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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE6-02
悪魔、光臨。
悪魔、光臨。
「あんた今は護衛でしょ!? 護衛がぽやーっとしててどうすんのよッ!?」
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事してた」
瓦礫から舞い戻って、やはり最初に降りかかったのは甲高い文句の声だった。耳に響くが、まったく正論なので何も言い返せない。
「ったく、しっかりしてよね。いざってときに頼りにならないじゃない」
「あー、まったくだなー。何でシェイリーン様と姐さんが、こんな奴らを選んだんだか不思議だぜ」
無遠慮極まりない声を上げたのは、ラーシャ=フィロ=ソルト配下のレスター=ライアント。建前上は、護衛隊の隊長である。
内部にも秘密裏とされたルナの単独行動だ。護衛も大層なものは、用意出来ない。それ故の抜擢だそうだが、カノンにしてみれば納得がいかないにも程がある。
何故、魔道の"ま"の字も理解していない奴が、隊長なんてものにのさばっているのか。
「大体、こんながらくたの山を調査して、本当にエイロネイアへの対抗手段になるのかよ」
予想通りの言動が返って来た。自分たちに反発心があるのは十分わかった。わかったから黙っていて欲しいものだ。
ルナが露骨な血管を額に浮かべる。心なしか、調査団の魔道師たちの顔色も芳しくはない。
カノンは陰鬱に首を振る。
「あのね、まあ、あたしも本職じゃないからでかいことは言えないけど……。
魔道歴史の調査、探索ってのは言葉ほど派手なものじゃないのよ。それこそ石一つ、紙切れ一つに太古の記録が残っていないか血眼になって探すしかないの。
本当は時間も手間もかかるシロモノなのよ。
それを、短期間で集中的にやろう、って言ってんだから、ここまでぎゅうぎゅうに彼らが資料集めしてんじゃない。
それともあんた、一欠片でも彼らの作業を手伝ったわけ?」
「ぐ……」
目の下に隈を作った魔道師たちがうんうんと頷く。一見、平気そうなルナも、さすがに濃い疲労の色はシリアに借りた薄化粧でも隠せていない。
歯がゆいのは解るのだ。
ラーシャも、デルタも。シェイリーンは勿論、あの冷静な顔を張り付けたティルスとて。
焦燥と、怒りに駆られているはず。激的な変化が欲しいのだ。戦況を今すぐにでも覆せるような。
けれど彼らは人間だ。そんな変化を生み出せるのは、いるとしたら、神なのか、悪魔なのか。
ルナは溜め息を吐き出す。説明したところで理解は得られないことを悟って。
感情論は嫌いではない。感情があるからこそ、人は機能する。だが、それと戦略的な行動はまったく別。
「……焦るのは解らなくもないけど。
焦ったところで人間は、目の前の出来ることをやるしかないの。……出来ることが何なのかさえ解らないこともある。解るきっかけがあっても、気づけないことだってある。
それに比べたら、たとえ低い可能性であっても、出来ることがある今は、まだいい方よ……」
「……ッ」
沈痛なカノンの表情に、さしものレスターも何かを悟ったのか、それきり悪態を吐こうとはしなかった。
ルナは無言で知らぬ振りを通し、レンは先ほどから何も言わずに柱にもたれたままだった。ふい、と視線を逸らして、指示を待っている魔道師たちにきびきびと言葉を発し始める。
カノンは剥れながらも静かになったレスターを見やり、そちらの方に駆け寄った。
それに気が付いたルナは、一人の魔道師に資料を押し付けると、こちらを向く。
「どう?」
「……駄目ね。完全に倒壊してて。大幅な瓦礫の撤去作業が必要よ。
上手くすれば中に入り込めるかもしれないけど、あまりに危険すぎるわ。止めて置いた方が無難ね」
「……そう」
「ま、別に調査対象はここだけじゃないし。最終的には、護法鬼神の巣・神羅[ディーダ]にまで行ってみるつもりだから。
鬼神と会えるなんて思ってないけど、ここの魔道師に聞いたら結構古い祭壇が残ってる、って話だから。見てみて損はないかな、って感じよ。護衛の人たちには面倒をかけるけどね」
最後の言葉は、やや皮肉めいたものがあった。ちらりと視線を向けられたレスターは、罰が悪いのか、知らぬ振りを貫いた。
「……解った。次は?」
「ここからもうちょい南西なんだけど。古代ヘルヴェキア時代のお墓が残ってるらしいのね。お墓、って言っても結構な偉人のお墓だから、ちょっとした神殿的な造りになってるらしいんだけど。
今日はそこを見て終わりかな。近くにまた砦があるらしいから一泊させてもらいましょ」
「ん、了解」
ばさり、と彼女が広げた地図を確認する。
先導役がルナと魔道師たちであっても、経路を頭に入れておく必要がある。いざというときに、分散しても、経路さえ解っていれば合流は可能だ。
がらがらと音がして瓦礫の一部が小さく崩れる。
今までずっと上にいたライラが戻って来たのだった。弓矢を担ぎながら軽快に降りて、すとん、と着地する。
何気なく視線を送っていると、彼女は唐突に宙を見た。そのままじっと空を見る。
「ライラ、さん?」
微動だにしない彼女に、カノンは声をかける。半ば、反応がないのを覚悟していたが、視線が動いた。じっ、とカノンの顔を覗き込み、くい、と上を指差す。
「上、って……」
カノンが碧い瞳を瓦礫の上へと向ける。
はらり……
灰色の青さと、霞んだ白が支配する空に。ひらりと、風に吹かれる一枚の、
「――ッ! 伏せてッ!!」
言うが早いか、カノンは隣にいたルナの肩を引き摺り倒す。その刹那、
どぉぉぉぉおぉぉんッ!!
――く、ぅ……ッ!?
