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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE17
陰謀は再び回り出す。そこは国という名の伏魔殿に過ぎないのかもしれない。
陰謀は再び回り出す。そこは国という名の伏魔殿に過ぎないのかもしれない。
「本っ当に何も知らないの?」
「何のことですか?」
眉間に皺を寄せて、今日、何度目かのやり取りがされる。夜が明けるのを待って街道に戻り、元の山道を歩き出して数刻。ゆるやかな山道に日は大分高く上がっていて、両足にも程ほどの疲れが溜まり始めた頃だ。
それでも前を歩く少年は、やはり汗一つ開かずに飄々と歩いている。きっと歩幅もこちらに合わせてくれているのだろう。数時間前とまったく変わらない返答に、カノンは腕を組んで唸る。
「……疑り深いですね」
「だってあんたを雇うまで、あんな無茶苦茶な手は使って来なかったもの」
村を出たのは三日前。それまで昨夜のような過激な襲撃などなかった。彼を雇っていなかったら、昨夜の時点で死んでいただろう。けれど彼が護衛として着いたその日に、襲撃が激化したことも事実である。多少の疑いは持っても仕方ないだろう。
――まあ、単純に偶然、追いつかれたのが昨日だった、っていう可能性も強いけど……。
「でも、相手はプロじゃなさそうですね」
「え?」
不意に少年が吐いた言葉に顔を上げる。
「どういうこと?」
「暗殺者[アサシン]は外部者の介入を好みません。顔を見られるのもね。いろいろと彼らにとっては不都合ですから。
つまり、プロの暗殺者[アサシン]だったら、他の人間が泊まっている宿屋で、あんな大規模な騒ぎを起こす、なんて真似はするはずないんですよ」
「プロじゃない、って……じゃあ、普通の傭兵か何か、ってこと?」
「もしくは何かの思惑があってのことか、さもなくば――」
少年は言葉を切って、顎に手を置いた。
「……カノンさん。村を出て来るときに、火事になったと仰いましたね?」
「う、うん……運良く私のいた家は村の外の方だったけど……」
「……」
少年の眉が険しく潜められる。口の中の苦いものを舐め取るように、一度唇を湿らせてから、
「あまり想像したくはないですが……。その火事は何が原因でしたか?」
「……わからない。今はもっと調べられてるあもしれないけど、少なくとも私が出て来たときは出火元不明だったわ」
少年の表情が険しい。カノンがふるふると首を振る動作にも、力はなかった。嫌な想像だけが膨らんでいく。
「まさか、貴方を焼き殺すために村ごと焼き払った、なんてことは――」
「まさか……っ! いくら何でもそんなの無茶苦茶すぎるわよっ!?」
直接的に口にした少年に、カノンは冷たい汗と共に言い返す。まさか、いくら何でも無茶苦茶だ。一人殺すために村一つ犠牲にするなんて、そんな人間がいてたまるものか。だが少年は無情にもゆっくりと首を振る。
「カノンさん、貴方がどんな理由で狙われているのかわからない以上、すべてのことに否定は出来ません。貴方一人を村からいぶり出すため……とも考えましたが、その後の行動にしても無茶苦茶です。いぶり出したとして、そのことに大した意味を感じない。説明が付きません。
それに、カノンさん。厳しいことを言うようですが、貴方だってその可能性を感じたからこそ、ご自分から村を出られたのではないのですか?」
「……」
その言葉に息を詰まらせる。そうだ、考えなかったわけじゃない。
己の記憶を追って、あの紅髪の戦士がいるかもしれない戦場へ向かおう、と思ったのも嘘ではない。けれどもう一つ。
