼び出す必要はないわ。
 加えて、何でイリーナさんを攫ったのか、ってこと。あれだけの技量の持ち主よ。何で今さら人質なんて取る必要があるの? 何で、あたしたちの誰かでもなく、関係のないイリーナさんを巻き込むの?」
「ただ単に、攫いやすそうな人を狙っただけじゃあない?
 町から離れさせたのは……例えば、ここの罠にまた『月の館』に関係するものを使用してて、ルナやあの魔道技師に悟られたくなかった、とか」
「だったら、イリーナさんを攫うにしたって、ただの人攫いの犯行に見せかけて脅迫状はあの男に送る、とか。
 それでルナやあの男を挑発して、一方で別の事件を起こして分散させる……みたいな手段を取った方が効率的よ。それに、今回はルナもいなかったし、訪ねて行ってもあの男が不在だったから仕方なかったけど、いたら協力するはずでしょ? 奴らにとって、不利極まりないわ」
「……そう、だな」
 不意に、レンが硬い声を出した。
「? どうかしたのか?」
「いや……何でもない。ともかく急ぐぞ」
「そうだな。カノン! 早くしようぜ。じゃないと奴らにイリーナさんが何されるか……」
「そうね。ここまで来たら虎穴に入らずんば虎子を得ず、だわ」
 きっ、と彼女は洞穴の奥を睨んだ。シリアやアルティオと目配せをし、洞穴の中へ入っていく。それに続きながら、レンは顎に指を当て、思案する。
 手紙を受け取り、店の主人に場所を聞き。イリーナらの宿屋に行ったが、そこには誰もいなかった。
 仕方なく、その宿屋の主人と、ルナと会う予定があると言っていたラーシャとデルタに伝言を頼み、急遽、ここに駆けつけた。
 罠だ、とは解り切っていた。
 しかし、どんな罠かは推測できる状況になかった上、人命がかかってしまっていた。あまりにも情報が少なすぎた。これ以上の戦力の分散は危険を生むし、イリーナを見捨てるわけにもいかなかった。だから導かれるままの行動となった。それに異論はない。選択肢が元からなかったのだ。
 奴らの動きがここ数日、まったくなかったのは、この局面でことを起こし、情報不足を憂いてこちらにこの行動を取らせるためだったのか。
 いや。
 そもそも。
 この局面でルナやあの男と手を結べない、というのは、本当に偶然なのだろうか。
 ぞくり。
 薄ら寒さが、背筋を襲う。
 昨晩、ルナがラーシャたちシンシアに加担していたことが露呈し、カノンと仲違いを起こした。あれほどの激昂を生むとは思わなかったが、何らかの亀裂を生むということは予測できた。
 ―――まさか、奴らはこれを待っていたのか……?
 事実、レンは黒いあの影を目撃した直後にラーシャとルナを目撃した。それが決定的となり、ルナの加担はカノンの知るところとなった。
 あれはもしや、誘いではなく、"レンの慎重さを読んだ上で、立ち止まらせるための動き"だとしたら……?
 ぎり―――ッ、奥歯を噛み鳴らす。
 いや、しかし、カノンとルナに、ここまでの亀裂を生じさせることが出来るとは、予測できたのか? 亀裂が生じたとしても、ルナがあそこで出て行かなければ、今、この場に彼女もいたはずだ。
 それに、これはルナがシンシアに加担すると解っていなければ出来ない策だ。奴らが本当にエイロネイアの刺客ならば、シンシア側の自分やカノンに対する動きを悟ることは出来ても、ルナがシンシアに加担することと、それが露呈したルナがどんな行動に移るかを想像することは不可能だ。
 ならば、何故、こんな手を使う……?
 憶測だけがせめぎ合う。知らず知らずに、掌で踊らされているような、そんな感覚さえ。
 良くないことだと知ってはいても、歯を噛み鳴らしてしまう。一体、何が正解で何が間違っているのか。ああ、もう噛み合わない最悪のピースを取るわけにはいかないというのに。
「イリーナさん!?」
 カノンの声にはっ、と顔を上げる。
 いつのまにか、目の前が開けていた。洞穴の道が急に広くなった、と思ったら、そこは妙に広い一室だった。ちょっとしたホールくらいの大きさはある。
 ごつごつとした岩肌が、ドーム状の部屋を造り出し、また天井は抜けて吹き抜けとなっている。丸く切り取られた赤い空が、天上に見えていた。天然の要塞、と称してもいいだろう、その石のホールの隅に、見覚えのあるローブの後姿が見えた。
 視線を巡らせる。周囲には誰もいない。気配も……ない。
「イリーナさんッ!」
「おい、大丈夫かッ!?」
 もう一度、呼びかけてカノンが少女の後姿に駆け寄った。シリアとアルティオがそれに続く。
 一歩遅れて背を追いながら、顔をしかめる。
 おかしい。他に誰もいない、ということがあり得るのか? 一体、どういうことだ。
 がんがんと、レンの頭の中で警鐘が鳴り響く。
 カノンの手が、少女の肩を掴んで振り返らせる。少しだけ驚いたような、それでいて不安げな少女の顔が見えた。
 瞳にカノンの姿を映した途端、その表情が和らいだ。
「カノンさん……、来てくれたんですね……」
「大丈夫ッ!? 何かされてないッ!?」
「ええ、大丈夫です……。来てくれて、ありがとうございます。良かった……」
 そのやり取りに、一抹の違和感を覚える。シリアもアルティオも安堵した表情を見せているが、レンの表情は険しくなるばかりだった。
 何だ? 何かが、おかしい。警鐘が、鳴る。
 その違和感を、多少はカノンも感じたらしい。肩を掴む手を緩めて、ふと、真顔に戻る。
 少女が、ローブの胸元を抑えた。
 そして、にっこりと、いつもの笑みを讃えながら、言った。
「良かった…本当に、良かった。じゃあ、」





「死んで、ください」





 胸元から抜き出された少女の小さな手には、歪んだラインを描くナイフが一振り、握られていた……。



←10へ

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (管理人しか読むことができません)
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
★ カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
★ 最新トラックバック
★ バーコード
★ ブログ内検索
★ アクセス解析

Copyright (c)DeathPlayerHunterカノン掲載ページ All Rights Reserved.
Photo material by 空色地図  Template by tsukika

忍者ブログ [PR]