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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE3
「うっ、ん……」
初めに知覚したのは自身が漏らした呻き声。それから鈍い痛みが身体を劈く。
―――痛……
どこか冷めた思考が、平坦な感覚を紡ぐ。身体を縮ませて押さえつけたい衝動に駆られたが、何故だか自分の体が重い。
―――あれ……あたし、どうしたんだっけ……
鈍い痛みに襲われながらも、重い瞼を持ち上げる。薄く開いた視界に、目に染みるような白い光と天井が飛び込んでくる。
もちろん、その天井に見覚えはない。
「あれ……」
「あ、気がつきましたぁ?」
能天気な声が聞こえる。聞き覚えはない。
そう思った瞬間に、ひょい、と視界に飛び込んでくる少女の顔。大きなエメラルドの瞳が印象的だ。ふわり、と白い肌に金の髪がかかる。
少々幼いが、可愛らしいという形容詞がよく似合う少女だ。
「あたし……う、くッ……」
「あ、まだ動かない方がいいですよ」
反射的に身体を動かそうとするカノンの胸に手を置いて制してくる彼女。
「えっと、ちょっと両腕が取れかけてていろんなところの骨にひびが入ってたんで。うちの先生がリザレクションを使えて良かったですよー。
もうほとんど骨も繋がってますけど、かなりの違和感は残ってるでしょうから数日は動かさないでくださいね」
「……」
―――ほ、朗らかな笑顔でなかなかエグイことを……
思い出した。
そうだ。あの黒衣の少年が連れていた子供と戦って、負傷したのだった。とすると、
「ここは…病院……?」
喉がからからで上手く声が出ない。
「はい。あ、申し遅れました。私、ここで看護士をやっておりますステイシアです。どうぞよろしく」
にこにこと語りかけてきてはくれるのだが、生憎、鈍痛に塗れていて返すのは難しい。
わずかに動く首をもたげて周囲を見渡す。白い天井と壁、清潔感漂うカーテンと真っ白なベッド。棚とサイドテーブルは備わっていて、そこには熱を下げるための水布と幾つかの薬が並んでいる。なるほど、確かに病室だ。
軽く息を吐く。どうやら生き延びたらしい。
「あ、喉渇いてますよね。ちょっと待っててくださいね」
かたん、と椅子を鳴らしてステイシアが立ち上がる。備え付けのポットの中から薄緑色の茶をマグカップへ注いで手渡してくる。
「はい、ちょっとだけ熱いので気を付けてくださいね」
「あ、ありがとう……」
上手く身体を動かせない怪我人への気遣いなのだろう。少々、温めのお茶を口にする。
口腔を流れていく感触に、初めて自分の喉が痛いほど乾いていたことを知る。何とか動く左手で喉を揉み解しながら一杯のお茶を飲み干した。
「大丈夫ですか?」
「あ、あー、あっ、あー……うん、平気。それより何がどうなってあたし、こんなところにいるの?」
「覚えてないんですか?」
「えっと……、自分が大怪我したところまでは」
首を傾げようとして出来なかった。違和感を駆け抜けた首を押さえて呻く。
ここまで自由が利かないのは久方ぶりだ。あの少年、余程本気で弄ってくれたらしい。溜め息を吐いて少女を見る。彼女は頬に手を当てて思い出すかのように、
「えっと、ですね。昨日、偶然貴方が怪我してる現場に遭遇してですね。
連れの方に病院の場所を聞かれたものでご案内したんです。ちょうど良かったですよー、病室も一つ空いてましたし」
「偶然会った、って……」
おそらくは気絶した後に、ステイシアがあの場所に来たのだろう。だが、確かあのときは相当夜も更けていたし、女の子一人で出歩くには些か不似合いだ。
疑問を投げるより先に答えが返って来た。
「あ、一人ではなかったですから。同僚と一緒でしたし。
昨日は夜中にちょっと急患が出ましてあの界隈にある薬屋さんに一っ走りしてたんです。そしたら騒ぎが聞こえたんで……
こんな小さい町なのに急患が一度に出て大変でしたよー」
―――イヤミか、それは……
にこにこと語ってはくれるのだが、毒があるのかないのかいまいち判然としない人だ。
「まあ……何にせよ、助けてもらったのにはお礼を言わないとね。ありがとう」
「いえいえー。私は案内しただけですから。
お礼を言うなら先生とここまで貴方を運んでくれたあの人に言ってください」
「……そうね。後者は気が進まないけど」
「あははは、でも格好いいですよねー、お連れの方。彼氏さんなんですか?」
「違う!」
電光石火で答える。彼女は大げさに驚きながら、
「そうなんですか? てっきりそうなものだと」
「何でよ?」
「だって、私、物凄い剣幕で聞かれましたし。病院はどこだー、って。
だからそうなんだろうなー、って」
―――そりゃ腕取れかかってる人間抱えてたら、普通焦るだろ。いくらあいつでもそこまで淡白じゃないっての。
胸中で突っ込みながら、頭のどこか冷めた部分が無駄だと語る。唐突に湧き上がった頭痛を抑えて、顔を上げる。
「……まあ、いいや。とにかく、宿の連中に伝えて置かないと」
「ああ、それでしたら、」
ステイシアが何か言いかけたときだった。
どたたたたたたたたたッ!!
廊下の向こうから轟音が響く。ステイシアが驚いてドアを見るが、カノンは達観した表情で明後日を見やった。
「大丈夫か、カノンッ!!」
ドアの蝶番が悲鳴を上げる速度で部屋の中へ突進してきた男へ、カノンは呆れた視線を送る。
「アルティオ……あんたさ、ここどこだか解ってる?」
「大丈夫か、誰にやられたんだ、死ぬなよ俺はまだお前を幸せにぐはぁッ!」
「って、噛むし。聞けよ人の話」
一人で騒いできっちり自爆してくれた彼に、特大の溜め息が漏れる。涙と鼻水で汚れた顔を近づけてくるアルティオを左手で何とか押し戻して睨んだ。
「あたしはこの通り、死んじゃいないからとりあえず落ち着きなさいって」
「いやッ! この仇討ちは絶対に俺が成す! 見ていてくれカノン!」
「って、ニュアンスで人を殺すんじゃない! 待てこら……」
止めようにもいつも通りに体が動くはずはなく、踵を返して再びドアに突進していくアルティオを……
ごがんッ!
