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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE Final
それでも、進むしかないから。
それでも、進むしかないから。
「うッ、っつぅ……!」
たまらずにアルティオは赤い柄を手放した。手の平が焼け石に触れたように熱い。
しゅうしゅうと細い煙が、握った手から上がる。シリアが慌てて駆け寄って、それを開かせ、顔を顰めてから治療呪文を口にする。
少年は。
畳み掛けようとするレンから跳び退る。
その右肩には、今だ一振りの剣が突き刺さったままだった。
「っ、く……ッ!」
躊躇いもなく、少年は赤い剣の柄を握る。歯を食い縛りながらそれを肩から引き抜いた。
「……」
常人なら激痛を伴うそれを、少年は僅かによろめくだけでやってのけた。がらん、と剣が石の床に落ちた。
少年の身体が傾ぐ。
「主様ッ!」
「れ……くそッ! 大丈夫かッ!?」
いつの間に移動したのか、少女が彼の身体を支える。薄炎色の髪の少年は、気合を込めて上段に蹴りを放つ。引いたカノンの隙をついて、そちらに駆け寄った。
彼がふらついたのは一瞬で、すぐに身体を持ち上げると右肩を抑えて小さく呻く。
身体を貫いたはずなのに、確かに手応えはあったというのに、何故かその肩から赤い体液は噴き出さずに、辺りの闇と黒衣に紛れて傷口さえ確認出来ない。
「やって、くれたね……。まさか『月陽剣』を握るとは思わなかった」
柄を握った手を抑えながら膝をつくアルティオに、彼は笑みを浮かべる。
そうして頭上の青い剣を、転がった足元の赤い剣を、交互に眺め、そして立ち尽くした魔道師へちらりと視線を送る。
「……まあ、いいさ。それはもう、必要ないらしい。回収の必要はない、とのことだ」
「はぁッ? 何だ、それッ! 俺ら、何のために……ッ」
「エノ」
「……」
窘められて、赤毛の少年はくそッ! と呟いて沈黙した。
少女が一歩、前に出る。カノンたちは各々、構えるが、少女はただ静かに瞼を閉じた。
その足元から、黒い霧がゆっくりと立ち上る。それは、いつか見た光景だった。
「くっそ、待てッ!! 逃げんのかよッ!」
「アルティオッ!!」
傷口を放って駆け出そうとするアルティオの腕を、シリアが無理矢理に引く。
解っている。
手の平が使い物にならないくらい。
ただの悪あがきだということくらい。
そんなに無鉄砲じゃない。
けれど、
「……それでは、ごきげんよう」
霧の向こうに消えていく、漆黒の、白い薄笑いがどうしても許せない。
やがてすべてが消えた後、がくり、と彼は膝をついて、逆の拳を無言で床へ叩き付けた。
「アルティオ……」
「畜生……許さねぇ……! あの野郎、絶対、絶対に許さねぇ……ッ!」
小さな、慟哭交じりの誓約が、物悲しく耳を打つ。
乾いた視線の向こうに、数多の命を飲み込んだ、呪われた赤い光を灯す剣が、力なく転がっていた。
それからは、目まぐるしかった。
町に在住しているウィルトン伯を通じて、はたまたルナが呼んでいた政団と憲兵が、次々と訪れて事情聴取と現場検証を行った。
最も、そんなものは意味を成さないくらい、フェルス医師の罪状は明らかだったのだが。
しかし、結局、あの黒衣の少年が絡んでいたという証拠が挙がることはなく、事件はフェルスの独断と暴走という形で収まったようだった。
……収まったようだ、というのは他でもない。
現場検証と、事実の認証は偉い方に任せて、カノンたちは早々に町を去ったからだった。
街中では評判の良かったフェルスを殺した、と見られているのだ。それが正当防衛だったとしてもいい目で見られるわけはない……。
……というのは、もしかしたら、ただの表向きの理由かもしれない。
こんこん。
「あー、どうぞ」
間延びした、しかしどこか覇気に欠ける声を確認して、カノンはノブを捻った。
あれから一週間。
ランカース・フィルからは大分、離れた比較的大きな、治安もそこそこの町に彼らはいた。
「……アルティオ、入るからね」
「ああ」
部屋の中にはランプさえ灯っていなかった。
カノンは、再度溜め息を漏らして手探りでランプを探し出して、ねじを捻り、火を灯す。
獣脂の焼ける匂いが立ち込めた。
ぼんやりとした明かりの中で、ぐったりと、手を付きベッドに座り込む力の無い背中が見えた。
カーテンから漏れてくる月の光を、魂が抜けたかのように眺めている。
折れた剣を視界に入れて、カノンは軽く首を振り、肩に担いでいた大きな荷物を床に置く。
がらがらんッ、と結構な音が響いた。
「……あんたの新しい剣よ」
「……」
それにも、彼は無言のままだった。
カノンは仕方無く剣の袋を開け放ち、彼の座るベッドの脇にそれを転がした。
「……『月陽剣』」
「ッ!!」
ばっ、とアルティオは目を剥いて振り返る。幾分、痩せたように見えるその眼前に、カノンは一つの指輪を突きつける。
赤い、古風な装飾の、見覚えのある指輪。
「そりゃ……」
「ステイシアが付けていたものよ」
カノンは床に投げ出された二振りの、青赤の剣に視線を落とす。
「……本当は政団に没収されてるところなんだけど。盗品だ、って言ってルナが取ってきて修理したの。
……魔道具、ってのはね。人間が使えないと意味無いの。
もともとこの剣は、青の剣―――月の剣は軽度の癒しの力を持っていて、赤の剣―――陽の剣は人間の潜在する能力を高める作用をするものだったそうよ。
ただ、それだけの剣。
それが、無理矢理に人間の範疇を超えるくらいに異常な能力を持たされたから、異常な対価が必要になって……
呪われた剣になった」
