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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE11-02
巡る戦場の駆け引き。
 
 
 

 万事休す。
 そんな単語が頭を掠めた。だが、すぐに振り払う。
「シリア、大丈夫か?」
「大丈夫に決まっているじゃない。私を誰だと思っているのかしら?」
 アルティオは、実はうちのメンバー内で一番強がりなのは彼女なのではないかと思い始めていた。額に玉のように汗を掻き、唇を噛んでいる姿では、まるで言葉に説得力がない。
 彼女は二、三度深呼吸して、改めて窓の外を見た。
 翻る八咫鴉。それを意味するものは一つしかない。エイロネイア軍だ。
「……どれくらいの規模か分かる?」
「……」
 兵士が押し黙った。分からない、というよりはそれを口にするのが憚られる、といった表情だ。
 シリアがもう一押しすると、一人の兵士が口を開いた。
「それが……砦が、エイロネイア側から包囲されているようで……」
「何ですって!?」
 シリアは思わず甲高い声を荒げた。アルティオが舌を打つ。
 シリアがぶんぶんと首を振る。高めに結ったポニーテールが揺れた。
 気持ちは分かる。この砦はけして戦地のただ中にあったわけではない。だからこそ、シェイリーンはこの地に逃れて来ていたのだ。
 かといってそう遠いわけでもなかったが、それにしたって砦一つを囲めるほどの兵を差し向けてくるなんて考えられなかった。
 策だの何だのに疎いアルティオだって分かる。
 砦から馬で三日駆けた場所――ジルラニア平原では、次なる大戦が勃発しようとしている。そんなときに、こんな砦に兵を差し向けて来るなんてありえない。
 いや、もしやもう魔道研究のことが明るみに出たのだろうか。それで、元を断つために大軍を……?
 いやいや、それでこんなに兵を割くなんて、そんな馬鹿なこと。それとも、また何かの策なのか。
 シリアは深呼吸を繰り返す。深呼吸は彼女が落ち着きを取り戻すためにやる癖のようなものだ。
 アルティオは腹に力を入れる。雰囲気と、窓からの情景に潰されてしまわないように、わざと口元に笑みを浮かべた。ぽん、と彼女の背中を叩く。
「まあ、慌てなさんなって。こんなときのために準備はしてきたじゃねぇか」
「……そうね」
 それでも神妙な顔を崩さずに、シリアは爪を噛む。
 そう、準備。カノンたちの捜索の合間にこちらを手伝ってくれていた、本職の軍人であるティルスが、ジルラニアの大戦に出向かなければいけなくなってから、シリアはずっと考えていたのだ。
 内部にエイロネイアの諜報員がいるのなら、いつかはここが割られる。
 いつまでも、この砦を研究の中枢に据えて置くわけにはいかない。だから、準備をして置いた。勿論、戦う準備じゃない。逃げる準備だ。
 こんな場所で、本職の軍人もいない状況で真っ向から戦うなんて、無謀もいいところなのだから。
 シリアはもう一度だけ深呼吸をする。切れ長の目で、アルティオの顔を見上げて来る。足が竦んでくるのを堪えて頷いた。
「……地下の魔道師たちに伝えて。予定通り行くわよ」


