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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE3-02
ゼルゼイル前線、以上有り。
 
 
 

「ラーシャ!」
「シェイリーン様……ッ!」
 砦の奥へ案内されて。最も重々しい扉を開いて、真っ先に飛んできたのはラーシャの名前を呼ぶ甲高い女性の声だった。
 狭くもなく、また何十人も収容出来るほど広くもない部屋。中央に石造りのテーブルが幅を利かせていて、その回りには申し訳程度に装飾された椅子が並んでいる。正面には、ゼルゼイルの島を描いたものだろう、大きな地図がタペストリとしてかかっていた。
 よくある会議室と同じ造りだ。だが、この場では軍議室や作戦会議室、と呼んだ方が正しいのかもしれない。
 扉の脇にはガーディアン代わりの衛兵が二人いて、それぞれラーシャの姿を認めると敬礼を返してきた。
 そして、部屋の中の、正面に立っていた女性。
 白を基調としたやや長めのローブを纏い、その上からラーシャのものを少々装飾過多にしたような礼服を着込んでいる。背はそれほど高くなく、金の髪を足元まで伸ばしている。年の頃はおそらく二十を出ないだろう。若い。というより、あどけない表情はやや幼くさえ見える。
 ラーシャの姿を認めた瞬間、淡いアメジストを思わせる紫の瞳を潤ませてぱたぱたと駆け寄った。
 ―――……えーと。
 皆、何も言わない。言わない、というか絶句しているのだ。
 ラーシャは、この年端もいかない少女のことを、今、何と呼んだ?
 混乱しかける頭を叱咤して、視線だけでデルタに問いかける。その視線の意味を即座に汲み取ったデルタは、何とも複雑そうな表情を浮かべて、
「こちらが、現シンシア総統シェイリーン=ラタトス様にあらせられます。……前総統は少々、晩婚だったようで、シェイリーン様は御年十七歳になります」
「ず、ずいぶん若いわね……」
「そうは仰いますが、エイロネイアの皇太子殿もそれほどお歳を召されてはいなかったでしょう?
 年代的には相違ありませんよ」
「まあ、そう考えるとそうだけど……」
「あんまりあの方を甘く見るなよ。ああ見えても十歳でゼルゼイルの一流大学を卒業した身だ。幼い頃から帝王学も学ばれている。
 でなけりゃあ、あのトシで総統になれるわけはないだろ?」
 ―――ああ見えても、ってことは案外、こいつらも見た目は気にしてるってことか……
 冷めた脳みそが捻くれた思考を弾き出す。
 少女は一頻りラーシャに抱きつくと、やがて身を離してこちらに向き直る。ローブの裾を持ち上げて、綺麗な礼を一つした。
「ようこそ、ゼルゼイルへ。皆様、お待ちしておりました。この度は不躾なお願いをお聞き入れくださり、感謝の言葉もありません」
「あ、いえ……」
 丁寧な物腰に、カノンが思わず謙遜の声を上げる。それに彼女は陽だまりのような笑顔を返し、
「私はシェイリーン=ラタトス。ゼルゼイル北方シンシア共和国にて、総統の任を勤めさせていただいています。以後、お見知りおきを」
「あ、どうも……。えっと、あたし……いえ、私はカノン=ティルザード。で、こっちがレン=フィティルアーグ。後ろの三人は私たちの幼馴染で、ルナ=ディスナー、シリア=アレンタイル、アルティオ=バーガックス」
「頼りになる方々です、総統」
「そうですか。それは心強い」
 カノンの紹介に、ラーシャが一言だけ付け足す。その言葉に、彼女は実に満足げに頷いた。
「ティルス、レスター、貴方方、自己紹介は済ませましたか?」
「はい」
「一応は」
「そうですか。結構です。
 それで、カノン様、こちらにもですね……」
「自分でしますよ、総統閣下」
 シェイリーンの声を遮って、窓際に控えていた赤い軍服の男が進み出た。その傍らには、同じ軍服を着た女性が控えていて、軽く礼をする。
 男の方は、歳はおそらく二十代後半。黒い髪を腰まで伸ばし、手は腰に添えて、ぴしっと背筋を伸ばしている。口元と不思議な灰色の瞳の目元に浮かんでいるのは柔和な微笑。腰から細剣[レイピア]を下げているが、腕に通したバングルやところどころに括りつけられた呪符が、彼の本当の武器はそれではないことを物語っている。
 傍らに控える女性は、男とは対照的に生真面目な表情を一切崩さずにこちらを見据えていた。ラーシャやティルス、デルタも普段から生真面目な表情をしているが、ややつり目な顔付きがそうさせるのだろうか、一段と厳しい表情をしているように見える。
 淡い桃色の髪を一房だけ耳元で括り、残りは背中で垂らしている。きつめの瞳は、シェイリーンとはまた違う色の紫で、どこか張り詰めていた。ぴしっ、と着こなされた軍服の腰には、短剣が刺さっていて、さらに背中には矢筒が見えている。その中身を活用させるものは、と探してみれば、彼女の寄りかかっていた壁際に、弦の張った銀細工の長弓が立てかけられていた。
 ラーシャが厳しい面を上げる。
 男の方が軽く咳払いをした。
「ラーシャ殿がお出かけの間、シェイリーン様の親衛を努めておりました。ヴァレス=ヴィーストと申します。ああ、元は傭兵ですので大した階級は頂いていません」
「……同じく、ライラ=バートン」
 柔和な笑みでにこにこと返してくる男に対し、女性からはその一言だけしか返って来なかった。
 耳元でレスターが「無愛想な女だぜ」と極小さく悪態を吐いて、ティルスに向う脛を蹴飛ばされていた。
 部屋の温度が些か下がった気がする。どうやら表情を歪ませたデルタの反応を見ても、ラーシャたちと彼らとの関係はけしていいものではないらしい。
 まあ、お抱えの騎士団と傭兵が気を合わせられない、なんて話は良くあることだ。
「あー、えっと、どうもご丁寧に……」
「皆様、お待ちしていましたよ。何せ、戦況は芳しくないもので。たとえ一人でも、戦力になる方がいらっしゃると心強い」
「ヴァレス殿!」
