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DeathPlayerHunterカノン[降魔への序曲] EPISODE7
――― 一体、どうなってるってのよ……。
人込みから逃げるようにホテルを出て、ようやく落ち着けた町の片隅にある食堂。物価の高いクオノリアでそこそこの値段でそこそこのものを食べさせてくれた。
まあ、確かにホテルでの食事の方が美味しいことは確かだが、あんな騒ぎの中心でゆっくり食事も何もあったものじゃない。
朝食の席は珍しく静かだった。
さしものシリアも自嘲して、今朝ばかりは大人しく、どこか憮然とモーニングセットを口にしている。
「さて、」
食後に運ばれてきたホットコーヒーの半分を飲み終えた辺りで、カノンはそこにいる全員を見回した。
「さっき、ホテルの支配人に尋ねたら、今日明日にあそこを追い出される心配はないそうよ。
ホテル側にとっては大惨事だし、即対応しなきゃいけないんだろうけど……
少なくとも、ビジネスだから。今泊まってる人たちに失礼な真似はしない、ってさ。つまり、騒ぎを気にしなければもう二、三日は普通にレジャーを楽しめる」
頷くシリアとアルティオ。レンは承諾済みなのか、コーヒーカップを空ける手を休めない。
「まあ、気にしなければ、の話だけど」
カノンが何を言いたいのか、解らないほどここに居るメンバーは愚鈍ではないだろう。
―――つまり、クレイヴは昨夜、何かをカノンたちに話そうとしていた。
その何かは今となっては解らない。しかし、カノンはてっきり最初に受けた依頼についてか、もしくは昨日の件を重く見て、なりふり構わず"事件の解決"を依頼しに来たのか。
そのどちらかと思っていた。
だが……
その矢先に、クレイヴは殺された。
いくらローラン……WMOにとって彼が目の上のたんこぶだったとしても、仮にも公共機関の人間が、そんな手荒な真似をしたりはしないだろう。下手をすれば、それこそ面目の丸つぶれになる。
話をようとした矢先―――
クレイヴは誰かに、フロントを通じて呼び出されていた。
それが誰だったのか、何があったのか、おそらく彼はあの後に殺されたのではないか……
「クレイヴが、あたしたちに何を話そうとしていたのかは知らないわ。今となっては解らない」
神妙に首を振ってカノンは前置いた。
「けど、その"誰か"にとってクレイヴが話そうと……もしくは打ち明けようとしていたことが、何らかの形で不都合だった、ってことになるわ」
「不都合、って……やっぱり例の件に関して、だよな?」
「たぶんね。まあ、仮にもホテル主だし、狙われる理由ってのは逆恨み含めていろいろとあるんだろうけど……。
けど、このタイミングで、ってのはちょっと……」
「けどー、このタイミングを狙って、ってのもあるんじゃない?」
珍しくレン以外のことに頭を働かせているシリアが発した言葉に頷くカノン。
「確かにね。今なら、他人に罪を着せられるいい機会よ。
でもね、クレイヴはWMOやら政団にも機密でこの探索をしていたの。一般の中で、クレイヴがこの件に関わっていたことを知る人は極少数、観光団体の一部と依頼を受けた、あたしたちみたいな傭兵くらい。
観光団体の人間にいくら何でもこんな、『観光』そのものが不安定になるような事件を起こす理由はないし、傭兵にしたってクレイヴはそんな不法千万な依頼人じゃなかったわ。
まあ、観光団体については、それほどの恨みがあった、って人もいるかもしれないけど……その線で考えたって、一歩も進まないわ。
最悪のパターンを考えるなら、やっぱりあの件絡みになるはずよ」
「……確かに、最悪だな」
カノンの言葉をレンが継ぐ。
彼は不意に自分の指を立て、
「一つ、WMO、もしくは何かの理由で"事件の解決"を望まない人間が、目の上のたんこぶであるクレイヴを煙たがって消した。
しかし、これはクレイヴが何らかの成果を上げていない限り、そしてそれが公になっていない限り、考え難い。ましてやWMOがそんな手段に出るとは考え辛い。
二つ、クレイヴが事件について何らかの形で直結、もしくは間接的に関係する事柄……犯人を告発する証拠を掴んでしまっていた場合。
これは"消される"理由として十分だし、そうなれば俺たちに護衛や告発の手伝いを頼んでくることもあるだろう。
……後はあまり考えたくないが、三つ」
レンの声が潜んだものになる。
「クレイヴ自身が、この件に関して何らかの形で直接的に関わっていた場合」
「―――っ!」
アルティオが飲んだばかりのコーヒーを噴出すのを堪えている。シリアもまた、目を丸くして彼を見た。
「真実はわからん。
この説は、ならどうして"事件の解決"に繋がる依頼を俺たちにして来たのか理由が解らなくなるし、根拠も薄い。
昨日、あんなことが―――合成獣が人を傷つけるようなことがあって、昨日の件自体に疑問を抱いた、もしくは腰の引けた奴が俺たちに"事件の解決"を依頼し、自分だけ火の粉を避けるためか、それとも本当の真実を明かすつもりだったのか……。推測はいくらでも成り立つ意見だがな」
「どっちにしろ、クレイヴの真意は解らないことだらけよ。
これ以上は、ここで考えてても仕方ないことばっかりだわ。で、それを踏まえてあんたたちに聞きたいのは、」
もう一度、カノンは一同を見渡す。
「一つ、こんな件とは金輪際、関わらずに楽しくレジャーを満喫した後に速やかにこんな縁起の悪い町はおさらばする。
二つ、やっぱり寝覚めが悪いからハイリスク覚悟で分の悪い真似をする。
二つに一つよ」
「……」
シリアとアルティオは無言でお互いの顔を見合わせた。レンは短い溜め息と共に、早々に口を開く。
「俺としては前者、だな。
わざわざ見返りのない厄介事に首を突っ込むのははっきり言って歓迎しない」
「……まあ、あんたはそう言うと思ってたわ。で、あんたたちは?」
首を回して、シリアとアルティオの方を向く。二人とも答え辛いらしく、渋い顔で固まったままだ。
数瞬の沈黙の後、アルティオが顔を上げる。
「俺としては……ちょっとやっぱり寝覚めが悪すぎるぜ。納得はいかないけど……けどどっちが正しいのかもよくわかんねぇ。
カノン、お前はどう思うんだ?」
「……」
問われて腕を組む。ちらり、とレンの方を盗み見ると、知らぬ顔でカップを傾けている。
「……あたしはやっぱり、寝覚めが悪いわね」
その一言に意外そうな目を向けるアルティオ。
「それに、気になることがあるの」
「ルナのこと?」
「そりゃそれもあるけどね……。
何で、いきなり事件が凶悪化したのか、ってことよ。これまで事件は人気のない、山の中とか人知れない岩場とか。
そりゃあ、襲われた人の一人や二人、いたかもしれないけど、真昼間のビーチの真ん中に現れたことは今までなかった。にも関わらず、昨日は一般人が大勢いるあの場所が狙われて、今朝、その調査をしていたクレイヴが殺された。
いくら何でも程度が違うわ。
で、何のために犯人はわざわざこんな騒ぎを起こしたのか。何が目的なのか。
これは良くない推測よ……推測なんだけど」
こくり、と生唾を飲み下す。
「犯人が、あたし達を……いや、あたしとレンを挑発しようとしている、もしくは直接に狙っている場合」
「―――!?」
「ちょ、何でそうなるのよ!?」
「考えたくないけど……。
半年前のことはあんた達も知ってるでしょ?」
言ってシリアもアルティオも、一瞬言葉に詰まる。
半年前―――回収した死術を利用しようとした政団の指導者が暴走を始め、それを止めるためにカノンとレン、他一名が深く関わった事件。
公式には伏せられているが、裏の方では名前が流れてしまっていてもそうおかしくはない。
あの事件は政団の第三革命とも呼ばれ、おそらく歴史上にも残る大事件だったのだから。
その最中にいたカノンたちに降りかかるのは、けして名声や栄誉ばかりではない。元・指導者の残党に襲われたこともある。
歴史に名を残すということは、表にしろ裏にしろ、いつのときもろくな結果を生み出さない。自らの親族に置いて、カノンもレンもそのことは良く知っている。
だからこそ。
無用な危険を避けたがるレンの言葉の意も解る。が、
「自意識過剰なのは解ってるわ。これはあたしの単なるもしかしたら、っていう気がかりに過ぎない。杞憂にじゃないか、って程度のね。
でも、それを放って置いて、ってのは少なくともいいことじゃないと思うのよ」
カノンは全員に、というよりもレンに向かって言う。
彼はようやく弄んでいたカップを置いた。手元の剣を引き寄せて、天井を仰ぐ。しばし、目を閉じた後、
「で、具体的にどうするんだ?」
さすがに決まると決断が早い男だ。
「ありがと、レン」
「ふん。まあ、俺はいい。どの道、ここに滞在するのなら部外者ではいられまい。
カノンと俺はともかくとして、お前らはどうするんだ?」
「決まってるじゃない!」
問いかけにいきなり元気になったシリアが立ち上がる。傍迷惑にもレン、そしてカノンを交互にびしっ、と指差すと、
「最初に言ったことをもう忘れたのかしらッ!? この私がいる限り、二人きりなんて許されないって!