固く閉じた瞼の向こうで、閃光が炸裂する。ちりちりとした痛みが目の上に走る。
それと共に、伏せた身体に感じたのは熱量を伴う乱暴な風。目を腕で庇いながらも、カノンは目を開く。
あの舞い降りた白い紙――符の持ち主が、カノンの知り得る人物だとしたら、間違いなく、この隙に――来る!
目を開くと同時に背中の剣鎌[カリオソード]を引き抜いた。
瞬間に、目の前で踊る、黒の残像。
「――ッ!!」
ぎぎぃんッ!!
咄嗟に振るった刃は、何かと衝突して鈍い音を立てた。
上げた、まだ少しだけ霞む視界に、黒の人形と哂う秀麗な少年の顔。その顔は不自然に割れていた。少年が手にしたあの真っ黒な槍が、眼前に突きつけられていて、その刃をかろうじて剣鎌[カリオソード]が食い止めていた。
「我望む、放つは火神に祝福されし紅弾、出でよフレイ・フレイア!」
「!」
カノンの足元から上半身を起き上がらせたルナが、突き上げた掌に赤い光を収束させる。ごうっ、と音を立てて燃え上がったそれが、自らの身体を貫く前に、少年は振りかぶっていた槍を引いた。
光弾はあさっての方角に飛び、瓦礫に衝突するより先に、小さく消える。
少年は引き様に後方へ重い蹴りを放つ。それは側にあった瓦礫の欠片を弾いただけだ。だが、その欠片は背後から剣を抜いていたレンの眼前に飛び、彼がそれを振り払ったときにはもう、少年は大剣の間合いの外に逃れていた。
……相変わらず、無茶苦茶な。
槍先が風を叩く。爆炎が晴れて、瓦礫の山を背にしたカノンたちと対峙するように、とん、と少年は地面に降り立った。
このときになって、ようやくレスターたちは身を起こして、少年の姿に眉間に皺を寄せた。
ルナが動作で呪を唱えようとしていた魔道師たちを下がらせる。普通の相手ならともかく、分が悪すぎる。
何てことだ。まさか直球で来るなんて……!
「なん……だ、お前……」
「……」
掠れたレスターの声に、彼はふ、と嘲るような微笑で答える。
レスターとて、先日のカノンたちの話を聞いていなかったはずはない。カノンたちの話の中に出て来た『皇太子を名乗る黒衣の少年』の話も、記憶に新しい。
けれど。
予測など出来ない。
出来るはずがない。
こんな、非公式的なお忍びの調査に、襲撃はあったとしても、それと酷似した外見の『現物』が目の前に出てくるなんて……!
勿論、カノンたちだって思っていなかった。
国境があるといえ、境目でいちいち目くじらを立てて検査してるわけじゃない。だから、敵国の間者が味方国に入る込むことはそう難しいことじゃない。
ましてや、こんな瓦礫の山以外には、何の変哲もない場所に。
けれど、けれど、そんな場所に、自ら敵軍の大将を名乗った人間がいるなど。
そんな馬鹿なことが――
「――馬鹿なこととお思いですか?」
「ッ!?」
レスターの思考を読んだように、かの皇太子はくすりと嘲笑[わら]う。ぎりぎりと、噛み締めたレスターの歯軋りが、口内に響く。
「……はったりだ! 本物が、こんな場所に来るわけねぇ! こいつの方が偽物だ、うろたえるな!」
レスターが吼える。その虚勢は、先日のカノンたちの話を聞いていて、目の前の少年の姿に竦んでいた兵士たちをほんの少しだけ奮い立たせた。
だが、反してカノンたちは険しい顔で剣を構えたままだった。
カノンたちにとっては、彼が本物だろうが偽者だろうが、差たる問題ではなかった。本物でも、偽者でも、彼が西大陸であれだけのことをやってくれた張本人であり、敵の要人なのだという事実に変わりはない。
少年は震えを堪えた兵士たちを眺めながら、陰鬱な、ひどくつまらなさそうな息を吐く。
「どう思われようと構いませんが――
重要なのは、本物か偽者か、ではなく、貴方方が敵うかどうかだと思いますがね」
「てっめぇ……!」
ちゃき、と柄を鳴らすレスターの手を、一歩前に出たルナが止める。そのまま飄々とした顔の彼を睨みながら、
「……なんで、ここに」
「……内部に密偵を放っているのは、何もシンシアだけではありませんよ。
それに、こちらには貴方も良く知る通り、その道のプロがいますからね。シンシア領のめぼしい遺跡や曰くつきの場所を割り出すのはそう難しいことじゃあありません」
「なるほど。ばれるのは覚悟していたし、妨害もあると思ってたけど。まさか、天下の皇太子直々にお出ましとは思わなかった。
けど、あんたみたいなのが直接来る、ってことはあたしたちの作戦の方向はあながち間違っていなかった、ってことね」
「さて、自惚れは感心しませんよ。第一、ここで生き残れなければ語っても仕方のないことでしょう?」
少年の手にした漆黒の槍が、澄んだ音を立てる。ルナは無言でそれを見据えた。
後方からカノンとレンが、彼女の隣に並ぶ。けれど、彼女はそれを片手で制した。
「……? ルナ……?」
「カノン、レン。それからあんたたちも。下がってて」
「ちょっと、何言ってるのよ!? あんた一人でなんて……」
彼女は魔道師だ。白兵戦は得意としない。だが、あの少年、槍術と符術を使い分けるという何とも器用な真似をしてくれる。現に、レンとアルティオ、シリアの三人を相手に互角に戦った相手なのだ。
そんな相手に、彼女一人では……!
彼女は小さく笑みを漏らす。それが、少しだけ自嘲めいて見えたのは、カノンの錯覚だったろうか?
「平気。大丈夫だから」
「……」
――ルナ……?