……の、後頭部を点滴用のポールが強襲した。
「きゃあッ!?」
「ういーっす、無事、カノン?」
「……はいはい、一応無事よ」
何事もなかったかのようにポールを立て直すルナに、疲れた声色で答える。隣でステイシアが悲鳴を上げた気がしたが、まあいきなり人を殴り倒したりすれば当然の話なのかもしれない。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
「ステイシア、放って置いていいわよ。すぐ復活するから」
「で、でも……」
駆け寄る看護士に諫めるカノン。ルナはそれこそ我関せずで近くの椅子を引き寄せて腰掛ける。
「やー、災難だったらしいわねー」
「他人事……いや、他人事なんだろうけど何かムカつくわね」
「いてて……」
「あの、お怪我ありませんか?」
頭を摩りながら身を起こしたアルティオに、楚々と声をかけるステイシア。殊勝な娘だ。
いつもの通り、五体満足で復活したアルティオは、心配そうに覗き込んでくるいたいけな少女の姿を視界に捉え、ばっと凄まじい勢いで身を起こす。
少女の両手をしっかりと握りながら。
「お嬢さん、いや、白衣の天使様、ありがとうございます。出来ればどうかこの不肖の本当の天使に……」
カノンとルナの冷えた目が『また始まった』と語っている。アルティオのいつもの悪い癖だ。どうせフラれて終わりなのだから二人とも今さら気にもしない。
興味を失って自分たちの話に戻ろうとして、
「や、やめてくださいッ!!」
どがッ! ばきばきィッ!!
『……』
……数瞬後、目の前で起こった奇妙な現象にカノンもルナも言葉を失った。赤い頬で肩を上下させながら佇むステイシアと、つい先程までと同じような体勢で倒れこんでいるアルティオ=バーガックス。
いや、見てはいたのだ。刺客から取り込んだ情報を脳が受け入れきれていないだけで。
「……ねえ、ルナ」
「何?」
「今、あたしには彼女がアルティオの手を逆手に取って転がして床に打ち付けたように見えたんだけど?」
「奇遇ね、あたしにも同じように見えてたわよ」
その答えに固まりながら(実際、ろくに身体は動かせないのだが)頷く。うん、まさか二人一緒に白昼夢が見られるものだとは思っていなかった。
それとも自分は実は助かっておらず、ここは俗に言う死後の世界というやつなのか?
「す、ステイシア?」
やや引いた声をかける。と、彼女ははっとして居住まいを正しながら、
「やだ私ったら患者さんの前で……」
「いや、そういう問題じゃなくて……、貴方、強かったんだ……」
「いえ、いい加減に習った程度ですよ? 薬を届けにとか、患者さんの定期訪問とか、一人で遅くまで外にいることもありますから」
―――それにしちゃ逞しいだろ、手加減できてないっぽいし。
呆けた表情で顔を赤らめる彼女に、それ以上言う言葉もなく、
「いつつ……何だぁ?」
戸惑っているうちにアルティオが目を覚ます。さすが頑丈さが取り柄なだけはある。むくりと頭を抑えて起きる彼に、ステイシアが息を飲んだ。
それはそうだ。手加減なく投げ飛ばした相手が間もなく起き上がるなど、そうそう見ない光景だろう。
「見境なく手ぇ出すからよ」
「あっはっは、これくらい! カノンのいつもの愛のムチに比べたら屁でもねぇぜ!」
「そこであたしを引き合いに出すか……」
怪我で何も出来ないのが心底口惜しい。奴に代わってステイシアに謝って置こう。睨みを利かせて置いてから彼女を彼女を見上げ、
「……」
異変に気づく。
不自然に頬をさらに紅潮させた彼女がそこにいた。
どこかで見たことがある、というか常日頃見てる。これはあれだ、どこかの脳みそに花が咲いている極身近な女魔剣士が件の相棒に黄色い声を上げるときとそっくりな表情だ。
カノンでもそれくらいは察することが出来る。出来るのだが、何故このタイミングで、この状況下でこの人がそんな表情を浮かべているのかが理解できない。
自分よりはその手の手管に長けているだろう親友へ目を向けるが、彼女も彼女でステイシアへ目をやって眉間に皺を寄せている。どうやら同じ心境らしい。
カノンが葛藤しているうちにステイシアの方は色々と自己完結を終えたらしい。ぱたぱたとへたり込むアルティオへ駆け寄って、勢いづけて頭を下げる。
「ごめんなさい! 私のせいで……ッ!」
「へ? あ、いや、見ての通りぴんぴんしてるから大丈夫ッスよ。
けどお詫びにデートの一回くらいしてくれたら嬉しいかなー、ってくらいで」
二撃目くらいくれてやれ、とカノンもルナも思うのだが、しかし、彼女は逆にきらきらと目を輝かせ、
「はいッ! ぜひお連れくださいッ! そ、その、私、貴方となら……」
頬を染めたまま、もじもじし始めるステイシア。思わず顔を見合わせるカノンとルナ。言った当人さえも予想とかけ離れた返答だったらしく。ぽかんとしたまま、間の抜けた顔で彼女を眺めている。
生温い混沌と化した場を砕くようにカノンは彼女に声をかける。
「えーと、ステイシアさん?」
「はい?」
「つかぬことをお聞きしますけど……貴方、もしかしてそいつのこと気に入った、とか……」
顔色を伺いつつの問い。が、彼女はそれはそれは華やかな微笑みで、
「はい!」
「……ごめん、もの凄い失礼なこと聞くけど、どこが?」
「だって素敵じゃないですか。私、恋人にするならアルティオさんみたいに、私の技を喰らっても全然平気な丈夫な人って決めてたんです!」
確かに鮮やかに投げを決めた彼女を見る限り、彼女とそういう仲に当たって必要なのは頑丈さと忍耐な気はするが。
だがその定理はカノンの理解力を軽く超えていた。傷でただでさえ微熱が出ているというのに、さらに熱が上がりそうだ。
「何? 世の中には私の理解できない基準が存在するわけ? 何がどうなればそんな考えに……」