あの業炎の中で明確に向けられた弓矢の殺意。あの禍々しい紫の光を見た瞬間に思ったのだ。
この火事は、もしかしたら、自分がここにいるがために起きたのではないか、と。
それまであの村は平和だったのだ。戦火からも遠く、皆、細々とだけどもひっそりと生きていた。だからこそ昔のアレイアとフィーナもあの村に逃げ込んだのだろう。アレイアも言っていたじゃないか。ただ一度、それ以来、一人も兵士など来ていないと。
それが、カノンの周囲に妙な影が付き纏い始め、そのあかつきに村が燃えた。その炎の中で、正体のわからぬ暗殺者が現れ、そして、
「八咫烏の紋……っ!」
「貴様、エイロネイアの『七征』か……っ!?」
アレイアの焦燥に塗れた声が蘇る。
……自分を中心にして何かが起こっているのだと悟った。けれど認めたくなくて、逃げたのだ。そうなれば、束の間ではあったけれど健やかに過ごしたあの村を、崩壊に導いたのは他ならぬ自分になってしまう。そんな理不尽な。自分が何者かもわからないのに。
「私……」
誰に責められたわけでもない。けれど、胸にのしかかったあまりに一方的な重責が、苦くて堪らない。伺うように少年を見ると、彼は肩を竦ませて溜め息を吐いた。
「僕を巻き込んだことならお気にせずに。乗りかかった船、と言いますし、それに……」
少年の声が途切れた。一足遅れてカノンも気づく。風の流れが変わった。
一瞬、あの暗殺者かとも思った。けれど違う。はるかに粗雑で荒々しい気配が複数。少年がまたか、と言うように表情を歪める。
「まったく、空気の読めない方々ですね」
まるでその一言が号令にでもなったかのように、街道脇の茂みから木々の裏からわらわらと、昨日と同じような集団が湧いてくる。
「おう、兄ちゃん。女連れたあ、随分いいご身分じゃねぇか。ああ?」
少年は、今度は取り合う気がないようだった。ふう、と呆れたように一つ息を吐き出すと、すぐに手の平を返す。握られていたのは件の黒槍。無言のままにそれを構えて、
「……!」
ひやり、とカノンの背筋に恐ろしく冷たい汗が流れた。それは気のせいではなかったらしい。呆れた顔で槍を構えていた少年の表情がわずかに動き、槍の先へ敵意が篭る。かしゃん、と鋭利な切っ先が、図々しく街道を塞ぐ男たちとは別の方向へ向けられた。
「何だぁ? てめぇ、どこ見て……」
少年の槍の先――自分たちの背後に視線を移動させた男たちは、そのままぽかんと口を開く。男たちの山が裂けて、垣間見えた向こう側に、カノンは手の中の荷を抱きしめて、冷たい息を呑んだ。
桃色の髪、氷の瞳。大男たちの向こう側に、音もなく静かに佇んでいた彼女は、手前に位置する男たちよりも遥かに背など小さくて。けれど、冷えた瞳が撒き散らす、底の知れない威圧感はカノンの身体を容易く硬直させた。
「……なるほど。確かに"人形"だ……」
横で極小さな声で少年は呟いた。心なしか口調が凍っていた。
「何だぁ、姉ちゃん。こいつらの仲間か?」
粗暴な男の声に、しかし、女はちらりとも振り返ろうとはしなかった。視線は男たちを見ていない。見ているのはただ少年の向ける槍先とカノンの姿だけだった。
「何故、貴様が――」
「……?」
カノンは女の声を初めて聞いた。けれどその声は自分に向けられたものではなかった気がする。反射的に少年を見上げると、彼は片方だけの眉をゆっくりと細めて、何故か場にそぐわない微笑を作った。
ぞくっ――
まただ。少年が笑みを作るたびに、得体の知れない寒気が背筋を襲う。
「悲しいですね。貴方とは相容れない。それだけの話です」
「……ヴェッセルを渡せ」
「お断りします」
――ヴェッセル……?