何か、考えでもあるのだろうか。ルナは言い切って、再度少年へ目を向ける。
少年とルナの、足が砂を掻く音が重なった。
「解っては、いると思いますが。勇気と無謀は全く別の言葉ですよ?」
「……自惚れてるのは、どっちかしらね」
「……」
彼は僅かに眉を潜ませる。彼女の自信が、理解できない。ふっ、と彼女は息を抜く。何を思ったか、嵌めていた右のグローブを剥ぎ取るように、脱いだ。
「ホントは最後の最後まで使わないつもりだったんだけどね……。けど、こんなところであんたごときに時間食ってる暇なんかないのよ」
少年の瞳がすっ、と細められる。何かを感じたのか、槍を構え直した。正眼の突きの構え。ルナは素手となった右手を頭の羽飾りに添える。
初動は、早かった。少年が、砂を蹴る。ルナが、何かのセンテンスを呟く。
カノンとレンは、反射的に構えた得物を繰り出そうとして、
「――リミットブレイク」
「ッ?!」
少年が、足を止めた。巻き上がった砂が、包帯と擦れて、耳障りな感触を残した。
目の前を、黒い羽が舞った気がした。
「これは……!」
「る、ルナ……ッ!?」
「な、何だ……ッ!?」
「……」
件の魔道師の足元に、黒く輝く魔方陣が敷かれている。舞い上がった黒い風。それが彼女の、短く切られた髪をばらばらに振り乱した。
禍々しい威圧感と、何より尋常ではなく強い風が、傍らのカノンとレンさえ近づけない領域を作り出す。兵士たちは理解を超えた、しかし肌で感じる威圧に、射すくめられる。その風の渦中で、彼女は目を見開いて少年を睨んだ。
彼女の髪を止める飾りの、一つだけ黒い羽に目を止めて、彼女の直前の所作で、その奔流の源がソレだということに気が付いて、少年は絶句する。
そこにいた全員を庇うようにして立つ少女の右手の甲に、べったりと。
抉ったような傷が、浮かんでいる。
普段なら目に付かないそれが、眼前に曝されている。正方形の形を素として、紋様と奇怪な文字とが刻まれた方陣。それは少女の足元にあるものと同じものだった。
少年は眉間に皺を寄せる。
「四角は死角。黒の羽は死の使いの印。死神の印は神と悪魔が、自らの力を分け与えるに足る人間に刻む目印」
「え……?」
「……」
ぼそり、と呟いた少年の言葉を、カノンは胸中で必死に噛み砕く。神と悪魔。つまりは、神魔族。
昨夜も彼女と話をしたように、神魔族には稀に人間に加担するような者も存在する。千、いや万に一人だとしても、過去、そんな人間は確かに存在した。
「……どこでそんなものを手にしたのかは知りませんが。所詮、人間には過ぎたもの。
貴方、死んでも、天国には行けませんよ?」
「……死んでから考えればいい話よ」
重い、返答。
少年は、無言だった。
轟ッ!!
黒い残影が、収束する。びりびりと、重圧がか細い肩にかかって、ずん、と彼女の足が砂に埋まった。四肢を砕かれそうな思い圧力に、悲鳴を飲み込んだ。
「く……ッ」
「ルナ……ッ!?」
カノンは迷う。もし、それがカノンの想像する通り、人に過ぎた力だとするのなら、下手に手出しなど出来ない。いや、どう手を出していいかも解らない。下手をすれば、巻き込まれてしまうだけだ。
その逡巡を振り切るように、ルナは黒い風を、両手に掲げた。
空間が、空間そのものが、ぐにゃりと歪む。
空気が、人の世界の風が、悲鳴を高らかに上げた。
「――我望む、我が加護の灯火となれ、堕天の誘い、月下の夜想、壊せエンジェリックハウルッ!!」
黒の奔流が、空を歪めながら、少年のいた空間を切り裂いた。
霧が晴れるように、空間が戻る。黒の残滓が、解けるように消えて、ルナは地面に膝と手をついた。
荒い息を吐いて、あの少年が、跡形もなく消し飛んだのを確認しようと顔を上げて。
絶句、した。
「……」
少年は、まだそこに佇んでいた。いや、彼女が絶句したのはそればかりが理由ではない。
カノンも、レンさえも、絶大な奔流に身体が竦んでいた。硬直が解けたら、真っ先にルナに、この得体の知れない力の正体を問いただすつもりだった。けれど、それよりも前に、目の前の少年にもう何度目になるか、言葉を失った。
『大丈夫ですか、主様』
「……ああ、ありがとう。直撃だったら、ちょっと危なかった」
くぐもった、どこから漏れているのかも解らない声に、少年は平然と答える。一歩、少年が僅かに動くと、かしゃり、と音が立った。
衣擦れではない。少年のあのゆったりとした黒衣では、そんな音が立つはずも無いのに。
カノンは息を飲む。隣でレンが、それ以上ないくらい顔を顰めていた。
眼前で、何が起こっているのか解らない。
「な、な、な……」
「……あんた…」
カノン以上に困惑し、呻き声を上げるレスターと。
彼やカノンたちとは、違い、少しだけ理解の色を見せるルナ。
少年の、包帯の合間から見える唇が笑みの形につり上がる。その肢体は、今は黒衣ではなく、別のものに包まれていた。
「な、何だ、ありゃあ……!」
ようやく、レスターの声が言葉となった。
陽光さえ通さない漆黒の輝き。無機質なその輝きが、彼の全身を包んでいる。禍々しい輝きなのに、形だけは忠誠を示す騎士の形状。
肩と胸は、簡素な、しかし鋭いフォルムをした胸甲冑[ブレスとプレート]に包まれて、腰から下は造りは細いが沈んだ黒の輝きが覆う。頭部には王の冠のように載せられた、黒い兜。
漆黒の、騎士鎧を纏い、対となる漆黒の槍を振りかざした、"ナニカ"が、そこにいた。
「……まさか」
「……」
漆黒の鎧の、騎士。その鎧は、人が纏った、魔力の塊。
それにあの声は。
う゛ん……ッ!