困惑から抜け出せないカノンの肩をぽん、と叩く手が一つ。
「世の中には色々な人がいるの。蓼食う虫も好き好きとはよく言ったものよ」
「……前から思ってたけどさ、あんたのそのやたらと達観した言動ってどっからくる」
「ときにステイシア」
―――うっわ、誤魔化しやがったこのアマ。
「そんなにそいつが気に入ったなら貸してあげるから、一緒に宿屋からカノンの荷物持って来てやってくれない?」
「はッ!?」
「いいんですかッ!?」
本人そっちのけで話を進めていくルナに、アルティオはうろたえてステイシアは目を輝かせる。
「仮にも女の子の荷物だし、男に任せるわけにいかないでしょ。あたしはちょこーっとカノンとお話があるし」
「でも私、看護士ですからカノンさんについてないと……」
「ついてるならそれなりの入院準備も手伝うのが一流看護士ってもんでしょ」
そんな定義は聞いたことがない。
しかし、ルナとの話を他人に聞かせていいものではないと理解していたカノンは矢継ぎ早に、
「あたしなら大丈夫だし、ルナについててもらうから。お願いします、ステイシアさん」
「カノンー!」
涙目でアルティオが何かを訴えるが見て見ぬ振りだ。自分で声をかけたのだからエスコートくらいしてもらわないと紳士とは言えまい。
カノンからの冷たい眼差しに、アルティオも覚悟を決めたらしい。
短く息を吐いて気合を入れるようにステイシアを振り返る。
「では参りましょう、お嬢さん。お手をどうぞ」
出来るなら最初からやれ。
ステイシアに聞こえる心配がなかったら遠慮なく口にしていただろう文句が頭に浮かぶ。差し出された無骨な手に、彼女は頬を染めながら細い自分の手を重ねる。
そこにあったのはさながら三流恋愛小説の一シーンだ。
異様なむず痒さがカノンの背を走る。
「カノン、すぐ戻ってくるからな! 待っててくれ、必ず俺がお前の仇をぉうッ!」
「さあ、アルティオさん! 早く行きましょう!」
拳を固めかけたアルティオは、腕を突かんで振り回したステイシアの力に負けてドアに激突した。そのまま彼女は引き摺るようにして彼を連こ……ではなく、デートへと誘っていく。
ぱたん、と閉められたドアを眺めてカノンは眉間に皺を寄せた。
「……大丈夫かしら?」
「まあ、あれでも一応自称フェミニストだし、頑丈が取り柄だし、大丈夫なんじゃない?」
自分で送り出しておいて難だが、無責任な言動だ。
「まあ、奴のことはさて置いて。とりあえず、カノン、あんたは大丈夫なの?」
持ち前の切り替えの速さでルナはベッドの上のカノンを見下ろした。身体を起こせないカノンはへらっ、と愛嬌程度に笑いながら、
「何とか。傷は塞がってるんだけど、体中の違和感が取れなくて」
「へぇ、こんな町に随分と腕のいい魔法医がいたもんね。それなら良かった。
……で」
ルナの声のトーンが下がる。その意味が理解できないほどカノンも愚鈍ではなかった。
おおよそのことはレンから聞いているはずだ。それが証拠に急に表情が暗く、厳しく吊りあがる。
「……あいつ、だったの?」
それが差すのは言うまでもなくクオノリアのあの"もの"。
彼女の機密研究をどこからか手に入れた、得体の知れないヒトガタの黒影。
「やられたのはあいつの……部下、なのかな? ともかく下に付いてるっぽい子供だけど」
「子供?」
きゅ、と眉根を寄せる。言いたいことは解る。子供相手にこんな重傷を負ったのか、と言いたいのだろう。
自分の汚点を語るのは好きではないのだが、今回に限ってはそれで彼女が納得するとも思えない。
「実は……」
「なるほど、ね……」
昨夜、気絶するまでの記憶のありったけを話し終え、ルナが呟いたのはその一言だった。
「何か心当たりある?」
「……いや、話だけじゃさすがに解んないわ。
竜種族との混血種[ハイブリッド]か、あるいはそれそのものが魔的な……そうね、使い魔みたいなものなのか。
あくまで仮説だから大きなことは言えないけど」
「そっか……」
はふ、と息を吐く。相手がわからないということは対抗手段が見つけにくい、ということだ。
敗北感と憂鬱。
その二つが重くカノンの肩に圧し掛かる。
前回もそうだった。結局、クオノリアに渦巻いていた陰謀を阻止することは出来たものの、到底勝ちとは言い難い代物だ。すべてはあの謎の人物に対して、すべてが後手後手に回ってしまった結果と言える。
「で、そいつはこっちを目的なく襲って来ただけなの?」
「……解らないわ。
何の算段もなく、人を襲ってくるような人間には見えないんだけど。理由なんて喋ってくれるわけないし。
ただ」
「ただ?」
「殺すつもりはない、みたいなことは言ってたわ。エノとかいう奴に『やりすぎだ』って随分怒ってたみたいだし。
前回も陰に隠れてあたしたちを観察してた、みたいなこと言ってたじゃない。
だから殺すというより何かに利用しようとしてるんだと思う。自信はないけど」
珍しく目尻を下げて口にする。
ルナはしばらく目を閉じて何事か考え込んでいた。カノンはぼうっとした頭で情報を整理しながらそれを待つ。
昨夜。
あの使い魔の少年の言い分はともかくとして、彼らはこちらを殺しに来たわけではないらしい。
だが、何故、わざわざ外におびき出してまでカノンを襲ったのか。深夜だったとはいえ、他人に目撃されるリスクを負ってまで、無目的な無意味な襲撃をするだろうか。
答えはノーだ。
あれだけ周到な人物だ。あの目立つ風貌を自覚しながらそんなリスクを負ってまで、戯れに人を襲ったりしないだろう。戦力を落すためか。いや、効率が悪すぎる。だったら一思いに殺されていてもいいはずだ。
となればそこには何らかの意図が存在する。
クオノリアの悲劇のように、周到に張り巡らされた意図が。
