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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[慟哭の月] EPISODE8
思えばこれが初めて書いたカシルナのデートでした。
人はいつも二律背反。行く先を決めていても、いつも中途半端。
 
 
 

「……」
「……おい」
「……」
「こら、お前……」
「………何よ?」
 長い間を空けて、ルナはようやく返事を返す。
 二皿目のトマトクリームパスタと格闘しながら、ちらり、と明らかに不機嫌な視線を上げる。対面には、椅子に背を預けながら紅茶のカップを傾ける赤眼の男。
 男は呆れた視線でもうすぐ空になるパスタ皿を眺めながら、彼女の頭の先から爪先までを見渡した。その視線が一点で止まる。
「……そんだけのもんが、何で肝心な場所にいかねぇか疑問だな」
「あんた……いい加減、そろそろセクハラで訴えるわよ?」
「だってなぁ、顔付き体付きガキだろ? 性格アレだし、お前、女として三重苦だぞ、それ」
「超絶的に余計なお世話よッ! あたしはいーのよ! 取った栄養分、きちんと頭に回してんだからッ!」
 かしゃん、と皿に叩き付けたフォークが鳴る。ルナは向けられた周囲の視線に、慌てて浮かしかけていた腰を下げる。オレンジジュースのストローを加えながら、恨みがましい目で睨みつける。
 だが、相手は素知らぬ素振りでこちらを眺めているだけだ。
 急に馬鹿らしくなって、ルナはもう一度、パスタ皿を平らげにかかった。
「……恥ずかしい奴」
「やかましい。誰のせいよ」
 ストローの先を噛みながら悪態を吐く。
「……で、何よ?」
「こりゃあ、心外だ。俺を捜してたのは、お前の方だって聞いたがね」
「まあ……だって、ろくに連絡一つ、寄こさないじゃない。毎日、何やってるんだか知らないけど、会いに行ったってまともな話も出来ない状態だったし」
「何だ、そんなに寂しかったか」
「ち・が・うッ!!」
 ドスを聞かせた声で言い放つ。しかし、カシスはくつくつと喉の奥で笑いながら受け流す。
「……もーいいわよ。あんたにまともな話をする気がない、ってのはよぉく解った。
 解ったから一方的に話させてもらうわ」
 ざく、とデザートのミルフィーユにフォークを突き刺して宣言する。
 すッ、とカシスの顔付きが変わった。にやけた口元はそのままだが、細めた目は明らかに笑ってなどいない。
「……まず、言って置きたいことだけど。
 この前言ったことは本当よ。あたしはこの五年間、『月の館』で培った知識は一つとして他人に口外してないわ。『ヴォルケーノ』はもちろん、『ツインルーン』なんて口にするわけがない。
 ……『月の館』を襲撃したあいつら……ニード=フレイマーの組織に逆らって、政団に尋問されたときだって口にしなかった」
 ひくり、とカシスの薄い眉が動いた。
「……ニード=フレイマーの組織を潰したのは、やはりお前なのか?」
「……そう、ね。少なくとも、最初に反旗を翻したのはあたしだと思う。
 あのとき、あたしはニードの研究に加担して……」
「―――魔族の器にされたか」
「―――ッ!」
 小さく、ルナは息を飲む。忌々しい記憶だった。
「あんた、何で知って―――ッ!」
 声を荒げかけて、場所を思い出し、口を塞いだ。カシスはさもつまらなさそうに、頭部を掻く。
「……この五年、俺が何をしてたか言ってなかったな。
 お前同様、俺はあの糞野郎の組織の研究室で働かされてたさ。それで何を研究させられてたと思う?」
「……」
「答えは精神体の生物を物理世界に固定化させるための魔道具の生成だ」
「ッ!」
 はっ、として顔を上げる。
 ニード=フレイマーは人間の体の中に、上級魔族を召還し、融合させるという実験を行っていた。ルナは当時、その器として使われたのだ。
「奴らが魔族の降誕をやろうとしてることの察しはついた。となれば、物理的な器とは何か? 本来言うことを聞かない魔族を言うこと聞かせるようにするんだ。都合の良いのは人間だろ?