ふっ、不本意だけどこの私の協力が得られることを感謝することね、カノン=ティルザードッ!」
「押し売りはお断りよ、残念だけど」
「そんな危ない境地に愛しい俺のフィアンセを一人にして置けるわけがないだろうッ!?
ましてや、こんなむっつり野郎の側に置かせておいてたまるかッ!」
「……貴様」
「店の中でそういう発言はやめろッ! ったく……まあ、いいわ。
二人共、それでいいのね?」
カノンの最後の問いかけに、力強く頷く二人。カノンは呆れ混じりに息を吐くと、それでもくすり、と笑って立ち上がった。
「そうと決まれば、早速打って出ないとね。これに関しては防御姿勢はマイナスしか生まないわ。待ちもなし。とっくに事態は最悪の方向に向いてるんだから、攻めあるのみよ。
とりあえず、シリア、アルティオ!」
「おう!」
「アルティオは町で、件の事件について何か耳にした話はないか町の人に片っ端から聞いて来て。ナンパでも何でも構わないわ、根拠のない噂でも全然OK。
シリアはクレイヴ本人について、誰かに恨まれるような話はないか、最近彼の周りで変わったことはなかったか、下町で聞き込んで」
「ふっ、その程度のこと、愚問ね」
「よっしゃ、そういうことなら俺の得意分野だな!」
「いや、得意かどうかは知らないけどね……。レンは、」
「ホテル関係者、もしくは観光団体、それともう一度支配人の首を絞めてくる」
「……くれぐれも殺さないよーにね。あと心の傷とか作らせないよーに」
「善処する」
「……いや、善処するって最初っから善処する気のない奴が使う言葉じゃ……。まあいいや、とりあえず、そっちは任すわ」
「ちょっと、じゃあ貴方はどうするのよ?」
何故か剥れた顔でシリアが問いてくる。カノンはす、と真顔を作り、口内の生唾を飲み下した。
「まずは調べ物、ね。もう一度、合成獣についての知識を仕入れて……
それから、WMOに行って来る」
「!」
「ま、待て、カノン! お前……」
慌てたアルティオの声に、視線を尖らせる。
「……もう一度、ルナに会って来る」
「……本気?」
シリアが眉を潜めて問いてくる。それはそうだろう、彼女のところを訪れるというのは、即ち彼女の仕事を妨害することに繋がりかねない。
尚且つ、今はクレイヴの殺害について、WMO―――ひいてはローランは、まさか役所から疑われているわけではないだろうが、いい立場にはいないだろう。
警戒されるのは間違いない。
二人が呆気に取られる中、レンはわずかに残ったコーヒーが揺れるカップの中身を眺め、やがてそれを一度に飲み干した。
「……気を付けろ」
その言葉に、カノンは深く頷いた。
食堂を出てカノンは一つ、大きく身体を伸ばした。うみねこの鳴く声が聞こえる。
青い空と海とに惹かれてやって来たクオノリアだが、今はどこか霞んで見え、道行く人たちの顔にも陰りを感じる。
覇気がないというか。
と思えば、道端で会議をしている近所のおば様方の間では、生々しく今朝の騒ぎが囁かれている。
慌しさと、不気味な寂しさが同居する、肌に悪い空気。
―――こんな中でレジャーも何もあったものじゃないわね、よく考えれば。
「全く、つくづく運が悪いっていうか。それともあたし自身が疫病神なのかしらね」
苦笑するしかない。
「さて」
ボートと漁師が群がる海岸線を、歩く。図書館は確か、町の南側にあったはず。
詳しい場所は聞けなかったが、その都度人に聞けばいい。
潮風が乱暴に髪を弄び、ちらちらと横目に建ち並ぶ小さな雑貨店を眺めながら、一つの路地に入る。
路地を抜け、大通りの人並みの中を身をかわし、再び路地へ。人がごった返すとはこのことだ。
―――うっ、レンに送るだけ送ってもらえばよかったかも。
せめて彼の長身さえあれば、人並みの中でも多少強引に歩けたのに。
―――ごちゃごちゃ文句言っても仕方ないか。早速、方向感覚なくなったけど……
まあ、路地を抜けた先で聞けばいい。こういうときはひたすら楽観的に行くに限る。今さらになって治安が気になったが、まあ、まさかこんな時間からそんな輩は活動していないだろう。第一、大声を出せば一発で誰かが聞きつける、大通りのすぐ脇の路地なんて誰も狙わない。
やや生臭い匂いに軽く鼻を抑えながら路地をすり抜ける。足元にいた猫がふーっ、と威嚇しながら逃げていった。
「よっ、と」
石造りの家の壁に手をかけて、路地の終点に飛び出る。
目の前に突如として広がる海。
―――見事に間違えたな、こりゃ。
どうやらどこかの船が出入りする船着場らしい。石畳で組まれた停泊所に、小さいながら、貿易船らしい二艘ほど船が停泊している。
海は開けているものの、停泊場自体も小さく、船が三艘泊まればいっぱいになる程度だろう。
人影が少ないのが気になったが、あまり活発でない貿易場ならそう不思議でない光景だ。
―――ん?
数少ない船員が船を出入りする中、一人だけ、立ち止まって船を見上げる人影に気がついた。影、というのが正しいだろう、黒い髪に黒い服、夏だというのに同じ色の長いコートを羽織っている。
広い袖から見えた手は異様なまでに白い……いや、あれは肌じゃない。
唐突に思い出した。
昨日の事情聴取で、レンが妙な風体の少年の話を持ち出していたのを。
何とはなしに眺めていると、開いた距離に吹き抜けた潮風が一瞬、少年の髪を攫う。
「―――ッ!」
思わず息を飲んだ。
顔の半分を包帯で隠している、とは聞いていた。だが、もう左半分の整った顔。瞳は髪と同じ深い黒水晶。白く映るのは包帯だったが、肌もまた真綿のように白かった。
迂闊にも一瞬、見とれてしまった。
視線に気がついたのか、ふと少年が小首を傾げてこちらを振り向く。
―――あ゛。
「……何かご用ですか」
抑揚のあまりない、だが物腰柔らかな、年不相応に落ち着いた声音だ。
話しかけられては仕方がない。カノンは少年との距離を詰めようと、数歩移動する。
―――?
先程は気がつかなかったが、少年の腰の辺りに小さな女の子が一人、しがみ付いているのが見えた。黒い長い髪に、瞳、雪のような肌、フリルのついた何とも可愛らしいゴシック服を着ている。
兄弟、だろうか、どこか似ている気もする。
カノンが自分を見ていることに気がつくと、何故かびくっ、と肩を震わせ、目を見開いて慌てて少年の背に隠れてしまった。
―――嫌われてる?