「エリシア様。やっぱり私、解せないんですけど……」
「何が?」
 ぼそり、と呟いたリーゼリアにエリシアは鼻歌混じりに聞き返す。まだここからは見えないが、もう少し丘を下れば、敵の居城であるちっぽけな砦が見えてくるはずだ。
 馬上で不服そうな顔をしたリーゼリアが、憮然としたまま言葉を続ける。
「何で、この大戦が起こってる、ってときに七征が二人もあんな小規模な砦に回されるんです?」
 ――どっちかっていうと、貴方は殿下と別行動っていうのが気に喰わないように見えるけどねぇ。
 青い少女相手に喧嘩を売っても仕方がない。同じ青い人間でも、あの白子の専属魔道師だけは、どうにも気に入らないけれど。
 エリシアはくすり、と笑いを漏らしてから手綱を握り直す。
「そうねぇ……今の状況では、逆に大部隊ってのは邪魔だからかな」
「邪魔、ですか?」
 自分が邪魔者扱いされたように聞こえたのか、リーゼリアの表情がさらに険しくなる。
「まあ、そんな顔をするものじゃないわ。殿下は勿論、本戦から離れられないし、アリッシュは殿下の片腕同然だしねぇ。
 あの小生意気な魔道技師は自分に利益のあること以外には腰を上げないし、 大陸から帰ってからただでさえ不安定だった精神面がさらに脆くなってるようだし?
 かといって、お子様にいくら規模が小さくても戦一つ任せるわけにいかないじゃない?
 ましてや――・・・あの人にやらせるわけにもいかない。
 殿下にとってみれば至極、当然な采配だと思うけど?」
「それは……そうですけど」
 リーゼリアは小さな溜め息を一つ、吐いた。
「それに向こうはエイロネイアに対抗して、魔道研究なんてものに着手して、切り札を手に入れようとしてるんでしょ。
 知ってる? 切り札、っていうのは同時にアキレス腱なの。
 切り札を落せば相手の戦意を削げる。切り札になり切っていない時期を叩けば、叩きやすい。今の頃合が一番ダメージになる、ってわけ」
「まあ……そうですね」
 至極、ポジティブな解説をしてやったのに、彼女はまだ浮かない顔で手綱を引く。エリシアは可愛いものだ、と思う。そしてエゴの強い女だとも。くくく、と漏れた笑みは微笑みか、嘲りか。
「そんなに悲観しなさんな。ここを落したらご褒美に殿下からいろいろ貰えばいいじゃない。夜の時間とか」
「馬鹿なこと言わないでください」
 ぷい、とリーゼリアは顔を逸らす。その鼻の頭が赤い。エリシアはまた小さく笑って手綱を引いた。そして、ふとその音に気づく。
 進軍する兵軍の正面から、鎧を着た兵士が馬で駆けてくる。遠目だったが、エリシアはその兵が先行させていた兵の一人であることに気がついた。
 馬を止める。
「……どうしたんでしょうね」
「さぁ?」
 出迎えなど不要のはずだった。そもそも、エリシアとリーゼリアが現地に着くより先に制圧させようか、とも考えていたのだ。
 いくら魔道師たちの拠点といっても、所詮は筋力もない輩だ。魔力が尽きれば、それで終わる、はずだった。
 だが、馬を駆けてきた兵士の蒼白な顔色にただならぬものを感じて、エリシアは眉間に皺を寄せる。
「ご、ご報告します……」
「何があったの?」
 兵士は焦りで舌が回っていなかった。ままならない言葉に、多少の苛立ちを感じながらも、エリシアは問いかける。
「と、砦が」
「砦が?」
「砦が、我々の前で、突然……」
 兵士は一度固唾を飲み込む。そして一気に言った。
「砦が……突然消えました……!」


