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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE10
人を、『     』、良かった。
 
 
 

「あ、あんた……」
「……どこから、入った」
 掠れた声が、小さく異様な室内に響く。それを聞き、目にしたアルティオは、もう一歩後退る。その背中が、ベッドの落ちたシーツにかすかに触れて、
「触るなッ!」
「ッ!」
 痩躯からとは思えないような鋭い大声が、辺りに轟き、アルティオに突き刺さる。
 アルティオは我が目を疑う。その光景はあまりにも滑稽で、暗くて、信じがたくて。二重の扉を躊躇無くくぐってしまった我が身を呪う。
 振り向いた先に立っていたのは、髪を振り乱し、鬼気迫る表情をしたフェルスだった。
 ただ、そこに立つ姿に、治療で見せていたような柔和な雰囲気は欠片さえありはしない。
 返り血を浴びた白衣はだらしくなくうな垂れていて、彼の痩せた体に貼り付いていた。妙にぎらついた眼が正気を疑わせる。ほどけた髪を邪魔だ、とでも言うようにかき上げる。
 そして、その両手には。「な、なんだ……それ……」
 右の手にはアルティオの背後に掲げられた青い剣と同じ造り、同じ材質の、しかし不自然に赤みを帯びた一振りの剣。
 赤く見えるのは剣の装飾のせいばかりではない。その刀身には、フェルスの服を濡らすものと同じ液体が、べったりと、こびり付いていた。
 もう言葉は選ばない。
 人間のねばついた血液が、握られた剣に、服に飛び散っている。
 そしてその左手。握りしめた大きなものは、ぐったりと、ただ力無く、体を妙な方向にネジ曲げた、見知らぬ男。その男のくたびれた襟首が、また同じ液体に塗れながら垂れ下がっている。
 ……見知らぬ男ではあったが、着ている服には覚えがある。
 あれは、あれは診療所の患者用の診療服、ではなかっただろうか……
「ぅ、くッ……」
 突発的な吐き気を飲み下す。
 ぽたり、と赤色の鮮やかな雫が、引きずられる男の首元から流れ出し、袖を通じて石段に落ちた。
 どんな人間だって、それを真っ当な人間とは呼ばない。死体だ。おびただしい血液を垂れ流す、一の残骸ッ!
 アルティオは思い出す。思い出したくもないのに思い出してしまう。
 『通り魔事件』の被害者の傷は、鋭利な刃物で付けられたもの! そして出血の酷さ!
 そしてそれと、この目の前の惨状が、頭の中で、見事なまでに結び付く!
「ふ、フェルス、さんよ……そいつは何の冗談だ………。ま、まさか、そんなわけない、よな……そいつ………」
「……」
 フェルスは無言で、真っ白な顔でアルティオを見る。
 視線は虚ろで、どこを見ているのかさえ判然としない。アルティオとて解っている。こんな問答は無駄なのだと。
 握られた刀身と、背後にある対の刀。そして人の遺体。
 紛うことのない、状況証拠何てものじゃない、この現場は確固たる現行なのだと!
「―――私が、殺しました」
「―――ッ!」
 ぎりッ―――そのいっそ静かな声に、声より歯軋りが漏れた。
 そうだ、カノンが言っていた。あのステイシアが何者かは解らない。だが、何か、誰かに工作されたものだとしたら―――
 何もそう難しいことじゃない。アルティオ自身が追求を避けていただけなのだ。
 彼だって立派に疑わしかった。カノンが直接的に口にしなかっただけで、彼だって立派な容疑者だった。
「何でだッ! こいつは一体、どういう事なんだッ!?」
「………貴方には関係のないことです」
 冷たい、あまりにも冷えたその声が、アルティオの背筋を凍らせる。打ち捨てるように男の死体を放り投げると、フェルスは目を剥いて彼を凝視した。
 反射的にアルティオは剣を抜く。
 土壇場に立たされた人間が、どんな行動を起こすかなんて言うまでもない。
「お前も……ディティの贄となればいい!」
「!?」
 踏み出したフェルスの異様な素早さに、アルティオは目を丸くする。一介の医者が動ける速さじゃない。
 慌てて交わし、ベッドの淵でたたらを踏んだフェルスに、右剣を叩きつけ、

 ぎんッ!!