「……えーっと、妹さん?」
そう問いかけると、少年もまたわずかに左の目を見開いた。
まじまじとこちらを見つめ、背中に隠れた少女の方にちらりと目線を投げる。空を眺めて何事か逡巡し、
「彼女ですか?」
「ええ、背中に隠れてる」
「……」
細い顎に指をかけて、感嘆したように息を吐く。
「……そういう人もいるのか」
「へ?」
「いえ、失礼。そうですね、そのようなものです」
にこり、と笑って頷く少年。
「それで、何か僕にご用ですか?」
「あー、えっと……。
ここ、貿易船の船着場ですよね?」
「そうですよ」
「失礼ですけど、あんまりこんなとこにいそうなタイプじゃないなぁ……、って」
ともすれば機嫌を損ねても致し方のない科白だった。しかし、少年はカノンの懸念を吹き飛ばすように可笑しそうに微笑を浮かべ、
「正直な人だ」
「あ、う、ごめん」
「いえ、いいんですよ。事実ですしね。
お察しの通りです。船員なんてものじゃないんですよ。ただ、ちょっと珍しい船着場なので見てみたくなりましてね」
「珍しい?」
言われてカノンは周囲を見回す。
……これといって変わったことはない。着場の形も特に変わった点はないし、泊まっている船も全く普通の木船。船員が人間外ということもない。どこそこの貿易港では半魚人の種族が活躍しているなどと言うけれど、そんなこともない。
海だって、穏やかな波が立っているだけで、別にそこだけ色が違ったりするわけでもない。
他の船着場に比べたら、確かに小規模だろうが、それほど変わっているわけではない。
意図が解らずに、眉間に皺を寄せて彼を見ると、少年は船のマストを見上げ、
「ここはね、大陸唯一のゼルゼイルへの輸出が行われている貿易場なんですよ。
ご存知ありません?」
「ゼルゼイル!?」
カノンは正直に驚いた。
ゼルゼイル。
西国大陸でも、東方大陸でもない、それ以外で人が居住する唯一の国。
中央アルケミア海の南方に位置する島国で、五十年前までは南国特有の果物や海産物、採掘される特殊鉱石などの貿易で栄えていた。
五十年前までは、と区切ったのには訳がある。今現在、ゼルゼイルは必要最低限の航路しか西・東両大陸に対して引いていない。五十年前、唐突としてゼルゼイルは極端な閉鎖国となった。
理由は国内部で起こった分断、そして内戦の勃発だった。
元々、ゼルゼイルは北ゼルゼイルと南ゼルゼイルとで大陸で言う領のような区分で別れていた。それでも昔は一つの国であり、それで上手く機能していたはずだったのだ。
しかし、五十年前、南ゼルゼイルの総統となった男が突如として独立を宣言。そのまま、国は分断され、冷たい内戦は今もまだ続いている。
不毛な内戦を続けるゼルゼイルに対して、東西大陸はやがて手を引いて行き……
ゼルゼイルは訪れる者も久しい、完全な独立国と化した。
そのゼルゼイルとの唯一の航路がクオノリアに開かれているとは知っていたが、まさか。
「小さいものでしょう?」
「まあ……でも、何となく人気がないのも合点がいったわ」
大陸人はゼルゼイルを遠ざける傾向がある。五十年、戦争を続けている国だ。
死術が横行した魔道大戦以来、曲がりなりにも(裏側ではそうでもなかったりするのだが)平和を貫いて来た大陸人にとっては似て非なるもの、という意識が働くのだろう。
「貴方はどう思います?」
「え?」
「五十年、不毛な戦争を続け、国力を疲弊させるばかりの愚かな二国を、ですよ」
「……えーと」
初めて会った人間にまさかそんな国家レベルの質問をされると思わなかった。
答えに迷って、上目遣いで少年を見る。
―――っ?
少年は変わらず、船のマストの先を眺めていた。いや、本当は何も眺めていなかったのかもしれない。
遠くを。
ひたすら遠くを眺める瞳で。
「……なんてことをいきなり聞かれても困りますよね」
何も言えないでいるカノンに、少年は苦笑混じりに首を振った。悪戯が失敗した子供のような笑み、しかし、瞳はどこか笑っていない。
「貴方が戦を気にするのは、自分がそんな大怪我をしてるから?」
「……さあ、どうでしょう」
「もし、そうなら……どう思うも何もないじゃないの」
「?」
「人間は間違う生き物よ。だから戦争はする、喧嘩はする、下らないことで死んだりするし、後悔もする。当たり前のことよ」
「……そうですね」
「いつの時代だって、戦争が正当化されることはないわ。後から、あの戦争は間違いだった、とか言うけどそれは戦争なんかする前から解ってたことよ。
人間は馬鹿だからとんでもないことが起こってからしか後悔できない。でもね、後悔して置きながら戦争を繰り返そうとする奴がいたら、それは馬鹿を通り越して愚かとしか言えないわ」
「……それが、貴方の考え方、ですか…」
少々、陶然となりながら返って来た声に肩を竦め、
「あくまで自論。これでもいろいろな戦いは見て来たからね。
でも、戦争ってのは見たことないから……本当の戦争を知ってる人は、また違うことを言うのかもしんないわね」
「……」
顎に指を置くのが癖らしい。少年はしばし、その格好のままで何事か考え耽っていた。
何となく、去るタイミングを失ってカノンがただ突っ立っていると、少年はやがて面を上げて、
「なかなか面白い意見を聞かせていただきました。
初めての方にお話するような話ではなかったですね、お詫びを言わせてください」
「いや、別に……。
あ、そーだ。あの、あたし……」
「大通りに出るならそこの路地を右です。この時間は混んでいますから、WMOに行くならそちらの道からまっすぐ行った方がいいでしょう。あの建物は、街中で一番大きいですからすぐわかります。
図書館はその右手にあるはずですよ」
「え、あ、えっと……?」
かすかな声が聞こえた。遠くの路地で、誰かが声を張り上げている。それが何と言っているのかは解らなかったが、少年は自分が呼ばれているのだと解釈したらしい。
「それでは。クオノリアは発展した観光都市のようですが、治安は良くないようなので女性の一人歩きはあまりお勧め出来ませんよ。どうかお気をつけて」
「え、あ、ありがとう……」
「いいえ、こちらこそ」
一礼した後に、音も立てずに去っていく。それに慌てて付き従う少女。
カノンは頬を掻いてその背を見送っていたが、やがて踵を返して走り出した。
―――悪いヒトではなかったみたいだけど……
走りながら、彼の言葉を反芻する。
「何であの人、あたしが図書館に行きたいこと知ってたんだろ……?」
少女が消えた先を眺めて、少年は息を吐いた。ふと視界に、黒髪の少女の姿が目に入る。まだぽかんとしている彼女に、
「『魔変換』の所有者、か。見える人には、見えるのかな。ねぇ、シャル?」
そう言って口元だけでくすり、と微笑んだ。
図書館の造りはまあまあだった。
大きくもないし、小さくもない。トップクラスの学者が調べ物をするにはやや物足りない、という程度か。
しかし、予備知識は持っているもののカノンが専門外の事柄を調べるにはちょうど良いくらいだ。
「んーと、魔道関係、魔道関係……」
ずらり、と硬い背表紙が並ぶ本棚の合間を、棚の上部に付いているプレートをチェックしながら進んでいく。
こういう場所には結構、慣れている。これでも狩人時代は調べ物というものが欠かせないもので、しょっちゅう町の図書館や政団の司書室に出入りしていたのだ。
高台に上り、棚の上の蔵書に手を伸ばす。
数冊、取ったところで肩を撫で下ろす。この台というもの、そこそこに頑丈でないと容易く壊れてしまうのだから油断が出来ない。
―――けして、体重が重いわけではないんだけどね……よっと。
とりあえず、台を元の場所に戻さなくてはいけない。本を台の上に乗せ、両手で抱えるように持ち上げて―――
「あ、すいません、その台……」
「ん?」
後ろからかかった声に反射的に振り返る。振り返ってから、その声が聞き馴れたものだということに気が付いた。
「あ……」
本棚の向こうから首だけを出して、おそらく、台を持っていることで咄嗟に声を出してしまったのだろう、見知った顔が覗いていた。
「ルナ……」
「カノン……?」
あの図書館ではWMOの目がありすぎる。場所を移し、通りを二つ挟んだ街中のカフェの片隅を陣取って、彼女たちは向かい合っていた。
ルナはカノンが口にする状況説明を、腕を組みながら静かに聞いている。
……いや、ただ単に運ばれてきたオレンジスフレに集中力を奪われているだけかもしれないが。
話、と言っても長い話ではない。ルナがスフレの半分ほどを平らげた頃合で、カノンの話は終わりを告げた。
最後の句を告げたと同時に、ルナの白い喉が上下する。
フォークが止まった。そのまま銀の食器は置き皿に軽い音を立てて寝そべる。
「……で?」
「……」
「あんたはあたしに何を聞きに来ようと思ったの?」
「いろいろあるわ。
WMOの調査内容を教えろとか馬鹿なことを言うつもりはないの。まず一つ。一流の魔道師として答えて欲しいことがある」
「随分と意地の悪い言い分ね。まあ、いいわ。何?」
「例の合成獣のこと。WMOもクレイヴも、これはどこかの魔道師が造った合成獣が暴れている―――そういう事件だ、って言ってたわ。
あたしはこれでも色んな化け物を見て来たし、合成獣ってのも数多く見て来た自信があるわ。でも、今回の件についてはどうしても納得できないことがあるの」
「納得できない?」
「ルナ、一流の魔道師として意見を聞かせてちょうだい。あの合成獣、一体誰が何の目的で造ったんだと思う?」
ルナの眉がひくり、と小さく震える。
「そんなことは……」
「犯人の目的を聞いてるんじゃないわ。
魔道師が合成獣を造り出す最大の目的は、現存する生物を利用してそれ以上の性能を持つ生物へと進化させる、もしくは強化させる、ってことよね?
