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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE9
階段を駆け下りよう? 大丈夫、後は底に落ちるだけだから。くすくす。
 
 
 

「は、ははは……な、何言ってるんだ、カノン……。そんなこと、あるわけないだろ?
 質の悪い冗談はやめろよ。お前らしくもない」
 長い間を置いて、アルティオはそう言葉を搾り出した。カノンにしてみれば、それは予想の範疇を出ない回答だった。
 だから憂鬱に頭を抱える。
 さあ、どう説得したものか。どこから話せば、冷静な判断力を失わずに聞いてもらえるか。
 カノンは軽く頭を振って、面を上げる。
「アルティオ、ステイシアが一年前から昔の記憶を失っているのは知ってるわよね?」
「あ、ああ……そう聞いた」
「……一年前、何があったのかは?」
「ん……いや、……郊外で倒れてたことしか……」
「フェルス医師はね、周りの人間にそれとなく、ステイシアの記憶のことについて触れないよう注意して回っていた。
 それが何故か解る?」
「何故って、そりゃあ、気遣いだろ?」
「ううん、そうじゃなくて。何に対しての気遣いか、解る?」
 アルティオが答えに詰まる。カノンが何を意図してこんな問答をしているのか、解らないのだ。
「……一年前まで、この町にときどき行商に来ていた、バルド、っていう小さな町の商人がいたらしいの。彼はたまに娘と一緒に来る時もあってね。
 噂だと、一年前、ここら辺ではちょっと力の強い盗賊団がいて。
 ちょうど行商に出ていた商人と娘さんは、そいつらに襲われた。商人の遺体は見つかったけど、娘の方は行方不明。
 年月も、娘の年格好も似てるそうだからたぶん……」
「……ステイシアだった、ってことか?」
「……おそらく」
 噛んで含めるように、ゆっくりとカノンは言葉を選ぶ。聞き返したアルティオは、訝しげに表情を歪め、
「だったら……何もそんな。
 盗賊に襲われたら生き残れない、ってわけじゃなねぇだろ……運良く逃げられて、でもショックで記憶を失ったとか……」
「そうね。あたしも聞かされて最初、そう思ったわ。
 噂を知っている街の人たちだって、そう考えたからフェルス医師の話を違和感なく受け入れたんでしょうね。
 でも、……アルティオ。背中からこう、左側を一突きされて、それでも生きてる人間がいると思う?」
「……どういう、ことだ?」
 カノンは立ち上がってアルティオの背後に回り、左側の、ちょうど肩甲骨の脇辺りを軽くとん、と叩いてみせた。
 そこを一突き。
 アルティオも剣士としての修行をこなしてきた身だ。人間の急所くらいは熟知している。
 人の心臓はやや左よりの胸部。
 そんな場所を、たとえ短刀であっても一突きされたとしたら……
「何でそんなこと……」
「……貴方とステイシアが一緒にいるのを見てね。自ら名乗り出てきた男がいたそうよ。
 その男はね、一年前までその恥知らずな、人の命を何とも思ってない盗賊団の一味の一人だった。けど、他の連中と違ったのは、単に心臓の毛が少なかったのか、それともそれで初めて罪悪を覚えたのか知らないけど。
 ……男は女の子を一人、殺させられて、そのときのショックで盗賊団を抜けた。
 盗賊団はその後、討伐されたらしいけど。足を洗って、この町から出るために金を稼いでた男は信じられないものを見る。
 自分が殺したはずの女の子が生きていて、街中を平気な顔で歩いているのをね」
「・・・ッ!」
 一言一言を丁寧に語ったカノンの言葉を、アルティオは十数秒の時間をかけて飲み下す。
「勿論、それだけだったら何の根拠にもならないわ。ただの人違い、他人の空似、誤認で片付けられる。
 でもね、一年前という月日の一致、境遇。状況証拠なら幾らでも出てくる。
 ………はっきり言って、無視出来るようなものじゃないわ。
 そして問題はステイシアの倒れていた場所なのよ」
「場所……?」
「仮にステイシアが一命を取り留めていたとしても、よ。行商人が襲われたのはランカースとバルドを結ぶ街道上、人の目も少ない森の中の街道よ。ランカースから五キロは離れてるわ。
 にも関わらず、フェルス医師の話では、ステイシアはランカースの郊外で発見されたはず。
 背中から左胸を刺された人間が、果たしてそんな距離を移動できるかしら?」
「そ、それは……」