「なッ!?」
 フェルスはその剣戟をあっさりと受け止めた。いや、受け止めるだけならともかく、力と技量では圧倒的にこちらが勝っているだろうに、力を込めた剣はびくともしない。
 そりゃ、医者に力が無くてはいけない、なんて決まりはない。だが、フェルスのそれはあまりにも異様だった。
 繰り出された左の剣も、白衣の裾をわずかに薙いだだけで、引いたフェルスとの間に間合いが出来る。
「何者んだ、あんたッ」
「…………剣が、……ディティが、私に力をくれる。もう少しなんだ、もう少し血が必要なだけなんだ、大願を果すまで、……私は死ぬわけにはいかんのだッ!!」
 激昂と共に石床を蹴るフェルス。相手はこちらを殺す気だ。しかし、こちらは何も解らないうちに彼を殺してしまうわけにはいかない。
 アルティオは腰を落して、大振りの一撃を両剣で受け止めた。血走った眼に背筋が寒くなる。
 双剣の欠点は全体のバランスから防御が取り難いことにある。だから、この状況は圧倒的にアルティオに不利だった。
 ―――ちっくしょ!!
 ぐっ、とフェルスはさらに剣へ力を込める。
 信じられないことに、びし、とアルティオの双剣が軋んだ。考えてみれば、あちらの剣はおそらく何かの力が負荷された魔力剣なのだろう。
 普通の剣では応対しきれるはずもない!
「くそッ!!」
 溜まりかねたアルティオは剣を引こうとする。だが、振り払うことも出来ず、重心をずらすことが出来ない。
 ―――くッ!

 ばたんッ!!

「アルティオ、伏せなさい!」
 扉の轟音と共に、高い声が響く。フェルスの剣の力が緩み、その隙に剣を引いて身を伏せる。

 どぅんッ!!!