だがそれが見えて来ない。一体、何故。カノン一人をいたぶる必要があったのか。
堂々巡りの思考を続けているうちにルナが顔を上げた。気を取り直すべく、吐いた息。上げた顔はほんの少し笑んでいて、開いた手でカノンの前髪をそっと撫でた。
「ん……ちょっと、くすぐったいってば」
「怪我人は大人しくしてるもんよ。お疲れ様。
まあ、出来ることと言ったらもう一度あんたを襲ってくることを仮定して護衛することと、それとなく街中に聞き込みにいくことくらいね。
後手には回りたくないけど、情報が少なすぎるわ。
聞き込みやら何やらはあたしたちで何とかするから、あんたはとりあえず大人しく傷を治しなさい」
「う……」
「不満そうにしないの。
……一応、傷害罪だからね。政団にも応援を頼んで、護衛の形で数人張り付かせてるけど、あんまり期待は出来ないわ」
それはそうだ。何しろ相手はMWOを手玉に取った男。
政団員の数人で相手に出来るような奴じゃない。
「だからさっさとあんた自身が回復するのが一番いいのよ。悔しいのは解るけど、理解出来んでしょ、子供じゃないんだから」
「わ、わかってるわよ……それくらい」
拗ねたように毛布に顔を埋めるカノン。
妹分のその仕草が可愛くて、ルナはふっと微笑んで髪を梳いてやる。
「……ねえ、あの、ルナ」
「何?」
「その……怒って、た?」
主語や目的語などいらない。誰のことを差しているかなど明白だ。ルナは苦笑いを漏らす。ちょっとした悪戯心が、ああ、最近は疼きっ放しだなと思いながらもその悪魔の誘惑には勝てずに意地悪にも口を開く。
「うん、まー、見たところかーなりね。
無理ないんじゃない? 前回の今回だし。今回なんて文字通り一人で突っ走った結果だし。
お説教の一つや二つ、覚悟しておいた方がいいわね」
「うう……」
反論する術を持たないカノンは、被告人席に座られたような心持で視線を下げた。
その予想通りの反応に満足しながらルナはくすくすと声を上げて笑う。
「まあ、いいじゃない。あいつもしたくてしてるんじゃないんだから。
実際、かなりやばい状態だったわけだし。あいつはその状態のあんたを目の当たりにしたわけでしょ。
自分の相棒がそんなになったんだから、お説教の一つくらいしないと気が気じゃないのよ。
やー、もうカノンちゃんてば愛されてるぅv」
「ばっ、馬鹿なこと言わないでよッ! そんなわけないでしょ!」
そういえば何処に行ったのだろう。怪我で入院という事態だ。いつもなら目が覚めて、最初に喰らうのが彼のお説教なのに。
無意識に胸元を探って。
急に原因不明の激しい心細さが彼女を襲う。
―――ああ、そうか。壊れちゃったんだっけ……
「どうかした?」
「ううん、別に……」
気絶する寸前の千切れた鎖を思い出す。今もあの石畳に転がったままだろうか。かといって探しにいくことも出来ない。
悔しさとは別の苦い感情が喉元に込み上げて、カノンは顔が見えなくなるくらい深く毛布を被った。
ルナは特に何も言わない。
「ルナ」
「んー?」
「……あいつ、今どこにいるかな?」
彼女は「うーん」と軽く唸って、天井を眺めながら。
「あんたの熱が下がるまではいたらしいんだけどね。朝方、さっきの看護士さんに任せてどっか出かけたって。ちなみにシリアはそれ追っかけてった」
「……そ、っか」
「寂しい?」
「だからそんなわけないじゃないッ!!」
ムキになってなってカノンは毛布を跳ね上げた。あまりにも楽しそうなルナの表情に、手中にはまっていることに気づく。
頭に血が上っていく。ただでさえ微熱で精神制御が上手くいかないのに。
「あたし寝るッ!」
「はいはい、おやすみなさい♪」
ますます剥れた彼女はそれまでよりなお深く、干渉を拒絶するように毛布を被り直したのだった。
丸まった毛布の中身が静かになった頃合に、ルナはそっと毛布を剥がす。
ほんのり上気した頬を枕に押し付けて、目を閉じる少女がいた。ちょうどいいように毛布をかけ直してやると、「ううん」と呻いた後に寝返りを打とうとして体が動かないのか顔をしかめる。
が、さすがに体力が落ちているのだろう、そのまま目を覚ます事無く再び深い眠りに落ちていく。
その様に笑いを漏らしながら、ルナは椅子に座り直す。
「レンじゃなくても甘やかしたくなるわよねー、これじゃ」
妹分の幼馴染は文句なしに可愛いと思う。どこかの仏頂面や単純体力馬鹿ではないが、守ってやりたいとは思うし、心細そうにしていれば手を差し伸べずにはいられないだろう。
時折、その真っ直ぐな生き方に、焦がれてしまうけれど。
だが人一人を支えるという行為は言うほど易いものではない。
からからと笑いながら。
しかし、その目はふと途切れた笑いにすっと細められ、生真面目に吊りあがった。自然と握り締めた拳に力が入る。
「……………たら」
声にさえならない呟きが漏れる。……こんなことでは駄目だ。
ルナ=ディスナーという人間は能天気な魔道師。どんな場合でもお茶らけて突拍子もなくて、空気が重くなりかけたら可笑しな言動で払拭して。
そうして彼女のいい姉貴分でなくてはならない。
そういう人間なのだから。
ぱんぱんッ、と彼女は両側の頬を張る。
「う……ん…」
少女は呻いて寝返りの代わりか、ますます枕に頬を押し付ける。眉根を寄せているところを見ると、それほど快適な眠りではないらしい。
当たり前か、まだ微熱は引いていないのだ。
ふ、と笑ってルナはその額に浮いた汗を拭ってやる。
―――クオノリアの地で、かつて、自らが生み出した存在が彼女を傷つけた、その事実に悔恨と謝罪を、いつまでも繰り返しながら。
ああ、もう、自分以外の誰も傷付いて欲しくはないのに。
空回るのは誰も彼も同じ。
←2へ
初めに知覚したのは自身が漏らした呻き声。それから鈍い痛みが身体を劈く。
―――痛……