「これは……何ていうか、すげぇな……」
 淡い光に全身を照らされながら、アルティオが呻くように言う。
 砦の一階の広間。およそ五十人は収納できるだろう、石部屋の中に巨大な方陣が描かれていた。その方陣が、薄緑色に輝いて、アルティオやその他の兵士の顔を淡く照らしているのだった。
「付け焼刃だったけど……上手くいったかしら?」
 窓からちらちらと外を確認しながら、シリアが漏らす。丘陵に陣取っているエイロネイア軍は動きを見せない。
 ふぅ、とシリアは溜め息を吐いて肩に力を入れる。
「すげぇな……本当に外からこの砦、見えてねぇのか?」
「ええ。そのはずよ」
 アルティオの問いに、汗を拭いながら答える。
「幻術、ってやつなのか? こんな大掛かりなの初めて見たぜ」
「そうね。性格には幻霊術の一種。床の紋はそのための結界。
 幻覚を見せる術、っていうのは個人にかけるだけなら呪文だけで十分だけど……。その対象の頭にちょっとした錯覚を起こしてやればいいだけだからね。
 でも、集団を騙すには少し骨が折れるのよ。結界を張って、その結界を利用して三百六十度から幻覚を見せなくちゃいけない。
 今は十人でその結界を維持してるのよ」
 彼女は方陣の回りに立つ、先ほどまで地下にいた魔道師たちを差した。
「――でも、いつまでも騙せるわけじゃないわ……。
 所詮は幻。砦は見えていなくても、現存はしているのだ。いつまでも騙されてくれるほど、エイロネイアも馬鹿ではないだろう。
 もしかしたら、この瞬間にも指揮官クラスの人間にはバレているかもしれない。何と言っても、相手はあの皇太子本人かその部下なのだ。
 方陣の周りの、十人の魔道師たち。その周りで構えているのは見張りをしていた五人の兵士。そしてシリアとアルティオ。
 今、砦の中にいるのはこれだけだ。
 いつか場所が割られ、襲撃されるのを恐れてから、シリアとティルスは砦の中の人材を減らしていった。
 一時期はそれこそ五十人の魔道師が滞在していた第三関所バラック・ソルディーア。シンシア軍の魔道師のうち半分以上がこの小さな砦の中に終結していた。魔道研究の巨大な拠点となっていた代わりに、その場所は間違いなくシンシア軍のアキレス腱だった。
 だから、シリアとティルスは、指示を出した後、各地に魔道師を散らしたのだ。いつ、拠点が落ちても作戦そのものは続行できるように。
 仮初の拠点であるここが、いつ落とされても良いように。
 いざというときに、全員が逃げ切れるよう、人数は極少にしておいた。
 ――でも、これほどの大軍なんて……
「くッ……」
 漏らしそうになった一声を、呻き声で消し飛ばす。
 シリアは軍人ではない。本当なら、こんな指揮は階級持ちの軍人の仕事だ。それが、ただの大陸からの客将であるシリアに任されるなど……山の向こうの大戦は、それほどまでに切羽詰っているのか。
 彼女は首を振る。
 守ると決めたのだ。レンや、カノン、それにルナが帰って来るための場所は、自分とアルティオのいる場所なのだから。
「ッ!」
 とんとん、と肩を突付かれて、一瞬びくりと震える。
 振り向くと、先ほどと同じ、愛嬌のある顔を張り付けた大男が背後に立っていた。あまりに不器用なウィンクを投げてくる。
「ふん、何のつもりかしら?」
「いやさ、何か柄にもなく緊張してるなー、って」
「乙女に言うセリフじゃなくってよ、アルティオ。慎みなさいな。それから私の柔肌に触れられるのはレンだけよ」
 ふん、と鼻を鳴らして肩に置かれた手をぺしり、と払う。
 叩かれた手を少し擦って、アルティオは曖昧に苦笑した。
「その方がらしいって」
「……」
 虚をつかれたように彼女は腕を組んだまま、切れ長の目を少しだけ見開いた。しかし、次の瞬間にはふん、ともう一度鼻を鳴らして、ヒールをかつかつ言わせながら広間の中央に立つ。
 彼女が息を吸い込むのを見て、アルティオも気を引き締めた。
「……じゃあ、手はず通り。アルティオ」
 呼びかけられて、アルティオは部屋の一角に駆けていく。石造りの壁に、細い亀裂が入っていた。

 しゃき……ッ!

 月陽剣を抜き放った金属音が静かに響く。そして、

 がらんッ!!

 彼が壁の低い位置に件を叩きつけた瞬間、石壁が崩れた。丸く、ちょうど人一人分が通れるほどの通路。
 広間に風が吹き込む。冷たく、暗い風が全員の肌をなぞって、鳥肌を立てさせた。
 シリアとアルティオは視線を合わせて頷く。
 戦術に使う砦には必ず存在する隠し通路だ。穴の開いた向こう側は冷たい土の壁が続く暗い道。誰かが覗き込んで、その深さに息を飲んだ。
 シリアが、最後の深呼吸を吐く。
「二人ずつ……兵士の方から、ね。灯りを忘れるんじゃないわよ。
魔道師は彼らが行ったら、一人ずつ抜けていくこと。
 ラーシャが言うには、通路は北の洞穴に繋がっていて、第一関所近くの森に出るらしいわ。一番手は第一関所に着いたら、北都のシェイリーンと前線のラーシャに連絡。全員の生存が確認できたらもう一回伝令。
いいわね?」
「あの……」
 兵士の一人が淡く光る方陣を眺めながら、伺うように小声で切り出す。
「いつまでエイロネイアを足止めできるのでしょうか?」
「わからないわ。でもまだ距離もあるし、砦は見えていない。突撃命令はまだ出ないでしょう。
 相手の偵察部隊が来て、見破って、帰って報告する。最低でもこの時間は稼げるはず。
その間に……」
「この方陣は……魔道師がいなくなったら消えてしまうんでしょう?
だとしたら、最初の魔道師一人が抜けた瞬間に、突撃されるのでは……」
「……」
 兵士たちがわずかにざわついて、顔を見合わせる。だが、シリアはいとも平然と方陣が放つ光の真ん中にいた。
「……その心配はないわ」
「え?」
 兵士が怪訝な表情を浮かべる。シリアはもう一度、アルティオと視線を合わせる。
 彼は珍しく神妙な面持ちで固唾を呑んだ。しかし、その一瞬後にはにやり、と笑う。シリアは一瞬目を閉じて、何かの決意を込めた視線を返した。
 広間の窓の向こうで、八咫鴉の紋が翻る。シリアはその鴉を今一度、睨み返した。