例えば陸の生き物と海の生き物をかけ合わせて水陸両用の生物を造ったり」
「まあ、大抵の場合はそうでしょうね」
「けど、今まで証言されてる合成獣の一つ一つを見てみて。
まず、あたしたちが最初に会ったあいつ。
ミノタウロスの体力はいいわ。スライムの溶解液は厄介だったけど、足部があれじゃあ、犬の脚力や兎の敏感さをプラスしたところで動きが遅すぎて意味がない。ましてや、あんなでかぶつに翼をつけても飛べるわけはない。
連絡は行ってると思うけど、昨日ビーチを襲った奴もそう。
蟹はいいわ。見た目は悪いけど、鋏は立派な武器になるし、グロテスクだったけど触手もそれなりに厄介だった。
でも、胴体の真ん中に口があって牙があっても、食事くらいにか使えないし、周りにくっついてたちっちゃい魚のヒレなんか泳ぐわけでもないのに明らかに邪魔なだけよ。
つまり。
どれもこれも合成獣としての意味を成していないのよ。あれもこれも欲張りすぎて形成に失敗した駄作……にしても酷すぎるわ。
ちょっと考えれば、別に魔道師じゃなくてももっと良い物が造れると判断できるはず。
なのに、今回、発見される合成獣はそんな失敗作ばっかり」
「……」
「ルナ、魔道師としてどう思う? あたしの考えは間違っている? それとも、あれにはあれであたしにはわからない優秀な面があるっていうの?」
「……」
ルナはふっ、と力を抜いて紅茶のカップを手に取った。酸味の程好く利いたローズティーを一口、飲み下してから口を開く。
「まあ……死術の狩人なんかやってたあんたを、口先だけの三寸で誤魔化せるわけないわね。
その通りよ。だからWMOも混乱してる。
魔道師で合成魔道学をちょっとでも齧った人間なら、あんな合成獣が何の役にも立たないのはすぐ理解できる」
「……」
「どうせカノン。あんたのことだから、その先もちょっとは察しがついてるんじゃないの?」
「……あの合成獣が魔道師の単なる腕自慢とか不注意でないなら……。
目的はもっと別のもの。クオノリアそのもの、いや、合成獣によってクオノリアが撹乱されること。直接のダメージが行くのは観光協会かどこかだけど、それならわざわざこんな手を使う理由はない。
クオノリアが魔道生物に撹乱されて、最も不利益を被るのはそれで面目を潰される……」
自然と、言葉に力が篭もる。
「WMO……」
「それも、魔道関係の事件解決に責任がある者、ね」
深く、息を吸い込んで吐き出す。
「……ローランに個人的に恨みを持つ人間は?」
「それこそ星の数。権力者にはつきものよ。容疑者はそれこそWMOの中に石一個を投げれば当たるくらいたくさん」
首を振りながら、ルナが答える。
ローランが頑なに他者の事件への関与を嫌ったのは、つまり、そういった背景があってのものだったのだ。
他者が事件を解決してしまえば、揉み消しが効く場所までそれが出来なくなる。
ましてや、動機が己の不始末等に関係することだったなら、それだけで自分の地位を危うくする。
まったく、何てことだ。
「……今朝、前の依頼人だったクレイヴが殺されたわ」
「そうらしいわね」
「何か心当たりは?」
「ないわ。最も、私は表向きに雇われた人間だから、別の場所で誰が何をやってるのかなんて知らないわけだけど」
「そう……」
ルナが再びフォークを手に取る。オレンジスフレの山になった箇所に、切っ先が食い込むのを眺めながら、カノンは懐に手を入れた。
「もう一つ、"これ"に見覚えは?」
「―――ッ!」
明らかに。
ルナの顔に動揺が走った。
カノンが取り出したのは、一つの小さな石。いや、石に見える"何か"。
砂漠の花、と呼ばれる鉱石がある。高温の砂砂漠で、水が干上がる前にその水に溶けていた石膏が結晶化し、その結晶が花弁のように見えるのでそう呼ばれる。
それはその特殊な鉱石によく似ていた。
だが、それとは明らかに違う。あれは結晶化の際に砂と取り込む。黄色や赤や、色の付いた結晶が出来上がるはずだが、カノンの手の平にあるそれは反して真っ白な色をしていた。
「それは?」
平静を装いながら、彼女が問う。
「正体はわからないけどね。蟹モドキを倒した現場に転がってたの。
見たことのないものだし、珊瑚、にしては汚れ一つないのが気になるわ。生態系に属するものならそれまでだけど、これが何なのか調べてみる価値はあると思って。
けど、見覚えがあるんなら」
かしゃんッ。
彼女の置いたフォークが、少々荒い音を立てる。
「ルナ?」
「カノン、この件からは手を引きなさい」
立ち上がり、言い放たれた一言に、カノンの表情が引き締まる。
「それはWMOに預けることを薦めるわ。容疑者はいずれ捕まるでしょうし、後は任せて町を出なさい」
「……ッ」
そのままテーブルを立つ彼女の背を、カノンは反射的に追っていた。
「ルナッ」
「……」
「もう一つだけッ! あんた、何のつもりで彼に付いてるのッ?
わかってんでしょッ、相手がどんな人間かッ! らしくないじゃない、何のつもりなのッ!?」
背中に叩き付けた言葉に、彼女の足が止まる。店の中の視線が集まるが、覚悟の上だ。
数瞬後、彼女は俯いた顔をほんの少しだけ上げて、
「もう一度言うわ。早く、町を出なさい」
「―――ッ!」
それだけ言い放って、彼女は無言でカフェを去った。
カノンは首を振って席に戻る。取り残されたスフレの残りが、何だか妙に寂しげだ。
―――何か、隠してるわね……
ルナが忘れていることが一つ。
―――そういう態度ならこっちもとことんまで調べ上げてやろうじゃないのッ! あたしはそういう性分の持ち主よッ!