カノンは二振りの剣を拾い上げる。だが、その手の平が焼けるようなことはない。
「……人の血と魂を吸ったせいで、元のものより強力にはなっているそうだけど。
人の使えるぎりぎりの数値まで、能力を落としたそうよ。それでも、使えば使用者の疲労は大きいから、その疲労の抑制装置に、この指輪を造り変えた、って。
詳しくは解らない。あんたに使う気があるなら、ちゃんと説明してやる、って言ってた」
カノンはアルティオに指輪を手渡す。以前より、格段に輪が広まって、アルティオの無骨な指にも嵌る大きさになっている。
僅かに震える拳と、噛み締められた唇に、カノンはさらに問う。
「……十分、落ち込んだ?」
「……」
「この剣は確かに、あの娘の命を奪ったかもしれないわ。けどね、同時に、生まれ変わって一年を生きたあの娘の唯一の形見よ。
―――捨てるか、それとも二度と紛い目的のために使われないよう、あんたが守り続けるか。
アルティオ。
あたしだって、性急できついこと言ってるのは解ってるの。普通なら、あたしたちはあんたの気が済むまで、あんたが立ち直るのを待ってやってたっていい。けど、相手は待っちゃくれないの。
……あんたが、許せない、って言った言葉。あれは、あたしだって同じ。
でも、いざってときにあんたが戦う力を持ってなかったら―――」
押し殺し、隠した言葉がアルティオの鼓膜を打つ。痛いほど、彼女の、いや彼女たちの仲間としての情が、理解出来る。
しなければならないことなど知っていた。
彼は、ただ後押しが欲しいだけなのだ。
アルティオは、一つ、息を吐き出して。
指輪を、握った。その手の平が、熱く痛む。金の髪の、あの、小さな少女の華やかな笑顔が、一週間も前のことだと思えないほど、鮮明に瞼に浮かび―――
消した。
いつでも、思い出せるよう。
忘れないように、今は忘れた。
「……ごめんな」
「?」
「オレって奴はよ。ほんっとうにどうしようもないな。好きな女に二回も嫌なこと言わせちまった」
空笑いが漏れた。これじゃますます嫌われちまう、と、かすかに微笑んで、しかし一抹の怒りと決意とを滲ませて、顔を上げる。
填めた指輪は、初めて手にしたものではないかのように、しっくりと無骨な傷だらけの指に収まった。
「……あんたのいいところは、何があっても豪快に笑い飛ばせる馬鹿さ加減ね。だから、ステイシアもあんたを選んだのかもしれないわ」
「……そうだったら、良いな」
アルティオが二つの剣の柄を握る。月光に翳された剣は、鋭く、その淡い光を弾き返した。
カノンは僅かに微笑んで、背を向けようとした。その背に、アルティオはふと思いついて声をかける。
「……なあ、カノン」
「何?」
「ネリネ、って知ってるか?」
「ネリネ、って……あの、花の?」
柄を握り、その筋から視線を外さないまま、アルティオは頷く。
「ああ、そいつの……花言葉、って知らねぇか?」
「……それは…」
「………あの娘がさ、言ってたんだよ。また、あの町に来ることがあったら教えてくれるって。
街の、郊外の花壇にいっぱいに咲いててな。夕方、いっちばん綺麗な眺めだとか言って、連れてってくれてさ。
花も、葉っぱも、………可愛くてな。すごく、綺麗だったんだ。」
「……」
「もう、……聞けねぇからな」
寂しげな声が、部屋の中に響く。カノンは逡巡して―――
その迷いを見て取ったのか。
「……頼む、カノン」
奥歯を、噛み締める。
しばし、瞑目して、そして極端的に、その言葉を口にして―――
カノンは、部屋を出た。
残されたアルティオは、その言葉を確かめるように二度、口にして……
彼女の魂が込められた剣を、振りかざして、たった一言だけ、呟いた。
「……そっ、か」
ネリネ―――
彼岸花科。学名 Nerine sarniensis Nerine : ネリネ属。
別名は『ダイヤモンドリリー』反った花弁に光が当たると、まるでダイヤモンドのように美しく輝く淡い桃色の花―――。
花言葉―――『華やか』、『幸せな思い出』、『箱入り娘』……
―――『また会う日まで』
「……あ」
アルティオの部屋を出て、しばらく。暗い廊下を過ぎて、窓枠に寄りかかっていた長身の人影に、カノンは足を止める。
「レン……」
「アルティオは落ち着いたか」
「うん、大分。もう大丈夫そう」
背を離し、彼はこちらへと向き直る。表情には、やや疲労の色があった。彼のことだ、ここ数日、眠っている間も気を抜かずに、神経を研ぎ澄ませていたに違いない。
「……アルティオがあそこまで落ち込んでるの、初めて見た」
「昔から切り替えは悪くない男だ。一度、すべきことを理解すれば、後は大丈夫だろう」
知らない人間が聞けば、冷たい科白に聞こえるかもしれない。けれど事実は逆。レンはアルティオの兄弟弟子だ。良くも悪くも、お互いの性格は知っている。
「それよりも……お前の方は平気なのか?」
「へ?」
まさか水を向けられるとは思っていなかった。カノンは首を傾げて彼を見上げる。
「何で?」
「また気ばかり焦らせて、かりかりしているように見えたのでな」
「……」
押し黙った沈黙が、返答だった。
「ちょっと……気は立ってる、かな……」
「……」
「……アルティオは、さ。別に狙われてるわけでもないのよ? ただの興味本位であたしたちに付いて来ただけよ。こんな思いする理由なんて何も……何もないじゃない。……ステイシアだって」
「言うな」
「けど……ッ!」
「甲斐の無いことだ。誰のせいでもない、強いて言うならお前に付いて来た、あいつ自身の責だ。
お前が下らんことで自分を責めても、喜ぶような馬鹿はいない。
奴らがフェルス医師に与するのをお前は止められたか? ステイシアが歪んだ形で蘇るのを止められたのか?