「ふーん……なるほどね」
 困惑した兵士たちの合間に立って、エリシアはそう漏らす。浮き足立っている一般兵を見下しながら、彼は笑みさえ浮かべていた。
 隣で渋い顔をしているリーゼリアは堪り兼ねて、彼の軍服を突付いた。
「エリシア様ぁ。何なんですか、あれ?」
「たまには自分で頭使いなさいな、お尻の青い小娘ちゃん」
「青くなんてないです! ……たぶん、ですけど。元々あった砦には魔道師が集まっていたんでしょう?」
「そうね。魔道研究の拠点、というくらいだもの。普通は魔道師を複数集めてるでしょうね。警備も厳重にしてるはず」
 リーゼリアは頬に手を当てる。僅かに唸って、改めて、風が吹くだけの空の草原と低い丘とを見下ろした。
「関所はついさっきまで兵士たちの目の前にあった。なのに、一瞬で消えた。
 まさか、関所そのものが空間転移したなんてこと……」
「ないわね。確かにシンシアが魔道研究に着手したとは言っても、まさか半月でそんな収穫があるわけはないでしょう」
「ですよねぇ。とすると……」
 はた、とリーゼリアが動きを止める。
「やっぱり幻覚、ですか?」
「そうね。一瞬、第三関所をぶっ壊して、今の今まで関所があるように見せかけていたのかとも思ったけど。
 でも、少なくとも半月前までは現存してた。来るか来ないか解らない襲撃のために、貴重な砦を壊すなんてナンセンスだし、壊したとしても、瓦礫なり土なりもっと痕が残っていていいはずでしょう」
「っていうことは……」
「そうね。その逆。
 中の魔道師勢で砦はないように見せている。もっとも、視覚はともかく触覚にまで影響するような術なんて人間にはちょっとやそっとでは出来っこないだろうし。
 送った偵察部隊が帰って来ればはっきりするでしょうよ」
「でも、エリシア様」
 納得しきれない表情で、リーゼリアが眉を潜める。
「連中、そんなことしてどうしようって言うんですか? いつまでも通用するはずないし、無駄に戦力になる魔道師の魔力をがりがりに削るだけじゃないですか」
「そうねぇ……」
 エリシアは笑みを絶やさない。考えに煮詰まったリーゼリアは、そのまま沈黙してエリシアの次の言葉を待った。
 しかし、待てども次の言葉は返って来ない。痺れを切らしたリーゼリアは唇を尖らせて、
「エリシア様、何か考え付いたんですか?」
「いいえぇ、別に」
 何か含みのある表情で、エリシアはころころ笑う。何か気に喰わなくて、リーゼリアは少しだけ頬を膨らませた。
 丘の方に目をやって、ふと気づく。先ほど送り出した偵察隊が、慌しい雰囲気で馬を駆けてくるのが見えた。


 どぉんッ!!