 アルティオと、フェルスの間で小爆発が起きた。アルティオは無傷だったが、フェルスの方は多少、白衣が煤けたようだった。
 紫煙が晴れるのを待って身を起こす。フェルスを視線で牽制してから扉を振り返ると、まなじりを吊り上げた美女がこちらを睨んでいた。
「シリア!」
「問題ばかり起こすのはやめてくれないかしら? ストレスで肌荒れしてしまうじゃない」
 鼻を鳴らして言った第一声がそれだった。かつん、と傍らに彼女より小柄な影が立つ。
「……フェルス医師、大人しく投降してください」
 金の髪を揺らし、碧い瞳の奥には少なからず怒りの色。だが、言った程度で大人しくしてくれるはずはない、と察しているのだろう。その手は既に剣鎌の継ぎ目にかかっていた。
 フェルスは彼女に再び虚ろな目を吊り上げる。
「投降、ですって?」
 カノンの言葉をあっさりと蹴ってみせるフェルス。
 彼女は嘆息して部屋の内部を見回した。ベッドの上で静かに眠る、美しい婦人にシリアが絶句している。カノンは目を細め、渋い顔をさらに歪めた。
 ベッドの上に吊るされた青の剣に目をやり、そしてフェルスの握るもう一つの剣を見て同じ表情で唇を噛む。
「……フェルス医師、貴方が何をしようとしているのか、察しは付いています」
「…………でしたら、見逃してやってください。そして、私の、彼女の贄に挙がってください……」
「お断りします。フェルス医師、貴方だって解っているはずです。自分のやっていることが、どれだけ理に外れたことか。
 それで目的を果せたとしても、貴方はそれで満足するというのですかッ?」
「五月蝿いッ!!」
 ぴしゃり、とついにカノンにも彼は怒号を吐き出した。押し込めていたものが堰を切るように、いっそ憎しみを込めて言葉が空を切る。
「貴方たちだって解るでしょうッ!? 理不尽にッ、訳の解らないまま大切な人間を奪われたらッ!」
 吐き捨てて、目を剥いて、ベッドの上を差した。眠る婦人に目をやって、カノンは打ち捨てられた哀れな男の遺体を見つける。カノンの眉が吊り上がる。
「……彼女の、貴方の奥さんのディティ=ラント。カルテには死亡表記がされてませんでした。
 長らく植物状態のまま、意識は戻らない。あたしは医者じゃない、どういう病名で、どういう経緯があって、貴方の奥さんが倒れたのかなんて知りっこない!
 けどね! だからって、他の人間の命を奪っていいことにはならない程度は解るわよッ!!」
「黙れッ!」
「黙らないわッ! これはどういうことなのか、説明して貰おうじゃないッ!
 ……今、ステイシアは上の部屋で苦しんでる。貴方に助けられたときに付けていた指輪、あれに苦しめられてね。外そうとしても外れなかった」
「そうね。フェルス医師、一年前に何があったんです? 何故、盗賊に殺されたはずの彼女が生きていて、何故こんな場所に奥さんを幽閉して、……『通り魔事件』なんて起こさなければならなかったのか、説明してくれなければ納得なんていかないわ」
 肩を怒らせたシリアが、カノンの言葉を継ぐ。
 フェルスは押し黙ったまま、ひたすらにこちらを睨んでいた。
 カノンはそれを受け止めながら、もう一度掲げられた青の剣を見上げる。そして、ぽつりと、
「……違法者狩りの狩人をしていたときに、聞いた話があるわ」
 ぴくり、とフェルスの肩が上下する。
「それは永遠の命、不死を求める死術だったわ。質が悪くてね。
 不死を得るためには、代償が必要だった。何だと思う?
 ………他人の血液よ」
「……」
「そのときに狩った違法者は、そのために数多の人間の身体から血を抜いて、死術の核に吸わせていたわ。その核は、剣の形なんてしていなかったけれど……
 これはあたしの推測よ。
 貴方はその剣―――二つの剣を、死術を元にして創り出した。
 貴方の握っている剣は、他の人間から血液を吸い出すもの。もう一つの剣は、対の剣の血液を通じて生命力を与えるもの。
 でも、そこで何らかの不具合が生じた。そして貴方はその不具合をセーフガードするために、一年前、虫の息で発見されたステイシアを何らかの形で利用した……
 違う?」
「……」
 フェルスは構えた剣を下ろす。ベッドに横たわる婦人を、虚ろに、しかし愛おしげに眺め、深い溜め息を漏らす。僅かだが、瞳が正気の色を取り戻していた。
「……違法者狩りをしていた方とは。思ってもみませんでした。
 その通りです。ただし、これは私が創ったものではありません」
 ―――っ。
 その一言に、カノンの表情が歪む。しかし、フェルスは気づかぬままで、
「他人の生命の証―――血を摂取することで、生命を維持させる。月の剣には癒しと潜在能力を高める能力が、陽の剣には人と血を狩る能力が、それぞれ付加されていた」
「……それで貴方は、血液検査の振りをして、剣と適合する血を持つ人間を狙った」
「剣もなかなか悪食でしてね。適合率が低いと、月の剣の癒しの能力が維持できなくなるんです。
 ―――この剣は生き物なんですよ。血を吸い、所有者の能力を高める、言うなれば吸血鬼のような、ね。
 しかし、そこで問題が起こりました。剣は、癒しに必要なのは血の代償、しかし狩りの能力の代償は、所有者の生命力―――魂でした」
「……ッ」
「この剣は生き物です。他の生物に寄生して、生命力となる魂を吸いながら一連の役目を果す。
 そしてある一定の血と、人一人の魂を完全に吸い取ったとき、初めて完全なる、強力な癒しの力と狩りの力をもって完成する。 ……私がこんなことをしているのは、妻と共にもう一度、穏やかに暮らすためです。私が魂を失い、死んではその目的は果せない」
「ち、ちょっと待て、じゃあ、じゃあステイシアはッ!?」
 不穏な空気を読んで取ったアルティオが、絶望に近い声を上げる。カノンは奥歯を噛み締めて吐き出した。
「……あの指輪は、所有者が受ける責を転嫁させるもの。そういうこと?」
「この剣は寄生虫。人のような明確なものではありませんが、生命と意志を持っています。
『あれ』は剣の生命に取り憑かれ、ただ動いているだけの死体に過ぎません。……『あれ』は、貴方たちもお気づきの通り、とおに死んだ人間なんです。
 彼女には申し訳なく思っています。今、剣は彼女の体に残っていた魂を喰らいながら、より強い魔道具へと成長しつつあります。この剣は、完成しつつあるんです。彼女ももうすぐ蘇る……。
 私の、私の五年間が、ようやく、ようやくやっと報われるんです……ッ!!」
「だからって、何で罪も無いただの女の子が、そんなことに使われなきゃならなかったっていうのよッ!?」
「仕方が無かったッ!
 この剣の存在を知ったとき、そしてこの剣を受け取ったときッ、私はどんなに歓喜したかッ!
 そのための贄に悩んだときッ、私は思ったッ。魂だけを吸い取るものならば、死んだばかりの、まだ完全に肉体と精神が遊離していない人間に、あの指輪を填めることが出来たらとッ!
 そんなときに街道であの娘を見つけた。ほぼ瀕死の状態だったが……私の思惑は成功した。意識のないはずの彼女の死体は、生前のまま動き出したのだッ!
 悪いとは思ったさッ、だが仕方なかったんだッ! 考えても見ろッ!」
 フェルスは両手を広げ、その場にある異様な光景を誇るように差した。ぎりぎりと、握り締めた拳から、少量の血が滴っている。「死んだ人間とッ、……眠りながら、何年も生かされる苦痛を味わっている人間とッ、どちらが助けられるべきだと言うんだッ!?
 彼女は悪くないッ! 私はこれまで医者として、患者のために尽くして来たッ! 一切の不明を嫌い、そのせいで地位も権力も棒に振ったッ!
 それが最良だと思ったからだッ! それがひいては私や妻のためになると、信じていたからだッ!! 人として当然のことだと思っていたからだッ!! 人の道だと思ったからだッ!
 その仕打ちがこれだッ!!」
 ベッドの上を指せば、しかし、そこに眠る婦人は欠片も彼の動作に気づくことはない。
「いつもそうだッ! 人の道を守る人間ばかりが損をするッ!
 ならば、神を恨みながら、石にしがみ付いてでも生き残るッ! 背いてでも、私は彼女と安らかに生きるのだッ!
 神は死んだッ!
 この世界は死んだのだッ!
 私は人であることを捨てたッ。私は彼女と生き抜く運命にあるッ!
 そのためなら、そのためなら、とおに死んだ抜け殻だけの人間など、どうでも……ッ」
「ッ、……ふざけ…ッ」