鼻息を荒げて、カノンは彼女が残したデザートを始末するべくフォークを手に取った。
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人込みから逃げるようにホテルを出て、ようやく落ち着けた町の片隅にある食堂。物価の高いクオノリアでそこそこの値段でそこそこのものを食べさせてくれた。
まあ、確かにホテルでの食事の方が美味しいことは確かだが、あんな騒ぎの中心でゆっくり食事も何もあったものじゃない。
朝食の席は珍しく静かだった。
さしものシリアも自嘲して、今朝ばかりは大人しく、どこか憮然とモーニングセットを口にしている。
「さて、」
食後に運ばれてきたホットコーヒーの半分を飲み終えた辺りで、カノンはそこにいる全員を見回した。
「さっき、ホテルの支配人に尋ねたら、今日明日にあそこを追い出される心配はないそうよ。
ホテル側にとっては大惨事だし、即対応しなきゃいけないんだろうけど……
少なくとも、ビジネスだから。今泊まってる人たちに失礼な真似はしない、ってさ。つまり、騒ぎを気にしなければもう二、三日は普通にレジャーを楽しめる」
頷くシリアとアルティオ。レンは承諾済みなのか、コーヒーカップを空ける手を休めない。
「まあ、気にしなければ、の話だけど」
カノンが何を言いたいのか、解らないほどここに居るメンバーは愚鈍ではないだろう。
―――つまり、クレイヴは昨夜、何かをカノンたちに話そうとしていた。
その何かは今となっては解らない。しかし、カノンはてっきり最初に受けた依頼についてか、もしくは昨日の件を重く見て、なりふり構わず"事件の解決"を依頼しに来たのか。
そのどちらかと思っていた。
だが……
その矢先に、クレイヴは殺された。
いくらローラン……WMOにとって彼が目の上のたんこぶだったとしても、仮にも公共機関の人間が、そんな手荒な真似をしたりはしないだろう。下手をすれば、それこそ面目の丸つぶれになる。
話をようとした矢先―――
クレイヴは誰かに、フロントを通じて呼び出されていた。
それが誰だったのか、何があったのか、おそらく彼はあの後に殺されたのではないか……
「クレイヴが、あたしたちに何を話そうとしていたのかは知らないわ。今となっては解らない」
神妙に首を振ってカノンは前置いた。
「けど、その"誰か"にとってクレイヴが話そうと……もしくは打ち明けようとしていたことが、何らかの形で不都合だった、ってことになるわ」
「不都合、って……やっぱり例の件に関して、だよな?」
「たぶんね。まあ、仮にもホテル主だし、狙われる理由ってのは逆恨み含めていろいろとあるんだろうけど……。
けど、このタイミングで、ってのはちょっと……」
「けどー、このタイミングを狙って、ってのもあるんじゃない?」
珍しくレン以外のことに頭を働かせているシリアが発した言葉に頷くカノン。
「確かにね。今なら、他人に罪を着せられるいい機会よ。
でもね、クレイヴはWMOやら政団にも機密でこの探索をしていたの。一般の中で、クレイヴがこの件に関わっていたことを知る人は極少数、観光団体の一部と依頼を受けた、あたしたちみたいな傭兵くらい。
観光団体の人間にいくら何でもこんな、『観光』そのものが不安定になるような事件を起こす理由はないし、傭兵にしたってクレイヴはそんな不法千万な依頼人じゃなかったわ。
まあ、観光団体については、それほどの恨みがあった、って人もいるかもしれないけど……その線で考えたって、一歩も進まないわ。
最悪のパターンを考えるなら、やっぱりあの件絡みになるはずよ」
「……確かに、最悪だな」
カノンの言葉をレンが継ぐ。
彼は不意に自分の指を立て、
「一つ、WMO、もしくは何かの理由で"事件の解決"を望まない人間が、目の上のたんこぶであるクレイヴを煙たがって消した。
しかし、これはクレイヴが何らかの成果を上げていない限り、そしてそれが公になっていない限り、考え難い。ましてやWMOがそんな手段に出るとは考え辛い。
二つ、クレイヴが事件について何らかの形で直結、もしくは間接的に関係する事柄……犯人を告発する証拠を掴んでしまっていた場合。
これは"消される"理由として十分だし、そうなれば俺たちに護衛や告発の手伝いを頼んでくることもあるだろう。
……後はあまり考えたくないが、三つ」
レンの声が潜んだものになる。
「クレイヴ自身が、この件に関して何らかの形で直接的に関わっていた場合」
「―――っ!」
アルティオが飲んだばかりのコーヒーを噴出すのを堪えている。シリアもまた、目を丸くして彼を見た。
「真実はわからん。
この説は、ならどうして"事件の解決"に繋がる依頼を俺たちにして来たのか理由が解らなくなるし、根拠も薄い。
昨日、あんなことが―――合成獣が人を傷つけるようなことがあって、昨日の件自体に疑問を抱いた、もしくは腰の引けた奴が俺たちに"事件の解決"を依頼し、自分だけ火の粉を避けるためか、それとも本当の真実を明かすつもりだったのか……。推測はいくらでも成り立つ意見だがな」
「どっちにしろ、クレイヴの真意は解らないことだらけよ。
これ以上は、ここで考えてても仕方ないことばっかりだわ。で、それを踏まえてあんたたちに聞きたいのは、」
もう一度、カノンは一同を見渡す。
「一つ、こんな件とは金輪際、関わらずに楽しくレジャーを満喫した後に速やかにこんな縁起の悪い町はおさらばする。
二つ、やっぱり寝覚めが悪いからハイリスク覚悟で分の悪い真似をする。
二つに一つよ」
「……」
シリアとアルティオは無言でお互いの顔を見合わせた。レンは短い溜め息と共に、早々に口を開く。
「俺としては前者、だな。
わざわざ見返りのない厄介事に首を突っ込むのははっきり言って歓迎しない」
「……まあ、あんたはそう言うと思ってたわ。で、あんたたちは?」
首を回して、シリアとアルティオの方を向く。二人とも答え辛いらしく、渋い顔で固まったままだ。
数瞬の沈黙の後、アルティオが顔を上げる。
「俺としては……ちょっとやっぱり寝覚めが悪すぎるぜ。納得はいかないけど……けどどっちが正しいのかもよくわかんねぇ。
カノン、お前はどう思うんだ?」
「……」
問われて腕を組む。ちらり、とレンの方を盗み見ると、知らぬ顔でカップを傾けている。
「……あたしはやっぱり、寝覚めが悪いわね」
その一言に意外そうな目を向けるアルティオ。
「それに、気になることがあるの」
「ルナのこと?」
「そりゃそれもあるけどね……。
何で、いきなり事件が凶悪化したのか、ってことよ。これまで事件は人気のない、山の中とか人知れない岩場とか。
そりゃあ、襲われた人の一人や二人、いたかもしれないけど、真昼間のビーチの真ん中に現れたことは今までなかった。にも関わらず、昨日は一般人が大勢いるあの場所が狙われて、今朝、その調査をしていたクレイヴが殺された。
いくら何でも程度が違うわ。
で、何のために犯人はわざわざこんな騒ぎを起こしたのか。何が目的なのか。
これは良くない推測よ……推測なんだけど」
こくり、と生唾を飲み下す。
「犯人が、あたし達を……いや、あたしとレンを挑発しようとしている、もしくは直接に狙っている場合」
「―――!?」
「ちょ、何でそうなるのよ!?」
「考えたくないけど……。
半年前のことはあんた達も知ってるでしょ?」
言ってシリアもアルティオも、一瞬言葉に詰まる。
半年前―――回収した死術を利用しようとした政団の指導者が暴走を始め、それを止めるためにカノンとレン、他一名が深く関わった事件。
公式には伏せられているが、裏の方では名前が流れてしまっていてもそうおかしくはない。
あの事件は政団の第三革命とも呼ばれ、おそらく歴史上にも残る大事件だったのだから。
その最中にいたカノンたちに降りかかるのは、けして名声や栄誉ばかりではない。元・指導者の残党に襲われたこともある。
歴史に名を残すということは、表にしろ裏にしろ、いつのときもろくな結果を生み出さない。自らの親族に置いて、カノンもレンもそのことは良く知っている。
だからこそ。
無用な危険を避けたがるレンの言葉の意も解る。が、
「自意識過剰なのは解ってるわ。これはあたしの単なるもしかしたら、っていう気がかりに過ぎない。杞憂にじゃないか、って程度のね。
でも、それを放って置いて、ってのは少なくともいいことじゃないと思うのよ」
カノンは全員に、というよりもレンに向かって言う。
彼はようやく弄んでいたカップを置いた。手元の剣を引き寄せて、天井を仰ぐ。しばし、目を閉じた後、
「で、具体的にどうするんだ?」
さすがに決まると決断が早い男だ。
「ありがと、レン」
「ふん。まあ、俺はいい。どの道、ここに滞在するのなら部外者ではいられまい。
カノンと俺はともかくとして、お前らはどうするんだ?」
「決まってるじゃない!」
問いかけにいきなり元気になったシリアが立ち上がる。傍迷惑にもレン、そしてカノンを交互にびしっ、と指差すと、
「最初に言ったことをもう忘れたのかしらッ!? この私がいる限り、二人きりなんて許されないって!