『!?』
 唐突に砦を襲った横揺れに、広間の中は騒然となった。肩を震わせる魔道師たちに、シリアは『集中しなさい!』と叱咤する。その額には玉のような汗が浮かんでいて、滴るたびに化粧を落してしまっていた。
 兵士たちは既に穴の中に消えていて、残るは魔道師たちの半分。そんな頃合に響いた音だった。
 広間の扉を気持ち的に押さえていたアルティオが、苦い顔で隙間から廊下を覗く。
「……バレたか?」
「そのようね」
 広間内の魔道師たちに僅かな脅えの色が走る。彼らは戦場においては後方支援だ。研究一辺倒な魔道師も混じっている。
 無理もない。すぐ背後にまで死肉を食らう鴉が構えていると聞いて、誰が脅えないのだろうか。
 だが、その彼らをシリアは再び叱咤した。
「集中なさいな! でないと、ここにいる全員が助からないわよ!」
 絞り出すような声だった。彼女自身も、集中を切らさないよう必死なのだ。
 もう穴に消えた魔道師五人。先ほどまで十人で支えていた結界を、今はシリアを含めて六人で補っている。負担が小さいわけがない。
「今のは、爆撃っぽいな……」
「そうね……敵の魔道師か、もしくは」
 シリアの脳裏に、船で味わったあの恐怖が掠めて通る。得体の知れない、あの無の砲撃。
 焼けるのでもなく、凍りつかせるでもなく、ただ無に返す闇の砲撃だった。
 シリアはその記憶を口に出そうとして、ぐっと堪える。そんな話をすれば、悪戯に魔道師たちの戦意を沿いでしまうだけだ。とんだ愚行だ。
「急げ! 次!」
 はっ、として、方陣の中で俯いていた魔道師の一人が顔を上げる。ゆっくりと後退るように、方陣から出る。
「ッ!」
 魔道師が方陣から外れた瞬間、シリアの表情に苦痛が走る。身体が、また一段と重くなるのを感じた。
 魔道師は松明の先に灯りを灯そうとする。緊張と焦りが彼の手元を狂わせるのか、かちかちと火花が散るばかりで上手く行かない。
 そのときだ。

 どどどどどどど……ッ!

『!?』
 遠い地響きが、砦の中にいた人間の耳を打った。動けない魔道師たちの代わりに、アルティオが窓に走って舌打ちをする。
 低い山の向こうから駆けてくる馬の蹄の音だった。八咫鴉の旗が激しく舞い踊る。
 誰かが、『ひっ』と情けない声を出した。動揺が広がった。
「くそ……ッ」
「……」
 アルティオの苦々しい荒い声が、石段に叩きつけられる。シリアはぎりぎりと歯を噛み鳴らしていた。
 思ったよりも早い。まだ避難は五人も残っている。それに、隠し通路の入り口を残してしまえば、あっさりと居場所は割れるし、何よりその通路を利用される可能性がある。
 まだ、やらなくてはならないことが終わっていない。
 シリアはしばし瞑目する。
 だんだんと近くなる地響きの音に、冷静を失いかけている魔道師たちの浮き足立ったこそこそ話が、彼女の耳に入り込んできた。
 しばらくして、彼女は顔を上げる。苦い、眉間にこれ以上ないほど深い皺を刻んで。
「……全員、方陣から外れなさい」
「シリア!?」
「五人、一列で穴に走る! 松明を持つのは先頭としんがりよ! 一度、洞穴に入ったら絶対に振り返らないこと!
 第二関所に着いたらラーシャに報告を忘れるんじゃないわよ!」
 一気にまくし立てた彼女に、魔道師たちは目を丸くする。
 もともと、シリアは最後まで残る予定だった。一人一人、方陣から抜けていき、その一人分の魔力を、他の人間が補っていく。
 身体に負担をかける荒い策だ。一人ずつ抜けるだけでも、かなりの苦痛を伴う。それでも、一人ずつ抜けるのなら、まだ身体の馴れとで多少の時間を耐え凌ぐことが出来る。
 しかし、一度に五人抜けるということは。五人分の魔力の奔流が、一気に彼女の身体を襲うということだ。
 彼女の身体にどれだけの負担がかかるのか、想像に難くない。
「あ、アレンタイル女史……いくらなんでも」
「いいから、男なら早くなさい! 決断は早く! このままじゃあ、砦ごと潰されるわよ!?」
 シリアの叱咤に、魔道師たちの肩が嘶く。アルティオは歯を噛み締めながら、もたついている魔道師の手から松明を引ったくり、代わりに火を灯した。
「おら、さっさとしろ! 死にたくない奴から前に出ろいッ!!」
 魔道師たちは顔を見合わせて、そして、おずおずと……
 中央に立つ彼女の顔を伺いながら、
 方陣の外に出た。
 馬を駆っていたエリシアの目が笑う。すい、と細めた青碧の瞳は、嘲るようにその形を捉えた。
 彼の目にでさえ、ぼんやりとしか映っていなかった砦の輪郭が、ぐにゃりと曲がった空間と共に確固たる形を取り戻す。
 未だに視覚に映らないことへ不安を抱いていたらしい兵士たちの、ぉぉぉ!という歓喜の声が上がる。エリシアは口元の笑みを絶やさないまま、本当に、馬鹿な人間ばかりだと笑う。
「何考えてるんですか? 笑ってばっかりで気持ち悪い」
 同じように馬を駆るリーゼリアが問いてくる。耳元で唸る風のせいで、途切れ途切れではあったが、エリシアはふん、小さく笑い、
「馬の上でお喋りしてると舌噛むわよ」
 とだけ返しておいた。