風が唸って、幻影が浮かぶ。少年の背に立つように、あの黒髪の少女の幻が、大気に浮き上がる。
ゆっくりと、その"モノ"が、瞳を開いた。
「な、何だ、あの化け物はッ!?」
ルナは思う。化け物。人間の観点からすれば、正解なのかもしれない。だが、ただのお化けの方が、何倍も可愛い。
だから呪う。最悪の想像を描いてしまい、それを認めざるを得ない我が身を呪う。
「まさか、あんた……!」
「そういえば……彼女の紹介は、まだでしたね……」
ありえない。ありえないのだ。彼らが、"彼女"が、ここにいるなど……!
だって、六千年、ありえなかった!
いや、ありえるとしても、この長い年月、存在しなかった!
「彼女の本名は、de Eltrushe Sheraiv gura deephir ……まあ、人間には少々発音が難しくてね。
かといって不本意に人間に命名された名も気に食わないそうだから。仕方ないから、僕はシャルと呼んでいるけれど。
君たちには、そちらの名の方が解りやすいだろう」
そんなことが、この局面で、そんなバカなことが……ッ!
あっていいはずが、ない!
「――彼女の名はシャライヴ。六千年前、この地に眠りに付いた、悲しい悪魔の成れの果て」
「滅法鬼神シャライヴが、彼女の本名だ」
伝説は、もう既に、実在していたのだ。
「鬼神、闘士……」
凍りついた空気を無理矢理割るように、ルナがそんな単語を口にする。
「おや、その呼び名を知っているとはね。そう、人間の世界では鬼神に見初められ、力を得た人間をそう揶揄する。
敬称なのか、蔑称なのか、微妙なところだけど。
ともかく、人外の力を持つ人間は君だけじゃない、ってことだよ」
「……」
ぎりッ――ルナは歯を噛み鳴らす。迂闊だった。エイロネイアが伝承の力を持っていたとしても、まさか、まさかあの伝説の鬼神を既に蘇らせているなんて。本物の悪魔を、味方としているなんて……!
考えなかったわけでない。現に、ルナが鬼神伝説を調べ上げたのは、伝説が本当なら、彼らの力を利用できないか考えたからだった。
けれど、半ば諦めていた。実在して、簡単に利用出来るものなら、この六千年の間に誰かが利用しているに決まっている。でもその目測が、こんなにもあっさりと……!
訳が分からず絶句するレスターと、この期に及んで表情を変えないライラと。
必死に眼の前の現実を認めようとしているカノン。レンは、表情は読めない。読めないが、心中で何かが葛藤しているのは明白だった。
「……あんたこそ、死んでも天国に行けないわよ」
くすり、と皇太子は笑う。
何をそんなことを、という当然のような表情で。
「元から、そんな場所に興味はないよ」
「!」
漆黒の槍が一閃する。ルナは構えを取り、黒の障壁を張る。が、少し遅かったらしい。
どぅんッ!!
「……ッ! く、ぅ……ッ」
「ルナ!?」
見えない衝撃波に、彼女の軽い身体が障壁ごと吹き飛んだ。そのまま背後の瓦礫に背中を強打する。
カノンの声に、呻きは漏らせたが、圧力で肺から空気が漏れてそれ以上答えられない。
冷静さを欠いた頭は、カノンとレンの意識を、眼の前の敵から攻撃を受けた味方へと向けさせてしまう。その隙に、少年は槍をもう一閃させた。
空間が、軋んだ音を立てた。
「!?」
カノンの視界に、奇妙な霧がかかる。いや、違う。霧などではない。
薄い膜のようなものが、何か障壁のようなものが彼女の身体を包んだのだ。それを理解した瞬間、カノンは、眼の前の不透明な障壁に銀の刃を叩き付けた。
が、
「! な、何、これ……ッ!?」
乾いた音すら立てず、障壁はいとも簡単にカノンの刃を受け止めた。はっ、と気が付いて霞んだ視界で周囲を見渡すと、レンと、それからかろうじて身を起こしたルナの周囲にも、同じような障壁が見えた。
音が、聞こえない。
大声のレスターが何かを喚いているが、それさえも聞こえない。
ゆっくりと、カノンの足元から黒い霧が立ち上る。それには、見覚えがあった。視線を上げると、当然のようにレンやルナの身体も、薄っすらと霧に覆われて――
「! レンッ、ルナッ!!」
解らない。解らない、解らない。あれは、あの少年は何をしようとしているのだ。カノンの身を、彼らをどうしようとしているのだ!?
殺すならこの場でやればいい。なら、これは何の真似だ!?
ちりん、と皮肉に、悲しく胸元で鈴が鳴る。
その音が聞こえたように、障壁に剣を叩きつけていたレンが、黒い霧の中で彼女を振り返った。ぎりり、と歯を食い縛り、無駄と解っていながら、障壁に剣を振るわせる。
力任せに障壁を叩き、叫ぶように、何かを口にする。
ああ、音なんか聞こえなくても解る。呼ばれているのに、あれは自分の名前なのに、呼ばれても、呼ばれても、声が届かない。
「レ、レン……ッ! レンッッッ!!」
叫んだはずなのに、自分の耳にさえ届かない。聞こえない。届かない。
誓ったのに。全力で、守るって誓ったのに! こんなところで、こんなところで、己の矮小さを思い知らされるなんて!
「れッ…………!?」
縋りつくようにして障壁を引っかいていたカノンの手が止まる。
がくり、と膝から力が抜けて、視界が靄のような黒い色に染まる。ゆっくりと、眠りに落ちる直前のように、意識が遠のいた。
――く……ッ、駄目、こんな、こん、な……ッ!