「お、おい、てめぇら!」
女の吐き出した意味のわからない言葉に、カノンが思考に沈むより先に、賊たちの先頭に立っていた男が慌てて三日月刀を振り上げる。
「甘い顔してりゃあごちゃごちゃとわけのわからねぇことを……! 俺たちを無視してんじゃねぇ!」
「……?」
女が初めて存在に気づいたように、喚き散らす男を不思議そうに見上げた。やはり顔に表情と呼べるものは浮かばないまま、
「……お前も、ヴェッセルを、狙っているのか?」
「ああ? べ……? 何だか知らねぇが、どうせお前らまとめて俺たちに食われるんだよ」
「……そうか」
こくり、と不自然なまでにあっさりと頷いてみせる女。少年の眉がひくり、と動く。そして彼女は手にした弓を持ち上げて、表情のないまま無機質に言い放った。
「……なら、死ね」
鈍い、音がした。
「――っ!?」
「っ!」
全身の血が引くと同時に、カノンの視界を少年の黒い袖が覆い隠した。遮られた視界の向こうで、ごろり、という簡素で不気味な音がする。続けてどさり、という何か重たいものが落ちる音。
沈黙は一瞬だった。
「……う、うわあああああああっ!」
誰かの悲鳴を皮切りに、一気に混乱がその場に広がった。悲鳴とどたばたとした統率のない足音が重なる。
カノンは込み上げる吐き気に、口元を抑えて、笑い出す膝を必死になって堪えていた。座り込みそうになる身体を叱咤して耐える。
少年が視界を遮る直前、見えてしまった。女が無造作に弓を振り上げ、走った弦が男の首にかかるのを。きっと男の方も何が起きたのかわかっていないまま、首から血を噴いて、そして、
「っ!」
「逃げますよ」
また突然の浮遊感。カノンを抱き上げた少年は、有無を言わせずに跳躍し、また何かの呪文を口にする。そして、一際高く跳び上がり、その瞬間、
何の変哲もない街道は、一瞬にして朱の光に包まれた。
「……」
呪で滞空する少年に抱えられながら、カノンは言葉なく眼下を見下ろした。
つい先程まで歩いていた、周囲を森に囲まれた街道。それが、何だか見たことのある朱に光っている。轟々と猛る焔の舌が、侵食するように火の粉を撒き散らしている。人影と思えるものは既になく、きな臭い匂いの中に、鼻が曲がるような異臭が混じって漂っていた。
「これ、は……」
「……」
カノンの掠れた声に、少年はこ答えなかった。周りを覆う木々に炎は燃え盛り、その舌を伸ばしていく。
「……山の火は拡大が速い。このまま麓まで行きましょう。しっかり掴まっていてください」
「……」
淡々とした声で少年が言う。だがカノンには半分も聞こえていなかった。
黒の衣の向こうに垣間見えた。生々しい光景が目蓋の裏にちらつく。指先が急に血の気を失って冷えていった。冷たい指で自分の首に触れて、ただ吐き気を耐え続ける。
「……」
頭の上で少年が溜め息を吐く。ゆっくりと耳元で風が動いて、少年の足が空を駆け出して。
カノンが我に返る頃にはもう、小さく炎と黒煙が、遠くに見えているだけだった。
だだだだだっ! ばたんっ!
「おい、シ……っ!」
がっす!
「……レディのいる部屋ではノックをなさいと、何回目だったかしら?」
「……スンマセン」
ドアを開いた先で、いつかのようにアルティオの頭に間髪入れず辞書の角が突き刺さった。投じた本人は、椅子の上で腕を組みながら、床に沈むアルティオを見やって鼻を鳴らす。
「何だかデジャヴを感じるけど。今度は何事よ?」
「大変なんだよ! とにかく大変、つーかどーするべきか、つーか……」
「人間の言葉を喋りなさいな。大変て何が?」
「これだ、これ!」
「……?」
あまり舌も回らないまま一気に喋ると、アルティオは小さな紙切れを一枚差し出した。シリアはそれを不機嫌に覗き込み、思い切り顔をしかめさせた。折り畳まれた羊皮紙には、確かに見覚えのある筆跡で、
『ディーダに向かう。心配するな。 Luna』
ごす!