「ふざけんじゃねぇッ!!!」


「ッ!」
 びりびりと、雷が落ちた後のように、その怒号は暗く、冷たい部屋を揺るがした。
「アルティオ……」
 振り返ると、唇をきつく噛み、ぶるぶると拳を振るわせる彼が、見たこともない表情でフェルスを睨んでいた。
 噛んだ唇は、もう薄く切れてしまっている。
 きりきりと、歯を噛み鳴らすかすかな音が、痛々しく、彼の最大限の傷心を物語っていた。
「ふざけるなよ、あんた……ッ」
「アルティオ……ッ」
 駄目だ、と本能的に悟る。止めようと手を伸ばすが、それは数瞬遅く、アルティオの口は堰を切る。
「あんた、自分がしたことがどういうことか解ってるのかッ!?
 あの娘はなッ! 心臓を突かれたんだぞッ!? たまたま、親父と一緒に旅してただけなのにッ! 質の悪ぃ盗賊に目ぇ付けられてッ!
 さぞかし恐ろしかったろうよッ! あんたの奥さんと同じだッ! 何にも悪くないのにッ、何もしてないのにッ、そんな怖い思いをしたあげくにあんな若さで殺されたッ!
 やりたいことだっていっぱいあったんだぞッ!? パンも焼いてみたいし、あんたの好きな魚のムニエルだってずっと練習して作ってたッ、花だって育ててみたかったッ、綺麗な刺繍に憧れて、ずっと練習してたんだぞッ!? いつか、あんたの白衣を縫ってあげて、テーブルクロスにあんたの好きなスイセンの花を編んであげたいって……ッ!
 こんなことじゃ恩返しにもならないけど、って、本当にあの娘はあんたを慕ってたんだぞッ!?
 その仕打ちがそれってかッ!?
 ふざけるなふざけるなふざけるなッ!!!
 痛い思いして、それでも……それでお天道様に召されられると思ったら、何だッ!?
 今度はあんな真っ青な顔で苦しまなきゃいけないのかッ!? 信用してたはずのあんたに裏切られてッ!?
 あんた、二回も死ななきゃいけない人間の気持ちがわかるってのかよッ!? わかんねぇよな、俺だって分かりっこねぇッ!!
 でもなッ! 死者を辱めて、その上背負わなくてもいい苦しみを与えてッ! それがどんなにいけねぇことかくらい解るぜッ!?
 確かにあんたは苦しかったろうよッ、こんなにやつれた奥さんを、ぐったりした大切な人を見て過ごさなきゃいけないなんてな、ぞっとすらぁッ! けどだからって、こんなことしていい理由になりゃしねぇだろッ!? あの娘をこれ以上、苦しめる理由になんてなりはしないだろッ!?」
「アルティオ……」
 一気に吐き出した彼の目尻が、僅かに滲んで歪んでいた。でも泣かない。泣きたいのは、彼じゃないからだ。
 彼が、最後の最後まで庇っていた、彼に無垢な好意を抱いていた、あの少女なのだ。制するように、シリアが肩に手を置く。
 カノンはフェルスを睨む。だがしかし、かの医師の目付きは変わらぬまま、狂気を宿していた。
「……それはずっと繰り返して来た問答です。今の私には、何の、意味も、ない」
「―――ッ! ……わかってねぇ、あんた、ぜんっぜん、わかってねぇぜ……」
 握り締めた拳を、シリアは無理矢理解かせた。それ以上、握っていては剣を持てなくなると判断したのだろう。
 叩きつけるべき思いを、しかし、言葉に出来ずに彼はただ悔し涙を堪える。
 そのときだった。