 そんなものは素人でもわかる。たとえ心臓を逸れていたとしても、そんな大怪我を負った人間が、五キロなんて距離を移動できるはずはない。
「で、でも可能性がないわけじゃないだろッ!?
 何の理由が知らないが、他の人間が運んだとか、本当はフェルスさんは郊外で発見したんじゃなかったけど、真実から離れさせるためにステイシアに嘘を言ってるとか……、そもそもその男の話が嘘かもしれないじゃねぇか……ッ!
 どんな理由か知らねぇが、死んだはずの人間が生きてるなんて話よりよっぽど現実的だぜ……!?」
 アルティオが歯軋りを鳴らしながら反論する。対して、カノンはさほど顔色を変えず、力なく首を振った。
「……レンとルナの姿が見えないと思わない?」
「―――え?」
「昨日から、ね。二人には調べものをしてもらってるの。
 ルナはバルド村の、その行商人の奥さんに会いに。レンは一年前、フェルス医師との不和で辞めたっていう、ここの看護士を探しにね。
 レンの方はまだ音沙汰ないけど、ルナの方からはついさっき、本人より先に封書が届いたわ。
 たぶん、人に頼んで届けてもらったんだろうけど……」
 カノンは言って、白い、至って簡素な封筒を差し出した。
 アルティオは、いつの間にか溜まっていた固唾を飲み込んで受け取る。思ったよりも震えていた指先が、中に入った薄い羊皮紙が、上手く取り出せなくてもどかしい。
 端的な文面に表情が凍り付いていく。
「バルド村の、その行商人の奥さんはね。
 ステイシアの遺体を確認しているそうよ。……この、診療所で、ね」
「な……ッ!?」
 文面に記された内容。カノンの冗談を許さない目。アルティオは口の中に押し寄せた苦味に、耐えるように唇を噛んだ。
「たぶん、帰って来てから詳細を聞くことが出来るでしょうね。レンの方も、そろそろ報告が来てもおかしくない頃だわ」
「け、けど……」
「あたしだって信じられないわよ。今だって完全に信じてるわけじゃない。
 でも、考えてみて。
 男は『ステイシア』と思われる少女を殺している。この遺体はきっと、彼女の母親が確認したという『彼女』でしょうね。
 でも、ここに『ステイシア』は現存して、フェルス医師はそれを郊外で保護したと言っている。それにあたしは本人から『"ステイシア"という名前だけは覚えていた』と聞かされてるの。
 全部の情報を集めると、男に殺されて遺体が親族に確認されている『死んだステイシア』と、彼女に見間違えるほどそっくりな、記憶喪失の『生きたステイシア』が存在することになるわ。
 それも彼女たちが『死んだ時期』と『記憶を失った時期』がぴったり重なる、ね。
 どれだけの偶然が起これば、そんな確率に恵まれるの? フェルス医師はどうして彼女たちを同一人物だと思わせるような発言を周囲にばら撒かなきゃいけないの?」
「だ、だけどよッ! そんな人が生き返るなんて話……ッ! 在り得るわけねえだろッ?」
「ええ、在り得ないわ。そんな話はあたしだって信じてない」
「へ……?」
 声を荒げたアルティオに、カノンはあっさりと頷いた。しかし、その顔は晴れるどころか、一層の雲を漂わせて口を開く。
「嫌な話をするわよ?
 町についた最初の晩に、あたしはクオノリアで会ったあの男に襲われたわ。
 何故、あの男は目撃されることを覚悟で最初にあたしを襲ったの?
 それも殺すつもりもなく、『入院する程度の大怪我』を負わせるのが目的で。
 ……答えは『入院』させるため。診療所の内部に接触させるため、よ。それは今巷で発生してる『通り魔事件』に関わらせるため。
 フェルス医師は『通り魔事件』の被害者を治療してる身だから、事件について誰よりも詳しいでしょうからね。
 でも用心深くなってるあたしたちは、思惑通りに関わろうとしなかったわ。
 そこでこの予防線を張った」
「予防線……って」
「『死んでるはずの人間が生きている不可思議』。
 これを不審に思わないはずがないわよね?
 どう工作したかは解らない。でも、人間が死んで生き返ることがないとすれば……
 あの『ステイシア』は、」
「……ま、待てッ! ちょっと待てッ!」
 カノンが結論を断するより先に、アルティオがそれを防ぐように声を上げる。
「待ってくれ、カノン! 確かにあの娘は変わった子だし、生い立ちだって不明だッ!
 でもよ、普通の女の子なんだッ! 花だって愛でるし、可愛いものに目がなくて、拾ってくれたフェルス医師に心から感謝してこの診療所に勤めてる!
 そういう普通のッ、普通の可愛い女の子なんだぜッ?