「……何考えてるのかしら、あの子」
「……いや、とりあえずそこで苛ついたからって、八つ当たりに俺を殴るのはどうかと思うぞ?」
「カノンの拳よりは加減してるでしょ。それよりこれはどうしたのよ?」
再び床に叩きつけられて、赤くなった鼻を押さえながらアルティオは身を起こす。弱ったように肩を竦めながら、
「いやさ……。今朝方、気がついたら俺んとこに届いてたんだよ。ぺらって。あいつのことだから、何かの手を使って届けたんだろうけど……。
何で直接来ないんだろうな」
「馬鹿ね。あの娘だって、自分の置かれた立場くらい想像できるでしょう? 誰が好き好んで自分を反逆者だと思ってる国の砦に近づくのよ」
シリアは息を吐いてもう一度紙切れを見下ろした。ディーダ。神羅[ディーダ]。そう、確かルナが行方不明になる前に渡されていた資料の中にあった。ゼルゼイルの北西に位置する神殿。心を司る神、護を重んじる鬼が眠る室[むろ]の名前だ。人の感情に呼応すると言われる、ゼルゼイルという閉ざされた地に自らを封じた神。
――何でいきなりそんなところに……。
確かに彼女はシンシアの領内に眠る伝承を調べていた。だが、状況が一変した今、それを続ける意味は何なのだろうか。そして、こっそりと自分たちにこれを届けたのには、何かの思惑があってのことなのか――。
「どうするんだ?」
「どうする、と言われてもね……」
シリアはこめかみを抑えて頭を回す。居場所がわかったのはいいことなのだろう。しかし、だからといって彼女を取り巻く状況が変わったわけではない。無闇に会いに行けば、シリアやアルティオまで反逆の汚名を着させられる可能性もある。
だが、彼女の今の状態がわからないのも確か。シリアの目から見て、今の彼女はこの上なく危険だ。彼女はきっと自分の身を守ろうとか、生き残ろうとか、まるで考えちゃいない。女は好きになった男のためなら、割と何でもしでかしてしまう。いい意味でも、悪い意味でも。
――……どうしたものかしらね。
こんこんっ
「はい?」
シリアが考えあぐねていると、やや控えめに部屋のドアが鳴った。
「失礼します」
アルティオとは真逆に、至極丁寧な所作と言動でドアを開けたのはデルタだった。平原を後にして、それから一向に晴れない表情は、今日も今一つ曇っている。
「デルタ、何か用かしら?」
「ええ、それが……。ラーシャ様がお二人にもご相談したい、と」
「相談?」
「実は……」
デルタは少し迷ったように言葉を切った。しばらく考えてから二人に近づいて、やや声を落としながら、
「――シェイリーン様から、ご連絡がありました」
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「何のことですか?」
眉間に皺を寄せて、今日、何度目かのやり取りがされる。夜が明けるのを待って街道に戻り、元の山道を歩き出して数刻。ゆるやかな山道に日は大分高く上がっていて、両足にも程ほどの疲れが溜まり始めた頃だ。
それでも前を歩く少年は、やはり汗一つ開かずに飄々と歩いている。きっと歩幅もこちらに合わせてくれているのだろう。数時間前とまったく変わらない返答に、カノンは腕を組んで唸る。
「……疑り深いですね」
「だってあんたを雇うまで、あんな無茶苦茶な手は使って来なかったもの」
村を出たのは三日前。それまで昨夜のような過激な襲撃などなかった。彼を雇っていなかったら、昨夜の時点で死んでいただろう。けれど彼が護衛として着いたその日に、襲撃が激化したことも事実である。多少の疑いは持っても仕方ないだろう。
――まあ、単純に偶然、追いつかれたのが昨日だった、っていう可能性も強いけど……。
「でも、相手はプロじゃなさそうですね」
「え?」
不意に少年が吐いた言葉に顔を上げる。
「どういうこと?」
「暗殺者[アサシン]は外部者の介入を好みません。顔を見られるのもね。いろいろと彼らにとっては不都合ですから。
つまり、プロの暗殺者[アサシン]だったら、他の人間が泊まっている宿屋で、あんな大規模な騒ぎを起こす、なんて真似はするはずないんですよ」
「プロじゃない、って……じゃあ、普通の傭兵か何か、ってこと?」