どこか冷めた思考が、平坦な感覚を紡ぐ。身体を縮ませて押さえつけたい衝動に駆られたが、何故だか自分の体が重い。
―――あれ……あたし、どうしたんだっけ……
鈍い痛みに襲われながらも、重い瞼を持ち上げる。薄く開いた視界に、目に染みるような白い光と天井が飛び込んでくる。
もちろん、その天井に見覚えはない。
「あれ……」
「あ、気がつきましたぁ?」
能天気な声が聞こえる。聞き覚えはない。
そう思った瞬間に、ひょい、と視界に飛び込んでくる少女の顔。大きなエメラルドの瞳が印象的だ。ふわり、と白い肌に金の髪がかかる。
少々幼いが、可愛らしいという形容詞がよく似合う少女だ。
「あたし……う、くッ……」
「あ、まだ動かない方がいいですよ」
反射的に身体を動かそうとするカノンの胸に手を置いて制してくる彼女。
「えっと、ちょっと両腕が取れかけてていろんなところの骨にひびが入ってたんで。うちの先生がリザレクションを使えて良かったですよー。
もうほとんど骨も繋がってますけど、かなりの違和感は残ってるでしょうから数日は動かさないでくださいね」
「……」
―――ほ、朗らかな笑顔でなかなかエグイことを……
思い出した。
そうだ。あの黒衣の少年が連れていた子供と戦って、負傷したのだった。とすると、
「ここは…病院……?」
喉がからからで上手く声が出ない。
「はい。あ、申し遅れました。私、ここで看護士をやっておりますステイシアです。どうぞよろしく」
にこにこと語りかけてきてはくれるのだが、生憎、鈍痛に塗れていて返すのは難しい。
わずかに動く首をもたげて周囲を見渡す。白い天井と壁、清潔感漂うカーテンと真っ白なベッド。棚とサイドテーブルは備わっていて、そこには熱を下げるための水布と幾つかの薬が並んでいる。なるほど、確かに病室だ。
軽く息を吐く。どうやら生き延びたらしい。
「あ、喉渇いてますよね。ちょっと待っててくださいね」
かたん、と椅子を鳴らしてステイシアが立ち上がる。備え付けのポットの中から薄緑色の茶をマグカップへ注いで手渡してくる。
「はい、ちょっとだけ熱いので気を付けてくださいね」
「あ、ありがとう……」
上手く身体を動かせない怪我人への気遣いなのだろう。少々、温めのお茶を口にする。
口腔を流れていく感触に、初めて自分の喉が痛いほど乾いていたことを知る。何とか動く左手で喉を揉み解しながら一杯のお茶を飲み干した。
「大丈夫ですか?」
「あ、あー、あっ、あー……うん、平気。それより何がどうなってあたし、こんなところにいるの?」
「覚えてないんですか?」
「えっと……、自分が大怪我したところまでは」
首を傾げようとして出来なかった。違和感を駆け抜けた首を押さえて呻く。
ここまで自由が利かないのは久方ぶりだ。あの少年、余程本気で弄ってくれたらしい。溜め息を吐いて少女を見る。彼女は頬に手を当てて思い出すかのように、
「えっと、ですね。昨日、偶然貴方が怪我してる現場に遭遇してですね。
連れの方に病院の場所を聞かれたものでご案内したんです。ちょうど良かったですよー、病室も一つ空いてましたし」
「偶然会った、って……」
おそらくは気絶した後に、ステイシアがあの場所に来たのだろう。だが、確かあのときは相当夜も更けていたし、女の子一人で出歩くには些か不似合いだ。
疑問を投げるより先に答えが返って来た。
「あ、一人ではなかったですから。同僚と一緒でしたし。
昨日は夜中にちょっと急患が出ましてあの界隈にある薬屋さんに一っ走りしてたんです。そしたら騒ぎが聞こえたんで……
こんな小さい町なのに急患が一度に出て大変でしたよー」
―――イヤミか、それは……
にこにこと語ってはくれるのだが、毒があるのかないのかいまいち判然としない人だ。
「まあ……何にせよ、助けてもらったのにはお礼を言わないとね。ありがとう」
「いえいえー。私は案内しただけですから。
お礼を言うなら先生とここまで貴方を運んでくれたあの人に言ってください」
「……そうね。後者は気が進まないけど」
「あははは、でも格好いいですよねー、お連れの方。彼氏さんなんですか?」
「違う!」
電光石火で答える。彼女は大げさに驚きながら、
「そうなんですか? てっきりそうなものだと」
「何でよ?」
「だって、私、物凄い剣幕で聞かれましたし。病院はどこだー、って。
だからそうなんだろうなー、って」
―――そりゃ腕取れかかってる人間抱えてたら、普通焦るだろ。いくらあいつでもそこまで淡白じゃないっての。
胸中で突っ込みながら、頭のどこか冷めた部分が無駄だと語る。唐突に湧き上がった頭痛を抑えて、顔を上げる。
「……まあ、いいや。とにかく、宿の連中に伝えて置かないと」
「ああ、それでしたら、」
ステイシアが何か言いかけたときだった。
どたたたたたたたたたッ!!
廊下の向こうから轟音が響く。ステイシアが驚いてドアを見るが、カノンは達観した表情で明後日を見やった。
「大丈夫か、カノンッ!!」
ドアの蝶番が悲鳴を上げる速度で部屋の中へ突進してきた男へ、カノンは呆れた視線を送る。
「アルティオ……あんたさ、ここどこだか解ってる?」
「大丈夫か、誰にやられたんだ、死ぬなよ俺はまだお前を幸せにぐはぁッ!」
「って、噛むし。聞けよ人の話」
一人で騒いできっちり自爆してくれた彼に、特大の溜め息が漏れる。涙と鼻水で汚れた顔を近づけてくるアルティオを左手で何とか押し戻して睨んだ。
「あたしはこの通り、死んじゃいないからとりあえず落ち着きなさいって」
「いやッ! この仇討ちは絶対に俺が成す! 見ていてくれカノン!」
「って、ニュアンスで人を殺すんじゃない! 待てこら……」
止めようにもいつも通りに体が動くはずはなく、踵を返して再びドアに突進していくアルティオを……
ごがんッ!