 ―――あとは簡単だ。お前の魔力許容量[キャパ]を考えれば、何をさせられるかは見えてくるさ。
『月の館』を襲撃した目的もそんなもんだろ? 圧倒的な魔力許容量[キャパ]を保有する魔道師探し、ってわけだ。それでお前に白羽の矢が立った。
 察しがついてからは欠陥品しか作る気が起きなかったがな」
「そう、だったの……」
 唖然としたまま、何を言えばいいのか解らずに、ルナはフォークを下ろす。
「……あたしは、そのまま魔族と融合されそうになって……。
 直前で、カノンたちに助けられた。あの娘たちがいてくれたのは、本当に偶然で、運が良かったんだと思うわ。今でも、感謝してる。
 でも、それとは別に、あんたの行方は知れなかったから―――これでも、一応、心配はしてたのよ。」
「……」
 カップにつけていたカシスの唇が離れた。眉間に皺を寄せ、少し俯いて話す彼女をまじまじと見つめる。
「それなりに捜しもしたしね。今までなかなか手がかりも掴めなかったけど。
 そんなときに例のクオノリアの話を聞いてね。カッと来た。だから、無理にMWOに取り入って調べ上げてやろうと思ったのよ。結局、それが仇となってあんたに疑われる結果になっちゃったわけだけど……」
「……」
 やや自嘲気味に話すルナに、カシスはますます眉を潜めた。
 ふと、その視線が外れる。長い間だった。店内の喧騒が、耳につくくらいに、騒がしい。
 やがて、カシスがわずかに口を開く。だが、直前でそれは言葉にならずに、もう一度沈黙を呼んだ。
 だが、その沈黙は刹那のことで、
「……―――本当に、バカな女だな」
「ちょ、何よ、そ……ッ!」
「それを証明出来る人間は?」
 真顔で尋ねるカシスに、吐こうとした文句が飛んだ。拳を握り、口元に押し当てながら頭を回す。
「……あたしがMWOに取り入るときにいたクロード、っていう……まあ、この間言っていた黒幕から『ヴォルケーノ』の情報を買っていた男なんだけど……。
 あの男は目の前で黒幕に……。あとは、その祖父の元MWO支部長がいるはず。その人ならたぶん……あとは政団で裁判されてるクロード側の関係者とか、かしら……?
『ツインルーン』の方は……関係者はもう、全員……ん…」
「って、ことはだ。最高の証人は、その黒幕、ってことか」
「そうなるんだけど……。詳しくは話せないけど、それが何故か、カノンたちを狙ってるらしくてね。同行させてもらってたのよ。
 ……だから、その黒幕から何か聞き出せれば、と思うんだけど……」
「上手くいってねぇわけだ」
「う゛……」
 ずばり言い放たれて、ストローを握り締める。苦い表情でテーブルを見つめていると、すいっ、と長い腕が伸びた。
 一瞬、何が起こったか解らなかった。気がついたときには、目の前からオレンジジュースのグラスが消えていた。
「・・・って、ちょっとッ!!?」
 顔を上げたときにはもう、無残にもグラスの中から甘いジュースの姿は消えていた。ストローで一気に飲み干した犯人の男は、そのまま何事もなかったかのようにだんっ、とグラスをテーブルに置く。
「あんたねッ! 何、人のもん、勝手に飲んでんのよッ!? セクハラだけじゃなく、窃盗罪ッ!? ふざけるのもいい加減にしなさいよッ!」
「ああ? ンな程度でケチくせぇこと言ってんな。胸だけじゃなく、ケツの穴まで小せぇか?」
「あんたには言われたくないッ!! つか失礼なこと言うなッ!」
「あーあ、ったく。昔、両方、多少はでかくしてやったと思ってたんだがな」
「―――ッ! なッ、ちょ、ま……ッ!!!」
 さらっと吐いたカシスの台詞に、ルナの顔が耳まで朱に染まる。
 この男は、公共の場で何てことを口にしてくれるんだ、というか今さらだが本当にとんでもない。
 金魚の呼吸よろしく口をぱくぱくさせるルナに、カシスは満足げに笑みを浮かべた。そして、すっ、と傍らにあった伝票を取って立ち上がった。