……いずれ来る結末が、些か歪曲してしまった、ただそれだけのことだ」
「それだけ、って……ッ!」
「少しは落ち着けッ」
「解ってる……ッ! そんなの…言われなくたって解ってるの………ッ!」
吐き出した言葉から、力が抜けていく。俯いた彼女の金の頭を、数度、ゆっくりと撫でる。すん、と鼻の鳴る声がした。
「…………し」
「……?」
「………あたし、やっぱり、何処に行っても、疫病神なんだね……」
「……」
ぽつりと、誰に聞かせるわけでもなく呟かれた言葉は、しっかりとレンの耳を打っていた。
カノンの母であるマイン=ティルザードは、偉大な狩人だった。ただそれだけのことに過敏に反応する人間は、けして少なくはなく、良くも悪くも彼女の周囲には人が集まった。当然、それは善人ばかりではない。
彼女にそんな気はないというのに。なまじ、母親に勝るとも劣らない戦のセンスを備えていたために、期待と畏怖とが付き纏う。
……狩人という任から解き放たれたはずの、今でもなお、そうだというのだろうか。
「?」
レンは、俯いたままのカノンの肩を叩く。
「ちょうど眠れずにいたところだ。夜風にでも当たる。……付き合え」
浮かんでいたのは満月だった。
気配を紛らわすのには向かないが、夜の散歩にはちょうど良い。
つい、二週間前もこうして散歩をした気がする。あのときは一人で、酷い目にあったものだけれど。
……もし、あのとき―――出歩いたりしていなければ。
いや、どうにしろ、奴らはカノンを誘い出していただろう。下らないことを考えるな。今は、考えても致し方のないことだ。
散歩と言っても、そう遠くまで行くわけにはいかない。せいぜいが、宿屋の裏手にある井戸端で涼む程度だ。
「……寒いか?」
「ううん、平気」
石積みの井戸に寄りかかりながら、カノンは答える。
「けど、何か久しぶりね」
「……? 何が、だ?」
「こうして二人だけでいるの。
だってさ、ここ最近ずっと皆いたし。二人でいるのなんか、なかなかなかったじゃない?
まあ、病院で看病はしてもらったけどさ」
「普段より騒がしさが三倍以上だ。全く、敵わん」
「ちょっと、あたし今の騒がしさの三分の一を担ってんのッ?」
「以上と言っただろう。それ以上だな」
「ちょ、それだけは納得いかないわよッ!!」
いつもの暴言に、突っかかろうとして。
振り上げた拳を止めて、小さく噴き出す。ゆっくりと、肩の力を抜く。
「……落ち着いたか?」
「……ん。ごめん、ありがと…」
井戸に寄りかかる彼女の隣に背を預けながら、レンは溜め息を吐く。剥き出しの腕にかかったマントを掴んでほんの少しだけ寄る。
「……寒いなら素直に言え」
「へへ」
外されたマントを手繰って包まる。ほんの少しの埃と、甘い汗の匂いがした。
「……カノン」
「うん」
「お前が発端で起きた起きた事件も、不幸になった人間も、俺は数え切れないほど見て来た。
それがお前の意思ではなくともな」
「……うん」
「だがそれ以上に、」
輝く満月をぼんやりと眺めながら、彼は口にする。
「……救われた人間も、町もある」
「………うん」
「それを、忘れるな」
「……うん、ごめん」
深呼吸をする。少し肌に寒い、冷たい空気が火照った身体を程好く冷してくれる。
肩にかかった群青のマントが、泣きたいほどに温かい。
大丈夫、この温もりがあればまだ立っていられる。前に進める。
「……もう平気、ありがと」
「……」
吐き出した息は安堵を含んでいた。
「レン」
「何だ?」
「……いつまで、あたしに付き合ってくれるの?」
「……」
「あ、ぅ、め、迷惑とかじゃなくてさ……。でも、せっかく狩人辞めたんだし。
レンだって他にやりたいこととか、腰を落ち着けるとか……その、したいこともあるんじゃないかなー、って。
だったら、いつまでもあたしの我侭につき合わせてるわけにいかないし……
こういう状況だから、今は一緒にいた方がいいんだろうけど……」
「……」
視線を上げたレンが、何を逡巡しているのかは解らない。口を開かない彼に、些か不安を覚えて一歩踏み出そうとしたとき、
すっ、とカノンも、レンも、表情を引き締める。
闇夜を割いた白い小さな影。二人は左右に分かれて跳ぶ。
どむッ!!
張り付いた護符が井戸の端を打ち砕く。カノンはマントを放り出し、腰の剣を抜く。レンもまた、背中の剣を引き抜いた。
「くすッ……邪魔したようだね。申し訳ない」
「ッ!」
ひらひらと片手で護符を弄びながら、宿屋の屋根に腰掛ける、漆黒の影。
はっ、としてその手を凝視するが、右肩のダメージは既にないように見える。きりッ―――奥歯の噛み締める音が、耳の奥に響く。
「あんた……ッ! 一体、何のつもりなのよッ!?」
「さて、話す必要があるとも思えませんが」
暗い影が、すっ、と立ち上がる。くすくすと響く小さな笑い。
そこへ、
「シルフィードッ!」
「!」
ドンッ!!
澄んだ。
ややトーンの高い、声が不穏な空気を切り裂いた。
少年が、砕けた屋根の端から跳び退る。銀の閃光は、宿屋の表――― 一ブロックのストリートから放たれた。
聞き覚えのない声だ。
少年はそちらに視線を落す。
「あんたは……」
「……」
そこには、両手を突き出し、険しい表情で屋根の上の影を睨みつける少年が佇んでいた。
歳は十五か、もっと低いか。背はあまり高くない。淡い緑がかった銀の髪を長く伸ばし、前髪を長いバンダナで束ねている。
法師の纏うような、ゆったりとした青紫の神衣を纏い、同じ色の瞳を吊り上げていた。
「……そこの者。エイロネイアの刺客ならば大人しく投降しなさい」
「………シンシアか」
ぼそり、と影が呟く。
たったったっ、と石畳を駆ける足音。影はそちらに目をやって、
「―――?」
カノンは、彼に―――漆黒の少年の表情に、動揺が走るのを初めて見た。アルティオが月陽剣を握ったときでさえ、驚嘆しただけで、動揺など微塵も見せなかったというのに。
「……」
影の少年は、そのまま無言で跳ぶ。
後方へ。
「待てッ!」
「追わなくて良い、デルタ」
かつッ
ストリートの石畳を踏んで、彼の後ろからまた一つ人影が現れる。月光に照らされた、その人は女性だった。
意志の強そうな蒼い瞳、柔らかな、肩まで伸ばした髪は栗色。
どこかの将校を髣髴とさせる衣装だが、決定的に違うのは一般的に軍部では高位を表す白のコートと、鷲の十字をあしらった紋章は、明らかに帝国のそれとは違う。
カノンの背を、嫌な予感がすり抜ける。
放り出してしまったマントを拾い上げると、即座に脇から手が伸びてそれを攫った。
元のようにマントを身につけながら、レンは彼らを凝視する。きっと、渋い表情に感じている予感は同じものだ。
「ラーシャ様、良いのですか?」
「良いのだ。我らの任務は刺客を片付けることではない」
ラーシャ、と呼ばれた女性はこちらを振り返る。女性にしてはやや背が高い方だろう。ぴし、と背を伸ばすと歳不相応の風格が、凛とした雰囲気に加わる。
「……お怪我は……ないようだな。何より」
「……」
「失礼。カノン=ティルザード様、レン=フィティルアーグ様、両名で宜しいか?」
一瞬、返答に迷う。
横目で目配せをするが、彼自身も諮りかねているようだった。敵の敵は、味方とは限らない。
その内に、沈黙を答えと見なしたのか、彼女は鷹揚に一つ、頷き、深々と頭を下げた。
「……第三革命を起こし、今在る政団を改革されたお噂は、耳に入れている」
「―――!」
確かに―――。
かつて、カノンとレンは、死術によって暴走しかけた政団の長を、数多の死術と共に闇に葬ったことがある。その事件は、忌々しく、記憶に新しい―――。
だが、あれは革命を起こした、というよりは戦場で生き残った、と言う方が正しい。
それに―――。
―――あの件は、公式には、伏せられてるはずなのに……ッ!