「もしくは何かの思惑があってのことか、さもなくば――」
少年は言葉を切って、顎に手を置いた。
「……カノンさん。村を出て来るときに、火事になったと仰いましたね?」
「う、うん……運良く私のいた家は村の外の方だったけど……」
「……」
少年の眉が険しく潜められる。口の中の苦いものを舐め取るように、一度唇を湿らせてから、
「あまり想像したくはないですが……。その火事は何が原因でしたか?」
「……わからない。今はもっと調べられてるあもしれないけど、少なくとも私が出て来たときは出火元不明だったわ」
少年の表情が険しい。カノンがふるふると首を振る動作にも、力はなかった。嫌な想像だけが膨らんでいく。
「まさか、貴方を焼き殺すために村ごと焼き払った、なんてことは――」
「まさか……っ! いくら何でもそんなの無茶苦茶すぎるわよっ!?」
直接的に口にした少年に、カノンは冷たい汗と共に言い返す。まさか、いくら何でも無茶苦茶だ。一人殺すために村一つ犠牲にするなんて、そんな人間がいてたまるものか。だが少年は無情にもゆっくりと首を振る。
「カノンさん、貴方がどんな理由で狙われているのかわからない以上、すべてのことに否定は出来ません。貴方一人を村からいぶり出すため……とも考えましたが、その後の行動にしても無茶苦茶です。いぶり出したとして、そのことに大した意味を感じない。説明が付きません。
それに、カノンさん。厳しいことを言うようですが、貴方だってその可能性を感じたからこそ、ご自分から村を出られたのではないのですか?」
「……」
その言葉に息を詰まらせる。そうだ、考えなかったわけじゃない。
己の記憶を追って、あの紅髪の戦士がいるかもしれない戦場へ向かおう、と思ったのも嘘ではない。けれどもう一つ。
あの業炎の中で明確に向けられた弓矢の殺意。あの禍々しい紫の光を見た瞬間に思ったのだ。
この火事は、もしかしたら、自分がここにいるがために起きたのではないか、と。
それまであの村は平和だったのだ。戦火からも遠く、皆、細々とだけどもひっそりと生きていた。だからこそ昔のアレイアとフィーナもあの村に逃げ込んだのだろう。アレイアも言っていたじゃないか。ただ一度、それ以来、一人も兵士など来ていないと。
それが、カノンの周囲に妙な影が付き纏い始め、そのあかつきに村が燃えた。その炎の中で、正体のわからぬ暗殺者が現れ、そして、
「八咫烏の紋……っ!」
「貴様、エイロネイアの『七征』か……っ!?」
アレイアの焦燥に塗れた声が蘇る。
……自分を中心にして何かが起こっているのだと悟った。けれど認めたくなくて、逃げたのだ。そうなれば、束の間ではあったけれど健やかに過ごしたあの村を、崩壊に導いたのは他ならぬ自分になってしまう。そんな理不尽な。自分が何者かもわからないのに。
「私……」
誰に責められたわけでもない。けれど、胸にのしかかったあまりに一方的な重責が、苦くて堪らない。伺うように少年を見ると、彼は肩を竦ませて溜め息を吐いた。
「僕を巻き込んだことならお気にせずに。乗りかかった船、と言いますし、それに……」
少年の声が途切れた。一足遅れてカノンも気づく。風の流れが変わった。
一瞬、あの暗殺者かとも思った。けれど違う。はるかに粗雑で荒々しい気配が複数。少年がまたか、と言うように表情を歪める。
「まったく、空気の読めない方々ですね」
まるでその一言が号令にでもなったかのように、街道脇の茂みから木々の裏からわらわらと、昨日と同じような集団が湧いてくる。
「おう、兄ちゃん。女連れたあ、随分いいご身分じゃねぇか。ああ?」
少年は、今度は取り合う気がないようだった。ふう、と呆れたように一つ息を吐き出すと、すぐに手の平を返す。握られていたのは件の黒槍。無言のままにそれを構えて、
「……!」
ひやり、とカノンの背筋に恐ろしく冷たい汗が流れた。それは気のせいではなかったらしい。呆れた顔で槍を構えていた少年の表情がわずかに動き、槍の先へ敵意が篭る。かしゃん、と鋭利な切っ先が、図々しく街道を塞ぐ男たちとは別の方向へ向けられた。
「何だぁ? てめぇ、どこ見て……」
少年の槍の先――自分たちの背後に視線を移動させた男たちは、そのままぽかんと口を開く。男たちの山が裂けて、垣間見えた向こう側に、カノンは手の中の荷を抱きしめて、冷たい息を呑んだ。