……の、後頭部を点滴用のポールが強襲した。
「きゃあッ!?」
「ういーっす、無事、カノン?」
「……はいはい、一応無事よ」
何事もなかったかのようにポールを立て直すルナに、疲れた声色で答える。隣でステイシアが悲鳴を上げた気がしたが、まあいきなり人を殴り倒したりすれば当然の話なのかもしれない。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
「ステイシア、放って置いていいわよ。すぐ復活するから」
「で、でも……」
駆け寄る看護士に諫めるカノン。ルナはそれこそ我関せずで近くの椅子を引き寄せて腰掛ける。
「やー、災難だったらしいわねー」
「他人事……いや、他人事なんだろうけど何かムカつくわね」
「いてて……」
「あの、お怪我ありませんか?」
頭を摩りながら身を起こしたアルティオに、楚々と声をかけるステイシア。殊勝な娘だ。
いつもの通り、五体満足で復活したアルティオは、心配そうに覗き込んでくるいたいけな少女の姿を視界に捉え、ばっと凄まじい勢いで身を起こす。
少女の両手をしっかりと握りながら。
「お嬢さん、いや、白衣の天使様、ありがとうございます。出来ればどうかこの不肖の本当の天使に……」
カノンとルナの冷えた目が『また始まった』と語っている。アルティオのいつもの悪い癖だ。どうせフラれて終わりなのだから二人とも今さら気にもしない。
興味を失って自分たちの話に戻ろうとして、
「や、やめてくださいッ!!」
どがッ! ばきばきィッ!!
『……』
……数瞬後、目の前で起こった奇妙な現象にカノンもルナも言葉を失った。赤い頬で肩を上下させながら佇むステイシアと、つい先程までと同じような体勢で倒れこんでいるアルティオ=バーガックス。
いや、見てはいたのだ。刺客から取り込んだ情報を脳が受け入れきれていないだけで。
「……ねえ、ルナ」
「何?」
「今、あたしには彼女がアルティオの手を逆手に取って転がして床に打ち付けたように見えたんだけど?」
「奇遇ね、あたしにも同じように見えてたわよ」
その答えに固まりながら(実際、ろくに身体は動かせないのだが)頷く。うん、まさか二人一緒に白昼夢が見られるものだとは思っていなかった。
それとも自分は実は助かっておらず、ここは俗に言う死後の世界というやつなのか?
「す、ステイシア?」
やや引いた声をかける。と、彼女ははっとして居住まいを正しながら、
「やだ私ったら患者さんの前で……」
「いや、そういう問題じゃなくて……、貴方、強かったんだ……」
「いえ、いい加減に習った程度ですよ? 薬を届けにとか、患者さんの定期訪問とか、一人で遅くまで外にいることもありますから」
―――それにしちゃ逞しいだろ、手加減できてないっぽいし。
呆けた表情で顔を赤らめる彼女に、それ以上言う言葉もなく、
「いつつ……何だぁ?」
戸惑っているうちにアルティオが目を覚ます。さすが頑丈さが取り柄なだけはある。むくりと頭を抑えて起きる彼に、ステイシアが息を飲んだ。
それはそうだ。手加減なく投げ飛ばした相手が間もなく起き上がるなど、そうそう見ない光景だろう。
「見境なく手ぇ出すからよ」
「あっはっは、これくらい! カノンのいつもの愛のムチに比べたら屁でもねぇぜ!」
「そこであたしを引き合いに出すか……」
怪我で何も出来ないのが心底口惜しい。奴に代わってステイシアに謝って置こう。睨みを利かせて置いてから彼女を彼女を見上げ、
「……」
異変に気づく。
不自然に頬をさらに紅潮させた彼女がそこにいた。
どこかで見たことがある、というか常日頃見てる。これはあれだ、どこかの脳みそに花が咲いている極身近な女魔剣士が件の相棒に黄色い声を上げるときとそっくりな表情だ。
カノンでもそれくらいは察することが出来る。出来るのだが、何故このタイミングで、この状況下でこの人がそんな表情を浮かべているのかが理解できない。
自分よりはその手の手管に長けているだろう親友へ目を向けるが、彼女も彼女でステイシアへ目をやって眉間に皺を寄せている。どうやら同じ心境らしい。
カノンが葛藤しているうちにステイシアの方は色々と自己完結を終えたらしい。ぱたぱたとへたり込むアルティオへ駆け寄って、勢いづけて頭を下げる。
「ごめんなさい! 私のせいで……ッ!」
「へ? あ、いや、見ての通りぴんぴんしてるから大丈夫ッスよ。
けどお詫びにデートの一回くらいしてくれたら嬉しいかなー、ってくらいで」
二撃目くらいくれてやれ、とカノンもルナも思うのだが、しかし、彼女は逆にきらきらと目を輝かせ、
「はいッ! ぜひお連れくださいッ! そ、その、私、貴方となら……」
頬を染めたまま、もじもじし始めるステイシア。思わず顔を見合わせるカノンとルナ。言った当人さえも予想とかけ離れた返答だったらしく。ぽかんとしたまま、間の抜けた顔で彼女を眺めている。
生温い混沌と化した場を砕くようにカノンは彼女に声をかける。
「えーと、ステイシアさん?」
「はい?」
「つかぬことをお聞きしますけど……貴方、もしかしてそいつのこと気に入った、とか……」
顔色を伺いつつの問い。が、彼女はそれはそれは華やかな微笑みで、
「はい!」
「……ごめん、もの凄い失礼なこと聞くけど、どこが?」
「だって素敵じゃないですか。私、恋人にするならアルティオさんみたいに、私の技を喰らっても全然平気な丈夫な人って決めてたんです!」
確かに鮮やかに投げを決めた彼女を見る限り、彼女とそういう仲に当たって必要なのは頑丈さと忍耐な気はするが。
だがその定理はカノンの理解力を軽く超えていた。傷でただでさえ微熱が出ているというのに、さらに熱が上がりそうだ。
「何? 世の中には私の理解できない基準が存在するわけ? 何がどうなればそんな考えに……」
困惑から抜け出せないカノンの肩をぽん、と叩く手が一つ。
「世の中には色々な人がいるの。蓼食う虫も好き好きとはよく言ったものよ」