 にこにこと、だがあからさまな物言いをするヴァレスを咎めるようにラーシャの声が飛ぶ。なるほど、こんな性格なら彼らと馬が合わないのも納得がいく。
 爽やかな顔であっけらかんと、おおよそ、初対面の人間に向ける言葉とも思えないものを吐いてくれる。しかも国の総統とその懐刀の目の前で、第三者に『戦況は良くない』とはその神経の太さはどれだけのものか。
 ラーシャの厳しい視線に、しかしヴァレスは「これは失礼」と答えて肩を竦めるだけだった。女性―――ライラの方はまったくの無反応。
 一方で、シェイリーンの方はというと、懐が深いのか、はたまた彼の物言いには慣れているだけか、意に関せず、と言ったふうに元いた席へと戻る。
「ごめんなさい、ラーシャ。驚いたでしょう? ノール港には行ったのですか?」
「ええ……。波止場はエイロネイア軍に占拠されていました」
「本当に、着いたと思ったらいきなり矢の嵐よ。この落とし前はどうしてくれるのかしら?」
 剣呑な声で言ったのはシリアだった。彼女の場合は、矢の嵐、というより嫌いな船に余計な時間、乗せられていたという恨みの方が強い気がするが。
 シェイリーンは眉を上げて、口元を軽く抑える。
「そんなことが……。申し訳ありません、こちらの不手際ですわ……もっと早く、連絡が着けば良かったのですけれど……。皆様、よくぞご無事で」
「こちらのルナ殿の機転で何とか助かりました。後ほど、お礼とお詫びを用意させましょう」
「お詫びはいいけど、あれはどういうことだったのよ?」
 ルナは不機嫌な表情を隠さずに、つっけんどんに言う。機嫌が芳しくないのは、らしくなく、"お礼"に食いつかなかったことからも分かる。
 シェイリーンは押し黙って、しばらく視線を宙に彷徨わせる。やがて、困ったような視線をティルスに向けた。
 その視線を命令と受け取ったか、ティルスは一息吐いて、全員に席に着くよう勧める。自分はレスターを伴ってシェイリーンの傍らに着いた。
 カノンは少し迷ったが、レンに促されて結局は上座の席に腰掛けた。
 シェイリーンの右側にはヴァレスとライラ、左側にはティルスとレスター。席の上座にカノンたち、ラーシャとデルタは正面に立ったまま背を伸ばす。
「……ラーシャ様とデルタはご存知だと思いますが。
 ラーシャ様がご出立なされる前、つまりは一月ほど前になりますか。シンシアとエイロネイアは、この、」
 言いかけて、ティルスは背後の大きな地図に赤印をつける。島国を二分して、その線の向かってやや右側の荒野だった。
「ジルラニア平原を戦地としていました。シンシアの拠点は三つ、エイロネイアの拠点は二つ。
 それほど大きな戦ではありませんが、小さな抗争というわけではありません」
「要は小競り合い、ってレベルではない。でも大局を決める戦ではなかった。そういうことね」
「そうです。戦力はほぼ互角。エイロネイア軍は強大な軍隊ですが、この平原に置いて、エイロネイア側は山脈地帯を跨いでいます。その場合、物資などの輸送にも労力がいる戦になります。
 地理的条件で、有利な戦になるはずでした」
「ああ。それに平原においてシンシア軍はエイロネイア軍を押していた。だからこそ、私は現場を離れることが出来たのだからな」
「はい。……ですが、ラーシャ様がお発ちになった一週間後のことです。ジルラニア平原から少々離れた、この、」
 ティルスは新たな印を地図に書き込む。赤く引かれた線は、先ほどの線よりもやや左に寄った箇所の大地だった。彼は続けてそのすぐ近くの海辺に印をつける。
「……ノーストリア高原に、エイロネイアの小隊が現れました。ノール港のすぐ近くです」
「ノーストリア高原だと!? 馬鹿な、あんな場所からエイロネイアが攻められるものか……ッ!」
 淡々としたティルスの言葉に、ラーシャが動揺を露にして声を張り上げる。
「何だ、そののーすとりあ、って?」
「地図を見れば分かりますが……。この地も、エイロネイア側にとってはいい地形ではないのです。
 シンシアの領土から見れば平坦な道上にありますが、エイロネイアからすれば山脈の合間に位置する高原です。また、川も挟みますから増援も易々とは呼べません。
 エイロネイアにとっては、わざわざ足場の悪い場所を取ったことになります。
 ノール港は我々にとっては要になる港、しかし、攻められにくい場所に位置していたために、警備の手が厳重、というわけではありませんでした。それが油断だったのでしょう……。
 加えて、この小隊の出現と同時に、ジルラニア平原のエイロネイア兵が撤退し始めたのです」
「撤退?」
「はい。ですので急遽、兵を何割かノーストリア高原に派遣することとなりました。
 ……貴族院の判断です。我々も混乱していました。戦地であるはずの場所から敵兵が引き、戦地となりえない場所に兵が出現したわけですから。
 ジルラニア平原においては、今まで押して来た戦という油断があり、一方でノーストリア高原においては、地形の勝利という油断がありました。
 それが……」
 カノンははっ、と顔を上げる。ティルスが、初めて感情を露にして、口惜しそうに唇を噛んだのだ。
 隣のレスターはぶるぶると拳を震わせている。それを気遣うように、シェイリーンが居た堪れないような、表情で眉間に皺を寄せている。
 ラーシャは、テーブルに両手を着いて、唇を引き結んで話に聞き入っていた。
「……命取り、でした。
 それがエイロネイアの思惑だったのです……。ジルラニア平原から進撃を開始した兵軍は、山中で山頂付近に布陣し、兵を忍ばせていたエイロネイアの増軍に対してあまりに無力でした。
 あの布陣と伏兵は、きっと予てから用意されていたものだったんでしょう。相手の有利な平原から、自分たちに有利な山脈に戦地を移す。そのために、一時的に兵を撤退させたのです。
 戦力分散もその策です。混乱して兵力の減った軍隊を叩くのは、そう難しいことではありません」
「しかしッ! そうにしたって、そこまでの混乱を招くとは、一体何があったのだ!?
