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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE5
嫌いな煙草を吸うルナちんが切ないです。
 
 
 

 ノックの音が響いたのはカノンが淹れて貰った温めのお茶を一杯飲み干したときだった。
 カノンが答えるより先に、レンがあくまで端的に誰何の声をかける。くぐもった『私です』という声が返って来た。少々掠れた、年の功を感じさせる男性の声。
 カノンには聞き覚えがなかったが、レンには心当たりがあったらしい。ゆったり立ち上がるとドアを開けに行く。
 開いたドアの先に立っていたのは一人の初老の男性だった。纏った白衣から素性が知れる。
 白いものが混じり始めた黒い髪と、穏やかに細められた青い瞳は、こなれた内の人格を映しているようで好感を抱く。
「どうも、体のお具合はいかがですか?」
「えっと……大分、いいです」
 朝方から顔を合わせた記憶があるのが看護士のステイシアだけだったので、少々戸惑いながらもそう頷いた。
 彼はそれを汲み取ったのか、席を空けるレンに対して軽く頭を下げると部屋の敷居を跨ぐ。
 その後ろから、救急用の箱と機器とタオルが乗ったワゴンを押して入って来たのはステイシアだった。
 彼は空いた椅子へ腰掛けると、『身体を起こせますか?』と問いて来た。
 左腕を軸にして何とか身体に力を入れる。わずかに浮いた背中にレンが手を差し入れてくれた。支えてもらいながらもベッドの上に腰掛ける形まで身体を持ち上げる。
「何とか……」
「結構です。どこか特別に痛む箇所はありますか?」
「いえ、特には」
「ふむ、少々失礼しますね」
 言って彼はカノンの右腕を持ち上げた。ちり、とした細やかな痛みが一瞬走る。だがそれだけだ。左腕ほど自由には動かないが、気をつければ剣を握る程度は出来る。振り回せるかは自信がないが。
 ―――そういえば、肩ごと砕かれたんだっけ……
 右の腕の損傷状況を思い出す。自然と顔を顰めてしまった。
「痛みますか?」
「えっと、ほんの少し。大した痛みじゃないですけど」
「無理は禁物です。誇れるほど大きくはないですが、一応、ここも診療所ですからね。正直に言って下さいね」
 言って男はふわり、と笑った。
 信用に足る、と感じさせる笑い方。あくまで柔らかで、安心感を与える微笑だ。
 それから問診が始まった。痛む箇所から、どこが動かせてどこが動かせないか、健康状態はどうか、微熱が続いていると答えると彼はおそらくカルテだろう、何かの書類に走り書きでペンを走らせていた。
 最後に感染症、もしくは誘発的に病にかかっていないか、舌と口腔をチェックして終わり。
 動かせない体の部位に、彼は手を翳すとぼそぼそと小声で呪を口に乗せる。虹色をした粒子が淡い光を放ち、カノンの身体に降り注いだ。治癒術だ。心持ち、体が軽くなったような気がした。
「……女性ですから心配していましたが……。
 基礎体力はあるようで安心しました。これから普通に治療が続けられます」
 ふと、治癒術の大部分は人間の自己回復能力を促すことによって、人体を回復させる。それのことだろう。
 例外は朝方、ステイシアが言っていたリザレクションだが、これは結構な高等魔道で術者に相当な負担をかけて他人を治癒する。
 大怪我を負ったときにはリザレクションでなくては間に合わない。前者では治癒を受ける側の体力が著しく削られるからだ。
 ぱたん、と彼は厚いカルテを閉じた。にこり、と微笑むと横になって構いませんよ、と言った。
「申し遅れました。私はフェルス=ラントと申します。診療所の皆さんからはフェルスと呼ばれております」