「あんたたち……一体、何者?」
すると彼女は面を上げる。背筋を伸ばし、最上礼の構えを取った。傍らの少年もそれに習う。
そして。
彼女は敬礼を崩さないまま、言った。
「私はゼルゼイル北王都ゼルフィリッシュより参った、シンシア王国中将ラーシャ=フィロ=ソルト。
こちらは従者であり、本軍で少尉の任に当たるデルタ=カーマイン。
……貴方方のご高名を聞き、一つ、お願いを申し上げに参った次第であります―――」
―――さて、また何やら面倒な事態になって来た―――。
かつッ……
闇色の少年は、足を止めた。どこの町にも一つはある、光の届かない廃墟の中だと、その姿は増して闇夜に溶けて見えなくなる。
壊れた壁の隙間から漏れる光だけが、少年の視界を支えていた。
廃墟となる前は、少々、小洒落た邸宅だったのだろう。上流階級、とは言わないが、極普通の中流家庭の住まいよりは些か豪華な間取りだ。埃に塗れ、ひび割れた家具にもそえなりの装飾が見て取れる。
ふと、人の気配を感じた。
部屋―――恐らくはリビングだろう、一番大きな部屋の深奥に陣取るソファを振り返る。
瞬間。
かしゃんッ!!
唐突に飛来した脆いワイングラスが、コートの裾に叩き落とされて床に張り付いた絨毯の上に破片となって散らばる。
踏み出すとアルコールの立ち上る、赤い液体が跳ねた。
「てっめぇ、何すんだッ!」
「エノ」
駆け寄って来ようとしていたエノの大声を窘める。
払ったと同時に、手の甲に突き刺さった透明な破片を、素知らぬ振りで抜く。転がすとかしゃん、と小さな破砕音が響いた。
こっそりと溜め息をついて、グラスの飛んできた方向を見やる。
「……随分と、乱暴な出迎えだね」
そこに座っていた"彼"は、ふん、と鼻を鳴らしただけで、サイドテーブルに乗せられた新しいグラスに赤い酒を注ぐ。
つかつか、と靴音を鳴らして近づいた少年は、彼の手から深緑色の瓶を奪うと、空いていたグラスに三分の一程度注ぐ。
「……機嫌が悪いようで何より」
「人のことを言えた義理か。何だ、いつもの澄ました顔はどうしたよ。シケた面しやがって」
「この顔は元からだよ」
一方的にグラスを合わせ鳴らすと、少年は一気に煽る。彼はゆっくりグラスに口をつけた。
「……で、そっちは上手くやったんだろうな?」
「上々、だね。まあ、計算外のこともいくつかあったけれど。問題外だ」
二杯目をグラスへ、なみなみと注いだところで瓶をひったくたれた。渋ったりはせずに、返還する。
今度はちびちびと、グラスの端に口を付けながら、
「けれど、あの剣は惜しかったんじゃない? 本当に放置で良かったの?」
「あんなもんはただのプロトタイプだ。データが取れりゃ、後は廃棄物さ」
「でも、二つとも彼らの手に渡ったみたいだけど?」
「それこそ性能を測るのにはちょうど良い。憂うようなことじゃねぇ」
「……君は相変わらず、だね」
再び、彼は鼻を鳴らし、グラスの中身を一気に飲み干した。
「……それで。余計な手は出してねぇだろうな?」
「勿論。出したとしても、僕の一言で転ぶような人でもないだろう?
―――さあ、約束通り、トリは任せるよ……。後は焼くなり煮るなり。契約に反しない限りに」
うっすらと。
月明かりに、彼の薄い唇が吊りあがる。
きんッ!!
澄んだ金属音が響く。咄嗟に引いた鼻先の向こうで、がしゃんッ! と派手な音を立てて瓶が割れ、赤い内の体液を撒き散らす。
破片が月光に煌いて、その中の一際大きな欠片が、細身のナイフに貫かれて床に落ちる。
床に突き刺さったナイフが、妖しげに光る。
ああ、ちょっとだけ勿体無い。
「………感謝してるぜ、あんたにはよ……。
これだけの舞台なら不足はねぇさ……。存分にやらせてもらう。くっ、くくくくく……」
堪えきれない笑いが、喉の奥から漏れる。少年はそれを眺めて頷いた。
「ええ、ご自由に」
かつんッ!