桃色の髪、氷の瞳。大男たちの向こう側に、音もなく静かに佇んでいた彼女は、手前に位置する男たちよりも遥かに背など小さくて。けれど、冷えた瞳が撒き散らす、底の知れない威圧感はカノンの身体を容易く硬直させた。
「……なるほど。確かに"人形"だ……」
横で極小さな声で少年は呟いた。心なしか口調が凍っていた。
「何だぁ、姉ちゃん。こいつらの仲間か?」
粗暴な男の声に、しかし、女はちらりとも振り返ろうとはしなかった。視線は男たちを見ていない。見ているのはただ少年の向ける槍先とカノンの姿だけだった。
「何故、貴様が――」
「……?」
カノンは女の声を初めて聞いた。けれどその声は自分に向けられたものではなかった気がする。反射的に少年を見上げると、彼は片方だけの眉をゆっくりと細めて、何故か場にそぐわない微笑を作った。
ぞくっ――
まただ。少年が笑みを作るたびに、得体の知れない寒気が背筋を襲う。
「悲しいですね。貴方とは相容れない。それだけの話です」
「……ヴェッセルを渡せ」
「お断りします」
――ヴェッセル……?
「お、おい、てめぇら!」
女の吐き出した意味のわからない言葉に、カノンが思考に沈むより先に、賊たちの先頭に立っていた男が慌てて三日月刀を振り上げる。
「甘い顔してりゃあごちゃごちゃとわけのわからねぇことを……! 俺たちを無視してんじゃねぇ!」
「……?」
女が初めて存在に気づいたように、喚き散らす男を不思議そうに見上げた。やはり顔に表情と呼べるものは浮かばないまま、
「……お前も、ヴェッセルを、狙っているのか?」
「ああ? べ……? 何だか知らねぇが、どうせお前らまとめて俺たちに食われるんだよ」
「……そうか」
こくり、と不自然なまでにあっさりと頷いてみせる女。少年の眉がひくり、と動く。そして彼女は手にした弓を持ち上げて、表情のないまま無機質に言い放った。
「……なら、死ね」
鈍い、音がした。
「――っ!?」
「っ!」
全身の血が引くと同時に、カノンの視界を少年の黒い袖が覆い隠した。遮られた視界の向こうで、ごろり、という簡素で不気味な音がする。続けてどさり、という何か重たいものが落ちる音。
沈黙は一瞬だった。
「……う、うわあああああああっ!」
誰かの悲鳴を皮切りに、一気に混乱がその場に広がった。悲鳴とどたばたとした統率のない足音が重なる。
カノンは込み上げる吐き気に、口元を抑えて、笑い出す膝を必死になって堪えていた。座り込みそうになる身体を叱咤して耐える。
少年が視界を遮る直前、見えてしまった。女が無造作に弓を振り上げ、走った弦が男の首にかかるのを。きっと男の方も何が起きたのかわかっていないまま、首から血を噴いて、そして、
「っ!」
「逃げますよ」
また突然の浮遊感。カノンを抱き上げた少年は、有無を言わせずに跳躍し、また何かの呪文を口にする。そして、一際高く跳び上がり、その瞬間、
何の変哲もない街道は、一瞬にして朱の光に包まれた。
「……」
呪で滞空する少年に抱えられながら、カノンは言葉なく眼下を見下ろした。
つい先程まで歩いていた、周囲を森に囲まれた街道。それが、何だか見たことのある朱に光っている。轟々と猛る焔の舌が、侵食するように火の粉を撒き散らしている。人影と思えるものは既になく、きな臭い匂いの中に、鼻が曲がるような異臭が混じって漂っていた。
「これ、は……」
「……」
カノンの掠れた声に、少年はこ答えなかった。周りを覆う木々に炎は燃え盛り、その舌を伸ばしていく。
「……山の火は拡大が速い。このまま麓まで行きましょう。しっかり掴まっていてください」
「……」
淡々とした声で少年が言う。だがカノンには半分も聞こえていなかった。
黒の衣の向こうに垣間見えた。生々しい光景が目蓋の裏にちらつく。指先が急に血の気を失って冷えていった。冷たい指で自分の首に触れて、ただ吐き気を耐え続ける。
「……」
頭の上で少年が溜め息を吐く。ゆっくりと耳元で風が動いて、少年の足が空を駆け出して。
カノンが我に返る頃にはもう、小さく炎と黒煙が、遠くに見えているだけだった。
だだだだだっ! ばたんっ!