完全に、闇に飲まれるより前に。
「・・・!?」
「……」
黒の残像を纏う少年の、白い顔が、眼の前に浮かんだ。睫毛を伏せた、どこか憂いた顔をした。
その唇が、何かを紡ぐ。
白い手が、視界を塞いで、額に何か冷たい感触。
意識を失う直前、カノンは、そのかすかな声を確かに聞いた気がした。
「おやすみ。――ごめんね」
←6-01へ
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事してた」
瓦礫から舞い戻って、やはり最初に降りかかったのは甲高い文句の声だった。耳に響くが、まったく正論なので何も言い返せない。
「ったく、しっかりしてよね。いざってときに頼りにならないじゃない」
「あー、まったくだなー。何でシェイリーン様と姐さんが、こんな奴らを選んだんだか不思議だぜ」
無遠慮極まりない声を上げたのは、ラーシャ=フィロ=ソルト配下のレスター=ライアント。建前上は、護衛隊の隊長である。
内部にも秘密裏とされたルナの単独行動だ。護衛も大層なものは、用意出来ない。それ故の抜擢だそうだが、カノンにしてみれば納得がいかないにも程がある。
何故、魔道の"ま"の字も理解していない奴が、隊長なんてものにのさばっているのか。
「大体、こんながらくたの山を調査して、本当にエイロネイアへの対抗手段になるのかよ」
予想通りの言動が返って来た。自分たちに反発心があるのは十分わかった。わかったから黙っていて欲しいものだ。
ルナが露骨な血管を額に浮かべる。心なしか、調査団の魔道師たちの顔色も芳しくはない。
カノンは陰鬱に首を振る。
「あのね、まあ、あたしも本職じゃないからでかいことは言えないけど……。
魔道歴史の調査、探索ってのは言葉ほど派手なものじゃないのよ。それこそ石一つ、紙切れ一つに太古の記録が残っていないか血眼になって探すしかないの。
本当は時間も手間もかかるシロモノなのよ。
それを、短期間で集中的にやろう、って言ってんだから、ここまでぎゅうぎゅうに彼らが資料集めしてんじゃない。
それともあんた、一欠片でも彼らの作業を手伝ったわけ?」
「ぐ……」
目の下に隈を作った魔道師たちがうんうんと頷く。一見、平気そうなルナも、さすがに濃い疲労の色はシリアに借りた薄化粧でも隠せていない。
歯がゆいのは解るのだ。
ラーシャも、デルタも。シェイリーンは勿論、あの冷静な顔を張り付けたティルスとて。
焦燥と、怒りに駆られているはず。激的な変化が欲しいのだ。戦況を今すぐにでも覆せるような。
けれど彼らは人間だ。そんな変化を生み出せるのは、いるとしたら、神なのか、悪魔なのか。
ルナは溜め息を吐き出す。説明したところで理解は得られないことを悟って。
感情論は嫌いではない。感情があるからこそ、人は機能する。だが、それと戦略的な行動はまったく別。
「……焦るのは解らなくもないけど。
焦ったところで人間は、目の前の出来ることをやるしかないの。……出来ることが何なのかさえ解らないこともある。解るきっかけがあっても、気づけないことだってある。
それに比べたら、たとえ低い可能性であっても、出来ることがある今は、まだいい方よ……」
「……ッ」
沈痛なカノンの表情に、さしものレスターも何かを悟ったのか、それきり悪態を吐こうとはしなかった。
ルナは無言で知らぬ振りを通し、レンは先ほどから何も言わずに柱にもたれたままだった。ふい、と視線を逸らして、指示を待っている魔道師たちにきびきびと言葉を発し始める。
カノンは剥れながらも静かになったレスターを見やり、そちらの方に駆け寄った。
それに気が付いたルナは、一人の魔道師に資料を押し付けると、こちらを向く。
「どう?」
「……駄目ね。完全に倒壊してて。大幅な瓦礫の撤去作業が必要よ。
上手くすれば中に入り込めるかもしれないけど、あまりに危険すぎるわ。止めて置いた方が無難ね」
「……そう」
「ま、別に調査対象はここだけじゃないし。最終的には、護法鬼神の巣・神羅[ディーダ]にまで行ってみるつもりだから。
鬼神と会えるなんて思ってないけど、ここの魔道師に聞いたら結構古い祭壇が残ってる、って話だから。見てみて損はないかな、って感じよ。護衛の人たちには面倒をかけるけどね」
最後の言葉は、やや皮肉めいたものがあった。ちらりと視線を向けられたレスターは、罰が悪いのか、知らぬ振りを貫いた。
「……解った。次は?」
「ここからもうちょい南西なんだけど。古代ヘルヴェキア時代のお墓が残ってるらしいのね。お墓、って言っても結構な偉人のお墓だから、ちょっとした神殿的な造りになってるらしいんだけど。
今日はそこを見て終わりかな。近くにまた砦があるらしいから一泊させてもらいましょ」
「ん、了解」
ばさり、と彼女が広げた地図を確認する。
先導役がルナと魔道師たちであっても、経路を頭に入れておく必要がある。いざというときに、分散しても、経路さえ解っていれば合流は可能だ。
がらがらと音がして瓦礫の一部が小さく崩れる。
今までずっと上にいたライラが戻って来たのだった。弓矢を担ぎながら軽快に降りて、すとん、と着地する。
何気なく視線を送っていると、彼女は唐突に宙を見た。そのままじっと空を見る。
「ライラ、さん?」
微動だにしない彼女に、カノンは声をかける。半ば、反応がないのを覚悟していたが、視線が動いた。じっ、とカノンの顔を覗き込み、くい、と上を指差す。
「上、って……」
カノンが碧い瞳を瓦礫の上へと向ける。
はらり……
灰色の青さと、霞んだ白が支配する空に。ひらりと、風に吹かれる一枚の、
「――ッ! 伏せてッ!!」
言うが早いか、カノンは隣にいたルナの肩を引き摺り倒す。その刹那、
どぉぉぉぉおぉぉんッ!!
――く、ぅ……ッ!?
固く閉じた瞼の向こうで、閃光が炸裂する。ちりちりとした痛みが目の上に走る。
それと共に、伏せた身体に感じたのは熱量を伴う乱暴な風。目を腕で庇いながらも、カノンは目を開く。
あの舞い降りた白い紙――符の持ち主が、カノンの知り得る人物だとしたら、間違いなく、この隙に――来る!