響いた靴音が、廃墟の廊下に消えていく。不満げな表情を浮かべる傍らの従者に、軽く顎で合図する。
憮然としたまま、重い足取りだったが、その後を追っていく。
少年は身を翻して、今しがた彼の腰掛けていたソファに座る。ふぅ、と陰鬱に近い溜め息を漏らした後、ふと頭上を見上げる。
朽ちた天井に、砕けた梁が引っかかっている。砕けた瓦の向こう側、ぽっかりとそこだけ穴が開いていて、切り取られた空を眺めることが出来た。
「……ああ、通りで機嫌が悪いわけだ」
天上に、真円の月を認め、少年はくすり、と笑う。
「今日は、満月だったね」
ワインの苦く、渋い風味が、口の中に広がる。ゆっくりと視線を逸らす。
「……まったく、彼も可哀相な人間だ」
少年の視線の先で。
零れた雫に突きたったナイフが、その赤い水面に移る揺らいだ満月を、深く、貫いていた……
←11へ
たまらずにアルティオは赤い柄を手放した。手の平が焼け石に触れたように熱い。
しゅうしゅうと細い煙が、握った手から上がる。シリアが慌てて駆け寄って、それを開かせ、顔を顰めてから治療呪文を口にする。
少年は。
畳み掛けようとするレンから跳び退る。
その右肩には、今だ一振りの剣が突き刺さったままだった。
「っ、く……ッ!」
躊躇いもなく、少年は赤い剣の柄を握る。歯を食い縛りながらそれを肩から引き抜いた。
「……」
常人なら激痛を伴うそれを、少年は僅かによろめくだけでやってのけた。がらん、と剣が石の床に落ちた。
少年の身体が傾ぐ。
「主様ッ!」
「れ……くそッ! 大丈夫かッ!?」
いつの間に移動したのか、少女が彼の身体を支える。薄炎色の髪の少年は、気合を込めて上段に蹴りを放つ。引いたカノンの隙をついて、そちらに駆け寄った。
彼がふらついたのは一瞬で、すぐに身体を持ち上げると右肩を抑えて小さく呻く。
身体を貫いたはずなのに、確かに手応えはあったというのに、何故かその肩から赤い体液は噴き出さずに、辺りの闇と黒衣に紛れて傷口さえ確認出来ない。
「やって、くれたね……。まさか『月陽剣』を握るとは思わなかった」
柄を握った手を抑えながら膝をつくアルティオに、彼は笑みを浮かべる。
そうして頭上の青い剣を、転がった足元の赤い剣を、交互に眺め、そして立ち尽くした魔道師へちらりと視線を送る。
「……まあ、いいさ。それはもう、必要ないらしい。回収の必要はない、とのことだ」
「はぁッ? 何だ、それッ! 俺ら、何のために……ッ」
「エノ」
「……」
窘められて、赤毛の少年はくそッ! と呟いて沈黙した。
少女が一歩、前に出る。カノンたちは各々、構えるが、少女はただ静かに瞼を閉じた。
その足元から、黒い霧がゆっくりと立ち上る。それは、いつか見た光景だった。
「くっそ、待てッ!! 逃げんのかよッ!」
「アルティオッ!!」
傷口を放って駆け出そうとするアルティオの腕を、シリアが無理矢理に引く。
解っている。
手の平が使い物にならないくらい。
ただの悪あがきだということくらい。
そんなに無鉄砲じゃない。
けれど、
「……それでは、ごきげんよう」
霧の向こうに消えていく、漆黒の、白い薄笑いがどうしても許せない。
やがてすべてが消えた後、がくり、と彼は膝をついて、逆の拳を無言で床へ叩き付けた。
「アルティオ……」
「畜生……許さねぇ……! あの野郎、絶対、絶対に許さねぇ……ッ!」
小さな、慟哭交じりの誓約が、物悲しく耳を打つ。
乾いた視線の向こうに、数多の命を飲み込んだ、呪われた赤い光を灯す剣が、力なく転がっていた。
それからは、目まぐるしかった。
町に在住しているウィルトン伯を通じて、はたまたルナが呼んでいた政団と憲兵が、次々と訪れて事情聴取と現場検証を行った。
最も、そんなものは意味を成さないくらい、フェルス医師の罪状は明らかだったのだが。
しかし、結局、あの黒衣の少年が絡んでいたという証拠が挙がることはなく、事件はフェルスの独断と暴走という形で収まったようだった。
……収まったようだ、というのは他でもない。
現場検証と、事実の認証は偉い方に任せて、カノンたちは早々に町を去ったからだった。
街中では評判の良かったフェルスを殺した、と見られているのだ。それが正当防衛だったとしてもいい目で見られるわけはない……。
……というのは、もしかしたら、ただの表向きの理由かもしれない。
こんこん。
「あー、どうぞ」
間延びした、しかしどこか覇気に欠ける声を確認して、カノンはノブを捻った。
あれから一週間。
ランカース・フィルからは大分、離れた比較的大きな、治安もそこそこの町に彼らはいた。
「……アルティオ、入るからね」
「ああ」
部屋の中にはランプさえ灯っていなかった。
カノンは、再度溜め息を漏らして手探りでランプを探し出して、ねじを捻り、火を灯す。
獣脂の焼ける匂いが立ち込めた。
ぼんやりとした明かりの中で、ぐったりと、手を付きベッドに座り込む力の無い背中が見えた。
カーテンから漏れてくる月の光を、魂が抜けたかのように眺めている。
折れた剣を視界に入れて、カノンは軽く首を振り、肩に担いでいた大きな荷物を床に置く。
がらがらんッ、と結構な音が響いた。
「……あんたの新しい剣よ」
「……」
それにも、彼は無言のままだった。
カノンは仕方無く剣の袋を開け放ち、彼の座るベッドの脇にそれを転がした。
「……『月陽剣』」
「ッ!!」
ばっ、とアルティオは目を剥いて振り返る。幾分、痩せたように見えるその眼前に、カノンは一つの指輪を突きつける。
赤い、古風な装飾の、見覚えのある指輪。
「そりゃ……」
「ステイシアが付けていたものよ」
カノンは床に投げ出された二振りの、青赤の剣に視線を落とす。
「……本当は政団に没収されてるところなんだけど。盗品だ、って言ってルナが取ってきて修理したの。
……魔道具、ってのはね。人間が使えないと意味無いの。
もともとこの剣は、青の剣―――月の剣は軽度の癒しの力を持っていて、赤の剣―――陽の剣は人間の潜在する能力を高める作用をするものだったそうよ。
