忍者ブログ
DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
<< 03  2024/04  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30    05 >>
[62]  [61]  [60]  [59]  [57]  [56]  [54]  [53]  [52]  [51]  [50
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE13
愛らしいシロツメクサの冠。摘んだ命はいくつ?

 ラーシャは馬上で眉を潜めていた。
 丘の上から平原の中へ雪崩れ込み、燃え盛るエイロネイアの陣を目指す。蹄の重なる音が、耳に響く中、ラーシャは前方を睨みつけて、突如迷いに襲われた。
 向こうの陣が、静か過ぎるのだ。
 怒号も悲鳴も聞こえない。蹄の音も響いて来ない。火の回りはそんなに早かったか……。
 ちらり、と後方を見る。血気盛んに馬を走らせる兵士たちが、剣を抜いて変わらぬ速さで付いて来ていた。
「……」
 この兵たちを失うわけにはいかない。
「止まれッ!」
 唐突に下った命令に、兵士たちは一瞬戸惑った。だが、ラーシャ自らが手綱を引いて馬を止めるのを見て、慌てて自分たちも手綱を引く。後ろから騎兵を追っていた歩兵たちも、慌てて立ち止まった。
「姐さん?」
 仏頂面のレスターが呼びかけてくる。ここまで来て、何故止まっているのか、という文句が目に見えている。
 だが、ラーシャは唇を引き締めると、もう一度火の手が上がる陣を見据えた。彼女の懸念に気が付いたのか、後方で魔道師を率いていたデルタが、騎兵を抜いて彼女の隣へ馬を走らせる。
「……静かですね」
「静か過ぎるな」
 炎の音だけが平原を覆っている。ラーシャは眉間に皺を寄せた。
 兵を引くべきか否か。それともこのまま、責めるべきか。ふと、デルタが面を上げる。かすかな声を漏らした。その声にラーシャも顔を上げて、
「ら、ラーシャ様ッ!!」
「!」
 火の手の方向から声が上がった。炎の逆光を背にして、馬に跨った兵士が駆けてくる。火計の陣頭に立った兵士だった。
 脂汗を浮かべてあたふたと駆けてくる。そのただならぬ様子に、ラーシャの背筋に悪寒が走った。
 嫌な予感は当たりやすい。せめて良い予感も同じくらい当たりやすければ良かったのに。
「どうしたッ!?」
「軍を、軍をお引きくださいッ! 騙されましたッ! あの陣は、あの陣は空ですッ!」
「!」
 その兵の叫び声に、シンシア軍の兵士たちに戦慄が走った。無論、ラーシャもだ。ぞくり、と寒気が背中を通り抜ける。手綱を握る手に力が篭った。
「お逃げください、あの、あの陣にいるのは……ッ!」
「ッ!?」
 不意に、兵士の背後に何かが立った。炎の逆光で、それが何なのかは判断がつかない。だが、黒い壁のような巨大な影だった。
 その影は、ラーシャの、以前の戦場の記憶と瞬時に合致する!
「まずい、逃げ……ッ!!」

 ザシュ……ッ!!

 炎を背に、生々しい、それでいて異様に静謐な音が響き渡る。音と光景とが、ぶれて外れてラーシャに届く。
 目の前の、男の身体がゆっくりと崩れた。赤い炎の中に、その炎よりも赤い雫を撒き散らしながら、男の肢体はぐにゃりと変な方向へ曲がった。
 どしゃり、と音が聞こえて男の身体が平原の短い草の中に落ちる。ぬめった液体が、絨毯のように広がり、男の鎧を沈ませていく。
 腕の関節は一瞬でありえない方向に曲げられて、頑丈なはずの兜はぐにゃりと歪んでしまっている。投げ出された四肢はぐったりとして、二度と力が灯ることはなかった。
「……引けぇッ!!」

 ぐあああるぉおおぉおおぉおぉぉぉッ!!