「出るぞ」
「は、う、うん、って、へ? え?」
「どーせ、暇だろ? ちょいと付き合えよ」
 ―――……っていうか、話はまだ終わってないと思うんだけど。
「おい、置いてくぞ」
「ちょ、ちょっと、少し待ちなさいよッ!」
 やや釈然としないものを感じる。いや、ややとか多少とかのレベルではないはずなのだが。
 問答無用で席を立ち、レジに向かう白髪の男は容赦なく大股で歩いていく。わだかまりはあったものの、彼の急な行動に動揺を隠せなかったルナは、慌てて荷物を持ってその背を追った。
「ちょっと! どこ行くのよ!?」
 人込みでごった返すメインストリートを通り抜けながら、ルナは三歩先にある白衣の背中に怒鳴りつける。
 別に好きで距離を取っているわけではない。ただ単に、上背が足りなくて体重も軽いルナでは彼のように周囲を押しのけながら歩く、という器用な真似は出来ないため、自然と距離が広がってしまっているだけだ。
「うるせぇなぁ、がたがた言わずにちったぁ黙って付いて来れねぇのか」
「付いて行けるかッ! アヤシイ人間に付いていくな、なんて、きょうび三歳の頃から教わってんのよ!」
 振り返り、怒鳴り返されるが、従うわけにはいかない。
 黙って付いて行く、なんてしようものなら、こんな場所、たちまちはぐれるに決まっている。
 何とか人の足元を縫うようにして追いついたルナは、決死の思いでカシスの上着の裾を掴んで止まらせた。
「ッ、はぁーッ、はぁーッ……」
「何疲れてんだ、老化現象か?」
「死ねッ! あんたねッ! 前も再三、言った覚えがあるけど体格差とかリーチの長さとか考えなさいよッ! あんたはゆったり歩いてるつもりでも、あたしは競歩で十キロマラソンやらされてるようなもんなのよッ!?」
「競歩だったらマラソンじゃねぇだろーが」
「突っ込むべきなのはそこじゃないッ!!
 とにかく、もっとゆっくり歩きなさいよ。さっきから人に押されまくって青痣だらけだっての。そうでなくたって他人に体触れるの嫌だしさ」
「どうせ他人に当たったって、どっちが胸だか背中だかわかりゃしねぇだろ?」
「あのさ、あんたさっきからマジで殺していい?」
 敵意を通り越して軽く殺意を覚えてくる。
 カシスはルナの剣呑な眼差しにもけらけらと、さも可笑しそうに笑いながら、少しだけ背を伸ばして人の頭の向こうを見やった。
「大体あんた、人込みって嫌いじゃなかったっけ?」
 ルナの記憶にあるカシス=エレメント、という男は好き好んでこんな人混みを歩くような愉快な男ではない。人混み嫌い、というよりそもそも他人嫌いな男なのだ。対人するのが嫌で、ルナや下級生に頼まなくてもいい仕事を押し付けるような。
 それがこんな場所に連れ出してくるなんて、どうにも解せない。
 彼は小さく肩を竦めると、
「まあ、用がなきゃあわざわざンな場所には来ねぇわな」
「だから。その用、ってのは何なのよ? それはあたしがわざわざ、どっかのセクハラ男の腹の立つ言動に、耐えてでも来るような価値がある用件なわけ?」
「くっくっく……まあ、そうカリカリすんじゃねぇよ。価値があるかどうかは知らねぇが、それなりに……」
 唐突に、言葉が切れる。
 首を傾げるより先に、腕を引かれる方が先立った。
「わっ、ぷッ!?」
 急なことにバランスを崩し、顔面を彼の胸板に強打する。普通の男女間なら、ほわほわした雰囲気の一つや二つは生まれるのかもしれないが、とりあえずは鼻の痛みが先に立つ。
「ちょっと、何す……ぅむ!?」
 抗議の声を上げようとすると、そのまま胸板に顔を押し付けられた。声、どころではない、息が危うい。苦痛に握り締めた拳を、叩きつけようと振り上げた、瞬間。
「おら、どいたどいたどいたーッ!!!」

 ががががががががが……ッ!!