ふっ、不本意だけどこの私の協力が得られることを感謝することね、カノン=ティルザードッ!」
「押し売りはお断りよ、残念だけど」
「そんな危ない境地に愛しい俺のフィアンセを一人にして置けるわけがないだろうッ!?
ましてや、こんなむっつり野郎の側に置かせておいてたまるかッ!」
「……貴様」
「店の中でそういう発言はやめろッ! ったく……まあ、いいわ。
二人共、それでいいのね?」
カノンの最後の問いかけに、力強く頷く二人。カノンは呆れ混じりに息を吐くと、それでもくすり、と笑って立ち上がった。
「そうと決まれば、早速打って出ないとね。これに関しては防御姿勢はマイナスしか生まないわ。待ちもなし。とっくに事態は最悪の方向に向いてるんだから、攻めあるのみよ。
とりあえず、シリア、アルティオ!」
「おう!」
「アルティオは町で、件の事件について何か耳にした話はないか町の人に片っ端から聞いて来て。ナンパでも何でも構わないわ、根拠のない噂でも全然OK。
シリアはクレイヴ本人について、誰かに恨まれるような話はないか、最近彼の周りで変わったことはなかったか、下町で聞き込んで」
「ふっ、その程度のこと、愚問ね」
「よっしゃ、そういうことなら俺の得意分野だな!」
「いや、得意かどうかは知らないけどね……。レンは、」
「ホテル関係者、もしくは観光団体、それともう一度支配人の首を絞めてくる」
「……くれぐれも殺さないよーにね。あと心の傷とか作らせないよーに」
「善処する」
「……いや、善処するって最初っから善処する気のない奴が使う言葉じゃ……。まあいいや、とりあえず、そっちは任すわ」
「ちょっと、じゃあ貴方はどうするのよ?」
何故か剥れた顔でシリアが問いてくる。カノンはす、と真顔を作り、口内の生唾を飲み下した。
「まずは調べ物、ね。もう一度、合成獣についての知識を仕入れて……
それから、WMOに行って来る」
「!」
「ま、待て、カノン! お前……」
慌てたアルティオの声に、視線を尖らせる。
「……もう一度、ルナに会って来る」
「……本気?」
シリアが眉を潜めて問いてくる。それはそうだろう、彼女のところを訪れるというのは、即ち彼女の仕事を妨害することに繋がりかねない。
尚且つ、今はクレイヴの殺害について、WMO―――ひいてはローランは、まさか役所から疑われているわけではないだろうが、いい立場にはいないだろう。
警戒されるのは間違いない。
二人が呆気に取られる中、レンはわずかに残ったコーヒーが揺れるカップの中身を眺め、やがてそれを一度に飲み干した。
「……気を付けろ」
その言葉に、カノンは深く頷いた。
食堂を出てカノンは一つ、大きく身体を伸ばした。うみねこの鳴く声が聞こえる。
青い空と海とに惹かれてやって来たクオノリアだが、今はどこか霞んで見え、道行く人たちの顔にも陰りを感じる。
覇気がないというか。
と思えば、道端で会議をしている近所のおば様方の間では、生々しく今朝の騒ぎが囁かれている。
慌しさと、不気味な寂しさが同居する、肌に悪い空気。
―――こんな中でレジャーも何もあったものじゃないわね、よく考えれば。
「全く、つくづく運が悪いっていうか。それともあたし自身が疫病神なのかしらね」
苦笑するしかない。
「さて」
ボートと漁師が群がる海岸線を、歩く。図書館は確か、町の南側にあったはず。
詳しい場所は聞けなかったが、その都度人に聞けばいい。
潮風が乱暴に髪を弄び、ちらちらと横目に建ち並ぶ小さな雑貨店を眺めながら、一つの路地に入る。
路地を抜け、大通りの人並みの中を身をかわし、再び路地へ。人がごった返すとはこのことだ。
―――うっ、レンに送るだけ送ってもらえばよかったかも。
せめて彼の長身さえあれば、人並みの中でも多少強引に歩けたのに。
―――ごちゃごちゃ文句言っても仕方ないか。早速、方向感覚なくなったけど……
まあ、路地を抜けた先で聞けばいい。こういうときはひたすら楽観的に行くに限る。今さらになって治安が気になったが、まあ、まさかこんな時間からそんな輩は活動していないだろう。第一、大声を出せば一発で誰かが聞きつける、大通りのすぐ脇の路地なんて誰も狙わない。
やや生臭い匂いに軽く鼻を抑えながら路地をすり抜ける。足元にいた猫がふーっ、と威嚇しながら逃げていった。
「よっ、と」
石造りの家の壁に手をかけて、路地の終点に飛び出る。
目の前に突如として広がる海。
―――見事に間違えたな、こりゃ。
どうやらどこかの船が出入りする船着場らしい。石畳で組まれた停泊所に、小さいながら、貿易船らしい二艘ほど船が停泊している。
海は開けているものの、停泊場自体も小さく、船が三艘泊まればいっぱいになる程度だろう。
人影が少ないのが気になったが、あまり活発でない貿易場ならそう不思議でない光景だ。
―――ん?
数少ない船員が船を出入りする中、一人だけ、立ち止まって船を見上げる人影に気がついた。影、というのが正しいだろう、黒い髪に黒い服、夏だというのに同じ色の長いコートを羽織っている。
広い袖から見えた手は異様なまでに白い……いや、あれは肌じゃない。
唐突に思い出した。
昨日の事情聴取で、レンが妙な風体の少年の話を持ち出していたのを。
何とはなしに眺めていると、開いた距離に吹き抜けた潮風が一瞬、少年の髪を攫う。
「―――ッ!」
思わず息を飲んだ。
顔の半分を包帯で隠している、とは聞いていた。だが、もう左半分の整った顔。瞳は髪と同じ深い黒水晶。白く映るのは包帯だったが、肌もまた真綿のように白かった。
迂闊にも一瞬、見とれてしまった。
視線に気がついたのか、ふと少年が小首を傾げてこちらを振り向く。
―――あ゛。
「……何かご用ですか」
抑揚のあまりない、だが物腰柔らかな、年不相応に落ち着いた声音だ。
話しかけられては仕方がない。カノンは少年との距離を詰めようと、数歩移動する。
―――?
先程は気がつかなかったが、少年の腰の辺りに小さな女の子が一人、しがみ付いているのが見えた。黒い長い髪に、瞳、雪のような肌、フリルのついた何とも可愛らしいゴシック服を着ている。
兄弟、だろうか、どこか似ている気もする。
カノンが自分を見ていることに気がつくと、何故かびくっ、と肩を震わせ、目を見開いて慌てて少年の背に隠れてしまった。
―――嫌われてる?