「あ、どうも……えっと、カノン=ティルザードです。治療してくださってありがとうございました」
「いえいえ、それが医者としての努めですから。彼が血だらけの貴方を抱えて運び込んで来たときはさすがにびっくりしましたが」
 苦笑してフェルスはちらり、とレンの方を見た。彼は小さく息を吐いただけで表情を変えない。だが、フェルスは特に気分を害した風もなく、カルテを持って立ち上がる。
「お急ぎの旅でなければゆっくり養生なさるのをお薦めします。生死を彷徨う……とまでは行きませんでしたが、衰弱なさっていたのは確かです。無理はなさらない方がいい」
「あの、元のように動けるようになるまでどれくらいかかります?」
 この分ではまた何時狙われるか解ったものではない。今のカノンにとって重要なのは、何時、元のように戦えるようになるのか、ということだった。
 ろくに手足も動かせなければ自分の身を守ることさえ出来やしない。
 その問いに人の良い顔をした医師は困ったように苦笑した。自分が言った通りにゆっくりと休む気はない、と言葉の端に感じ取ったらしい。
 戸惑うように宙を見上げた後、曖昧に笑って、
「一週間、と申し上げたいところですがそれでは納得はしてもらえそうにありませんね。
 貴方の体力とリハビリの頑張り次第では、それより早く回復出来るでしょうが……。
 貴方も年頃のお嬢さんですから、それははっきり言ってお薦め出来ません。若いうちから身体に負担をかけるのは良くないですよ。傷が残るというのも嫌でしょう? 丁寧な治療をお薦めします」
「フェルスさん。仰る意味は良く解ります。でも、今は時間が惜しいんです」
「カノン」
 医師が抗議を上げるより先に、彼女の名前を呼んだのはレンだった。浮かんだ表情は、多少の苛立ちを含んでいた。カノンは肩を竦めるが、当たり前のようにその表情が晴れることはない。
 だが譲れることと譲れないことがある。
 カノンは自分の荷に目を止めた。中に入っている財産を、へそくりを含めて計算、算出する。
「……リザレクション治療を後二回。どうにかお願いできませんか?」
 無理なことを言っているのはわかっていた。あれは術者に相当な負担がかかる。
 だからたとえ医師としての立場にあっても、フェルスが憂鬱な溜め息を吐いたところで誰も責められはしない。
 初老の医師は頬に手を当てて悩み、空を見据えて逡巡し、やがてこちらに向き直ると一本指を立てた。
「……一回です。それ以上はご用立て出来ません。
 知っての通り、この診療所は小さくともこの町唯一の医療機関です。わかりますね? 患者さんは貴方だけではないのですよ」
「……すいません。よろしくお願いします」
 諭すように言ったフェルスに深く頭を下げる。彼は仕方ない、とでも言うように軽く首を振った。
 しかし、次にカノンが面を上げたときには元の信頼に足る笑顔を浮かべ、
「患者さんのご要望にお答えするのが医師の仕事です。お気になさらないでください。
 では、私は他にも問診がありますので失礼します。
 ステイシア」
「あ、はい!」
 ワゴンを整理していたステイシアがぴし、と背を伸ばす。
「カノンさんの包帯を取り替えてあげてください。レンさん、貴方は一度退室をお願いします」
「……解りました」
「昨日からまともに寝ていらっしゃらないでしょう。カノンさんにはステイシアを付けさせますから、少しお休みになった方がいい。
 狭い場所ですが、仮眠室くらいはあります。毛布もお貸ししますよ」
「レン、休んで来なさいよ。あたしは大丈夫だし」
「……そうだな。そうさせてもらう」
 多少、渋るかと思ったが案外彼は素直に頷いた。さすがに眠気が限界を超えたのか、いざというとき身体が動かないことを懸念したのか。