 ラーシャの命令が下るのと、その壁が吼えるのはほぼ同時だった。そして、被るようにして兵士の悲鳴が轟く。
 耳を劈く声に歯を噛み鳴らして、ラーシャはその巨体を見上げる。
 逆光の中に、血走った目がぎらりと光っていた。折り曲げた指の先には、人のものとは思えない形状の鉤爪がぬめった血液を滴らせる。妙に折れ曲がった腰と、全身には黒い毛をぞろりと生やしていて、頭部には羊のような歪んだ角が炎にそびえていた。
 エイロネイアの、獣。
 正体の分からぬ、戦場を荒らす異形の魔物が、彼女の目の前にいた。
 誰かの悲鳴が聞こえた。
「後退しろッ!! 引け、腰抜かしてんじゃねぇッ!!」
 ラーシャよりも後方にいたレスターが、怖気づいて後退の足を止めた兵士を叱咤した。
 その声で我に返ったラーシャは、手綱を握り、剣を獣へと向ける。獣の背を見ると、また同じような影が炎の中から幾つか立ち上がるのが見えた。
「く……ッ!」
 ラーシャは剣を握り締める。彼女の手が握った剣の柄から、淡い炎が立ち上った。
「全軍後退しろッ! 私が殿を務めるッ!! レスター、全員の先導をッ! デルタ、援護しろッ!」
「へいッ!」
「はいッ!」
 レスターもデルタも切り替えが早かった。額に浮かんだ汗を見れば、その半分は虚勢であったかもしれない。
 それでもラーシャは軍を束ねる指揮官だった。
 のろのろと巨体を持ち上げる『獣』たちの動作は鈍い。人の背を軽く越えた頑丈な身体は脅威だが、ただそれだけが救いだ。
「我は断罪の責を負う天子、粛清の証、汚れなき業火の昂揚にその身を焼きて、汝が罪を償い給え――」
 目の前の獣が歪な爪を振りかぶる。その大きな影が、ラーシャの体を覆った。
「昇華[ヴァーニング]ッ!!」

 ごぉおおぉおおぉおッ!

 裁いた剣を点として、獣の背後で燃える火とは違う、意志ある白い魔力の炎が獣の軍勢を押し返した。
 吹き付けた炎は、彼女の目の前に立ち塞がっていた獣の全身を覆う。耳を劈くようなしわがれた悲鳴が、炎の中から轟いて、黒く変色した毛を全身に張り付けながら、獣は仰向けに倒れていく。
 発せられた白い炎は、そのまま背後にいた別の獣たちを次々と喰らっていった。

 ぎしゃぁああぁぁぁああぁああッ!!

 白い炎を免れた獣たちが、のそりと手足を振り上げて、赤い狂気の瞳にラーシャの姿を映す。
 舌を打った彼女が、刃を向けようとしたとき、
「撃てぇッ!」
『シルフィードッ!!』
 デルタの凛とした声と、無数の青い筋条の光が飛んだ。後方に並んだ魔道師陣から発せられた青い光は、的確に獣の体を捉え、その体を抉っていく。
 断末魔の悲鳴が重なる。生々しい青い血液が宙に飛んで、赤く燃える炎に影を作る。焼けた肉の酸い匂いと、異様な色の血液の金属臭い香り。
 鼻が曲がりそうな匂いに耐えて、ラーシャは駆け上がってきた獣の一体を斬り裁き、じりじりと後退する。
 幸い、獣の数は無数というわけではない。魔道師陣の呪文の第二破が完成すれば、逃げ遂せることは出来そうだった。
 だが、緊張の中、ラーシャがわずかだけ安堵の息を吐いたときだ。
「ぅ、うわぁあああぁぁぁぁッ!?」
「ッ!?」
 背後で兵士の悲鳴が轟いた。
 振り向いたラーシャの目に、炎の明かりに照らされて細く輝く銀色の光が映った。空に無数に浮かぶそれは、明確な悪意を持って騎士団の真ん中に降り注ぐ。
 あれは……弓矢だっ!
「デルタッ!」
「我阻む、」
 ラーシャが命じるまでもなく素早く反応したデルタと、魔道師隊の何名かが部隊の頭上に結界の盾を張る。入りきらなかった何人かに、矢の雨は容赦なく降り注いで、フィレのステーキにフォークを刺したような音に混じって悲鳴が轟いた。
 ラーシャは振り返らない。振り返ったところで、その大地には赤い命の象徴が流れ落ちていて、足を止めてしまいそうな光景が広がっているだけだ。止められない。止めれば、己の身体にも容赦なく矢は刺さる。そうすれば、生き残った兵すらも助けることは出来ない。
 生き残った兵士の命、死んでいった兵士の命。悲しいかな、天秤にかけなければいけないのがこの戦場という場所だった。
 心臓が痛い。この痛みを、この裂けるような心臓の痛みを、あの氷のような瞳の皇太子は持っていないのだろうか。何故、あのようにさっくりと、ナイフでバターを切り分けるかのように人の人生を摘んでいけるのだ。
 涙などもう乾いている。そう、己に言い聞かせてラーシャは今一度、撤退を叫んだ。