 それを、お前は"人間じゃない"なんて言うのかッ!?」

「あたしだって、こんなことは言いたくもないし、疑いたくもないわよッ!
 けどねッ、あんただって見たでしょうッ? あの黒衣の男の人間が、ルナの魔法をまともに喰らっても平気な顔で逃げたのをッ!? あれが人間に出来るっていうのッ?
 だったら、考えたくもない考えに至るのよッ! "奴"は死んだはずの人間を利用して、何らかの刺客をここに放っていた、ってッ!」
 吐き出したときにはお互い、息が切れていた。アルティオの顔には焦燥が、カノンには苛立ちが、そして両方、僅かな怒りが篭っていた。
「……工作をしたのが一年前なら、あたしたちを迎え撃つために、『ステイシア』を派遣したわけじゃない。
 むしろ、何らかの計画が進んでいて、それがあたしたちを迎え撃つのに、ちょうど良かった、ってことになる。
 ……クオノリアは有象無象の合成獣を生む牧場になった。
 この件と『通り魔事件』がどこでどう結びつくかは、まだ解らない。でも、この町で何かが行われてるのは確かなの。
 アルティオ、あんたはその格好の駒にされてるのかもしれないのよッ!? ひょっとしたら、もう向こうの術中に嵌ってる可能性だってある!」
「……」
 アルティオの顔がそれ以上、ないほどに歪む。
 カノンは厳しい表情を変えずに、自分よりも遥かに上背の高い彼を睨み上げた。冷たい汗が頬を伝う。
 気がつくと、呼吸することさえ忘れていた。
「……」
 アルティオは長い時間をかけて、自らの中で葛藤を続けていた。
 先ほどまで、ネリネの丘で微笑んでいた少女。その少女を、信じるか、疑うか。疑うためのカードは山ほど突きつけられた。
 それは、アルティオが駒だとすれば、そして今、この状況が奴の術中なのだすれば、"奴"に狙われているカノンを危険に曝すことにもなり得る選択だった。
 彼は―――。
 ゆっくりと、喉を上下させ、瞑目していた瞳を開き、
 その場の凍りついた雰囲気に、折れないよう、腰をすえてカノンの目を見た。
「……カノン」
「……」
「俺さ、ここ一週間、暇を見てはあの娘の相手をして来たんだ」
「ええ、知ってるわ。そりゃあもう、あの娘、聞いてて鬱陶しくなるくらい、幸せそうに惚気てくれたもの」
「……そっか。なら、……解るだろ? あの娘は、……普通の女の子なんだよ」
「アルティオ……!」
 やや強い声が口をついて出る。アルティオは、その彼女の肩を抑えながら、
「カノンが俺のために言ってくれてんのは解るさ。けど俺は、どうしてもあの娘が嘘を言ってるようには思えないんだよ。今の話が無視出来ないのは解るさ。
 ……でもな、どれだけ低い確率でも、もしかしたらあの娘は本当に無関係なのかもしれないし、あの変な奴が絡んでるとしても、本人には自覚がないのかもしれない。
 ……だったら。
 俺、今あの娘を見捨てたら、一生、後悔するような気がするんだよ」
「………」