 ノーストリア高原にしたって、あそこには十分な兵力を備えていたはずだ! エイロネイアにとっては鬼門の場所だ! それが何故……ッ!?」
「……皇太子、だよ。姐さん」
「……ッ!」
 いくら何でも、そうことが上手くいくはずがない。声を荒げるラーシャに、レスターが一言で答える。
 カノンが顔を上げ、ルナは腰を上げかける。シリアもアルティオも、身を乗り出した。
「……小隊を率いていた奴がな。山頂からシンシア軍に向かって言ったんだよ。
『自分はエイロネイア軍を束ねるエイロネイア皇太子だ。大人しく降伏しろ』ってさ」
「―――ッ!」
「皇太子の悪評は有名さ。妾や捕虜の話だけじゃねぇ。戦の中でもそうさ。
 曰く、百の大軍を相手にたった一人で勝利した、とか。曰く、面妖な術を使って千人の魂を抜き取った、とかな。まあ、怪談チックな噂のひれから、薄ら寒いもんまでいろいろあるわけだ。
 ノーストリアは兵力としては十分だけど、戦地から離れてたし、場所が場所だから、経験不足のひよっこも多かっただろ?
 度胸のついてない一兵士の目の前に、そんな化け物が名乗り出てみろ。あっと言う間に、その場は大混乱さ。士気も駄々下がり。どうしようもない」
「我々も、皇太子はジルラニア平原の戦で指導者として動いていると思っていましたからね……。
 情報の交錯も敗因の一つと言えるでしょう。実際、ジルラニア平原の兵の中にも、皇太子が同時に二箇所の戦場に存在するなどとナンセンスな思い込みをして、混乱を起こす者が少なくありませんでした。
 つまり、彼は自分の悪評を利用したのです。それで兵の混乱を招き、不利な戦を有利に進めた。
 ラーシャ様が不在だったのも明らかな敗因の一つです。……上の仕事ばかりで、下の戦場のことは何も知らない貴族院などのの決定に、素直に従ってしまったのですからね」
「……」
「で、でもよ。それっておかしかないか?」
 必死で物事を咀嚼していたアルティオが、ぎゅ、と眉根を寄せて首を傾げる。傍らのシリアがそれに大仰に頷いて、
「そーよ。だって、それはラーシャが大陸に発ってから……少なくとも、二週間とか一週間前だったわけでしょ?
 その間、私たちにちょっかい出してきたあいつ-―――エイロネイアの刺客、って奴も自分は皇太子だ、って言ってたわよ?」
『!』
 シェイリーン、そしてずっと口を閉じていた傍らのヴァレスとライラが同時に顔を上げる。表情は驚愕の一言。
 それこそ、そんな馬鹿なことはない。ゼルゼイルの地と西方大陸に、同時に一人の人間が存在するなど、そんな馬鹿なことはあるはずがないのだ。
「……影武者、か」
 無言を貫いていたレンが初めて口を割った。その一言に、ティルスが深く頷く。
「……あり得ない話ではない、と思います。というより、それしか考えられません」
「確かに。いくらエイロネイア軍の総指揮を執ってる、つっても、これまで明確に姿を見た人間てのは数えるほどしかいないだろうし……
 いても、殺されちまってる方が多いからな……」
「つまり、どっちかの皇太子は『皇太子』を名乗ってるだけのただの一般兵、ってこと?」
「……兵の目撃証言は取れています。淡い青髪の長い、背の高い男だったと。それだけですが」
 シリアとアルティオが顔を見合わせる。ラーシャとデルタは眉間に皺を寄せ、レンの眉が少しだけ弾む。
 カノンは一瞬だけ瞑目して、言葉を紡ぐ。瞼の上に、あの黒い残像が、隠せない怒りと共に浮かんだ。
「……違うわ。あたしたちの前に現れたあいつは、黒い髪で、全身に包帯を巻いて、真っ黒な服で。見たら一目で特徴は分かるはずよ」
「背もそんなに高くなかったわね。見た目には華奢な男の子、って感じよ」
「ということは、そのどちらかが影武者ということになりますねぇ……」
 場違いに呑気なヴァレスの声が、結論を弾き出す。
 どちらが本物で、どちらが偽物か。はたまた、どちらも偽物なのか―――。
 煮詰まった雰囲気の中。誰もが、その問いかけに答えられはしない。だがしかし、その冷えた空気の中で、
「……あたしは…。私は、大陸に来ていた方の奴が本物だと思う」
「? ルナ?」
 ぽつり、と漏らした少女の声に、全員が反応する。カノンがその名前を呼びかけて、その呼びかけが終わるより先に、彼女は椅子を引いて立ち上がる。
 そしてシェイリーンを見た。傍らの、ティルスの余談を許さない目が、じっと彼女を観察していた。
 デルタが慌ててフォローするように身を乗り出す。
「ルナさん。確かに彼は」
「……違う。違うのよ。そんなことが言いたいんじゃないわ。
 ―――『七征』、って言うんでしたっけ? エイロネイアの七大幹部。戦軍の要。
 ……その、七人の中には、私のかつての知り合いがいます」
 「え?」
 思っても見ない告白に、シェイリーンの目が見開かれる。彼女だけではない。ラーシャとデルタ、無表情なライラ以外の、シンシア派の全員が反応する。