目を開くと同時に背中の剣鎌[カリオソード]を引き抜いた。
瞬間に、目の前で踊る、黒の残像。
「――ッ!!」
ぎぎぃんッ!!
咄嗟に振るった刃は、何かと衝突して鈍い音を立てた。
上げた、まだ少しだけ霞む視界に、黒の人形と哂う秀麗な少年の顔。その顔は不自然に割れていた。少年が手にしたあの真っ黒な槍が、眼前に突きつけられていて、その刃をかろうじて剣鎌[カリオソード]が食い止めていた。
「我望む、放つは火神に祝福されし紅弾、出でよフレイ・フレイア!」
「!」
カノンの足元から上半身を起き上がらせたルナが、突き上げた掌に赤い光を収束させる。ごうっ、と音を立てて燃え上がったそれが、自らの身体を貫く前に、少年は振りかぶっていた槍を引いた。
光弾はあさっての方角に飛び、瓦礫に衝突するより先に、小さく消える。
少年は引き様に後方へ重い蹴りを放つ。それは側にあった瓦礫の欠片を弾いただけだ。だが、その欠片は背後から剣を抜いていたレンの眼前に飛び、彼がそれを振り払ったときにはもう、少年は大剣の間合いの外に逃れていた。
……相変わらず、無茶苦茶な。
槍先が風を叩く。爆炎が晴れて、瓦礫の山を背にしたカノンたちと対峙するように、とん、と少年は地面に降り立った。
このときになって、ようやくレスターたちは身を起こして、少年の姿に眉間に皺を寄せた。
ルナが動作で呪を唱えようとしていた魔道師たちを下がらせる。普通の相手ならともかく、分が悪すぎる。
何てことだ。まさか直球で来るなんて……!
「なん……だ、お前……」
「……」
掠れたレスターの声に、彼はふ、と嘲るような微笑で答える。
レスターとて、先日のカノンたちの話を聞いていなかったはずはない。カノンたちの話の中に出て来た『皇太子を名乗る黒衣の少年』の話も、記憶に新しい。
けれど。
予測など出来ない。
出来るはずがない。
こんな、非公式的なお忍びの調査に、襲撃はあったとしても、それと酷似した外見の『現物』が目の前に出てくるなんて……!
勿論、カノンたちだって思っていなかった。
国境があるといえ、境目でいちいち目くじらを立てて検査してるわけじゃない。だから、敵国の間者が味方国に入る込むことはそう難しいことじゃない。
ましてや、こんな瓦礫の山以外には、何の変哲もない場所に。
けれど、けれど、そんな場所に、自ら敵軍の大将を名乗った人間がいるなど。
そんな馬鹿なことが――
「――馬鹿なこととお思いですか?」
「ッ!?」
レスターの思考を読んだように、かの皇太子はくすりと嘲笑[わら]う。ぎりぎりと、噛み締めたレスターの歯軋りが、口内に響く。
「……はったりだ! 本物が、こんな場所に来るわけねぇ! こいつの方が偽物だ、うろたえるな!」
レスターが吼える。その虚勢は、先日のカノンたちの話を聞いていて、目の前の少年の姿に竦んでいた兵士たちをほんの少しだけ奮い立たせた。
だが、反してカノンたちは険しい顔で剣を構えたままだった。
カノンたちにとっては、彼が本物だろうが偽者だろうが、差たる問題ではなかった。本物でも、偽者でも、彼が西大陸であれだけのことをやってくれた張本人であり、敵の要人なのだという事実に変わりはない。
少年は震えを堪えた兵士たちを眺めながら、陰鬱な、ひどくつまらなさそうな息を吐く。
「どう思われようと構いませんが――
重要なのは、本物か偽者か、ではなく、貴方方が敵うかどうかだと思いますがね」
「てっめぇ……!」
ちゃき、と柄を鳴らすレスターの手を、一歩前に出たルナが止める。そのまま飄々とした顔の彼を睨みながら、
「……なんで、ここに」
「……内部に密偵を放っているのは、何もシンシアだけではありませんよ。
それに、こちらには貴方も良く知る通り、その道のプロがいますからね。シンシア領のめぼしい遺跡や曰くつきの場所を割り出すのはそう難しいことじゃあありません」
「なるほど。ばれるのは覚悟していたし、妨害もあると思ってたけど。まさか、天下の皇太子直々にお出ましとは思わなかった。
けど、あんたみたいなのが直接来る、ってことはあたしたちの作戦の方向はあながち間違っていなかった、ってことね」
「さて、自惚れは感心しませんよ。第一、ここで生き残れなければ語っても仕方のないことでしょう?」
少年の手にした漆黒の槍が、澄んだ音を立てる。ルナは無言でそれを見据えた。
後方からカノンとレンが、彼女の隣に並ぶ。けれど、彼女はそれを片手で制した。
「……? ルナ……?」
「カノン、レン。それからあんたたちも。下がってて」
「ちょっと、何言ってるのよ!? あんた一人でなんて……」
彼女は魔道師だ。白兵戦は得意としない。だが、あの少年、槍術と符術を使い分けるという何とも器用な真似をしてくれる。現に、レンとアルティオ、シリアの三人を相手に互角に戦った相手なのだ。
そんな相手に、彼女一人では……!
彼女は小さく笑みを漏らす。それが、少しだけ自嘲めいて見えたのは、カノンの錯覚だったろうか?
「平気。大丈夫だから」
「……」
――ルナ……?