 かつッ……

「―――ッ!」
「っ、あ……」
 中途半端に開いた扉が、さらに押し開けられる。そこに立っていたのは、青い顔でフェルス医師と、翳された剣を凝視するルナと、そして、
「ステイシア……ッ」
「……」
 真っ白な顔で表情無く、レンに支えられた、かの少女が、いた。
「………せん、せい…」
「……」
 少女の掠れた、小さな声が部屋の中に虚しく響く。フェルスは無言だった。
 聞いていたのか、なんてものは無粋な問いでしかない。彼女は、フェルス以上に虚ろな目で室内を眺めて、俯いた。
 ふるふると震えながら、唇を噛んで、目を伏せる。
 小さな肩が、泣いているように見えた。
「わ、たし……もう、この世の人間じゃ、なかったんですね……」
「違う、ステイシアッ! それは……ッ」
 咄嗟に口を付いて出る言葉は、何の慰みにもならなかった。切れ切れの言葉は、悔しさからか、それとも全く違った意味を持っているのか……。
 誰にも、彼女の胸中を推し量ることなど、出来はしなかった。
 だから、彼女が次の一言を発するのを、待つことしか出来ない。
「………先生」
「……ステイシアさん。解ってください……もう剣は完成するのです。血は集めました。
 貴方が、貴方の魂さえ剣が吸い取ってくれれば……」
「………」
 ステイシアは茫然と、フェルスを眺めていた。がくん、と折れそうになる膝を、傍らに立っていたレンが支える。
 たまらずにアルティオは、彼女に駆け寄った。
 だが、その乱暴な足音には反応せず、彼女は宙を向いている。
 薬指の指輪は、今だ妖しげな魔性の光を放っていて、彼女の額からは脂汗が流れていた。倒れ、悲鳴を上げるほどの苦痛が、今だ彼女を苛んでいるのは、明白だった。
 フェルスは彼女に背を向けて、ふらついた足取りでベッドの側へ寄る。
 はっ、としたカノンが剣を抜いた。が、その瞬間、

 ぎんッ!!!

「―――ッ!?」
 フェルスの背へ斬りかかったカノンの刃の腹を、唐突に横合いから繰り出された蹴りが弾き飛ばす。
 その様に、カノンは覚えがあった。
「あんたッ!?」
「させやしねぇよッ!!」
 ばさっ、と竜の翼を広げた少年が、伸び上がるような蹴りを放つ。眼前に放たれたそれを紙一重で避ける。
 すると少年は翼をはためかせて、背後に肘鉄を放った。
「―――ッ!」
 背後から迫っていたシリアの刀が宙を舞う。
「シリアッ!」
「ちっ!」
 舌打ちをしたルナが呪を唱え始める。レンも剣を抜きかけて、

 ぎちッ!!!