 ティルスは訝しげに眉間を寄せて、レスターは大げさに目を剥いた。ヴァレスはそれよりも薄い反応だったが、笑みに細めていた目をすっ、と真顔に戻す。
「ルナ殿!」
「ごめん、ありがとうラーシャ。でも、いずれバレることよ。どうせバレるなら、早い内がいい」
 それは彼女のために、とラーシャがあえて伝達でも伏せていた事実だった。真相が知れれば、軍の内部と彼女との間に摩擦が起こりかねない。貴族院の人間に知れたら、それこそそれを利用しようとする人間も出てくるかもしれない。
 ルナ自身にとっても、そして迎える立場であるシェイリーンにとっても、あらゆる面でマイナス要素になりかねない。だから、ラーシャは伝達上でも、デルタにも、口を止めて置いたのだ。
 それを、本人があっさりと破る。
 シェイリーンが唖然としながらも、はっ、と我に返った表情でルナを見る。そこにあったのは、けして軽蔑の色ではない。
 ラーシャは彼女を頼れる人間だと言った。ラーシャは実直で嘘を言わない。だから、その根拠は絶対にあるはずなのだ。その告白だけで、彼女をどういう人間なのか判断するには、まだ早い。
「その、お知り合いというのは……?」
「……どんな目的でエイロネイアに加担しているのかは分かりません。でも、彼はたとえ、どんな場合であったって、生半可な人間に従うような人間じゃありません。他人に従うこと自体を嫌ってるはずです。
 その彼が、誰かの指図で動くこと自体が信じられない。あるとしたら、それはその人間が協力に値すると判断できたときだけ。彼のその基準は、あたしが今まで出会ったどんな人間より高い。……プライドからも、技術力からも。
 そんな奴を扱えるような器を持った人間なんか、数えるほどしかいません。エイロネイアで言うなら―――」
「その、エイロネイア皇太子しかいない、と?」
 ルナは深く頷いてみせる。彼女には妙な確信があった。彼が従っていること、そうでなくともあの少年に相対した際の、歳不相応の貫禄。あんな人間が二人も三人もいてはたまらない。いるはずがない。
 あの喪服のような黒装束を思い出し、隣でカノンも渋く顔を歪ませる。
「しかし、あの皇太子が指揮を離れるなんて……」
「……ありえない話ではありませんねぇ」
「ヴァレス?」
 シェイリーンの言葉に、ヴァレスが首を振る。彼は顎に手を当てて、ふむ、と声を漏らしながら、首を傾げたシェイリーンと憮然としたティルスを振り返る。
「ノーストリア高原の……髪の長い、背の高い男、ですか。少々前の話ですが、魔道隊を指揮させて頂いていたときに、似たような男が敵陣で指揮を執っていたのを見かけた覚えがあります。
 大陸の皆さんは、黒装束を纏った少年、と仰いましたね?
 クラングインの砦が陥落した戦がありました。エイロネイアの皇太子殿が台頭してくる少し前、でしたね。
 初陣、だったのかもしれません。砦が破棄されて、その後、しばらく近くのシンシアの砦からクラングインの砦を観察させていましたが、青い髪の男を従えた少年の目撃情報があったはずです」
「……確かに、指揮者らしい男の姿があった、という報告はあったな」
 ラーシャは爪を噛む。小戦の記録だった。戦の記録は、彼女やティルスといった陣頭指揮官たちの下に膨大なほど送られてくる。その膨大な資料は、小戦のもの、終わった戦のものほど極薄い。
 クラングインの砦はそれほど重視されていない砦だった。一度はトカゲの尻尾切りに利用する、という一案さえ出たような場所だ。
 何故、その情報を数多の資料の中に埋めてしまったのだろう。
 別段、ラーシャの責ではない。指揮官の職務にも限界がある。だから彼女は基本に忠実な職務をしていて、その小戦以上に重大な戦の報告が重なっていた。それだけだ。
 だが、言い様のない後悔が頭の中で暴れ出す。
「その目撃証言が本当なら、その背の高い男はエイロネイア皇太子の腹心、ということでしょう。まあ、逆もありえますが。皇太子の腹心、というのならその男も『七征』でしょうね。
 皇太子とその腹心の二人が『七征』である、という密偵の情報が確かなら」
「……あるいは、完全に嵌められたのかもしれないわね」
「嵌められた?」
 涼しく言ったヴァレスに、じっと何かを考えていたカノンが口を開く。ヴァレスが訝しがるような息を吐き、シェイリーンが先ほどヴァレスに向けたものと同じような問いかけの視線を彼女に投げる。
 会議室内の視線が集められた。
 緊張が高まる。その雰囲気に飲まれないように、カノンは下腹に力を込めなくてはならなかった。
「相手に情報を掴ませる、もしくは信じさせるのに一番大事なものは何?」
「リアリティ、ですね」
 ティルスが即答する。カノンはそれに頷いて、
「そうよ。今回、前線指揮を執っているはずのラーシャがわざわざ大陸に来たのは何故?