 何せ、世界一のフェミニストだからなッ、とふざけてみせる。
 カノンは視線を緩めないまま、アルティオを睨み続けた。肩を落とした、しかし、どこか決意のようなものが感じられる彼の表情に、力なく首を振った。
 例え、千回殴っても変わらない目だ。
 こいつのしつこいくらい太い神経と根性、馬鹿さ加減は身を持って知っている。
「……解ったわ。好きにしなさい。
 でも、レンやルナの情報によってあたしたちがどう動くか、それを指図される言われはないわよ?」
「……解ってるさ。こいつは俺のただの我侭だ。
 ………………ごめんな。
 カノンだって、俺のために言ってくれたんだよな。ずっとあの娘に看護されてたんだし、カノンだってそりゃ、言いたくなかったよな……」
「別に。実際、あの娘に一番触れてたのはあんただし、そう決めたならがたがた言わないわ。
 それに、少し感心した」
「?」
 ふぅ、とカノンは溜め息混じりに場違いな笑みを浮かべる。仕方のない子供を見るような、ッ少し呆れた表情で、
「冷静な判断云々はともかく……
 男は上がったんじゃない? ちょっとはね」
「……さんきゅ」
 に、とアルティオは唇の端を吊り上げる。困ったように笑うカノン。
 アルティオは知っていた。カノンはステイシアも、アルティオも、責めるつもりなどないのだ。それでも、言わなくてはいけないことだから、言った。
 もしものときは、剣を振るわなくてはならないから。
 そのとき少しでも、彼が迷いに傷付かないように。
 そんな少女だからこそ、アルティオは彼女のことが、子供の頃から、ずっと好きなのだ。
 すっ、とカノンに近寄ると、反射的に後退る彼女の頬へ、素早く、極短く、自分の唇を押し当てた。
「―――ッ!!?」
「お前も俺の見立て通り、いい女になったぜ。サイコーに。
 大丈夫だ。何があっても、カノンは俺が守るからさ」
 カノンは何も発せずに硬直する。ぱくぱくと口を開く彼女の頭を、無遠慮にがしがし掻き回すとアルティオは部屋を出た。
 ドアから出ると、おそらく終始、耳をそばだてていたのだろう、シリアと目が合った。深い翡翠の瞳の中には、ほんの僅かの非難の眼差しと、呆れの色。
 しかし、彼女はそれを口に上らせようとはしなかった。たぶん、調査には彼女も駆けずり回っていたのだろうに、関係ないとでも言うように沈黙を守る。
 アルティオはその彼女に、軽く謝るような仕草をしてから脇を通り過ぎるのだった。
 シリアはその背中を見送ると、らしくない溜め息を吐いて硬直したままの恋敵を振り返る。
「情けないわねぇ、フレンチキスくらいで固まってるんじゃないわよ」
「よ、よ、余計なお世話よッ! そ、そんなことよりッ!!」
「そうよ、硬直している場合じゃなくてよ。……カノン、貴方、あのことは言わなくて良かったのかしら?」
「……」
 むず痒い全身を摩り、カノンは何とか平静を取り戻して、シリアの言葉に顔をしかめた。