 けして平坦とは言えない石畳を削るようにして、たった今、ルナが居た空間を小型の荷馬車が砂煙を吐いて通り過ぎる。周囲の人々は慌てて避けて、巻き上がった砂を吸い込んだ者は口元を押さえて咳き込み始める。
 すぐ脇の角からいきなり出て来たらしい、傍迷惑な暴走車だ。
 ルナは茫然と目の前を通り過ぎていく馬車を眺めていた。
 見るからに柄の悪い御者の中年男は、一瞬、こちらを振り向いて、
「ケッ、真っ昼間からいちゃついてんじゃねぇよ、邪魔なんだよッ!」
 ぷちッ。
「うるさッ……」
「うるせぇッ!! 天下の往来で薄汚ねぇ口開いてんじゃねぇ、ゴミがッ!! 空気が汚れんだろうが、屑ッ!!」
 去る馬車に怒鳴りつけるはずだった声は、さらに大きな声に遮られる。
 というより頭上から降って来た。頭が少しガンガンする。
 御者の男は唾を吐き出して、こちらを睨むと馬車を走らせて去っていった。カシスの声がどこまで聞こえていたかは知らないが、まあ、言いたいことは代弁してくれた―――というより内容的には遥かに酷いことを言ってくれたので良しとする。
 残った砂埃に鼻と口を押さえる。渋い顔でカシスを見上げると、同じように口元を押さえながら、小さく咳き込んでいた。
 そういえば。
 ―――この男、実はあんまり体強くないっけ……。特に気管支は。
 彼が人混みを嫌う理由は、他人嫌いであることと、確かその実、あまり埃やら砂やらに耐久力のない体だったからのはずだ。
「ちょっと待ってなさい」
 なかなか収まらないらしい咳に、ルナは周辺を見渡しながらその場を離れる。癪だが、あの暴走車のおかげで多少の人の切れ目が生まれていた。これならば、ルナでも楽に身動き出来る。
 しばらくして戻って来たルナの手には、コーヒーの入った紙コップがあった。
「はい」
「……」
 無言で受け取ると、カシスは一口だけ口に含む。口の中を洗うと、すぐに吐き出した。
「薬は? 持ってんの?」
 ちらりと視線が自身の胸元に走る。それを見逃さなかったルナはすぐさま腕を伸ばし、
「―――ッ!」
 ぱしんッ。
 乾いた音が響く。手の甲に、ひりひりした痛みが走っている。
 伸ばそうとした手が払われた。それに気がついたのは、一瞬、後だった。
「……」
「……構うんじゃねぇ。自分でやれる」
 鋭い切れ長の目は、少なからず悪意を放ってこちらを睨んでいた。普通の人間なら、後退りくらいはするような。そんな、人に向けるには鋭すぎる視線。
 だが、ルナは反射的に眉を吊り上げた。

「こっ……子供か、あんたはッ!!」

 先ほどの路地の問答の、倍以上の声量で怒鳴りつけた。眉間に皺を寄せて顔をしかめる彼に構わず、ルナは上着の襟を掴み上げる。
「あのね! そうやって一人で自己満足してるのは勝手だけどッ!! こっちは甚だ迷惑よッ!!