何か、考えでもあるのだろうか。ルナは言い切って、再度少年へ目を向ける。
少年とルナの、足が砂を掻く音が重なった。
「解っては、いると思いますが。勇気と無謀は全く別の言葉ですよ?」
「……自惚れてるのは、どっちかしらね」
「……」
彼は僅かに眉を潜ませる。彼女の自信が、理解できない。ふっ、と彼女は息を抜く。何を思ったか、嵌めていた右のグローブを剥ぎ取るように、脱いだ。
「ホントは最後の最後まで使わないつもりだったんだけどね……。けど、こんなところであんたごときに時間食ってる暇なんかないのよ」
少年の瞳がすっ、と細められる。何かを感じたのか、槍を構え直した。正眼の突きの構え。ルナは素手となった右手を頭の羽飾りに添える。
初動は、早かった。少年が、砂を蹴る。ルナが、何かのセンテンスを呟く。
カノンとレンは、反射的に構えた得物を繰り出そうとして、
「――リミットブレイク」
「ッ?!」
少年が、足を止めた。巻き上がった砂が、包帯と擦れて、耳障りな感触を残した。
目の前を、黒い羽が舞った気がした。
「これは……!」
「る、ルナ……ッ!?」
「な、何だ……ッ!?」
「……」
件の魔道師の足元に、黒く輝く魔方陣が敷かれている。舞い上がった黒い風。それが彼女の、短く切られた髪をばらばらに振り乱した。
禍々しい威圧感と、何より尋常ではなく強い風が、傍らのカノンとレンさえ近づけない領域を作り出す。兵士たちは理解を超えた、しかし肌で感じる威圧に、射すくめられる。その風の渦中で、彼女は目を見開いて少年を睨んだ。
彼女の髪を止める飾りの、一つだけ黒い羽に目を止めて、彼女の直前の所作で、その奔流の源がソレだということに気が付いて、少年は絶句する。
そこにいた全員を庇うようにして立つ少女の右手の甲に、べったりと。
抉ったような傷が、浮かんでいる。
普段なら目に付かないそれが、眼前に曝されている。正方形の形を素として、紋様と奇怪な文字とが刻まれた方陣。それは少女の足元にあるものと同じものだった。
少年は眉間に皺を寄せる。
「四角は死角。黒の羽は死の使いの印。死神の印は神と悪魔が、自らの力を分け与えるに足る人間に刻む目印」
「え……?」
「……」
ぼそり、と呟いた少年の言葉を、カノンは胸中で必死に噛み砕く。神と悪魔。つまりは、神魔族。
昨夜も彼女と話をしたように、神魔族には稀に人間に加担するような者も存在する。千、いや万に一人だとしても、過去、そんな人間は確かに存在した。
「……どこでそんなものを手にしたのかは知りませんが。所詮、人間には過ぎたもの。
貴方、死んでも、天国には行けませんよ?」
「……死んでから考えればいい話よ」
重い、返答。
少年は、無言だった。
轟ッ!!
黒い残影が、収束する。びりびりと、重圧がか細い肩にかかって、ずん、と彼女の足が砂に埋まった。四肢を砕かれそうな思い圧力に、悲鳴を飲み込んだ。
「く……ッ」
「ルナ……ッ!?」
カノンは迷う。もし、それがカノンの想像する通り、人に過ぎた力だとするのなら、下手に手出しなど出来ない。いや、どう手を出していいかも解らない。下手をすれば、巻き込まれてしまうだけだ。
その逡巡を振り切るように、ルナは黒い風を、両手に掲げた。
空間が、空間そのものが、ぐにゃりと歪む。
空気が、人の世界の風が、悲鳴を高らかに上げた。
「――我望む、我が加護の灯火となれ、堕天の誘い、月下の夜想、壊せエンジェリックハウルッ!!」
黒の奔流が、空を歪めながら、少年のいた空間を切り裂いた。
霧が晴れるように、空間が戻る。黒の残滓が、解けるように消えて、ルナは地面に膝と手をついた。
荒い息を吐いて、あの少年が、跡形もなく消し飛んだのを確認しようと顔を上げて。
絶句、した。
「……」
少年は、まだそこに佇んでいた。いや、彼女が絶句したのはそればかりが理由ではない。
カノンも、レンさえも、絶大な奔流に身体が竦んでいた。硬直が解けたら、真っ先にルナに、この得体の知れない力の正体を問いただすつもりだった。けれど、それよりも前に、目の前の少年にもう何度目になるか、言葉を失った。
『大丈夫ですか、主様』
「……ああ、ありがとう。直撃だったら、ちょっと危なかった」
くぐもった、どこから漏れているのかも解らない声に、少年は平然と答える。一歩、少年が僅かに動くと、かしゃり、と音が立った。
衣擦れではない。少年のあのゆったりとした黒衣では、そんな音が立つはずも無いのに。
カノンは息を飲む。隣でレンが、それ以上ないくらい顔を顰めていた。
眼前で、何が起こっているのか解らない。
「な、な、な……」
「……あんた…」
カノン以上に困惑し、呻き声を上げるレスターと。
彼やカノンたちとは、違い、少しだけ理解の色を見せるルナ。
少年の、包帯の合間から見える唇が笑みの形につり上がる。その肢体は、今は黒衣ではなく、別のものに包まれていた。
「な、何だ、ありゃあ……!」
ようやく、レスターの声が言葉となった。
陽光さえ通さない漆黒の輝き。無機質なその輝きが、彼の全身を包んでいる。禍々しい輝きなのに、形だけは忠誠を示す騎士の形状。
肩と胸は、簡素な、しかし鋭いフォルムをした胸甲冑[ブレスとプレート]に包まれて、腰から下は造りは細いが沈んだ黒の輝きが覆う。頭部には王の冠のように載せられた、黒い兜。
漆黒の、騎士鎧を纏い、対となる漆黒の槍を振りかざした、"ナニカ"が、そこにいた。
「……まさか」
「……」
漆黒の鎧の、騎士。その鎧は、人が纏った、魔力の塊。
それにあの声は。
う゛ん……ッ!
風が唸って、幻影が浮かぶ。少年の背に立つように、あの黒髪の少女の幻が、大気に浮き上がる。
ゆっくりと、その"モノ"が、瞳を開いた。
「な、何だ、あの化け物はッ!?」
ルナは思う。化け物。人間の観点からすれば、正解なのかもしれない。だが、ただのお化けの方が、何倍も可愛い。
だから呪う。最悪の想像を描いてしまい、それを認めざるを得ない我が身を呪う。
「まさか、あんた……!」
「そういえば……彼女の紹介は、まだでしたね……」
ありえない。ありえないのだ。彼らが、"彼女"が、ここにいるなど……!