 一階の廊下の向こうから、どん! どん! と耳障りな音が響いて来る。丸太か何かで、錠のかけた扉を貫こうとしているのだろうか、まったく紳士じゃない。
 けっ、とアルティオは吐き捨てて、魔力を使い果たしてしまって気絶したシリアを支え直した。
 視線を上げれば、ぽっかりと大きく開いた暗い洞穴がある。最後の一人が穴の中に消えて、しばらくもしない間に方陣は光を失って、シリアはその真ん中で崩れ落ちた。
 もう少し、彼がぼんやりしていたら、床に激突していたかもしれない。普段、人一倍、身体に傷を作ることを嫌う彼女なのに。
「ったくよぉ……。お前といい、カノンといい、ルナといい……あの娘といい。
 ……女ってのは、自分の体の限度、ってやつを知らねぇのかよ」
 悪態をついて、一度、シリアの細い身体を横たえて、彼は立ち上がった。
 どん! どん!という音に混じって、めきり、めきッ、というこれまた不快な音が聞こえてくる。さて、後どれくらいあの頑丈なはずの鉄扉は耐えてくれるだろうか。
 立ち上がったアルティオは、身体を馴らすように、こきこきと首を鳴らす。ふーっ、と大きな、これからちょっとした体操でもするのかというような息を吐く。
「さて……」
 視線の先に暗い洞穴を捉えて、彼はにんまりと笑った。



 どがぁんッ!!

 轟音を立てて、鉄の扉が乱暴に左右に開かれた。響いた轟音に脅えるようにして耳を塞いでいたリーゼリアが、きゃん、と子犬のような声を漏らす。
 割れてしまったかんぬきが、石床に叩きつけられるのを見て、エリシアは嘲笑うような笑みを浮かべた。
「扉が鉄でもねぇ……かんぬきさえ壊れれば脆いもんね」
 ぼそり、とエリシアが呟いた。その呟きが終わるよりも早く、兵士たちは砦の内部に踏み入る。
 そして、最初の一歩で訝しく思う。
「……エリシア様、ここ……本当に、連中の拠点、なんですよねぇ……?」
 さぞや盛大な歓迎があると思っていたリーゼリアは、眉を潜めた。
 エリシアは依然として笑みを讃えたままで、人気の感じない一階を見渡す。目を細めて、部屋内を探索するように兵士に言いつける。
 すぐ後ろにいた兵士に、砦の周囲を固めるように指示を飛ばした。
 がしゃがしゃと鎧を鳴らして砦の内部に入っていく兵士たちを見送って、構えていたリーゼリアは拍子抜けしたように肩を下ろした。
「エリシア様。どういうことなんですかぁ?」
「まあ……まんまと嵌められた、ってことね」
「はぁ!? 嵌められたぁ?」
 極、冷静に、それどころか、ますます笑みを強めながら、エリシアは砦の廊下を悠々と歩いていく。リーゼリアは慌てて後を追った。
「嵌められた、ってどういうことですかぁ!?」
「大声をだしなさんな、小娘。
 今の今まで幻覚の術が行われていた、ということは、今の今まで私たちをここに近寄らせたくなかった、っていうことでしょう?
 そんな時間稼ぎをしなきゃいけない理由なんて、そうそう幾つも考えられるわけじゃ……」
「え、エリシア様!」
 切羽詰った兵士の声が、エリシアを呼んだ。奥の広間から一人の兵士が槍を振っている。
 一瞬、顔を見合わせたエリシアとリーゼリアは、ほど同時に駆け出した。先に広間に辿り着いたエリシアは皆まで聞かず、部屋の中に入る。
 それはすぐに目に入った。
 部屋の片隅に兵士が群がっている。エリシアが近づくと、兵士たちは自然に割れた。
「……」
「うわ……」
 その場所には、何十人と収納できる広間に飾られていた石像や、飾りだけの折られた柱、小さめのタンスや椅子などが、道を塞ぐように積み上げられていた。ちょっとやそっとでは、動かせそうにない。
 ふと、倒れた石像を見ると、すっぱりと剣で斬られた痕がある。
 他の柱にも像にも、同じような切り口があり、短時間に乱暴に重ねられたことを物語るように、皆ひびが入ってしまっていた。
「……」
 ちょうど人一人分の背丈まで積み上げられた乱雑な塔の隙間に、エリシアは顔を近づける。
 石壁が向こうに見えるはずのその先には、何もなく、ただ暗いぽっかりとした空間が空いているだった。
「……これはまた杜撰な隠蔽工作ね」
 エリシアは呆れる。こんな見え見えのバリケードは意味がない。逃げた経路を見つけてくださいと言っているようなものだ。
「連中逃げたんですか?」
「でしょうね。拠点といっても、わざと人は極少にしてあったんじゃない? いずれ狙われることを予測してたんでしょう。
 いつでも砦を捨てられるように、いつでも全員で逃げられるようにして置いたのよ」
「じゃあ、私たち、嵌められたってことなんですか!?」
 最初から言っているでしょうに、とエリシアは息を吐く。
 けれど、疑念に思ったことがあった。
 この乱暴な工作。連中は果たして逃げた後に、この穴の内側からやったのか。 いや、そんな穴の内側から外側に、穴の上までいく高さまでものを積み上げられることは可能なんだろうか。
 ――否。たとえ、穴の中に積み上げるものを用意していたとしても、こんなけして大きいとは言えない穴、外側に積み上げるまでに、確実にどこかで支えてしまうはず。
 第一、 側からやるなら内側に積み上げる。
 となると、これはまさか――
「!」
 エリシアが、ようやくその答えに辿り着く。壊れた柱の撤去作業を行おうとしていた兵士たちを振り返り、口を開いて、