「……えーっと、妹さん?」
そう問いかけると、少年もまたわずかに左の目を見開いた。
まじまじとこちらを見つめ、背中に隠れた少女の方にちらりと目線を投げる。空を眺めて何事か逡巡し、
「彼女ですか?」
「ええ、背中に隠れてる」
「……」
細い顎に指をかけて、感嘆したように息を吐く。
「……そういう人もいるのか」
「へ?」
「いえ、失礼。そうですね、そのようなものです」
にこり、と笑って頷く少年。
「それで、何か僕にご用ですか?」
「あー、えっと……。
ここ、貿易船の船着場ですよね?」
「そうですよ」
「失礼ですけど、あんまりこんなとこにいそうなタイプじゃないなぁ……、って」
ともすれば機嫌を損ねても致し方のない科白だった。しかし、少年はカノンの懸念を吹き飛ばすように可笑しそうに微笑を浮かべ、
「正直な人だ」
「あ、う、ごめん」
「いえ、いいんですよ。事実ですしね。
お察しの通りです。船員なんてものじゃないんですよ。ただ、ちょっと珍しい船着場なので見てみたくなりましてね」
「珍しい?」
言われてカノンは周囲を見回す。
……これといって変わったことはない。着場の形も特に変わった点はないし、泊まっている船も全く普通の木船。船員が人間外ということもない。どこそこの貿易港では半魚人の種族が活躍しているなどと言うけれど、そんなこともない。
海だって、穏やかな波が立っているだけで、別にそこだけ色が違ったりするわけでもない。
他の船着場に比べたら、確かに小規模だろうが、それほど変わっているわけではない。
意図が解らずに、眉間に皺を寄せて彼を見ると、少年は船のマストを見上げ、
「ここはね、大陸唯一のゼルゼイルへの輸出が行われている貿易場なんですよ。
ご存知ありません?」
「ゼルゼイル!?」
カノンは正直に驚いた。
ゼルゼイル。
西国大陸でも、東方大陸でもない、それ以外で人が居住する唯一の国。
中央アルケミア海の南方に位置する島国で、五十年前までは南国特有の果物や海産物、採掘される特殊鉱石などの貿易で栄えていた。
五十年前までは、と区切ったのには訳がある。今現在、ゼルゼイルは必要最低限の航路しか西・東両大陸に対して引いていない。五十年前、唐突としてゼルゼイルは極端な閉鎖国となった。
理由は国内部で起こった分断、そして内戦の勃発だった。
元々、ゼルゼイルは北ゼルゼイルと南ゼルゼイルとで大陸で言う領のような区分で別れていた。それでも昔は一つの国であり、それで上手く機能していたはずだったのだ。
しかし、五十年前、南ゼルゼイルの総統となった男が突如として独立を宣言。そのまま、国は分断され、冷たい内戦は今もまだ続いている。
不毛な内戦を続けるゼルゼイルに対して、東西大陸はやがて手を引いて行き……
ゼルゼイルは訪れる者も久しい、完全な独立国と化した。
そのゼルゼイルとの唯一の航路がクオノリアに開かれているとは知っていたが、まさか。
「小さいものでしょう?」
「まあ……でも、何となく人気がないのも合点がいったわ」
大陸人はゼルゼイルを遠ざける傾向がある。五十年、戦争を続けている国だ。
死術が横行した魔道大戦以来、曲がりなりにも(裏側ではそうでもなかったりするのだが)平和を貫いて来た大陸人にとっては似て非なるもの、という意識が働くのだろう。
「貴方はどう思います?」
「え?」
「五十年、不毛な戦争を続け、国力を疲弊させるばかりの愚かな二国を、ですよ」
「……えーと」
初めて会った人間にまさかそんな国家レベルの質問をされると思わなかった。
答えに迷って、上目遣いで少年を見る。
―――っ?
少年は変わらず、船のマストの先を眺めていた。いや、本当は何も眺めていなかったのかもしれない。
遠くを。
ひたすら遠くを眺める瞳で。
「……なんてことをいきなり聞かれても困りますよね」
何も言えないでいるカノンに、少年は苦笑混じりに首を振った。悪戯が失敗した子供のような笑み、しかし、瞳はどこか笑っていない。
「貴方が戦を気にするのは、自分がそんな大怪我をしてるから?」
「……さあ、どうでしょう」
「もし、そうなら……どう思うも何もないじゃないの」
「?」
「人間は間違う生き物よ。だから戦争はする、喧嘩はする、下らないことで死んだりするし、後悔もする。当たり前のことよ」
「……そうですね」
「いつの時代だって、戦争が正当化されることはないわ。後から、あの戦争は間違いだった、とか言うけどそれは戦争なんかする前から解ってたことよ。
人間は馬鹿だからとんでもないことが起こってからしか後悔できない。でもね、後悔して置きながら戦争を繰り返そうとする奴がいたら、それは馬鹿を通り越して愚かとしか言えないわ」
「……それが、貴方の考え方、ですか…」
少々、陶然となりながら返って来た声に肩を竦め、
「あくまで自論。これでもいろいろな戦いは見て来たからね。
でも、戦争ってのは見たことないから……本当の戦争を知ってる人は、また違うことを言うのかもしんないわね」
「……」
顎に指を置くのが癖らしい。少年はしばし、その格好のままで何事か考え耽っていた。
何となく、去るタイミングを失ってカノンがただ突っ立っていると、少年はやがて面を上げて、
「なかなか面白い意見を聞かせていただきました。
初めての方にお話するような話ではなかったですね、お詫びを言わせてください」
「いや、別に……。
あ、そーだ。あの、あたし……」
「大通りに出るならそこの路地を右です。この時間は混んでいますから、WMOに行くならそちらの道からまっすぐ行った方がいいでしょう。あの建物は、街中で一番大きいですからすぐわかります。
図書館はその右手にあるはずですよ」
「え、あ、えっと……?」
かすかな声が聞こえた。遠くの路地で、誰かが声を張り上げている。それが何と言っているのかは解らなかったが、少年は自分が呼ばれているのだと解釈したらしい。
「それでは。クオノリアは発展した観光都市のようですが、治安は良くないようなので女性の一人歩きはあまりお勧め出来ませんよ。どうかお気をつけて」
「え、あ、ありがとう……」
「いいえ、こちらこそ」
一礼した後に、音も立てずに去っていく。それに慌てて付き従う少女。
カノンは頬を掻いてその背を見送っていたが、やがて踵を返して走り出した。
―――悪いヒトではなかったみたいだけど……
走りながら、彼の言葉を反芻する。
「何であの人、あたしが図書館に行きたいこと知ってたんだろ……?」
少女が消えた先を眺めて、少年は息を吐いた。ふと視界に、黒髪の少女の姿が目に入る。まだぽかんとしている彼女に、
「『魔変換』の所有者、か。見える人には、見えるのかな。ねぇ、シャル?」
そう言って口元だけでくすり、と微笑んだ。
図書館の造りはまあまあだった。
大きくもないし、小さくもない。トップクラスの学者が調べ物をするにはやや物足りない、という程度か。
しかし、予備知識は持っているもののカノンが専門外の事柄を調べるにはちょうど良いくらいだ。
「んーと、魔道関係、魔道関係……」
ずらり、と硬い背表紙が並ぶ本棚の合間を、棚の上部に付いているプレートをチェックしながら進んでいく。
こういう場所には結構、慣れている。これでも狩人時代は調べ物というものが欠かせないもので、しょっちゅう町の図書館や政団の司書室に出入りしていたのだ。
高台に上り、棚の上の蔵書に手を伸ばす。
数冊、取ったところで肩を撫で下ろす。この台というもの、そこそこに頑丈でないと容易く壊れてしまうのだから油断が出来ない。
―――けして、体重が重いわけではないんだけどね……よっと。
とりあえず、台を元の場所に戻さなくてはいけない。本を台の上に乗せ、両手で抱えるように持ち上げて―――
「あ、すいません、その台……」
「ん?」
後ろからかかった声に反射的に振り返る。振り返ってから、その声が聞き馴れたものだということに気が付いた。
「あ……」
本棚の向こうから首だけを出して、おそらく、台を持っていることで咄嗟に声を出してしまったのだろう、見知った顔が覗いていた。
「ルナ……」
「カノン……?」
あの図書館ではWMOの目がありすぎる。場所を移し、通りを二つ挟んだ街中のカフェの片隅を陣取って、彼女たちは向かい合っていた。
ルナはカノンが口にする状況説明を、腕を組みながら静かに聞いている。
……いや、ただ単に運ばれてきたオレンジスフレに集中力を奪われているだけかもしれないが。
話、と言っても長い話ではない。ルナがスフレの半分ほどを平らげた頃合で、カノンの話は終わりを告げた。
最後の句を告げたと同時に、ルナの白い喉が上下する。
フォークが止まった。そのまま銀の食器は置き皿に軽い音を立てて寝そべる。
「……で?」
「……」
「あんたはあたしに何を聞きに来ようと思ったの?」
「いろいろあるわ。
WMOの調査内容を教えろとか馬鹿なことを言うつもりはないの。まず一つ。一流の魔道師として答えて欲しいことがある」
「随分と意地の悪い言い分ね。まあ、いいわ。何?」
「例の合成獣のこと。WMOもクレイヴも、これはどこかの魔道師が造った合成獣が暴れている―――そういう事件だ、って言ってたわ。
あたしはこれでも色んな化け物を見て来たし、合成獣ってのも数多く見て来た自信があるわ。でも、今回の件についてはどうしても納得できないことがあるの」
「納得できない?」
「ルナ、一流の魔道師として意見を聞かせてちょうだい。あの合成獣、一体誰が何の目的で造ったんだと思う?」
ルナの眉がひくり、と小さく震える。
「そんなことは……」
「犯人の目的を聞いてるんじゃないわ。
魔道師が合成獣を造り出す最大の目的は、現存する生物を利用してそれ以上の性能を持つ生物へと進化させる、もしくは強化させる、ってことよね?