 カノンの頭を二回、軽く叩いて医師と共にドアへと向かう。
「どうぞ、ご案内しますよ。寛いで来てください」
「……礼を言います」
 そんな形式的な会話を交わして、彼らは部屋を出て行く。残されたステイシアはいそいそと、真新しい包帯を救急箱から取り出し始めた。
 くるくると巻き取られていく包帯を見ていると、あの黒衣の少年を思い出す。
 全身に包帯を纏ったあの姿。何故、あんな姿を? 理由は解らないが、少しだけ痛々しく、哀れに感じた。
「どうかしましたか? カノンさん」
「いや、別に……」
 視線を感じたのか、ステイシアがきょとん、と首を傾げる。ふるふると首を振って誤魔化すと、彼女は包帯を片手にベッドに寄って来た。
「カノンさん、今朝はありがとうございました」
 言われて首を傾げる。
 ……礼を言われるようなことをした覚えはないのだけど。
「アルティオさんと二人に馴れるようにしてくださったでしょう?」
 ―――ああ、そういえば。
 けれど、あれはどちらかというとステイシアの耳に入らないようルナと情報交換をしたかっただけなのだが。
 まあ、それを言うわけにもいくまい。
「ああ、いいのよそんなこと。何か疚しいことされなかった? 平気?」
「平気ですよぅ。紳士的にリードしてくださいましたよ」
 語尾にハートマークでもついていそうな勢いで、本当に嬉しそうに言う。あれでも自称紳士だ。そうそう馬鹿なことはしないか。
 今朝方の短いデートを思い出したのか、やや舞い上がっているステイシアに苦笑する。
「けどねぇ、あれで頭イカレてるところあるから。警戒は怠らないようにね。
 油断するとどこぞに拉致されそうになるから」
「そんなことありませんよ。とってもいい人です」
 にっこりと笑うステイシアに、カノンはやや複雑だ。頷いてしまっていいものかどうか。
 ……まあ、アルティオだって下心で彼女に付き合うことにしたのではない(と思いたい)のだろうから、信じてやるとしよう。
 昨日の夜も思った通り、あれはあれでそう駄目な人間というわけでもない。
「まあ、あたしたちの中では一番頑丈な身体してるから。スープレックスでも、STFでも自由にかましてやって」
「しませんよ~……、カノンさんの意地悪」
 ぷぅ、と剥れる姿は確かに可愛い。看護士なんて少々特殊な職業に付いているからには、大人びたところがあるのかと思っていたが、彼女はそうでもない。
 極普通の、年頃の少女だった。
「カノンさん、聞いてもいいですか?」
「何?」
「その、カノンさんて……」
 えっと、とやや尻込みしながらおずおずと声を発する。
 カノンはそちらの方面に鋭いとはけして言えなかったが、恋する乙女が何を問いたいかくらいは理解している。
「別にアルティオのことは何とも思っちゃいないわよ」
「そうなんですか?」
「まあねぇ……悪い奴じゃないとは解ってるんだけどね。そんな気にはならない、っていうか。
 剣の腕は悪くないし、どちらかと言えばフェミニストだし、もうちょっと周りを見てくれれば。幼馴染としてはいて損はないんだけど」
 新たにステイシアが継いでくれたお茶を受け取りながら言う。
 普段、短所ばかりが目に付くだけで、アルティオはそうそう悪い人間ではない。少なくとも、どこかの誰かよりずっと真っ直ぐな性格をしている。
 ……その真っ直ぐさがイノシシ並みに暴走してくれることを除けば、だが。
「じゃあ、カノンさんてやっぱりレンさんのことが好きなんですか?」

 ぶッ!!!

 ……人がものを飲んでいるときにそういうことを言わないで欲しかった。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
 ―――大丈夫じゃないわよッ!