「ん……?」
 廊下の角を曲がりかけたアルティオは、それに足を止める。次の瞬間には顔色を変えた。
「ステイシアッ!?」
 手すりに縋るようにしてぐったりと、倒れ込む少女の姿があった。アルティオが慌てて駆け寄って抱き上げると、その身体は思いの他軽く持ち上がった。
「ど、どうしたッ!? だ、大丈夫か、おいッ!?」
 ぐったりとしたまま、反応のない彼女に舌を打つ。手首を取って、体温を確認し、首下に手をやって、
「―――ッ、くそッ!!」
 小柄な彼女を横抱きにして、適当な部屋に運ぶ。目に付いたソファに横たわらせるが、医者ではないアルティオにそれ以上のことが出来るわけもなかった。
「ちっくしょ、ここは診療所だろッ!?」
 悪態をついて部屋を出る。フェルス医師の白衣の姿を求めて辺りを見渡すが、当然、その場に求めた姿はない。
 唇を噛み締めて、廊下を駆け出す。
 病室を一つ一つ訪ねるが、そこにフェルス医師の姿はない。それどころか、入院患者の姿もないのはどういうことか。
 いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 アルティオは舌打ちを繰り返しながら診療所中を探し回る。しかし、出てしまっているのか、フェルス医師の姿はない。帰りがけの看護士に聞いてみても、答えは返って来なかった。
 田舎町の病院とはかくもいい加減なものなのか。
 呆れると同時に、焦燥から怒りが湧き上がる。
「くそ、どうすりゃいいんだよ……ッ!」
 ふと、足を止める。気がつけばそこは診療所の最奥だった。見たことのないドアが、薄く、ほんの僅かに開いている。
 何かの保存室かと、特に気にもしていなかったドアだ。
 慌てた鍵の閉め忘れ……という風にも見えない。ということは、フェルス医師はここにいるのだろうか。
 入ってはいけない部屋だろう、ということは察しがついていた。しかし、そんな場合ではないこともアルティオは知っていた。
 迷わずドアを開く。かんぬきがついた、重い扉だ。
 ドア、というよりは何かを閉じ込めておくような、そんな扉だった。
 ドアの向こうはまた廊下になっていた。窓も、照明もない。暗い石の廊下が、ひやりとした怖気を催す凍えた空気と共に伸びていた。
 ごくり、と唾を飲み込んで、それでも廊下を駆けて行く。こうしている間にも、ステイシアはどうなっているのか解らないのだ。
 ……ドアを開け放し、駆けたその背後で、形のある闇が笑っていたのにも気がつかず―――

「くすくす……
 どこの誰とも知れない女性のために、ね……。偉い、偉い……くすくす」


 かんぬきの扉を抜けて、暗い廊下をしばらく歩くと、再びかんぬきの備え付けられた扉に出くわした。中は二重扉になっており、訪れたアルティオの気力を削いだ。
 しかし、その扉もまた、二枚とも鍵は開けられていた。
 アルティオは背徳感と、焦燥に押されながら扉を開く。

 ぎ、ぎぎ……

 心臓に悪い音を響かせて、最初の扉よりさらに重い扉が開いていく。内部に、やや薄明るい照明の光が見えた。
 金属の擦れる音が、少しずつ開いていく扉に連れて、緊張感を煽る。
 急がなくては、と焦るものの、妙な怖気に迂闊に開くことが出来ない。
 そして、
「な……何だ、ここ……」
 呻いて、掠れた声が漏れる。
 それなりの広さ―――おそらく、病室三つ分くらいの大きさはあるだろう―――の石部屋に、こぽこぽと不思議な水音が響く。
 小さなデスクと掲げられた用水槽。薬棚に並べられた物々しい、多数の瓶と魔道実験用具。隣には何文字で書かれているかも解らない分厚い蔵書が並んでいる。
 およそ診療所とは似つかわしくない、それは魔道師の実験室そのものの光景だった。いや、それだけだったなら、アルティオは白魔道師であるフェルス医師の研究室なのだろう、と一言で片付けて、白衣姿のないその一室を後に出来たかもしれない。
 だが、
「何の……冗談だってんだ、こいつぁよ……」
 複数の医療器具。そこから伸びた無数の透明な細い管は、それぞれ器具に備えられたパックに詰まった液体を流し、……
 部屋の中央に置かれた大きな医療用のベッドの上に、一様に繋がれていた。
 ……そのベッドには。
「……ッ、う、ぁ、」
 白いシーツに広がる、長く、艶かしい赤い髪。肌は病的に生白く、生気というものが感じられない。長い睫毛に隠された瞳は固く閉じられている。
 歳は、おそらく三十に届かない程度だろう。
 しっとりとした魅力を醸し出す、美しい女性がそこに寝かせられていた。
 そして、最も目を引いたのは、
「何だ、この剣……」
 そのベッドの頭上に、まるで崇めるように掲げられ、薄明るい光を放ちながら鎖に吊るされる一振りの剣。
 ゆるやかな曲線を描く、華美でない程度に装飾された、青い鞘に収められている剣。
 柄は三日月の文様を中心に、青い刀身を掲げている。
 近づこうとして、その言いようのない迫力に押されて身体が動かない。
「な、何だってんだ、ここはよ……」