 あたしたちを招くため、武器の密輸を止めるため。粗相がないように、とか何とか言ってたけど、そんな理由だけじゃないでしょう?
 密偵でエイロネイアがあたしたちを狙ってることを知った、って言ってたけど……。皇太子が直々に刺客になってる、なんて情報は掴めないまでも。その密偵の情報ってのはひょっとして、大陸への来訪が、エイロネイアにとって最重要ランクの任務扱いになってた、ってことなんじゃないの?
 相手にとって最重要。だから重鎮であるラーシャが前線指揮を離れてまで止めに来た」
「……仰る通り、ですね」
 ティルスが苦々しい顔で頷く。カノンの言わんとしていることを、彼もまた悟ったのだ。彼だけではない。彼の傍らのレスターはあからさまな舌打ちをして、デルタは静かに拳を握り締める。
 数秒経ってから、絞り出すような声でラーシャが口にする。
「つまり……こちらに密偵がいると知っていて、それを利用して私をまんまと戦場から離れさせた」
「戦争を目の前にしたことのある人間じゃないから、その場その場で戦況がどう翻るかは解らないけれど……。
 少なくともラーシャは最上級の指揮官なんでしょう? いるといないとでは、兵士の士気だって大違いのはず。だから、ひょっとしたら、奴は奇襲の成功率を上げるために密偵を利用して、大陸行きを決行した。
 ……もっとも、その任務が大陸での騒ぎでなければならなかった理由は……ん…」
「……まさか配下の人間のわがままに付き合うためじゃないだろうし、大陸との既に役に立たなくなっていた、腐った繋がりを払拭……でも弱いわね」
 言い澱んだカノンの言葉を飄々と繋いで見せたのは、言葉を濁した理由の当人であるルナだった。
 わずかにいたたまれない表情を見せたカノンだが、すぐに面を上げる。
「ともかく、目的が何にしろ、そういう効果も狙ったことなんじゃないか、って思うのよ。
 相手側に何人、密偵を送ってるのかは知らないけど、それを逆手に取られたってことね」
「おいおい……そんな」
 レスターが青ざめた顔で眉間に皺を寄せる。室内で感じるはずのない寒気に、鳥肌の立つ二の腕を摩りながら、
「じゃあ、密偵はとっくの昔に相手に気づかれてる、ってことじゃねぇかよ……。
 まずいぜ。エイロネイアの皇太子なんぞ、捕虜殺しで有名だ。下手したら拷問、ってこともある」
「……密偵が特定されているかは定かではないですが、一度密偵を下がらせましょう。もし、カノンさんが言っておられることが事実ならば、逆に危険なだけです」
 レスターの言葉に、ティルスは眼鏡を抑えて深く息を吐く。
「でもさ、ちょっと待てよ」
 末席に座っていたアルティオが口を挟んだ。
「ラーシャサンもエイロネイアの最上級指揮者。でもその皇太子も戦場じゃ、最高指揮官なんだろ?
 一緒にいなくなったら、兵士の士気を考えたら条件は互角なんじゃないか?」
「……傍目には、そうですね……。
 けれど、奇襲を仕掛ける方と仕掛けられる方では、元から士気の在り方が違います。絶体絶命の窮地に立たされるほど、士気というものは重要なのです。
 足をもがれたネズミを狩るのに、士気を必要とする虎もいないでしょう。
 ……加えて、相手方にいる幹部『七征』は皇太子から絶大な信用を受けています。軍内の威光も生半可ではないはず。
 何しろ、あの計算高いエイロネイア皇太子が、戦場を離れても大丈夫だと判断したのですからね」
「……エイロネイアはともかく……シンシアの兵士にとっても、『七征』はとんでもない脅威なのね」
「はい。『七征』はエイロネイア皇太子台頭の象徴とも言える存在ですから。彼らが介入するようになってから、五分五分に保たれていた均衡は、すべて崩れ去りました。
 ……シンシアは完全に後手に回ってしまっています」
 冷静に言葉を選びながらも、口惜しさを隠せない表情でティルスは歯噛みする。シェイリーンはずっと俯いて、何かを祈るように手を組んでいる。
 気遣うように、ラーシャがその細い肩を支えた。
「ちょっといい?」
「はい」
 すっ、と手を上げたのは訝しげに唇を尖らせたシリアだった。立ち上がり、テーブルから乗り出すような格好で、唾を吐く。
「『七征』とやらが場を動かしていて、そいつが脅威だ、ってのは分かったわ。
 けど、いくら何でも誇張が過ぎない? 皇太子にしたってそうよ。いきなり均衡が崩れたとか、兵士皆が恐れてるとか。そんな急な戦力転換なんか聞いたことないわ。
 『七征』とやらが高い能力を持った連中だってのは分かった。皇太子って奴が狡猾で、やりづらい奴だ、ってのも分かったわ。
 でもいくら指揮が良くたって、腕っ節が強くたって、戦争ってもんは個人の力でそうそう勝負が決まるものじゃないわ。昔だって、腕のいい奴を召抱えていたけど、結局は滅ぼされた国がごろごろあるじゃない。
 戦争は風向き一つでどうとでも転がるでしょう?