 お茶が呼吸器官に入っていなければ、大声で怒鳴ってやりたかった。咳き込むカノンの背を慌てて摩るステイシア。
 咳き込みすぎて喉と身体が痛い。
 やがて深呼吸で復活したカノンがまずしたことは、小鳥のように首を傾げるステイシアを睨みつけることだった。
「あのね、どこをどうすればそんな結論に……」
「だって……」
 ステイシアは言葉を濁らせてカノンの胸元を差す。そこには言うまでもなく、先程修復されたばかりのネックレスがゆらゆらと揺れている。
「いやッ、これは別に、さっき直してもらったばっかりで……
 ただ今年の誕生日に貰ったから、そのやっぱり付けないわけにいかなくって……ッ」
「そうですかぁ……なるほどねぇ……」
 ルナとそっくりなにたにた笑いでこちらを見上げて来る。居心地が悪いったらない。
 ステイシアはふと、何かを思いついたらしい不自然な笑顔で、
「カノンさん、今年お幾つですか?」
「じ、十九だけど……」
 正直に答えると、彼女ははぁ、と溜め息を吐いて、「いーなー」だとか「羨ましいなぁ」とか、よく解らない科白を並べ始める。
 何だと言うんだ、ルナといい彼女といい。
 段々、腹が立って来た。面白くない。ただの誕生日プレゼントを身につけているのが何だと言うのだろう。
 剥れているとそれに気づいたらしいステイシアが慌てて手を振った。
「あはは、そうだ。包帯替えなくちゃですよね」
 上手く話を逸らした。
 彼女は馴れた手つきでカノンの着衣を緩め、腕や肩に巻かれた包帯を外し始める。するすると、解かれていく包帯。
 カノンは少しだけ感嘆する。包帯を取って巻く、それだけの作業だがこれが素人にはなかなかうまく行かなかったりするのだ。彼女は看護士なのだから、これくらいは当たり前なのかもしれないが。
「……慣れてるのね」
「まあ……ここにご厄介になるようになって一年、経ちますから。といってもこれくらいしか出来ないんですけどね、私って」
「ご厄介って、あんたこの診療所に住んでるの? 家は?」
「……」
 ……聞いてはならないことだったらしい。ステイシアはくす、と苦笑したきり、黙った。
 その空気が読めないカノンではなかった。罰が悪そうに肩を竦め、彼女の言葉を待つ。話題を逸らすなら、それに乗ってあげよう。
 しかし、彼女はやや自嘲気味に笑うと、
「カノンさん、あの」
「ん?」
「カノンさんはそれくらい旅を続けているんですか?」
「んと……そうね、五、六年はしてるかな」
「じゃあ、あの、その間に、」

「記憶喪失の人、なんて人にあったことありませんか?」

 ―――え?
 耳慣れない言葉を聞いた気がする。顔を上げるとステイシアが真剣な眼差しをこちらに向けていた。冗談や酔狂で言った科白ではない、ということだ。
 カノンは逡巡する。どう答えるのが正解なのか。否、正解など、ただの一人も持ち得ない。
「……残念だけど、ね。これでも人の三倍近い濃い半生送って来た自信はあるけど……。
 ないわ。前に貴方に会ったことも、ない」
「そう、ですか……」
 残念そうな、しかし予測していた通りの返答だったのか、すんなりと彼女は頷いた。
「……ステイシアさん。貴方、まさか……」
「えへへ、お恥ずかしながら。ごめんなさい、患者さんに言うようなことじゃなかったですよね。
 でも、カノンさんたち、色んなところを旅されているようでしたし、もしかしたら、って思って」
 華やかに、少しだけ寂しそうに笑う。
「一年前、町で行き倒れていたところをフェルス所長が見つけて保護してくださった……そうです。気がついたのはこの診療所だったので、詳しくはわからないんですけど……。
 それから所長にずっとお世話になってます」
「……じゃあ、貴方」
「ええ、覚えてないんです。一年以上前のことは。何にも」
 ステイシアはいっそ楽しげに笑って見せた。「笑っちゃいますよね」、なんてちっとも笑えないことを言いながら。
「何か、手がかりみたいなものはなかったの?」
「うーん、手がかりというか……」
 首を傾げて彼女は右手の甲を持ち上げて見せてきた。薬指に、赤い石が光る。
 古めかしいデザインの金の指輪だった。いや、デザインこそアンティーク調だが、それなりに目の肥えたカノンには素材自体はそうそう古い時代のものには見えなかった。
 何にしろ、年頃の、今時の少女が付けるにはやや似つかわしくない代物だ。
「発見されたとき、付けていたらしいんです。もっとも、あったのはこれとステイシア、って名前だけなんですけど」
「そう、なの……。でも、結構特殊なデザインの指輪に見えるけど」
「ですよね。そう思って道具屋のご主人にもお聞きしたんですけど、こんな指輪は見たことないって。
 手詰まりな状態です」
「……」
 苦笑して語る彼女に、カノンは顔を顰めた。それを見て取ったステイシアは慌てて両手をぱたぱたと振る。
「あ、でもでも、そんな悲観してないんですよ?