「……前から思ってたけどさ、あんたのそのやたらと達観した言動ってどっからくる」
「ときにステイシア」
―――うっわ、誤魔化しやがったこのアマ。
「そんなにそいつが気に入ったなら貸してあげるから、一緒に宿屋からカノンの荷物持って来てやってくれない?」
「はッ!?」
「いいんですかッ!?」
本人そっちのけで話を進めていくルナに、アルティオはうろたえてステイシアは目を輝かせる。
「仮にも女の子の荷物だし、男に任せるわけにいかないでしょ。あたしはちょこーっとカノンとお話があるし」
「でも私、看護士ですからカノンさんについてないと……」
「ついてるならそれなりの入院準備も手伝うのが一流看護士ってもんでしょ」
そんな定義は聞いたことがない。
しかし、ルナとの話を他人に聞かせていいものではないと理解していたカノンは矢継ぎ早に、
「あたしなら大丈夫だし、ルナについててもらうから。お願いします、ステイシアさん」
「カノンー!」
涙目でアルティオが何かを訴えるが見て見ぬ振りだ。自分で声をかけたのだからエスコートくらいしてもらわないと紳士とは言えまい。
カノンからの冷たい眼差しに、アルティオも覚悟を決めたらしい。
短く息を吐いて気合を入れるようにステイシアを振り返る。
「では参りましょう、お嬢さん。お手をどうぞ」
出来るなら最初からやれ。
ステイシアに聞こえる心配がなかったら遠慮なく口にしていただろう文句が頭に浮かぶ。差し出された無骨な手に、彼女は頬を染めながら細い自分の手を重ねる。
そこにあったのはさながら三流恋愛小説の一シーンだ。
異様なむず痒さがカノンの背を走る。
「カノン、すぐ戻ってくるからな! 待っててくれ、必ず俺がお前の仇をぉうッ!」
「さあ、アルティオさん! 早く行きましょう!」
拳を固めかけたアルティオは、腕を突かんで振り回したステイシアの力に負けてドアに激突した。そのまま彼女は引き摺るようにして彼を連こ……ではなく、デートへと誘っていく。
ぱたん、と閉められたドアを眺めてカノンは眉間に皺を寄せた。
「……大丈夫かしら?」
「まあ、あれでも一応自称フェミニストだし、頑丈が取り柄だし、大丈夫なんじゃない?」
自分で送り出しておいて難だが、無責任な言動だ。
「まあ、奴のことはさて置いて。とりあえず、カノン、あんたは大丈夫なの?」
持ち前の切り替えの速さでルナはベッドの上のカノンを見下ろした。身体を起こせないカノンはへらっ、と愛嬌程度に笑いながら、
「何とか。傷は塞がってるんだけど、体中の違和感が取れなくて」
「へぇ、こんな町に随分と腕のいい魔法医がいたもんね。それなら良かった。
……で」
ルナの声のトーンが下がる。その意味が理解できないほどカノンも愚鈍ではなかった。
おおよそのことはレンから聞いているはずだ。それが証拠に急に表情が暗く、厳しく吊りあがる。
「……あいつ、だったの?」
それが差すのは言うまでもなくクオノリアのあの"もの"。
彼女の機密研究をどこからか手に入れた、得体の知れないヒトガタの黒影。
「やられたのはあいつの……部下、なのかな? ともかく下に付いてるっぽい子供だけど」
「子供?」
きゅ、と眉根を寄せる。言いたいことは解る。子供相手にこんな重傷を負ったのか、と言いたいのだろう。
自分の汚点を語るのは好きではないのだが、今回に限ってはそれで彼女が納得するとも思えない。
「実は……」
「なるほど、ね……」
昨夜、気絶するまでの記憶のありったけを話し終え、ルナが呟いたのはその一言だった。
「何か心当たりある?」
「……いや、話だけじゃさすがに解んないわ。
竜種族との混血種[ハイブリッド]か、あるいはそれそのものが魔的な……そうね、使い魔みたいなものなのか。
あくまで仮説だから大きなことは言えないけど」
「そっか……」
はふ、と息を吐く。相手がわからないということは対抗手段が見つけにくい、ということだ。
敗北感と憂鬱。
その二つが重くカノンの肩に圧し掛かる。
前回もそうだった。結局、クオノリアに渦巻いていた陰謀を阻止することは出来たものの、到底勝ちとは言い難い代物だ。すべてはあの謎の人物に対して、すべてが後手後手に回ってしまった結果と言える。
「で、そいつはこっちを目的なく襲って来ただけなの?」
「……解らないわ。
何の算段もなく、人を襲ってくるような人間には見えないんだけど。理由なんて喋ってくれるわけないし。
ただ」
「ただ?」
「殺すつもりはない、みたいなことは言ってたわ。エノとかいう奴に『やりすぎだ』って随分怒ってたみたいだし。
前回も陰に隠れてあたしたちを観察してた、みたいなこと言ってたじゃない。
だから殺すというより何かに利用しようとしてるんだと思う。自信はないけど」
珍しく目尻を下げて口にする。
ルナはしばらく目を閉じて何事か考え込んでいた。カノンはぼうっとした頭で情報を整理しながらそれを待つ。
昨夜。
あの使い魔の少年の言い分はともかくとして、彼らはこちらを殺しに来たわけではないらしい。
だが、何故、わざわざ外におびき出してまでカノンを襲ったのか。深夜だったとはいえ、他人に目撃されるリスクを負ってまで、無目的な無意味な襲撃をするだろうか。
答えはノーだ。
あれだけ周到な人物だ。あの目立つ風貌を自覚しながらそんなリスクを負ってまで、戯れに人を襲ったりしないだろう。戦力を落すためか。いや、効率が悪すぎる。だったら一思いに殺されていてもいいはずだ。
となればそこには何らかの意図が存在する。
クオノリアの悲劇のように、周到に張り巡らされた意図が。
だがそれが見えて来ない。一体、何故。カノン一人をいたぶる必要があったのか。
堂々巡りの思考を続けているうちにルナが顔を上げた。気を取り直すべく、吐いた息。上げた顔はほんの少し笑んでいて、開いた手でカノンの前髪をそっと撫でた。
「ん……ちょっと、くすぐったいってば」
「怪我人は大人しくしてるもんよ。お疲れ様。
まあ、出来ることと言ったらもう一度あんたを襲ってくることを仮定して護衛することと、それとなく街中に聞き込みにいくことくらいね。