だって、六千年、ありえなかった!
いや、ありえるとしても、この長い年月、存在しなかった!
「彼女の本名は、de Eltrushe Sheraiv gura deephir ……まあ、人間には少々発音が難しくてね。
かといって不本意に人間に命名された名も気に食わないそうだから。仕方ないから、僕はシャルと呼んでいるけれど。
君たちには、そちらの名の方が解りやすいだろう」
そんなことが、この局面で、そんなバカなことが……ッ!
あっていいはずが、ない!
「――彼女の名はシャライヴ。六千年前、この地に眠りに付いた、悲しい悪魔の成れの果て」
「滅法鬼神シャライヴが、彼女の本名だ」
伝説は、もう既に、実在していたのだ。
「鬼神、闘士……」
凍りついた空気を無理矢理割るように、ルナがそんな単語を口にする。
「おや、その呼び名を知っているとはね。そう、人間の世界では鬼神に見初められ、力を得た人間をそう揶揄する。
敬称なのか、蔑称なのか、微妙なところだけど。
ともかく、人外の力を持つ人間は君だけじゃない、ってことだよ」
「……」
ぎりッ――ルナは歯を噛み鳴らす。迂闊だった。エイロネイアが伝承の力を持っていたとしても、まさか、まさかあの伝説の鬼神を既に蘇らせているなんて。本物の悪魔を、味方としているなんて……!
考えなかったわけでない。現に、ルナが鬼神伝説を調べ上げたのは、伝説が本当なら、彼らの力を利用できないか考えたからだった。
けれど、半ば諦めていた。実在して、簡単に利用出来るものなら、この六千年の間に誰かが利用しているに決まっている。でもその目測が、こんなにもあっさりと……!
訳が分からず絶句するレスターと、この期に及んで表情を変えないライラと。
必死に眼の前の現実を認めようとしているカノン。レンは、表情は読めない。読めないが、心中で何かが葛藤しているのは明白だった。
「……あんたこそ、死んでも天国に行けないわよ」
くすり、と皇太子は笑う。
何をそんなことを、という当然のような表情で。
「元から、そんな場所に興味はないよ」
「!」
漆黒の槍が一閃する。ルナは構えを取り、黒の障壁を張る。が、少し遅かったらしい。
どぅんッ!!
「……ッ! く、ぅ……ッ」
「ルナ!?」
見えない衝撃波に、彼女の軽い身体が障壁ごと吹き飛んだ。そのまま背後の瓦礫に背中を強打する。
カノンの声に、呻きは漏らせたが、圧力で肺から空気が漏れてそれ以上答えられない。
冷静さを欠いた頭は、カノンとレンの意識を、眼の前の敵から攻撃を受けた味方へと向けさせてしまう。その隙に、少年は槍をもう一閃させた。
空間が、軋んだ音を立てた。
「!?」
カノンの視界に、奇妙な霧がかかる。いや、違う。霧などではない。
薄い膜のようなものが、何か障壁のようなものが彼女の身体を包んだのだ。それを理解した瞬間、カノンは、眼の前の不透明な障壁に銀の刃を叩き付けた。
が、
「! な、何、これ……ッ!?」
乾いた音すら立てず、障壁はいとも簡単にカノンの刃を受け止めた。はっ、と気が付いて霞んだ視界で周囲を見渡すと、レンと、それからかろうじて身を起こしたルナの周囲にも、同じような障壁が見えた。
音が、聞こえない。
大声のレスターが何かを喚いているが、それさえも聞こえない。
ゆっくりと、カノンの足元から黒い霧が立ち上る。それには、見覚えがあった。視線を上げると、当然のようにレンやルナの身体も、薄っすらと霧に覆われて――
「! レンッ、ルナッ!!」
解らない。解らない、解らない。あれは、あの少年は何をしようとしているのだ。カノンの身を、彼らをどうしようとしているのだ!?
殺すならこの場でやればいい。なら、これは何の真似だ!?
ちりん、と皮肉に、悲しく胸元で鈴が鳴る。
その音が聞こえたように、障壁に剣を叩きつけていたレンが、黒い霧の中で彼女を振り返った。ぎりり、と歯を食い縛り、無駄と解っていながら、障壁に剣を振るわせる。
力任せに障壁を叩き、叫ぶように、何かを口にする。
ああ、音なんか聞こえなくても解る。呼ばれているのに、あれは自分の名前なのに、呼ばれても、呼ばれても、声が届かない。
「レ、レン……ッ! レンッッッ!!」
叫んだはずなのに、自分の耳にさえ届かない。聞こえない。届かない。
誓ったのに。全力で、守るって誓ったのに! こんなところで、こんなところで、己の矮小さを思い知らされるなんて!
「れッ…………!?」
縋りつくようにして障壁を引っかいていたカノンの手が止まる。
がくり、と膝から力が抜けて、視界が靄のような黒い色に染まる。ゆっくりと、眠りに落ちる直前のように、意識が遠のいた。
――く……ッ、駄目、こんな、こん、な……ッ!
完全に、闇に飲まれるより前に。
「・・・!?」
「……」
黒の残像を纏う少年の、白い顔が、眼の前に浮かんだ。睫毛を伏せた、どこか憂いた顔をした。
その唇が、何かを紡ぐ。
白い手が、視界を塞いで、額に何か冷たい感触。
意識を失う直前、カノンは、そのかすかな声を確かに聞いた気がした。
「おやすみ。――ごめんね」
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★ 目次
DeathPlayerHunter
カノン-former-
THE First:降魔への序曲
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Second:剣奉る巫女
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11Final
THE Third:慟哭の月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Final
THE Four:ゼルゼイルの旅路
1 2 3-01 3-02 4 5 6-01 6-02 7 8 9 10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 …連載中…
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