 ごぅんッ!!

「!?」
「きゃぁッ!?」
 突如、響いた爆音に、リーゼリアが耳を抑えて蹲った。
 思ってもみなかったその音に、兵士たちの手から折られた柱が滑り落ちて、さらに大きな音を立てた。
 がしゃがしゃと鎧を鳴らす音が、広間の外から聞こえてくる。
「え、エリシア様! 砦の奥で爆発がッ、火の手が上がっています!」
「ええッ!?」
 リーゼリアが同様の声を漏らす。エリシアは眉間に皺を寄せて、かつん、と踵を鳴らした。
「やっぱり、そういうこと……」
 内側からこんな乱雑な工作は出来ない。ということは、『誰か』が外側からやったのだ。
 この工作そのものには、大して意味はなくていい。本当に意味があるのは、この砦のこの場所に軍をひきつけること。
「全員、砦から退避しなさい! 今の爆音は油でも撒いてあるに違いないわ!
それから外の部隊に伝えて! まだ、周辺に『い』るわ! 辺りを十分警戒しなさい!!」
「エリシア様!」
 エリシアが言い終えるより前に、もう一人の兵士が駆け込んでくる。兵士の額に浮かんでいる大量の脂汗に、嫌な予感がした。
 一寸、息を整えて、彼は叫ぶように言う。
「裏口から……ッ、砦の裏口から、男が逃げました! 爆音で、我々が気を取られている隙に……ッ!」
「このお馬鹿ッ!」
 聞くより先に罵声が飛んだ。
「全員、砦から退避! 裏の森には魔道師を配備させていたはずね!? あんたたちもすぐに追いなさい!」