 そんな戦争全体を掌握できるような、超常的な、都合のいい連中がいてたまるもんですか」
「……」
 すらすらと述べたシリアに、ティルスは書類の束を抱えて押し黙る。レスターも、押し黙ったまま、同じような微妙な表情を浮かべた。
 デルタは避けるように視線を下げて、ラーシャは何かを考え込むように腕を組む。シェイリーンは、白い喉を上下させて、迷うような仕草を見せた。
 シリアに続き、椅子に寄りかかったルナが軽く手を上げる。
「それについてはあたしからも質問」
 今度はティルスは答えなかった。だから彼女は勝手に続ける。
「さっき、そっちのガタイのいいにーちゃんが言ったわよね? 皇太子の噂について。
 百の大軍を相手にたった一人で勝利した、面妖な術を使って千人の魂を抜き取った、とか何とか。
 確かに誇張された、怪談ちっくなものかもしれないけど。
 けど、元がなけりゃ噂だって尾ひれはつかないのよ。身がなけりゃあ、ね。火のないところに煙は立たないとはよく言ったもんよ。
 そういう噂がある、ってことはその皇太子殿と『七征』たちが、明らかに人間離れした芸当をやらかしてる、ってことじゃないの?
 それが兵士の士気に直に影響しちゃってる。どう?」
「……」
 ティルスは無言だった。それが肯定の返事だったのかどうかは分からないが、少なくとも、否定は出来ないということだ。
 カノンたちはその"人間離れ"の片鱗を既に目にしている。素っ頓狂な声を上げる者はいなかったが、息を飲む声は幾つも聞こえた。
「……さてさて、大陸人というのは遠慮というものがありませんね。いきなり確信をついて来ます」
「ヴァレス殿!」
 あっさりと認める発言をしたヴァレスに、ティルスの眼鏡の奥からの厳しい視線が向けられる、だが、彼は少しだけ肩を竦めて、その視線をやり過ごす。
「ティルスさん。どの道、協力を仰ぐならこの方たちには知る権利があり、我々には話す義務があります。
 彼女たちも戦場に身を置くことになるかもしれない。ならば、隠しておけるはずはないし、隠しておけばシンシアは詐欺師の集団になるかもしれませんよ?」
「……」
「…………分かりました」
 何も言い返せないティルスの沈黙を、早々に破った声があった。鈴のようにか細い。シェイリーンだった。
「シェイリーン様!」
「ティルス、お話しましょう。どの道、分かるときには分かる話です。なら、今のうちに皆さんに話しておく必要はあると思います。
 ……どんな話でも、です」
「……」
 シェイリーンはあどけない顔に、確かな威厳を宿しながら口にする。厳かなその雰囲気に、口を出せる者はいなかった。
 ティルスも、歯を噛み締めながら敬礼をして項垂れる。
 深呼吸を一つ。それで腹を据えたように、シェイリーンは正面からカノンたちと向き直った。
「……皆さんにとっては、気持ちの悪い話になるかと思います。ですが、お話しないわけには参りません」
「……」
 カノンは固唾を飲み込む。いつのまにか、喉がからからに渇いていた。
 それはシェイリーンも同じようだった。ふーっ、と息を吐き、肩を上下させる。
 シリアとアルティオは身を乗り出した。
 ルナはそのままの体制で、レンは何事もなかったかのように涼しく。しかし、内心気にならないわけはないだろう。
「……エイロネイア皇太子の噂については――
 ルナさんがご推察なさった通りです。火のないところに煙が立つはずがありません」
「じゃあ、その百人相手に一人で勝っただとか、千人の魂を抜いたとかいうのはホントだってことか!? いくらなんでも……ッ!」
「いえ、それ自体が事実として認識されているわけではありません。
 ですが、幾つかの小隊が戦地に向かう途中で、軍隊同士の衝突の跡もないのに全員虐殺死体で見つかったり、神隠しにあったように姿を消したりしたことがあったのは事実です」
「軍同士の衝突もなく……?」
「はい。それも、一隊や二隊ではなく。その時期は、ちょうど皇太子が戦場で猛威を振るい始めた矢先の出来事で、密偵の情報からも彼が戦地に出向いている記録がある、との報告を受けていました。
 口で言うだけでは想像出来ないかもしれませんが……。
 あのようなことは、物理的な世界では無理です。小隊といっても、五十人ほどの編成はされています。それが幾つも、瞬く間に消されるなんて……」
「……」
 普通なら笑うところだ。笑って、何をそんなバカなと切り捨てるところだ。
 だが、カノンたちに、それぞれの、それぞれが記憶する情景が過ぎる。町中で暴れる合成獣、人の血を吸う剣、錯乱し、互いを傷つけあう町人たち―――。
 それは、皆『ありえないこと』。
 けれど『あったこと』。
 だから、誰にも、笑い飛ばせない。否定できない。
「もう一つ。
 私たちが相手にしているのは、人間ばかりではありません」
「……? 人間、ばかりじゃない?」
 きっぱりと言ったシェイリーンの言葉。すぐには意図を読めなかった。人間ばかりを相手にしているわけじゃない。では一体、何を相手にしているというのか。
 "人間離れ"していると言った。けれどそれは"人間"に使う言葉、いや、"人間"と思っているモノに使う言葉だ。
 "人間"でなければ、一体何なのか。
 シェイリーンはもう一度、悩む。言って、彼らは信用してくれるのだろうか。いや、思えない。自分だって報告を聞いたとき、まさかと思ったのだ。
 けれど、長として彼女は言わなくてはならないのだ。奇異の視線を受けることを覚悟で。

「……エイロネイアの軍隊の中に、死人や獣が混じっている、と言ったら、皆さんは信じますか?」

「・・・!」