ただ、それだけの剣。
それが、無理矢理に人間の範疇を超えるくらいに異常な能力を持たされたから、異常な対価が必要になって……
呪われた剣になった」
カノンは二振りの剣を拾い上げる。だが、その手の平が焼けるようなことはない。
「……人の血と魂を吸ったせいで、元のものより強力にはなっているそうだけど。
人の使えるぎりぎりの数値まで、能力を落としたそうよ。それでも、使えば使用者の疲労は大きいから、その疲労の抑制装置に、この指輪を造り変えた、って。
詳しくは解らない。あんたに使う気があるなら、ちゃんと説明してやる、って言ってた」
カノンはアルティオに指輪を手渡す。以前より、格段に輪が広まって、アルティオの無骨な指にも嵌る大きさになっている。
僅かに震える拳と、噛み締められた唇に、カノンはさらに問う。
「……十分、落ち込んだ?」
「……」
「この剣は確かに、あの娘の命を奪ったかもしれないわ。けどね、同時に、生まれ変わって一年を生きたあの娘の唯一の形見よ。
―――捨てるか、それとも二度と紛い目的のために使われないよう、あんたが守り続けるか。
アルティオ。
あたしだって、性急できついこと言ってるのは解ってるの。普通なら、あたしたちはあんたの気が済むまで、あんたが立ち直るのを待ってやってたっていい。けど、相手は待っちゃくれないの。
……あんたが、許せない、って言った言葉。あれは、あたしだって同じ。
でも、いざってときにあんたが戦う力を持ってなかったら―――」
押し殺し、隠した言葉がアルティオの鼓膜を打つ。痛いほど、彼女の、いや彼女たちの仲間としての情が、理解出来る。
しなければならないことなど知っていた。
彼は、ただ後押しが欲しいだけなのだ。
アルティオは、一つ、息を吐き出して。
指輪を、握った。その手の平が、熱く痛む。金の髪の、あの、小さな少女の華やかな笑顔が、一週間も前のことだと思えないほど、鮮明に瞼に浮かび―――
消した。
いつでも、思い出せるよう。
忘れないように、今は忘れた。
「……ごめんな」
「?」
「オレって奴はよ。ほんっとうにどうしようもないな。好きな女に二回も嫌なこと言わせちまった」
空笑いが漏れた。これじゃますます嫌われちまう、と、かすかに微笑んで、しかし一抹の怒りと決意とを滲ませて、顔を上げる。
填めた指輪は、初めて手にしたものではないかのように、しっくりと無骨な傷だらけの指に収まった。
「……あんたのいいところは、何があっても豪快に笑い飛ばせる馬鹿さ加減ね。だから、ステイシアもあんたを選んだのかもしれないわ」
「……そうだったら、良いな」
アルティオが二つの剣の柄を握る。月光に翳された剣は、鋭く、その淡い光を弾き返した。
カノンは僅かに微笑んで、背を向けようとした。その背に、アルティオはふと思いついて声をかける。
「……なあ、カノン」
「何?」
「ネリネ、って知ってるか?」
「ネリネ、って……あの、花の?」
柄を握り、その筋から視線を外さないまま、アルティオは頷く。
「ああ、そいつの……花言葉、って知らねぇか?」
「……それは…」
「………あの娘がさ、言ってたんだよ。また、あの町に来ることがあったら教えてくれるって。
街の、郊外の花壇にいっぱいに咲いててな。夕方、いっちばん綺麗な眺めだとか言って、連れてってくれてさ。
花も、葉っぱも、………可愛くてな。すごく、綺麗だったんだ。」
「……」
「もう、……聞けねぇからな」
寂しげな声が、部屋の中に響く。カノンは逡巡して―――
その迷いを見て取ったのか。
「……頼む、カノン」
奥歯を、噛み締める。
しばし、瞑目して、そして極端的に、その言葉を口にして―――
カノンは、部屋を出た。
残されたアルティオは、その言葉を確かめるように二度、口にして……
彼女の魂が込められた剣を、振りかざして、たった一言だけ、呟いた。
「……そっ、か」
ネリネ―――
彼岸花科。学名 Nerine sarniensis Nerine : ネリネ属。
別名は『ダイヤモンドリリー』反った花弁に光が当たると、まるでダイヤモンドのように美しく輝く淡い桃色の花―――。
花言葉―――『華やか』、『幸せな思い出』、『箱入り娘』……
―――『また会う日まで』
「……あ」
アルティオの部屋を出て、しばらく。暗い廊下を過ぎて、窓枠に寄りかかっていた長身の人影に、カノンは足を止める。
「レン……」
「アルティオは落ち着いたか」
「うん、大分。もう大丈夫そう」
背を離し、彼はこちらへと向き直る。表情には、やや疲労の色があった。彼のことだ、ここ数日、眠っている間も気を抜かずに、神経を研ぎ澄ませていたに違いない。
「……アルティオがあそこまで落ち込んでるの、初めて見た」
「昔から切り替えは悪くない男だ。一度、すべきことを理解すれば、後は大丈夫だろう」
知らない人間が聞けば、冷たい科白に聞こえるかもしれない。けれど事実は逆。レンはアルティオの兄弟弟子だ。良くも悪くも、お互いの性格は知っている。
「それよりも……お前の方は平気なのか?」
「へ?」
まさか水を向けられるとは思っていなかった。カノンは首を傾げて彼を見上げる。
「何で?」
「また気ばかり焦らせて、かりかりしているように見えたのでな」
「……」
押し黙った沈黙が、返答だった。
「ちょっと……気は立ってる、かな……」
「……」
「……アルティオは、さ。別に狙われてるわけでもないのよ? ただの興味本位であたしたちに付いて来ただけよ。こんな思いする理由なんて何も……何もないじゃない。……ステイシアだって」
「言うな」
「けど……ッ!」
「甲斐の無いことだ。誰のせいでもない、強いて言うならお前に付いて来た、あいつ自身の責だ。
お前が下らんことで自分を責めても、喜ぶような馬鹿はいない。
奴らがフェルス医師に与するのをお前は止められたか? ステイシアが歪んだ形で蘇るのを止められたのか?