 がたんッ

 呟いて、後退った瞬間、彼の背後で音が響き渡った…


「ちょっとカノン、何でこの私がこそ泥みたいな真似しなきゃいけないのよ」
「だったら付いて来なくていいわよ。文句ばっかり、五月蝿いわよ」
 既に不法侵入済みなので、会話は小声でなくてはならない。夜の帳が落ちて来た、カーテンの締められた薄暗い部屋で、小さなランプ一つを頼りにカルテと本の詰まった棚を探す。
 これがなかなか難しい作業だ。
 ついでに見つかるわけにもいかないので、シリアという見張りを立てたが、これが五月蝿いことこの上ない。
「大体、本当なの、それ。気のせいではなくて?」
「さてね。でも、あのときのが気のせいでも、『ステイシア』がここで息を引き取ったなら、カルテくらいあっても不思議じゃないじゃないでしょ」
「けど、本当にフェルス医師がクロなら、そんなカルテ残しておくかしら?」
「……そんときはそんときよ」
 カノンは肩を竦めて溜め息を吐く。
 そう。
 『ステイシア』の真相がどう転ぶにしろ、カノンの仮説を取り上げるなら、工作にフェルス医師が絡んでいる可能性は高くなる。
「ステイシア=フォーリィの母親は『ここ』でステイシアの遺体を確認している、と言ったのよ。
 同名の、そっくりの少女が二人いるのでなければ、フェルス医師もその遺体は確認しているはず。にも関わらず、死んだはずの『ステイシア』を引き取っていることになるわ。
 何にしても、フェルス医師を抱きこまないと、この計画は上手くいかないはずなのよ。
 至る所でこの診療所とフェルス医師が絡んで来てる。
 『通り魔事件』が何か関係あるのかどうか、あの『ステイシア』は何者なのか、あの黒い奴はどこにどこまで関わっているのか、……どんな線で結んだらいいか、全く解らない点ばかりだけど、一つ一つ確実に調べるしかないわ。
 それに、あんたの持って来た情報も確かなんでしょ?」
「まあ……そうだけど」
 合点のいかない顔でシリアは言い澱む。
「被害者の多数はここに通院したことがある。それだけだったら、この町に医者はフェルス医師しかいないんだし、病気しない人間の方が少ないんだから、偶然と片付けられるかもしれないわ。
 けど、その中の人間の九割はこの診療所である検査を受けている……」
「……そっちも調べとかないとね。ちゃんと見張りしてなさいよ」
「ふっ、この私がそんな命令に甘んじるとでも……ッ!」

 ばきッ!!