「な―――ッ!?」
「……邪魔、させません、です」
 ステイシアを支えたアルティオを含めた三人の足元に、急激に方陣が展開される。淡い光を放ち、びりびりと雷を放っている。
 身体に力が入らない。重い何かが身体にぶら下がっているかのように、体中が軋み、身動きが出来なくなる。
 三人はがくん、と膝をついた。
「―――ッ!」
 痺れる舌を噛みながら、かろうじてルナが声の方向に顔を上げる。暗い部屋の、闇の中に、紛れるようにして小さな少女が立っていた。黒い長い髪、瞳、雪のような肌、フリルのついた可愛らしいゴシック調の服。
 無表情で、こちらを眺めながら、鈴の鳴るような声で言う。
「ちょっとだけ、じっとしてて、です」
「く―――ッ!」
 ―――こいつら……、一体、どこからッ!!
 扉はルナたちの背後。とてもじゃないがこんな場所に二人の人間が隠れられて、その上気配も感じないなんてッ!!
 ルナは慌てて痺れる舌を噛みながら、方陣の解呪の呪文を唱え始める。
 この方陣なら知っている。解呪の方法も知ってはいたが、呂律の回らない舌では、少しずつ、言葉を読んでいく他ない。
「うっ、うう、ぁ……ぅあああッ!!!」
「う、くッ……す、ステイシア……」
 その間も、指輪の光はステイシアを苛み続けていた。真っ白な頬を汗が流れていく。ぐったりとした手足は、もう僅かほども動かせないのだろうか。

 どんッ!!

「く、ぅぁッ!!」
「シリアッ!」
 カノンの焦燥の声が上がる。
 鈍い音は、シリアが背中から壁に叩きつけられる音だった。だが、カノンには駆けつけることも出来ず、彼女は慌てて少年の繰り出された拳をかがんで避けた。
 すぐさま足払いをかけるが、あっさりと飛んで避けられる。
 舌打ちも虚しく、そのうちにフェルス医師はベッドに辿り着く。
「くッ、や、止めろ……ッ」
「……」
 唇を噛んだレンが、アルティオに支えられたステイシアを見る。そう、剣を完成させないだけなら簡単だった。
 今、あの剣の意志が入っているのは、ステイシアの肉体なのだ。だから、今、彼女を斬ってしまえば、剣は永遠に完成しない。 しかし、それに何か意味はあるのだろうか。
 彼女を犠牲にしたフェルスと、何らやっていることは変わらない。
 そして、それを行える人間が、今この場にいるはずもなかった。
 フェルスは愛しげに、妻の白い頬を撫でた。そうして薄く笑みを浮かべ、頭上に掲げられた剣を見上げる。
 そして、自身の握る剣を振りかぶる。
 それが合わせられたときが最期なのだ、と直感的に悟る。
「ッ! やめなさいッ!!」
 カノンの声が飛ぶ。しかし、それがフェルスの耳に届くはずもない。
 だから、カノンは苦さに表情を歪めながら、自分に放たれた蹴りを、紙一重で避け続けるしかなかった。
「くッ!」
「おっとッ!!」
 頭部を狙って繰り出した剣を、少年は首をすくめて避ける。
「く……そッ! やめろッ!!」
「……ッ!」
 一番、悔しさに顔を歪めていたのはルナだった。呪文は、まだ、間に合わないッ!!



  ――――――きんッ!