「おい、シ……っ!」
がっす!
「……レディのいる部屋ではノックをなさいと、何回目だったかしら?」
「……スンマセン」
ドアを開いた先で、いつかのようにアルティオの頭に間髪入れず辞書の角が突き刺さった。投じた本人は、椅子の上で腕を組みながら、床に沈むアルティオを見やって鼻を鳴らす。
「何だかデジャヴを感じるけど。今度は何事よ?」
「大変なんだよ! とにかく大変、つーかどーするべきか、つーか……」
「人間の言葉を喋りなさいな。大変て何が?」
「これだ、これ!」
「……?」
あまり舌も回らないまま一気に喋ると、アルティオは小さな紙切れを一枚差し出した。シリアはそれを不機嫌に覗き込み、思い切り顔をしかめさせた。折り畳まれた羊皮紙には、確かに見覚えのある筆跡で、
『ディーダに向かう。心配するな。 Luna』
ごす!
「……何考えてるのかしら、あの子」
「……いや、とりあえずそこで苛ついたからって、八つ当たりに俺を殴るのはどうかと思うぞ?」
「カノンの拳よりは加減してるでしょ。それよりこれはどうしたのよ?」
再び床に叩きつけられて、赤くなった鼻を押さえながらアルティオは身を起こす。弱ったように肩を竦めながら、
「いやさ……。今朝方、気がついたら俺んとこに届いてたんだよ。ぺらって。あいつのことだから、何かの手を使って届けたんだろうけど……。
何で直接来ないんだろうな」
「馬鹿ね。あの娘だって、自分の置かれた立場くらい想像できるでしょう? 誰が好き好んで自分を反逆者だと思ってる国の砦に近づくのよ」
シリアは息を吐いてもう一度紙切れを見下ろした。ディーダ。神羅[ディーダ]。そう、確かルナが行方不明になる前に渡されていた資料の中にあった。ゼルゼイルの北西に位置する神殿。心を司る神、護を重んじる鬼が眠る室[むろ]の名前だ。人の感情に呼応すると言われる、ゼルゼイルという閉ざされた地に自らを封じた神。
――何でいきなりそんなところに……。
確かに彼女はシンシアの領内に眠る伝承を調べていた。だが、状況が一変した今、それを続ける意味は何なのだろうか。そして、こっそりと自分たちにこれを届けたのには、何かの思惑があってのことなのか――。
「どうするんだ?」
「どうする、と言われてもね……」
シリアはこめかみを抑えて頭を回す。居場所がわかったのはいいことなのだろう。しかし、だからといって彼女を取り巻く状況が変わったわけではない。無闇に会いに行けば、シリアやアルティオまで反逆の汚名を着させられる可能性もある。
だが、彼女の今の状態がわからないのも確か。シリアの目から見て、今の彼女はこの上なく危険だ。彼女はきっと自分の身を守ろうとか、生き残ろうとか、まるで考えちゃいない。女は好きになった男のためなら、割と何でもしでかしてしまう。いい意味でも、悪い意味でも。
――……どうしたものかしらね。
こんこんっ
「はい?」
シリアが考えあぐねていると、やや控えめに部屋のドアが鳴った。
「失礼します」
アルティオとは真逆に、至極丁寧な所作と言動でドアを開けたのはデルタだった。平原を後にして、それから一向に晴れない表情は、今日も今一つ曇っている。
「デルタ、何か用かしら?」
「ええ、それが……。ラーシャ様がお二人にもご相談したい、と」
「相談?」
「実は……」
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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 最新記事
(08/16)
(03/23)
(03/22)
(03/19)
(03/11)
★ 目次
DeathPlayerHunter
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
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