 フェルス所長は優しいし、ここでの仕事も見つかったし……それに見るものみんな、新しく感じますし! 得したな、って思うこともあるくらいでッ!
 少なくても不自由してる、ってわけじゃないです。でも、」
 ふと、言葉が切れた。
 右手甲に視線を落とし、填めた指輪の輪郭を細く、白い指がなぞる。
「もしかしたら……
 前にも、大切な人たちが、いたのかもしれないって思って……
 だとしたら、思い出さなくちゃいけないのかなぁ……って、それだけです」
「ステイシアさん……」
「……あはは、湿っぽい話しちゃいましたね! 忘れてください。
 さて、早く包帯取り替えちゃいましょう!」
 俯いて呟いたのは一瞬で、面を上げた彼女はもういつもの通り、華やかな笑顔だった。
 いそいそと立ち上がって、カノンの身体の包帯を巻き取り、取り替えていく。
 大人しくそれに身体を預けながら、カノンは天井を見上げる。
 ―――記憶喪失、か……そんな人もいるのよね。
 今まで色々な人間を見て来た。様々な事情を抱える人間を見て来たから、今さらそんなことで驚きはしないけれど。
 ときどき思うことがある。自分だったら。
 そのような渦中に、自分が置かれたらどうなのだろうと考えるときがある。
 狩人だった頃は、しなければならないことは一つだった。どんな状況だろうとも、どんな相手だろうとも、死術を狩り、滅する。すべきことはそれ一つだった。だから迷うことはなかった。
 しかし、もしも今、自分が彼ら特殊な事情を抱える者たちと同じ立場になったのなら、どうなのだろう。
 例えば、
 ―――もし、今あたしが記憶喪失になったら……
 今まで生きて来た半生が頭を過ぎる。在りすぎるほど、山々が連なる自らの半生。苦い想いは幾らでもあった、やるせないときも数多あった。それでもそれはカノンの人生なのだ。
 今さらそれがなくなるなんて考えが及ばない。
 でも、いっそ記憶がなくなったら、ゼロの人間なら、それはそれで楽なのだろうか。
 それとも、
 ―――それでも、思い出そうとするのかな……
「はい、これで終了です」
 ぱん、とステイシアが手を叩く。
 気が付くと、身体はすべて真新しい包帯に覆われていた。
「ありがとう、ステイシアさん」
「もうステイシア、でいいですよぅ。カノンさん、私より年上なんですし。
 じゃあ、私は先生のお手伝いがありますから失礼しますね」
 帰り際にもう一度、お茶を注いで、ステイシアはワゴンごと踵を返す。そのままがらがらと部屋を出ようとしたが、何を想ったかひたり、と足を止めた。
 天井を見上げ、顎に指を押し当てて考える素振りをする。何事か、カノンが声をかけようとしたちょうどそのとき、彼女はくるり、と反転してこちらを見た。
「カノンさん、ご存知でした?」
「何を?」
 きょとん、とするカノンに、彼女はあのルナそっくりの意地悪な目をして、とんでもない置き土産を残していった。
「十九歳の誕生日に銀のリングを貰うと幸せになれる、っていう迷信があるんですよ。
 それなりに有名なはずなんですけど、ご存知ないみたいでしたから」
「…………」
 何を揶揄されているのか、理解するのにたっぷり十数秒を費やした。時間をかけてその言葉を噛み砕いたカノンが、音すら立てそうな勢いで赤面するのを見て取ると、ステイシアは満足そうにドアを閉めた。
 その数瞬後に部屋の中からよく解らない呻き声と、がたがたんッ! という落下音が響いたのは言うまでもない。


「で、何で私があんたの酒盛りに付き合わなくちゃいけないのよ?」
「まあ、いいじゃない。たまには女同士の語りにも付き合いなさいよ」
 あからさまに不機嫌な目と口調で睨んでくるシリアにぱたぱたと手を振りながら、ルナはグラスの中の果実酒を飲み干した。
 照明も疎かな酒場。普段、五人でいるときはこんな場所には立ち寄らない。カノンと二人で話をするときは、大抵どこかのカフェかもしくは宿屋か。