「何だとっ!?」
 自軍の陣地まで後退したラーシャを待っていたのは、さらに絶望的な報告だった。後退命令が早かったのと、デルタの魔道師隊の指揮のおかげで、予想していたより被害は少なくて済んだ。だが、それはあくまで"予想よりも"の話である。
 元々、火計を決行したのは、兵力差を埋めるためだった。エイロネイア兵がどこに退き、弓隊がどこから仕掛けて来たかもわからないが、読まれていたと見て間違いはない。……兵力差は、そのままか、もっと悪ければさらに大差がついたか。
 だというのに。
「それは……本当か」
「……はい。こちらに向かっていた我が軍の援軍が、急襲されたと……っ!」
 ぎり――っ、ラーシャの噛み締めた奥歯が鳴る。
 馬鹿な。エイロネイアの兵が、ここへ向かう道中にまで入り込んだというのか。そんなことがあるものか。
「それが……相手はエイロネイアの兵ではなく、蛮族の集団らしく……っ!」
「な……っ!?」
「南の方を荒らしていた蛮族の徒党が、北へ流れて来た模様で……っ! 駆逐するのは時間の問題ですが、予定までには到着できないと……っ!」
「!」
 南の蛮族。少々、前に耳にしていた。南の方の蛮族が、エイロネイアによって駆逐されたと。だが、その生き残りがこちらへ流れてきた、ということか?
 そんな馬鹿な。ありえない。これもエイロネイアの手による蜜策なのか、それとも私の運がそこまで悪いのか。最早、神に祈るなどナンセンスだ。
 待機させた兵の間に緊張と戦慄が走る。兵力差だけではない。窮鼠の士気は、これまでにないほど落ち込んでいる。
「やられましたね……」
 デルタが痛々しく唇を噛む。隣のレスターが金斧を、壊れそうなほど握り締めていた。
 ラーシャは痛む頭を抑えて、思考を巡らせる。平原を見る。まだ炎が燃えているものの、それは平原だけの話。エイロネイアの弓兵は、平原の周囲に聳える岩壁の上から打って来たに違いない。もしもエイロネイアが、こちらが火計を策している間、兵を回りこむようにして進軍させていたら?
 自軍の陣を捨てるのは愚策に見える。だが、ありえない話ではない。シンシアの軍はいつもこの奇策に壊滅的なダメージを被ってきた。ラーシャはシンシアの誰よりもその狡猾さと惨劇を知っている。
 ……ノーストリア高原を奪われ、さらにこの平原を明け渡せば……貴族院の説得は、ほぼ失敗に終わるだろう。
 ――だが……
 ラーシャは唇を噛んで、敬礼をする兵士たちを見る。だが、その手が強張っているのは一人や二人ではなかった。デルタが悔しげにがんっ、と地面を踏んだ。それでも口の端に短気な言葉は出ない。
 皆、わかっていた。自分たちは窮鼠だ。苦肉の策が失敗した以上、ねずみは逃げるか、犬死にする他ないのだ。
 ラーシャは目を閉じる。これは決断になる。正しいと、己のみを信じる、決断。英断ではない。
「……援軍の支援に向かう。損害状況を確認次第、本国へ引き返す」
「……はい」
 デルタが悔恨と安堵が混じったような複雑すぎる息を吐いて、兵たちに指示を伝え始める。
「自軍の旗は下げるな。旗は陣地へ残して撤退する」
「姐さん、それは……」
「相手も旗が見えれば慎重になるだろう。少しでも撤退の時間が稼げれば、それで良い」
 他の将軍なら、自国の旗を踏みにじられるのを嫌うだろう。だが、ラーシャはそれ以上に兵士の命を踏ませたくはなかった。これ以上の惨劇は、望まない。
「……姐さん」
 レスターが神妙な顔つきで前に出る。いつもは日に焼けて、健康的な色をしている顔が、今は青ざめて見えた。
「俺たちが殿を務めて、ここに残ります」
「レスター!」
「あいつら、どんな動きしてくるかわかったもんじゃない。姐さにゃ俺らが考えてるより、手が早いかも……」
「駄目だ! 私には、ここに生き残った者全員を守る義務がある!」
 怒鳴りつけるように叩きつける。レスターは肩を怒らせて、唇を引き締めた。
「姐さん、なら尚のことです。大丈夫っす。小軍の方が大軍より逃げやすい。姐さんたちが逃げたのを見計らって散ります」
「しかし……っ」
「姐さん」
 レスターは強情に、静かに繰り返した。ラーシャとて、その方が確実策なのはわかっていた。
 ラーシャはもう一度きつく拳を握った。震える拳を、とうとう叩き付けることはなく、その手で剣の柄を思い切り握り締めた。