……いずれ来る結末が、些か歪曲してしまった、ただそれだけのことだ」
「それだけ、って……ッ!」
「少しは落ち着けッ」
「解ってる……ッ! そんなの…言われなくたって解ってるの………ッ!」
吐き出した言葉から、力が抜けていく。俯いた彼女の金の頭を、数度、ゆっくりと撫でる。すん、と鼻の鳴る声がした。
「…………し」
「……?」
「………あたし、やっぱり、何処に行っても、疫病神なんだね……」
「……」
ぽつりと、誰に聞かせるわけでもなく呟かれた言葉は、しっかりとレンの耳を打っていた。
カノンの母であるマイン=ティルザードは、偉大な狩人だった。ただそれだけのことに過敏に反応する人間は、けして少なくはなく、良くも悪くも彼女の周囲には人が集まった。当然、それは善人ばかりではない。
彼女にそんな気はないというのに。なまじ、母親に勝るとも劣らない戦のセンスを備えていたために、期待と畏怖とが付き纏う。
……狩人という任から解き放たれたはずの、今でもなお、そうだというのだろうか。
「?」
レンは、俯いたままのカノンの肩を叩く。
「ちょうど眠れずにいたところだ。夜風にでも当たる。……付き合え」
浮かんでいたのは満月だった。
気配を紛らわすのには向かないが、夜の散歩にはちょうど良い。
つい、二週間前もこうして散歩をした気がする。あのときは一人で、酷い目にあったものだけれど。
……もし、あのとき―――出歩いたりしていなければ。
いや、どうにしろ、奴らはカノンを誘い出していただろう。下らないことを考えるな。今は、考えても致し方のないことだ。
散歩と言っても、そう遠くまで行くわけにはいかない。せいぜいが、宿屋の裏手にある井戸端で涼む程度だ。
「……寒いか?」
「ううん、平気」
石積みの井戸に寄りかかりながら、カノンは答える。
「けど、何か久しぶりね」
「……? 何が、だ?」
「こうして二人だけでいるの。
だってさ、ここ最近ずっと皆いたし。二人でいるのなんか、なかなかなかったじゃない?
まあ、病院で看病はしてもらったけどさ」
「普段より騒がしさが三倍以上だ。全く、敵わん」
「ちょっと、あたし今の騒がしさの三分の一を担ってんのッ?」
「以上と言っただろう。それ以上だな」
「ちょ、それだけは納得いかないわよッ!!」
いつもの暴言に、突っかかろうとして。
振り上げた拳を止めて、小さく噴き出す。ゆっくりと、肩の力を抜く。
「……落ち着いたか?」
「……ん。ごめん、ありがと…」
井戸に寄りかかる彼女の隣に背を預けながら、レンは溜め息を吐く。剥き出しの腕にかかったマントを掴んでほんの少しだけ寄る。
「……寒いなら素直に言え」
「へへ」
外されたマントを手繰って包まる。ほんの少しの埃と、甘い汗の匂いがした。
「……カノン」
「うん」
「お前が発端で起きた起きた事件も、不幸になった人間も、俺は数え切れないほど見て来た。
それがお前の意思ではなくともな」
「……うん」
「だがそれ以上に、」
輝く満月をぼんやりと眺めながら、彼は口にする。
「……救われた人間も、町もある」
「………うん」
「それを、忘れるな」
「……うん、ごめん」
深呼吸をする。少し肌に寒い、冷たい空気が火照った身体を程好く冷してくれる。
肩にかかった群青のマントが、泣きたいほどに温かい。
大丈夫、この温もりがあればまだ立っていられる。前に進める。
「……もう平気、ありがと」
「……」
吐き出した息は安堵を含んでいた。
「レン」
「何だ?」
「……いつまで、あたしに付き合ってくれるの?」
「……」
「あ、ぅ、め、迷惑とかじゃなくてさ……。でも、せっかく狩人辞めたんだし。
レンだって他にやりたいこととか、腰を落ち着けるとか……その、したいこともあるんじゃないかなー、って。
だったら、いつまでもあたしの我侭につき合わせてるわけにいかないし……
こういう状況だから、今は一緒にいた方がいいんだろうけど……」
「……」
視線を上げたレンが、何を逡巡しているのかは解らない。口を開かない彼に、些か不安を覚えて一歩踏み出そうとしたとき、
すっ、とカノンも、レンも、表情を引き締める。
闇夜を割いた白い小さな影。二人は左右に分かれて跳ぶ。
どむッ!!
張り付いた護符が井戸の端を打ち砕く。カノンはマントを放り出し、腰の剣を抜く。レンもまた、背中の剣を引き抜いた。
「くすッ……邪魔したようだね。申し訳ない」
「ッ!」
ひらひらと片手で護符を弄びながら、宿屋の屋根に腰掛ける、漆黒の影。
はっ、としてその手を凝視するが、右肩のダメージは既にないように見える。きりッ―――奥歯の噛み締める音が、耳の奥に響く。
「あんた……ッ! 一体、何のつもりなのよッ!?」
「さて、話す必要があるとも思えませんが」
暗い影が、すっ、と立ち上がる。くすくすと響く小さな笑い。
そこへ、
「シルフィードッ!」
「!」
ドンッ!!
澄んだ。
ややトーンの高い、声が不穏な空気を切り裂いた。
少年が、砕けた屋根の端から跳び退る。銀の閃光は、宿屋の表――― 一ブロックのストリートから放たれた。
聞き覚えのない声だ。
少年はそちらに視線を落す。
「あんたは……」
「……」
そこには、両手を突き出し、険しい表情で屋根の上の影を睨みつける少年が佇んでいた。
歳は十五か、もっと低いか。背はあまり高くない。淡い緑がかった銀の髪を長く伸ばし、前髪を長いバンダナで束ねている。
法師の纏うような、ゆったりとした青紫の神衣を纏い、同じ色の瞳を吊り上げていた。
「……そこの者。エイロネイアの刺客ならば大人しく投降しなさい」
「………シンシアか」
ぼそり、と影が呟く。
たったったっ、と石畳を駆ける足音。影はそちらに目をやって、
「―――?」
カノンは、彼に―――漆黒の少年の表情に、動揺が走るのを初めて見た。アルティオが月陽剣を握ったときでさえ、驚嘆しただけで、動揺など微塵も見せなかったというのに。
「……」
影の少年は、そのまま無言で跳ぶ。
後方へ。
「待てッ!」
「追わなくて良い、デルタ」
かつッ
ストリートの石畳を踏んで、彼の後ろからまた一つ人影が現れる。月光に照らされた、その人は女性だった。
意志の強そうな蒼い瞳、柔らかな、肩まで伸ばした髪は栗色。
どこかの将校を髣髴とさせる衣装だが、決定的に違うのは一般的に軍部では高位を表す白のコートと、鷲の十字をあしらった紋章は、明らかに帝国のそれとは違う。
カノンの背を、嫌な予感がすり抜ける。
放り出してしまったマントを拾い上げると、即座に脇から手が伸びてそれを攫った。
元のようにマントを身につけながら、レンは彼らを凝視する。きっと、渋い表情に感じている予感は同じものだ。
「ラーシャ様、良いのですか?」
「良いのだ。我らの任務は刺客を片付けることではない」
ラーシャ、と呼ばれた女性はこちらを振り返る。女性にしてはやや背が高い方だろう。ぴし、と背を伸ばすと歳不相応の風格が、凛とした雰囲気に加わる。
「……お怪我は……ないようだな。何より」
「……」
「失礼。カノン=ティルザード様、レン=フィティルアーグ様、両名で宜しいか?」
一瞬、返答に迷う。
横目で目配せをするが、彼自身も諮りかねているようだった。敵の敵は、味方とは限らない。
その内に、沈黙を答えと見なしたのか、彼女は鷹揚に一つ、頷き、深々と頭を下げた。
「……第三革命を起こし、今在る政団を改革されたお噂は、耳に入れている」
「―――!」
確かに―――。
かつて、カノンとレンは、死術によって暴走しかけた政団の長を、数多の死術と共に闇に葬ったことがある。その事件は、忌々しく、記憶に新しい―――。
だが、あれは革命を起こした、というよりは戦場で生き残った、と言う方が正しい。
それに―――。
―――あの件は、公式には、伏せられてるはずなのに……ッ!