 カノンとルナが同時に息を飲み、シリアが苦く端整な顔を歪める。アルティオが怒りに拳を震わせていた。
 レンだけは無反応を装っている。だが、苛立だしげにした舌打ちが、カノンの耳には届いていた。
 カノンは浅い深呼吸をする。腰を落ち着けてから、今一度シェイリーンを見返した。
「……それは、どういうこと、ですか?」
「……文字通りの意味です。
 彼らの軍隊の中には、生気のない顔をした人間でない人間と、恐ろしい形相をした……私は直接は見たことがないのですが……
 デーモンや合成獣、と言いましたか。その類のものが混じっています。
 それも、尋常ではない規模で。一部隊に何十、何百、という数」
「何十、何百ッ!?」
 驚愕の声を出したのはシリアだ。彼女だって多少なりとも魔道の心得がある。
 だから分かるのだ。そんなことが、どれだけ無謀なのか。
 絶句する彼女に、シェイリーンの傍らに立っていたヴァレスが肩を竦めた。
「ええ、お察しの通り。
 この世の中には、外法と称されていても、死霊術[ネクロマンシー]や獣召還[サモン]といったものが存在します。
 文字通り、方や死人をゾンビやスケルトンといった歪んだ形で蘇らせるもの。方や、闇の世界の住人と称される獰猛な獣をこの世に生み出すものです」
 死霊術[ネクロマンシー]、獣召還[サモン]。
 共に、カノンやレンといった元・違法者狩り、また魔道師にとっては極身近な単語だった。
 だが、この事態はそれだけでは説明がつかない。なぜなら、
「ご存知の通り、これらが戦争という現場で使われることは殆どありません。何故かというと、生み出されたものが非常に扱いづらいものになるからです。
 死人や獣は明確な意思を持ちません。だから、人間の指示など元々聞かないシロモノです。
 戦争に使うとしても、霍乱程度にしか使えません。ましてや、そんな何十、何百なんて数、制御できる人間がいるとも思えません。
 しかし、」
「……エイロネイアの『七征』は、それを実現しているのね?」
 徹底的な一言を、ルナが放つ。異様なまでに、声が硬い。彼女は、その先の返答まで既に予測しているようだった。
 彼女の予測通り、ヴァレスはあっさりと頷いてみせる。
「今回の場合、ノーストリア高原の襲撃において、それが使われました。
 死人や獣に、物資の補給は必要ありません。だから、いくら物資配達がし難い場所であっても関係はありません。死人は言うまでもなく、獣は腹が減れば、目の前の"兵[エサ]"を食いますからね」
 えげつない一言だ。だが、その言葉を咎められる人間はいなかった。カノンたちの中にも、シンシアの中にも。
 カノンたちは愕然と彼の言葉を聞き、シンシアの軍勢たちは揃って唇を噛むことしか出来なかった。
「先にも言った通り、これは非現実な事象です。何故、エイロネイアがこれを実現できているのか。理解に苦しみますが、可能性があるといえば……」
「……」
 ヴァレスが濁した言葉に、カノンはすべてを悟る。
 いくらエイロネイアが自分たちに接触していたとしても。
 何故、シンシアが、カノンたちよりももっと高名な騎士や戦士に助けを求めなかったか。
 何故、カノンとレンであったのか。
 その一つ一つを噛み砕いて、硬い声で、カノンは口にする。
「……ねぇ、レン」
「……」
「政団の、違法者狩り団体はもう解散してるわ……。理由は記録にあるすべての大陸内の死術[ヴァン]を狩り終えたから」
 死術[ヴァン]。太古の魔道師が残した負の遺物。けして残ってはいけなかったもの。不慮の事故によって、大陸中に散らばってしまったもの。
 太古の大戦で、人間が生んでしまった、脅威の外法。禁呪。
 人の身では為し得なかったいくつもの外道な呪を、紡ぎ出した、失われた術。
「でも、でもそれは……『記録にある』、『大陸内の』、なのよね……?」
「……」
 自分で言った言葉を反芻する。もう誰もが想像、いや理解していた。彼女が一体、何を口にしているのか。
「じょ、冗談言うなよ……ッ! じゃあ、エイロネイアは……」
「『記録されていなかった』、死術[ヴァン]を既に復活させてるっていうの……ッ!?」
 茫然としたアルティオの声を、シリアが継ぐ。その乾いた言葉を、さらに、ルナが継ぐ。
「……そればかりとは限らないわ。
 シェイリーンさん。ゼルゼイルには、数々の伝承や伝説が眠っている。魔道的な、今の時代だったら信じられないようなものがたくさん、ね」
「……ええ、私もお話の中でしか聞いたことがありませんが」
「曰く、かつて大天使ルカシエルに滅ぼされた魔族、羅刹鬼[ヴァン・ラセツ]グライオンが眠るとされる幻大陸の存在。
 曰く、人と神と魔の世界、すべてに絶望した対となる神魔族の鬼神が、自らの身を封じて眠りについた室の地。
 有名なのはその二つ。けれど、ゼルゼイルの土地は、それに惹かれてなのかしらね。他にも信じられないような伝説のお話が転がっている。何のわけか、その中にはそういう類のとんでもない術や武具のお話が多いのよ。
 ……太古の魔道師が、どうやって『死術』を造ったか知ってる?
 あれもね、準えたのよ。
 それよりももっと太古、古に造られた神話の時代のオーパーツを歪めてね」
「ちょっとルナ……、それって……」
 カノンが声を上げる。そんな、そんな馬鹿なことがあるはずがないのだ。
 彼女が何を言っているのか。分かる人間はいても解る人間はいなかった。それは、不可能なこと。いや、不可能だとされてきたこと。
 そんな人間は、今の時代にはいなかったから。
 今の時代に、いるはずがいなかったから。
 太古の、古を、たとえ準えでも、復活させることの出来る人間がいるなどと……ッ!