例えば陸の生き物と海の生き物をかけ合わせて水陸両用の生物を造ったり」
「まあ、大抵の場合はそうでしょうね」
「けど、今まで証言されてる合成獣の一つ一つを見てみて。
まず、あたしたちが最初に会ったあいつ。
ミノタウロスの体力はいいわ。スライムの溶解液は厄介だったけど、足部があれじゃあ、犬の脚力や兎の敏感さをプラスしたところで動きが遅すぎて意味がない。ましてや、あんなでかぶつに翼をつけても飛べるわけはない。
連絡は行ってると思うけど、昨日ビーチを襲った奴もそう。
蟹はいいわ。見た目は悪いけど、鋏は立派な武器になるし、グロテスクだったけど触手もそれなりに厄介だった。
でも、胴体の真ん中に口があって牙があっても、食事くらいにか使えないし、周りにくっついてたちっちゃい魚のヒレなんか泳ぐわけでもないのに明らかに邪魔なだけよ。
つまり。
どれもこれも合成獣としての意味を成していないのよ。あれもこれも欲張りすぎて形成に失敗した駄作……にしても酷すぎるわ。
ちょっと考えれば、別に魔道師じゃなくてももっと良い物が造れると判断できるはず。
なのに、今回、発見される合成獣はそんな失敗作ばっかり」
「……」
「ルナ、魔道師としてどう思う? あたしの考えは間違っている? それとも、あれにはあれであたしにはわからない優秀な面があるっていうの?」
「……」
ルナはふっ、と力を抜いて紅茶のカップを手に取った。酸味の程好く利いたローズティーを一口、飲み下してから口を開く。
「まあ……死術の狩人なんかやってたあんたを、口先だけの三寸で誤魔化せるわけないわね。
その通りよ。だからWMOも混乱してる。
魔道師で合成魔道学をちょっとでも齧った人間なら、あんな合成獣が何の役にも立たないのはすぐ理解できる」
「……」
「どうせカノン。あんたのことだから、その先もちょっとは察しがついてるんじゃないの?」
「……あの合成獣が魔道師の単なる腕自慢とか不注意でないなら……。
目的はもっと別のもの。クオノリアそのもの、いや、合成獣によってクオノリアが撹乱されること。直接のダメージが行くのは観光協会かどこかだけど、それならわざわざこんな手を使う理由はない。
クオノリアが魔道生物に撹乱されて、最も不利益を被るのはそれで面目を潰される……」
自然と、言葉に力が篭もる。
「WMO……」
「それも、魔道関係の事件解決に責任がある者、ね」
深く、息を吸い込んで吐き出す。
「……ローランに個人的に恨みを持つ人間は?」
「それこそ星の数。権力者にはつきものよ。容疑者はそれこそWMOの中に石一個を投げれば当たるくらいたくさん」
首を振りながら、ルナが答える。
ローランが頑なに他者の事件への関与を嫌ったのは、つまり、そういった背景があってのものだったのだ。
他者が事件を解決してしまえば、揉み消しが効く場所までそれが出来なくなる。
ましてや、動機が己の不始末等に関係することだったなら、それだけで自分の地位を危うくする。
まったく、何てことだ。
「……今朝、前の依頼人だったクレイヴが殺されたわ」
「そうらしいわね」
「何か心当たりは?」
「ないわ。最も、私は表向きに雇われた人間だから、別の場所で誰が何をやってるのかなんて知らないわけだけど」
「そう……」
ルナが再びフォークを手に取る。オレンジスフレの山になった箇所に、切っ先が食い込むのを眺めながら、カノンは懐に手を入れた。
「もう一つ、"これ"に見覚えは?」
「―――ッ!」
明らかに。
ルナの顔に動揺が走った。
カノンが取り出したのは、一つの小さな石。いや、石に見える"何か"。
砂漠の花、と呼ばれる鉱石がある。高温の砂砂漠で、水が干上がる前にその水に溶けていた石膏が結晶化し、その結晶が花弁のように見えるのでそう呼ばれる。
それはその特殊な鉱石によく似ていた。
だが、それとは明らかに違う。あれは結晶化の際に砂と取り込む。黄色や赤や、色の付いた結晶が出来上がるはずだが、カノンの手の平にあるそれは反して真っ白な色をしていた。
「それは?」
平静を装いながら、彼女が問う。
「正体はわからないけどね。蟹モドキを倒した現場に転がってたの。
見たことのないものだし、珊瑚、にしては汚れ一つないのが気になるわ。生態系に属するものならそれまでだけど、これが何なのか調べてみる価値はあると思って。
けど、見覚えがあるんなら」
かしゃんッ。
彼女の置いたフォークが、少々荒い音を立てる。
「ルナ?」
「カノン、この件からは手を引きなさい」
立ち上がり、言い放たれた一言に、カノンの表情が引き締まる。
「それはWMOに預けることを薦めるわ。容疑者はいずれ捕まるでしょうし、後は任せて町を出なさい」
「……ッ」
そのままテーブルを立つ彼女の背を、カノンは反射的に追っていた。
「ルナッ」
「……」
「もう一つだけッ! あんた、何のつもりで彼に付いてるのッ?
わかってんでしょッ、相手がどんな人間かッ! らしくないじゃない、何のつもりなのッ!?」
背中に叩き付けた言葉に、彼女の足が止まる。店の中の視線が集まるが、覚悟の上だ。
数瞬後、彼女は俯いた顔をほんの少しだけ上げて、
「もう一度言うわ。早く、町を出なさい」
「―――ッ!」
それだけ言い放って、彼女は無言でカフェを去った。
カノンは首を振って席に戻る。取り残されたスフレの残りが、何だか妙に寂しげだ。
―――何か、隠してるわね……
ルナが忘れていることが一つ。
―――そういう態度ならこっちもとことんまで調べ上げてやろうじゃないのッ! あたしはそういう性分の持ち主よッ!
鼻息を荒げて、カノンは彼女が残したデザートを始末するべくフォークを手に取った。
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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
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★ 目次
DeathPlayerHunter
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
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