 カノンの投げた分厚い蔵書の角が、無意味な笑いを上げかけたシリアの脳天にヒットする。
 もんどりうって倒れたシリアは、身を起こして抗議に口を開こうとする。が、
「あら?」
 ドア口にかかっていた小さな肖像に、目を留める。
 以前、カノンが見たあの赤い髪の婦人の肖像だった。
「この人……」
「?」
「うーん……まあ、おそらくだけど、これ……」
 シリアは肖像を壁から外す。
「……フェルス医師の奥さんじゃないかしら?」
「奥さん、て……あの数年前に病気で亡くなった、っていう?」
「そうねぇ、容姿は聞いた通りだし。何しろ、こんな大事そうに飾ってあるんじゃあ、ね。
 疑うべくもないのではなくて? フェルス医師は昔から奥さんをそれはもう、大事にしていたっていう話だし」
「ふぅん……」
 頷いて、ふと思い付く。
「……そんなに目をかけてた奥さんなら、きっと、最後も自分のところで世話してたんでしょうね……」
「ぅん? まあ……そりゃあ、そうでしょうね」
 何だったか。
 同じような話を、狩人時代に聞いたような気がする……
 あれは、何だったけ……
「あ」
 動かしていた手を止める。
「あった」
 医者の使う文字は特殊だ。オカルト趣味から様々な言語を独学で学んだカノンでも、それは端々しか読み取ることは出来ない。
「シリア、あんた確か白魔道師の指導免許持ってたわよね?」
「ええ、まあ。初級だけど」
 人は見かけによらない。頭の片隅で覚えていたその知識を引っ張り出して、彼女の前にカルテを広げる。
「カルテの文字って読める?」
「少しなら、ね」
「じゃあ、お願い」
「ふっ、一生、恩に着るというなら別に読んであげても……」
「シリア」
「……ん、わかったわよぅ。冗談が通じないわねぇ。えーっと……」
 呟いてシリアはやや癖のある流れ字を眺めて呻く。読み取っていくうちに、彼女の眉間の皺が徐々に深くなっていく。
「……どう?」
「……ビンゴ。貴女の言う通りのようね。
 ステイシア=フォーリィ、リグサス187、アルディレゴ76、サン33の日。負傷原因、鋭利な刺突型の刃物。負傷箇所は左胸、背中から深い傷を負い、運ばれたときはもう虫の息だったそうよ。
 傷は肺を傷つけて心臓に達していた。治療の甲斐なく、運び込まれて一時間後に死亡。明記されているわね」
「……」
「まあ……どうせ、嘘のカルテを造るなら、生存のカルテを偽造するでしょうね。
 生きているように見せかけたいのだから」
 カノンの表情が歪む。ゆっくりと首を振り、苦い顔でカルテを受け取った。
 何とはなしにぱらぱらと捲り、息を吐く。
「……ん?」
 手を留めた。
「ねえ、シリア。これって……」
「え?」
 訝しがりながらカノンの手の中のカルテに、視線を移すシリア。さすがにもう茶化すことは出来なかった。
 奪うように彼女の手からカルテを取り上げる。
 文面に、再び目を走らせて―――
「…………どういうことかしら、これ…」
「……どうかしたの?」
「どうかするも何も―――」
 シリアが青い顔で何事か口にしようとしたときだった。

 っ、ぅぁぁああぁああぁああああああッ!!

『ッ!?』
 呻きに近い、悲鳴が隣の部屋から聞こえた。顔を見合わせて同時に部屋を出る。
 かなりの音を立てたが、何故なのか、誰かが駆けつけようとする足音は聞こえて来ない。
 ドアノブを引いたのはシリアだった。
「ステイシアッ!?」
 その声に反応して、カノンも部屋の中を覗く。接客室か何かだろうか、革張りの大きなソファにぐったりと少女が寝かせられていた。
 しかし、胸元を両手で押さえ、少女は時折、呻きながら奇声を上げる。
「ち、ちょっと、どうしたのよッ!?」
「わかんないわよ、医療系はあんたの方が詳しいでしょッ!」
「冗談、怪我ならともかく、こんな病気の症状は専門外よ!」
 甲斐のないことを言い合ってから、声を発して苦痛に悶える彼女に駆け寄る。
 顔は真っ青を通り越して真っ白で、身体の温度は著しく低いのに額には脂汗が浮いていた。
 カノンは眉を潜める。何故、何があって彼女がこんなことになっている。何が起こっているというのか……
 一体、アルティオは何処にいった。てっきり彼女と共にいるものだと思っていたのに。
「カノン」
 シリアが名前を呼んで、苦しげに呻く彼女の右手を指差した。
 カノンはその指の先を追う。思わず息を飲んだ。

 その先には、薬指に填められた、あの赤い指輪が煌々と妖しげな光を放っていた。


 遠くから足音が唱和する。それに気がついたのは数秒前からだった。
 闇夜が近づきつつある。今宵は誰が犠牲になるのだろうか。
 ついに先日、死傷者が出たらしい。街の空気が一気に冷え込んだのも、そのせいだった。
 この土壇場に来ての死傷者、それが意味するのは何なのか。『手遅れ』という文字が、頭を掠める。

 カツッ!