 大体、こんないかにも柄の悪そうな連中がたむろしそうなところに彼女を連れ出そうものなら、相棒と称するあの保護者に何を言われるか解ったものじゃない。
 シリアは灰に塗れたカウンターの木目を蹴りつけながら、透明な、ルナよりも度の強いアルコールを喉へと流し込む。
「荒れてるわね」
「誰のせいだと思っているのかしら?」
 なおも睨みつけるシリアに、ルナはふ、と笑みを浮かべる。何時になく、憂いを含んだ大人びた笑みだ。
 それに毒気を抜かれたらしいシリアは、憮然としながらもグラスを置いて腕を組む。
「それで、急にこの私を呼び出すなんてどんな風の吹き回しかしら?」
 彼女としては一刻も早く診療所へ帰りたいのだろう。先程、病室の前から拉致してきたばかりだ、無理もない。
 苦笑を漏らしながら言う。
「まあ、大した話じゃないのよ。いつも通り、ちょっと情報収集を頼もうかなー、なんて」
「高く付くわよ」
「……このままレンがカノンに付きっきりになるよりは、例の件をさっさと片した方がいいんじゃないの?」
「ふっ、それで私は何の情報を集めればいいのかしら?」
 ―――扱いやすい奴。
 胸中だけで呟く。にぃ、と笑みを浮かべたルナはそのまま小声でシリアへ耳打ちする。
「……そんなもの調べてどうするのよ」
「まあ、何となく。いいじゃない、どうせカノンが回復するまでは動けないんだし。敵の牙城は小さなところから切り崩すのが基本よ」
「それはそうだけど……」
 渋い顔でルナの顔を伺うシリア。どうにも読めない顔色の幼馴染は素知らぬ振りで新しいグラスを頼んでいた。
 彼女は行き当たりばったりの行動派に見えて、その実、無益なことはしない主義だ。
 それにこれは特にマイナスになるわけでもないだろう。
「……まあ、いいわ。暇なときにでも請け負ってあげようじゃない」
「さんきゅ」
「ふん、その代わり、一生恩に切ることね」
「やなこった」
 べ、と愛嬌混じりに舌を出す。ムカッ、とは来るがゆるゆると身体を伸ばすだけのこの娘にはどうにも怒鳴りがいがない。
「にしてもシリア。あんた、本当に執念深いわね。まさかまだレンの追っかけしてるもんだとは思わなかったわ」
「一途、と言ってくれないかしら? それに私が悪いんじゃないわ、レン以上の男をまだ見たことがないだけの話よ」
「そーかなー……」
 格好はつけているが、ひとえにその偏った眼前フィルターのせいではないかと思うのだが。
「私はいいのよ。既にめくるめく将来を約束されて、後はもう一押しするだけなんだから」
「……そぉ?」
「そうよ。それより貴方よ、男の一人も連れてないなんてその年齢では恥なのではなくて?」
 シリアに取ってみれば、『余計なお世話よ!』……くらいの苛烈な反応が返ってくるのを承知でかけた問いだった。少なくともシリアは彼女が誰かとああだこうだ、なんて話は聞いたことがない。
 だからムキになることを前提でかけた科白だったのだが。
「男、ねぇ……」
 予想と反して彼女は目線を逸らせてふ、と笑っただけだった。
 先程と同じ、どこか含んだような、憂いを帯びた微笑。シリアは眉根を寄せてその笑みを凝視する。
「……変わったわね」
「カノンのこと?」
「あの子もだけど。それよりも、貴方が、よ」
「そ?」
「昔はそんな笑い方はしなかったわ。それに煙草も吸わなかった」
「……」
 ルナは小さく舌を打った。なるほど、常に香水をつけて匂いに敏感なシリアらしい。
 バレている以上、隠す必要もあるまい。彼女は右手を翻すと、懐から小さなケースを取り出した。一本抜くと加えて、ちっ、と指先を擦り、小規模の発火魔法を唱える。
 燻ぶり始めた切っ先を認め、ふぅ、と引き抜き、息を吐く。
 白煙が上がり、キナ臭い匂いが鼻をついた。
 ――― ……飲むなら飲むでもう少し美味しそうに吸えないのかしら?