 だが、少なくとも大陸で大戦が起こったあの暗黒時代には、多数いた。だから死術[ヴァン]が生まれた。
 だから、否定できない。誰も出来ない。
 そんな人間が現在するなんて。
 でも否定する。認めたくはないから。
「そんな、そんな人間がいるはずは……ッ!」
 デルタが上げた声に、ルナは沈思する。いつのまにか、彼女は親指の爪を噛んでいた。もう少しで皮膚を抉るだろう。それでも、そんな痛みに気がつかないほど、彼女の中には疑惑が、疑念が渦巻いていた。
 彼女は知っていたからだ。
 そんな馬鹿げたことが出来る人間を、一人だけ。
 二十年という短い半生の中で、たった一人にだけ、出会っていたからだ。
「……その、獣やら死人が、戦場で使われ出したのはいつ?」
「……皇太子が台頭し始めて、まもなくですから……一年、少し前、ですね」
 カノンははっ、とする。一年と、少し前。それからもう少し前に、カノンやルナに関する事件が、あったのだ。
 そうだ、一年と半年前。
 ちょうど、ニード=フレイマーの組織にルナが反旗を翻し、弾圧したのが同じ頃。
 あの組織の中には、ルナのように『月の館』から引き抜かれていた魔道師が何人かいた。
 カノンは直接"彼"から話を聞いたわけではなかったから、想像しか出来なかった。けれどルナは、直接、"彼"から話を聞いていたから、断言できた。
 "彼"もまた、組織に囚われていた人間の一人であったと。
 でも、組織が潰されて、行方不明。行方不明であった。行方不明であったから、彼がどこで何をしていたかなんて、誰も知らなかった。
 誰も知らないから、否定が出来ない。
 "彼"が、稀代の天才が、この地で、次々と戦争の道具を作り出していたことなんて……ッ!
「カシス……ッ、あの馬鹿、なんてことを……ッ!」
 感情に支配されたルナは、断定的な言葉を吐き出した。彼にとって見れば、太古のサンプルから、新しい術を生み出すのに、半年という期間があれば十分だったのか。
 がりッ……
 噛んでいた爪が根を上げて、極少量の血が滲み出す。
 見かねたシリアが彼女の腕を掴んだ。無言で、表情を変えずにルナはのろのろと手を離す。眉間に刻んだ皺が、力の入らない腕が、最大の傷心を表していた。
「……あんたの、本当にやりたかったことは、そんな馬鹿げたことじゃないでしょう……ッ!」
「……ルナ……」
 喉の置くまで込み上げた熱い感覚を、必死で抑えながらも、しかし言葉では押さえきれなかった。
 沈黙が支配する。誰も、何も言えなかった。
 事情を知らないシェイリーンやレスター、ティルスもただならぬ雰囲気に押されて何も言えなかった。
 やがて、ヴァレスが咳払いをするまで、誰も我に返れなかった。
「……どうやら状況はお察し頂けたようですね。ご覧の通り、後にも引けず、前にも進めない状況です。
 それと、フィロ=ソルト中将に、もう一つ、嫌なお知らせです」
「……」
 ラーシャは無言で、しかし、やや憮然として顔を上げる。
 これ以上の凶報、そしてヴァレスの無神経な言葉、その渋い表情はどちらに向けてのことか。
「『七征』に関してです。
 皆さんも既に知っていると思いますが、『七征』はエイロネイア皇帝ヴェニアの提唱した『エイロネイアの七つの柱』です。
 だが、実際には少しだけずれています」
「ずれている?」
 カノンの問い返しに、ヴァレスは頷く。
「提唱こそ、ヴェニア帝のものですが、実際に『七征』というのはエイロネイア皇太子の直属部隊です。指揮も指示も、ヴェニア帝ではなく、彼の手中です。
 要するに、『七征』というのは自分の周りを固めるため、人材集めのための単なる箱なのでしょう。
 現在、確認されている七征は、四人。皇太子と、その側近と思われる男―――大陸に出現した男と、ノーストリア高原で指揮を執った男です。
 そして、ジルラニア平原で指揮を執っていた男と女。金の髪の軍服の男と、もう一人、女が目撃されています。内部の情報からも、おそらくは、『七征』だと思われます」
 カノンははっ、としてラーシャと顔を見合わせる。ノール港で襲撃を仕掛けてきた人影。
 あれも、金の髪の、軍服の人影じゃなかったっけ……?
 ラーシャは額に汗を掻いて、固唾を飲み込むとこくり、と頷いた。ヴァレスを見返して、口を開く。
「……プラス、二人、だ。大陸に来た、皇太子と二人の男。一人は……ルナ殿のご級友、そしてもう一人は少年だ。
 もう一人、少女がいたが名乗らなかった。彼女も『七征』なのかは、確認が取れていない。
 皇太子は、目の前にしていてあの少女だけは『七征』と名指さなかった。と、なると違うのかもしれない。油断ならない相手ではあったが」
「そう、ですか……。ならば、これで確認されたのは六人。
 ―――いえ、ノーストリア高原に出現した男が、少々、気になる言葉を残しまして、ね。
 そのまま伝えます」
 ラーシャは眉を潜めて身を乗り出した。ティルスとレスターは不快感を顔に浮かべる。
 ヴァレスは飄々とした表情を崩さないまま、さらりと、それを口にした。
 宣告のように、それは耳を打つ。





「『七つの要はもうじき揃う。七つの要の、最後の一人が現れる。七つの要は、もうすぐ完成される。
 そうなれば、我の描くシナリオも、容易なものとなるだろう―――』と」



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★ プロフィール
HN:
梧香月
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性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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