 ――思ったより早かったな。
 馬の行軍の音を遠くで捉えながら、レスターは唇を湿らせた。陣地に瞬くは主を失った旗。けれど、ただの旗。それが国の象徴だと何度叫ばれても、人の命と天秤にかけられるようなものじゃない。だが、国はかけろと言う。
 レスターは鼻で笑った。
 シェイリーンやラーシャは己の矜持と、そのくだらない命令の間で常に戦っている。戦わざるを得ないのだ。誰が何を求めているのかわからない。本当に同じものを求めているのかわからない。
 その葛藤の上でレスターは己の矜持に従って生きている。彼女らの苦悩の上に、自分の剣がある。
 後ろに控えた数人の、直属の兵士が肩を怒らせた。
「悪ぃな、付き合わせちまって」
「何言ってるんですか、レスターさん。俺らも最初からこういうつもりでしたし」
 副将の男に話しかけると、彼は焦げたヤニの匂いがする戦場に似つかわしくない笑顔を浮かべて、背後の数名に「なあ?」と呼びかけた。残った数名は、こんな状況になってもなお、己の士気を高めているらしい。皆、一様ににやりと笑って得物を掲げて見せる。
 そこにはある種の爽快感もあったかもしれない。ほら、人間、死ぬ間際になるほど度胸が据わると言うだろう?
 レスターは自然と腹が決まるのを感じた。ティルスやデルタには、落ち着きがないとよく叱咤される。だが、レスターは土壇場で冷える性質だった。肝が、全身が冷えていって、掻いていた汗を凍らせる。
 その冷たい熱は、潜在的な恐怖さえ凍らせて。レスターに戦斧を振るわせる。
 風の雄叫びがする。レスターは空を仰いだ。陣地の上に聳える崖。その上に翻るのは、黒い鴉の旗だった。嘶いたのは兵か、馬か。先頭に立つのは、水の色をした生真面目に引き結んだ表情の男。ああ、あれだ。先の戦いで皇太子を語った男。
 本物か、それとも偽物か。おかしいものだ。会議室であれだけ叫ばれる真偽は、戦場に立った途端に、どうでもいいものに変わる。それはそうだ。これは狩り。狩られるか、生き延びるか。ああ、何て愚か。それだけが戦争の真意なのだと悟る。
 長ったらしいローブを纏った男の袖が翻る。ちらり、と周りを見ると、斧を振り上げた兵士たちは脂汗を額に笑っていた。皆、知っている。そしてラーシャもおそらく知っていた。あの手が振り下ろされた瞬間に、自分たちの命は散るのだと。
 レスターは笑う。半分は狂っていたのかもしれない。今なら、あの悪魔と称される皇太子の心境がわからなくもない。何て命なんて簡単に千切れるものなんだろう。子供が草原いっぱいのシロツメクサを見たらどう思う? こんなにたくさんあるなら、一つくらい摘んでも大丈夫と思うだろう?
 そして、最期にレスターは挑発するように己の抱えた戦斧を振り上げて合図した。
 ゆっくりと、無情なその腕は振り下ろされて。

 ぉぉぉぉぉおおおおぉおおおおぉおおおぉぉぉぉっ!!

 蹄と馬の嘶きが唱和した雑音が、崖の上を滑り出す。地響きが耳に、腕に、足に、腹の底に響き渡る。それに打ち勝つように、レスターは踏み出して、

「伏せろっ!!」

 少々、太い、粗雑な声が背後から飛んだ。レスターたちは驚いて足を止めた。その頭上を、

「我願う、降魔せしめんは流れる氷河、閉ざせアイシクルブレスっ!」

 きぃぃぃんっ!!