後手には回りたくないけど、情報が少なすぎるわ。
聞き込みやら何やらはあたしたちで何とかするから、あんたはとりあえず大人しく傷を治しなさい」
「う……」
「不満そうにしないの。
……一応、傷害罪だからね。政団にも応援を頼んで、護衛の形で数人張り付かせてるけど、あんまり期待は出来ないわ」
それはそうだ。何しろ相手はMWOを手玉に取った男。
政団員の数人で相手に出来るような奴じゃない。
「だからさっさとあんた自身が回復するのが一番いいのよ。悔しいのは解るけど、理解出来んでしょ、子供じゃないんだから」
「わ、わかってるわよ……それくらい」
拗ねたように毛布に顔を埋めるカノン。
妹分のその仕草が可愛くて、ルナはふっと微笑んで髪を梳いてやる。
「……ねえ、あの、ルナ」
「何?」
「その……怒って、た?」
主語や目的語などいらない。誰のことを差しているかなど明白だ。ルナは苦笑いを漏らす。ちょっとした悪戯心が、ああ、最近は疼きっ放しだなと思いながらもその悪魔の誘惑には勝てずに意地悪にも口を開く。
「うん、まー、見たところかーなりね。
無理ないんじゃない? 前回の今回だし。今回なんて文字通り一人で突っ走った結果だし。
お説教の一つや二つ、覚悟しておいた方がいいわね」
「うう……」
反論する術を持たないカノンは、被告人席に座られたような心持で視線を下げた。
その予想通りの反応に満足しながらルナはくすくすと声を上げて笑う。
「まあ、いいじゃない。あいつもしたくてしてるんじゃないんだから。
実際、かなりやばい状態だったわけだし。あいつはその状態のあんたを目の当たりにしたわけでしょ。
自分の相棒がそんなになったんだから、お説教の一つくらいしないと気が気じゃないのよ。
やー、もうカノンちゃんてば愛されてるぅv」
「ばっ、馬鹿なこと言わないでよッ! そんなわけないでしょ!」
そういえば何処に行ったのだろう。怪我で入院という事態だ。いつもなら目が覚めて、最初に喰らうのが彼のお説教なのに。
無意識に胸元を探って。
急に原因不明の激しい心細さが彼女を襲う。
―――ああ、そうか。壊れちゃったんだっけ……
「どうかした?」
「ううん、別に……」
気絶する寸前の千切れた鎖を思い出す。今もあの石畳に転がったままだろうか。かといって探しにいくことも出来ない。
悔しさとは別の苦い感情が喉元に込み上げて、カノンは顔が見えなくなるくらい深く毛布を被った。
ルナは特に何も言わない。
「ルナ」
「んー?」
「……あいつ、今どこにいるかな?」
彼女は「うーん」と軽く唸って、天井を眺めながら。
「あんたの熱が下がるまではいたらしいんだけどね。朝方、さっきの看護士さんに任せてどっか出かけたって。ちなみにシリアはそれ追っかけてった」
「……そ、っか」
「寂しい?」
「だからそんなわけないじゃないッ!!」
ムキになってなってカノンは毛布を跳ね上げた。あまりにも楽しそうなルナの表情に、手中にはまっていることに気づく。
頭に血が上っていく。ただでさえ微熱で精神制御が上手くいかないのに。
「あたし寝るッ!」
「はいはい、おやすみなさい♪」
ますます剥れた彼女はそれまでよりなお深く、干渉を拒絶するように毛布を被り直したのだった。
丸まった毛布の中身が静かになった頃合に、ルナはそっと毛布を剥がす。
ほんのり上気した頬を枕に押し付けて、目を閉じる少女がいた。ちょうどいいように毛布をかけ直してやると、「ううん」と呻いた後に寝返りを打とうとして体が動かないのか顔をしかめる。
が、さすがに体力が落ちているのだろう、そのまま目を覚ます事無く再び深い眠りに落ちていく。
その様に笑いを漏らしながら、ルナは椅子に座り直す。
「レンじゃなくても甘やかしたくなるわよねー、これじゃ」
妹分の幼馴染は文句なしに可愛いと思う。どこかの仏頂面や単純体力馬鹿ではないが、守ってやりたいとは思うし、心細そうにしていれば手を差し伸べずにはいられないだろう。
時折、その真っ直ぐな生き方に、焦がれてしまうけれど。
だが人一人を支えるという行為は言うほど易いものではない。
からからと笑いながら。
しかし、その目はふと途切れた笑いにすっと細められ、生真面目に吊りあがった。自然と握り締めた拳に力が入る。
「……………たら」
声にさえならない呟きが漏れる。……こんなことでは駄目だ。
ルナ=ディスナーという人間は能天気な魔道師。どんな場合でもお茶らけて突拍子もなくて、空気が重くなりかけたら可笑しな言動で払拭して。
そうして彼女のいい姉貴分でなくてはならない。
そういう人間なのだから。
ぱんぱんッ、と彼女は両側の頬を張る。
「う……ん…」
少女は呻いて寝返りの代わりか、ますます枕に頬を押し付ける。眉根を寄せているところを見ると、それほど快適な眠りではないらしい。
当たり前か、まだ微熱は引いていないのだ。
ふ、と笑ってルナはその額に浮いた汗を拭ってやる。
―――クオノリアの地で、かつて、自らが生み出した存在が彼女を傷つけた、その事実に悔恨と謝罪を、いつまでも繰り返しながら。
ああ、もう、自分以外の誰も傷付いて欲しくはないのに。
空回るのは誰も彼も同じ。
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★ 目次
DeathPlayerHunter
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
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THE Second:剣奉る巫女
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THE Third:慟哭の月
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