 ………剣と剣が合わせられる、乾いた音が、無情にその場に響き渡った。


「……我望む、解するは苛まれし哀れな羊、解き放て、ブロッカーブレイク」
 小さくルナの解呪を告げる声が、響いた。同時にレンとルナは立ち上がり、レンは得物を手に踏み出して、ルナは新たな呪を唱え始める。
 それを阻むように立ったのは、あの小さな少女。無表情で片手を振り上げる。
 ……アルティオは、その場を立つことが出来なかった。
 腕に抱えた少女の身体が、どんどん軽くなっていくのが、解ったから。
 知っては、いたつもりだった。
 あの瞬間。彼女が倒れているのを見つけて、脈を取って、……温かではあったけれど、その心臓が動いていないことを、見つけたときから。
 でも、温かだったのだ。
 数刻前まで、握っていた彼女の手は、間違いなく温かくて、この温かな身体を弾ませて、アルティオをネリネの丘まで引っ張っていったのだ。
 それなのに、何故こんなに急激に、彼女の身体は冷たくなっていっているのだろう。
 別れることになると、解っていた。
 でもそれは、こんな形じゃなくて、ちゃんと診療所の前で、カノンの世話を看てくれていたことに例を言って、笑って、そしてまた機会があったら必ず寄ると約束をして……
 そんな穏やかな、他愛も無い別れになるはずだった。
 それが、
 それが、どうして―――?
「………ある、てぃお、さん…?」
 僅かな意識で、彼女は薄く瞳を開く。
「何で……泣いて、いるんですか………?」
 言われて、気が付いた。
 馬鹿だな、泣いてる場合なんかじゃない。泣きたいのは俺じゃない、この娘の方なんだ。
 彼は人の痛みが解る男だった。
 だから悟ってしまう。彼女がこの瞬間、どれだけ追い詰められて、どれだけの痛みを抱えて、この世を去らなければいけないのか―――。
 だから、だから一つでも彼女に未練を残させないように。
 泣いては、いけないはずだったのに―――ッ!
「なさ、けない、な……」
「……?」
「何で、何でなんだよ……俺は、俺は惚れてくれた女の子一人、守れないような、そんな情けない男だったのかよ……ッ!
 それで自分が泣いちまうなんて、何なんだよ、俺は……ッ!!
 なっさけねぇッ!!!」
「………」
「ごめん、な………本当に、不運、だよな………。こんな、こんな情けない男に、惚れるもんじゃねぇぜ………。ごめん、ごめんな……
 俺、こんな駄目な男で、ごめんな………」
「………」
 歯を食い縛って慟哭を抑える彼の頬に、白い手が、ゆっくりと、かかる。
 それが、最期の力であると知っていて、
 最期にするべきなのは、それだと、悟ったから、そうした。
「なか、ないで、ください……」
「………」
「ひとでない、私のために、ひとである、あるてぃおさんが……なくことは、何も、ありません……」
「ッ! 馬鹿なこと言うなッ!!」
 か細い声に、アルティオの怒号が叩きつけられる。
「あんたは人だったッ! こんな短い間しか一緒にいなかった俺だって解るくらい、可愛い普通の女の子だったッ! それだけは言ってやらぁッ!
 お前はステイシアなんだよッ! そういう名前の、可愛い人間の女の子なんだよッ!
 笑顔の素敵な、あんな可愛い女の子だったじゃねぇかッ!!
 誰がそうじゃないなんて言ったよッ、そんなわけねぇじゃねぇかッ! それだけは、俺が、俺が保証してやるッ!
 あんたは人間だッ! あったかい、あったかい血の通った、人間なんだよッ! 女の子なんだよッ!!
 だから……ッ、だから、生きていていいんだよッ! 生きたい、って言っていいんだよッ!!!」
「………」
 アルティオの頬を伝った涙が、また彼女の頬に落ちて、濡れる。
 ステイシアの目尻にも、同じ雫が浮かんでいたために、もうどの雫が誰のものか、解らなくなっていた。
 その怒鳴り声に。
 それまでぐっ、と押し殺していたステイシアの無表情が、あっさりと、剥ぎ取られた。
「いき……たか……った………」
「………」
「いき、たかった、よぅ………ッ! わたしッ、わた、しッ……うっ、くぅッ………
 死に、たくなんか、なかったッ……
 あな、たと、一緒に、いきてみたかった……ッ!
 でもッ、でもッ………いきてッ、いきッ……できなッ……ぅく、ふぅぅ………ッ!」
「……ッ! ああ……そうだよな………ごめん、…ごめん、な……叶えてやれなくて、ごめん、な……」
 ざらり、と彼女の体が砂のように崩れる。
 一度、魂を売り渡してしまった人の身体は、地に帰ることすら、許されないのだろうか。
 ステイシアは、一際強い胸の痛みに、最期を悟って―――
 それでも、我侭を言う子供のように、泣きじゃくる顔を残したくはなくて―――
 無理矢理―――
 最期の力で、涙を、拭いた。
「あ、りが、とう……ござい、ました………」
「………」
「―――ッ、ぁ」
 彼女は、本当に、最期のその力で、無理矢理作っていることがばればれの笑顔を、―――あの、華やかな笑顔を、最期に浮かべて―――
 最期に、選んだ言葉を、口にして―――

 ざらりッ……

 耳障りな、余韻を残して。
 彼女の笑顔は、そっと、消えた。























『人を、好きになれて、良かった―――』






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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
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THE Four:ゼルゼイルの旅路
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