 斧がぶつかる金属音よりも澄んだ音が、通り過ぎた。一瞬のことに何が起こったのかわからない。けれど、聞こえた悲鳴は自軍ではなく、エイロネイア騎馬軍の馬たちの叫びだった。
 はっとしてレスターは顔をあげる。連中が駆け下りようとした崖の下。何人もの兵士が落馬している。目を凝らすと、彼らの跨っていた馬の足は透明な氷の壁に縫いとめられている。
 氷の呪縛を逃れた兵士の一人が、動揺することなくレスターに斬り込んでくる。
「レスターさん!」

 ぎんっ!

 慌てて構えたレスターだが、襲い掛かった剣を受け止めたのは、彼の戦斧ではなかった。十字に組まれたニ本の剣が、レスターの肩口を狙って放たれた一撃を食い止めていた。
「な……っ!」
「……悪いけどな」
 食い止めた男はけして綺麗な剣筋を持ってはいなかった。けれど、力で押し上げると、戦士の足を浅く切り裂いた。どれほど訓練された戦士でも、足を傷つければ立ち上がれない。二本のうち、青い剣を持つ左の薬指には古めかしい指輪が窮屈に収まっていた。
「……死ぬなら俺の前以外でやってくれ。俺はもう誰も殺させねぇ、ってお天道さん誓った男なんだ」
 そう言って似合わない不敵な笑みでアルティオ=バーガックスは笑った。
「お前、無事だったのかっ!」
「俺だけじゃねぇぜ?」
「……我願う、瞬間[とき]と永遠を縛るは無境の冷徹、戒めよフリージングウィン!」
 真上から容赦なく吹きつけた冷気の波は、崖を下ろうとしていたエイロネイアの第ニ陣の馬を竦ませる。何人かが落馬し、地面に鎧を叩き付けられた。
 崖の上に立つ長い髪の男の表情が、僅かに歪む。
 レスターが振り向くと、彼女はすらりと伸びた黒髪を掻きあげた。
「私の前でも目障りな真似しないでちょうだい。死ぬのは勝手だけど、私の前でされるのは迷惑だわ」
「あんたら……」
 シリアは微笑みながらそう言った。その言動が無理を重ねたものだということは、彼女の額に浮かぶ大粒の汗が語っている。
「てめぇの命粗末にしたら罰が当たるぜ。お前の命、何人踏み台にして在るんだ?」
「お前……」
「……俺はな。少なくとも、いくら生きたくても生きられなかった一人の子を知ってる。だから、誰一人死なせるわけにも、死ぬわけにもいかねぇんだよ!」
 アルティオのニ振りの剣が、また潜り抜けてきた男の足を傷つけた。彼はレスターの首根っこを掴むと、シリアのいる後方へ飛ぶ。周囲のシンシア側の兵士は一瞬、顔を見合わせた後、呪を紡ぐシリアの姿に同じように下がる。
「……我望む、」
 崖の上の男が血気盛んに崖を駆け下りようとする第三陣を手で制した。その瞬間に、シリアの呪が完成する。
「真を隠すは無限の悪霧、彷徨えサイレントミスト!」
 ぼすっ、という鈍い音と共にきゅう、と冷えた空気が濃い霧を生んだ。レスターは目を剥く。自分の首を掴んでいるアルティオの顔さえよく見えず、霧の向こう側からは何の音もしない。
「いつまで持つかわからないわ。所詮、霧だからね!」
「ほれ、今のうちに逃げるぞ!」
「……」
 がつん、と頭部を殴られたようだった。恥を曝したのかもしれない。一瞬前の自分は、死ぬ覚悟を決めていたのだから。その覚悟を汚された。
 けれど、怒りは湧かなかった。その代わり思った。
 ――……これが、人間だよな。
 どこまでも生に貪欲。生き延びることに貪欲。人間は誰かが死ねば悲しむくせに、どうして死を美徳にしたのだろう。
 まだまだ安全じゃない。霧なんて、風に飛ばされれば最後だ。けれども、相手が風の呪を紡ぐ間、後ろに逃げることは出来る。懐に飛び込むのではなく。
 ……そうだ。摘まれるシロツメクサじゃない。ここにいるのは、人間だった。
「……ああ。お前ら、行くぞ!」



←12へ

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (管理人しか読むことができません)
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
★ カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
★ 最新トラックバック
★ バーコード
★ ブログ内検索
★ アクセス解析

Copyright (c)DeathPlayerHunterカノン掲載ページ All Rights Reserved.
Photo material by 空色地図  Template by tsukika

忍者ブログ [PR]