 角を曲がって足音が完全に合わさった。
「!」
「ッ!!」
 お互いの顔を認めると、レンとルナはほぼ同時に頷き、お互いの意図を汲み取って同じ方向に、速度を緩めず駆け出した。
「随分と早かったな」
「まあね、馴れない馬車なんてものを使ったわ。おかげで、お尻ががくがくよッ」
「首尾は?」
「びんご。フォーリィ家の母親と妹が、遺体の確認をしたと証言したわ。あの診療所でね。
 念のために先に封書を届けてもらったから、カノンも何かしが対策してると思うんだけどッ。
 そっちはどうだったのよッ?」
「こっちも、だな。
 一年前、診療所を辞めた人間が、辞める直前にステイシアの遺体を見たと言っている。
 ……だが、それだけじゃない」
「?」
「……シリアの話ではフェルス医師の妻はもう死んでいるという話だったな」
「まあ、数年前に亡くなった、って」
 レンは顔をしかめる。その変化に覚えた、嫌な予感がルナの中を駆け巡った。
 夕闇の石畳を叩く音だけが、しばし響く。軽く唇を噛んでから、彼は語り出した。
「はっきり言えば、それは嘘だ」
「へ?」
「長年、植物状態にあるらしい。そのせいで世間に出なくなっただけでな。
 町の人間も、診療所の連中もとっくに死んだと聞かされていたらしい。だが、そいつは診療所の奥で奥方の姿を見たそうだ。まあ、微動だにしない死体のようなものだったそうだがな」
「じゃあ、その人が診療所を辞めた、ってのは……」
「見たくもなく、見てはいけないものを見てしまったんだ。何かしがの危険を感じたんだろうな。胸に押し込めるしかなかろうさ。
 その割に側の石柱を、剣で叩き斬った程度でぺらぺら喋ってくれたが」
「……それ、一般人なら誰だって口割ると思うけど。
 でも、何でッ!? フェルス医師がそんな嘘を吐く理由はないはずよッ!」
「ああ、そうだ。だが一つ、嫌な話を思い出した」
「嫌な話?」
 走りながら喋るというのは、これでなかなかに労力を使う。息を切らせないよう、速度と声を調節しながら問いかけるルナに、レンは軽く息を吐き、
「死術を狩っていた頃の話だがな。
 死術というのは禁忌を犯す術だ。道徳的にも、権威的にも。昔から研究されているタブーとなる術くらい解るだろう。医療に関わるもので、その最たるものは何だ?」
「そりゃあ……」
 ルナの顔色が変わる。
 同じ考えに至ったのだろう、足を動かす速度が上がった。
「そうだ、人間が億年、万年かかっても成し遂げられないタブー。……蘇生術だ。
 死んだ人間を生き返らせる。これほどナンセンスなことはない」
「じゃあ何ッ? フェルス医師は蘇生術を完成させてるってことッ? それでステイシアを蘇らせたとでも言うのッ?」
「いや、それならとっくに妻を蘇らせていてもいいはずだ。
 一年前に初めて会い、死んだステイシアを、すぐに蘇らせることが出来たんだ。さらに一年、待つ必要はない」
「だったら……」
 言いかけるルナだが、すぐに会話の非生産に気がついたらしい。暗く染まる前方を睨みながら、石畳を踏み、階段を飛び降りる。
「……そんなもんは本人から聞き出した方が早そうねッ!」
「そういうことだ。急ぐぞッ!」



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執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
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         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
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