「あんたたち……一体、何者?」
すると彼女は面を上げる。背筋を伸ばし、最上礼の構えを取った。傍らの少年もそれに習う。
そして。
彼女は敬礼を崩さないまま、言った。
「私はゼルゼイル北王都ゼルフィリッシュより参った、シンシア王国中将ラーシャ=フィロ=ソルト。
こちらは従者であり、本軍で少尉の任に当たるデルタ=カーマイン。
……貴方方のご高名を聞き、一つ、お願いを申し上げに参った次第であります―――」
―――さて、また何やら面倒な事態になって来た―――。
かつッ……
闇色の少年は、足を止めた。どこの町にも一つはある、光の届かない廃墟の中だと、その姿は増して闇夜に溶けて見えなくなる。
壊れた壁の隙間から漏れる光だけが、少年の視界を支えていた。
廃墟となる前は、少々、小洒落た邸宅だったのだろう。上流階級、とは言わないが、極普通の中流家庭の住まいよりは些か豪華な間取りだ。埃に塗れ、ひび割れた家具にもそえなりの装飾が見て取れる。
ふと、人の気配を感じた。
部屋―――恐らくはリビングだろう、一番大きな部屋の深奥に陣取るソファを振り返る。
瞬間。
かしゃんッ!!
唐突に飛来した脆いワイングラスが、コートの裾に叩き落とされて床に張り付いた絨毯の上に破片となって散らばる。
踏み出すとアルコールの立ち上る、赤い液体が跳ねた。
「てっめぇ、何すんだッ!」
「エノ」
駆け寄って来ようとしていたエノの大声を窘める。
払ったと同時に、手の甲に突き刺さった透明な破片を、素知らぬ振りで抜く。転がすとかしゃん、と小さな破砕音が響いた。
こっそりと溜め息をついて、グラスの飛んできた方向を見やる。
「……随分と、乱暴な出迎えだね」
そこに座っていた"彼"は、ふん、と鼻を鳴らしただけで、サイドテーブルに乗せられた新しいグラスに赤い酒を注ぐ。
つかつか、と靴音を鳴らして近づいた少年は、彼の手から深緑色の瓶を奪うと、空いていたグラスに三分の一程度注ぐ。
「……機嫌が悪いようで何より」
「人のことを言えた義理か。何だ、いつもの澄ました顔はどうしたよ。シケた面しやがって」
「この顔は元からだよ」
一方的にグラスを合わせ鳴らすと、少年は一気に煽る。彼はゆっくりグラスに口をつけた。
「……で、そっちは上手くやったんだろうな?」
「上々、だね。まあ、計算外のこともいくつかあったけれど。問題外だ」
二杯目をグラスへ、なみなみと注いだところで瓶をひったくたれた。渋ったりはせずに、返還する。
今度はちびちびと、グラスの端に口を付けながら、
「けれど、あの剣は惜しかったんじゃない? 本当に放置で良かったの?」
「あんなもんはただのプロトタイプだ。データが取れりゃ、後は廃棄物さ」
「でも、二つとも彼らの手に渡ったみたいだけど?」
「それこそ性能を測るのにはちょうど良い。憂うようなことじゃねぇ」
「……君は相変わらず、だね」
再び、彼は鼻を鳴らし、グラスの中身を一気に飲み干した。
「……それで。余計な手は出してねぇだろうな?」
「勿論。出したとしても、僕の一言で転ぶような人でもないだろう?
―――さあ、約束通り、トリは任せるよ……。後は焼くなり煮るなり。契約に反しない限りに」
うっすらと。
月明かりに、彼の薄い唇が吊りあがる。
きんッ!!
澄んだ金属音が響く。咄嗟に引いた鼻先の向こうで、がしゃんッ! と派手な音を立てて瓶が割れ、赤い内の体液を撒き散らす。
破片が月光に煌いて、その中の一際大きな欠片が、細身のナイフに貫かれて床に落ちる。
床に突き刺さったナイフが、妖しげに光る。
ああ、ちょっとだけ勿体無い。
「………感謝してるぜ、あんたにはよ……。
これだけの舞台なら不足はねぇさ……。存分にやらせてもらう。くっ、くくくくく……」
堪えきれない笑いが、喉の奥から漏れる。少年はそれを眺めて頷いた。
「ええ、ご自由に」
かつんッ!
響いた靴音が、廃墟の廊下に消えていく。不満げな表情を浮かべる傍らの従者に、軽く顎で合図する。
憮然としたまま、重い足取りだったが、その後を追っていく。
少年は身を翻して、今しがた彼の腰掛けていたソファに座る。ふぅ、と陰鬱に近い溜め息を漏らした後、ふと頭上を見上げる。
朽ちた天井に、砕けた梁が引っかかっている。砕けた瓦の向こう側、ぽっかりとそこだけ穴が開いていて、切り取られた空を眺めることが出来た。
「……ああ、通りで機嫌が悪いわけだ」
天上に、真円の月を認め、少年はくすり、と笑う。
「今日は、満月だったね」
ワインの苦く、渋い風味が、口の中に広がる。ゆっくりと視線を逸らす。
「……まったく、彼も可哀相な人間だ」
少年の視線の先で。
零れた雫に突きたったナイフが、その赤い水面に移る揺らいだ満月を、深く、貫いていた……
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★ プロフィール
HN:
梧香月
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性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
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★ 目次
DeathPlayerHunter
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
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THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
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THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
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