 郷里の剣術の師匠から、剣士は身体が資本だと教え込まれているカノンやレン、アルティオ、それにシリアにこの匂いはご法度だ。しかし、魔道師であるルナにそれは当てはまらない。
 だから馬鹿吸いしなければ咎める気はないのだが、どうせ吸うのなら美味そうに吸えばいいのに、彼女の浮かべた表情はひどく苦く、不味そうなものだった。
 ふとケースが目に止まって掻っ攫う。ルナは特に咎めなかった。
「アイゼン、か」
「珍しくもないでしょ」
「確かにね。女性が愛飲してる話はあんまり聞かないけど」
「……何で詳しいのよ」
「これでも情報収集には自信があるのよ? 煙草の銘柄くらい知らなくてどうするのよ」
 ルナは不快そうに肩を竦める。煙を吐き出す仕草は、やはり不味そうだった。
 灰皿を引き寄せ、新しく運ばれて来たグラスに口をつける。荒れている、と人に言った割に人のことなど言えないじゃないか。
「……ねぇ、ルナ」
「ん?」
「……何があったの?」
 ぴくり、と彼女のグラスを傾ける手が止まる。
「別に興味も湧かなかったから今まで聞かなかったけどね。
 カノンはまあ、思春期の遅い子がゆっくりと変化してる、年頃の女の子くらいにしか思わないけれど。
 それにしたって貴方の変化は著しいわよ」
「……かもしれないわね」
「あんたの境遇っていうか、何ていうか。少しは知ってるつもりだけど。
 ……それだけじゃないでしょ?」
「……」
 グラスを下ろした手で、再び煙草を吹かす。燻らせながら、彼女は何か迷っているようだった。
 ただ、この場での返答に悩んでいるのか、それとも。
「…………あんたと同じよ」
 今度はシリアがぴくり、と反応を示す。からん、と彼女の手にしたグラスのロックが澄んだ音を立てた。
 煙草を弄ぶ手が、重い。
 それきり何も語らない。
 それを汲み取れないほどシリアは愚鈍ではない。少なくとも、この分野だけは他の誰よりも得意と自称している。一気に残りの酒を飲み切り、カウンターへ叩きつけるように次のグラスを頼む。
 度の強い、辛い酒を、二杯。
 訝しげに小首を傾げるルナへ、運ばれて来たジョッキを押し付ける。
「……?」
「飲みたいんでしょ。飲めばいいじゃない。仕方ないから付き合ってあげてもいいわよ」
 ふん、と鼻を鳴らして自らのジョッキを掲げるシリア。相変わらずの高圧的な態度に、ルナは苦笑する。
 くしゃり、と短くなった煙草を消すと突き出されたジョッキを持ち上げた。
 酌み交わしたジョッキとジョッキが、鈍くカンッ、と音を立てた。


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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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