 耳元で唸る風と、ぱきぱきと歩を進めるたびに細い小枝が折れる音が、聴覚を邪魔する。
 行く手を阻むように茂った小枝が、折られるせめての報復のように、アルティオの頬を、腕を、足を浅く傷つけていった。
 抱かかえたシリアの身体に小枝が当たらないように、肩を上下させて抱え直す。
 遠くから聞こえるがさがさという音に舌を打つ。思ったよりも、追っ手が動くのが早い。
 エイロネイア軍に、脱走した兵士たちが第二関所に逃れたことは知られてはならない。そのためには脱走路を塞がなくてはならない。
 当初は脱走路の内側から魔法か火薬で、入り口を崩してしまおうかという案も出た。
 しかし、この地の地盤はそう固くない。下手をすれば、洞穴そのものが潰れてしまって、生き埋めになる可能性もある。
 だから。
 アルティオは自ら囮になったのだ。
 全員を逃がした後、連中の足を止めるために脱走路を塞ぎ、砦に火を放つ。
 脱走路を隠蔽するのなら、砦ごと隠蔽してしまえばいい。その役目のために、アルティオは幻覚の術を維持していたシリアと共に、最後まで残ったのだ。
 そして油を撒いた部屋に松明を放り込み、扉を閉めてそのまま逃げた。
 全員がその音に気を取られている間に、砦の裏口に立っていた二人の兵士を蹴り倒して脱走した。
 砦の外に茂る森。鬱蒼、とまではいかないがそれなりに足跡を隠してくれるはずだった。だが、エイロネイアの指揮官は、期待したよりも利口で対応が早かった。
「くそ、待ちやがれッ!」
 背後でがしゃがしゃと、かすかだが確かに鎧の音が聞こえる。普段なら身軽なのはアルティオの方だが、今はシリアを抱えている。
 距離は、縮まってはいないが遠ざかってもいない。加えて一対多数だ。
 ぎりッ――アルティオは歯を噛み締めて、前方を睨んだ。その上げた視界の中に、
「ッ!」
 ぼんやりと、不自然な灯りを見つけた。
 不自然に収束していく、赤い光。見覚えが、ある。というよりも、飽きるほど見てきた。
 ルナが使うものと同じ、あれは……魔法の灯りだ!
「くそッ!」
 抱えたシリアの細い肩をぐっと持ち上げて、アルティオは進路を変える。
 ――まさか、読まれてたのか? ンな馬鹿な!
 ぎりぎりと歯を噛み締める。
 視界の片隅で、赤い光が次第に大きくなる。あれが放たれるよりも先に、もっと遠くに離れなくては!
 ――くっそぉッ!!
 足ががくがくと笑い出す。澱のように溜まりつつある疲労感に、膝を折りそうになるのを堪える。
 視界の片隅で、赤い光が大きくなる。アルティオは、ぐったりと自分の腕の中に横たわる幼馴染に視線を走らせた。
 ――くそッ! こいつがここまで頑張ったんだぞッ!? カノンだって、レンだってルナだって! まだどっかで、そうさ! どっかで頑張ってんだ! 俺がここで終わるわけに……いかねぇんだよ!
「ちっくしょうぉぉぉぉぉッ!!」

 ばしゅッ!

「ぎゃあッ!?」
「!?」
 叫んだと同時だった。
 乾いた音が、アルティオの耳を打つ。走りながら、ふと斜め後ろを振り返ると、そこには薄暗い闇が鎮座するだけ。赤い光は、片鱗も見られなかった。
「なんだ……?」
 口にはするが、その疑念を確かめている暇はなかった。アルティオは肩で前方を遮る草木の枝を薙ぎ倒す。

 ざッ!

 目の前が開けた。その前に広がった光景に愕然とする。
 からん、と足元から小石が転げ落ちる。足元に現れた、崖の淵から暗い底へ。
「……嘘だろ……」
 ざーざーと水音がする。先ほどの方向転換で、抜けられるはずの道を逸れてしまったらしい。戻っている暇は、当然、ない。
 アルティオは崖を覗き込んだ。結構、高い。下は水だが、確か高い場所から落ちると水は石よりも固くなるだか何だかいう話がなかったっけか……?
 背後から、粗暴な『待てッ!』という声と、がしゃがしゃという耳障りな鎧の音が近づいてくる。
 唇を噛み締める。気絶したままのシリアを見下ろして、庇うように抱え直す。
 ――悩んでる、余裕なんかねぇな!
「悪いな、シリア……。お前が肌に傷作るのが嫌いなのは、知ってるけど……
 ここで死んだら、レンにももう会えないんだから。
 だから、」
 覚悟を決める。崖の淵に生えていた下生えを、恐怖心を振り払うように踏みつけて、
「少しだけ……我慢しろよな!!」
 灰色の空に叫んで、アルティオは、一気にその崖を蹴った――。



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梧香月
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執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

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