 一人でやれるかどうかなんて、今どーでもいいでしょーがッ!! いいから貸しなさいッ!!」
 問答無用で胸ポケットに収められていた薬の小瓶をひったくった。使う機会は少なかったが、昔も何度か目にした覚えがある。
 瓶の蓋を弾くと、コーヒーのカップの代わりに握らせる。
 そこまでやって観念したらしい、彼は溜め息を吐き出して瓶の中身を飲み干した。今度は瓶を受け取り、薬の苦味のためか何なのか、渋い顔をする彼に再びコーヒーを差し出した。
 瓶に蓋を閉め直す。中身は空でも、薬の水滴は内側にこびりついている。下手にそこら辺に放置するわけにもいかない。後でちゃんと洗って置かなくては。
 小瓶をポケットに落すと、コーヒーで口の中を洗うカシスの背を何度か摩る。
「庇ってくれたのにはお礼言うけどッ! あんたは昔から体強くないんだから! いくら鍛えて、大方平気になったって言ったって、無駄に格好付けんじゃないわよッ! まったく世話が焼けるわねッ!!」
「……」
「何よ?」
 無言で見下ろしてくる淡白な表情を睨みながら問いかける。
 そしておもむろに。
 その厳しい表情から力が抜けた。
「……何よ?」
「いーや、昔から進歩のない奴だ、と思っただけだ」
「はぁッ!? それ、あんたのことでしょッ!? 進歩って何よッ!!」
「何でそこで墓穴を掘るように胸を押さえてんだよ」
「う、五月蝿いッ!!」
 カシスはくつくつと低い声で笑いながら依れた襟元を正した。屈むように腰を折ると、自分より低い位置にあるルナの顔を覗き込む。
 目を逸らすのも何か負けな気がして、ルナはさらに眉を吊り上げて睨み返す。
 不意に彼の顔が視界から消えた。
 その刹那、一瞬だけ、唇に柔らかな感触が走る。
「―――ッ!!!?」
「礼と詫びの兼用だ。大人しく貰っとけ」
「な、な、なぁ……ッ!!」
「何、それくらいで沸騰してんだよ。今さらだろーが。それとも、もっと先までお望みかぁ?」
「ばッ、馬鹿言うなッ! このスケベッ! セクハラ男ッ! 役人に突き出すわよッ!!」
「くっくっく……されるのが嫌なら大人しくしておけよ。行くぞ」
「ちょ……ッ」
 カップを握りつぶして放り投げたと思ったら、その手で手首を掴まれた。いきなり引かれてかくん、とまたバランスを崩しかけた。
「ちょっと! 怪我したらどーしてくれんのッ!?」
「ガタガタうるせぇな。ホントに身体ごと喰われてぇか。いいからちょっと付いて来い」
「どこまで勝手なのよッ! ああもう! 行ってやるから離せ、って言ってるのーッ!!」
 口で言って聞くような相手じゃないと知りつつも。
 あまりの理不尽さに、ルナは無駄を感じながら、気を抜けば反転してしまいそうな不安定な世界を、久しぶりの大声で怒鳴った。
 そのまましばらく。
 引き摺られるまま、転ばないようにバランスを保つのが精一杯だったルナは、急に立ち止まった彼の背に鼻の頭をぶつけた。
「何すんだ」
「人間は急には止まれないのよ! ともかく、一体何のよ……」
 鼻を摩りながら視線を上げて、ふと気が付いた。
 上げた視線の先にあったのは、メインストリートに門を構える、あの魔道具店だった。


「覚えてるか?」
「……言葉には主語と目的語を付けろ、って何度も言ったわよね?」
 憮然として端的すぎる言葉に文句をつける。言われた当人は、自分から振った話のくせに、こちらを見ようともしない。
 ルナは溜め息を吐いて、その場を見回した。
 少しだけ土臭い、そして室温の高い。そこは工具と、製作途中の魔道具が転がる工房だった。奥の、そのまた奥の部屋の方では、鉱物精製のための高温の炎がごおごおと音を立てている。室温が高いのはそのせいだ。
 こめかみに掻いた汗を拭って、ルナはもう一度、カシスを見る。
 この男、しばらく見ない内にこの店の主人とやたら仲良くなっていたらしい。いや、それには語弊がある。何せ、向こうはこちらに彼の姿を認めた途端、卑屈になって、『工房を貸せ』なんていう無茶な申し出を見返りなしでOKしてしまったのだ。
 ―――まあ目の前で自分の歯が立たないような代物を、あっさり直した人間に尻込みするのは解るけど。
 その後、店の主人との間にどんな確執があったのか。いや、知りたくはないが。
 そんなこんなで、工房内にのさばった白子[アルビノ]の魔道技師は、工房の一角を陣取って、いきなり何かの魔方陣かそれとも呪法かを羊皮紙に書き出した。その行動が突発的過ぎて、完全に置いてきぼりを食らったルナは仕方なく、近くの椅子に逆座りしながらその作業を眺めていたのだった。
 そして羊皮紙から手を離し、近くの呪を石に刻むための工具を取ったと思ったら、今の切れ切れの台詞。
 カシスは答えの代わりに、いつもの、あのくつくつという含み笑いを漏らして、手の中の工具を弾いた。
 すっ、とその手がこちらに伸びて、思わず身を固くする。噴き出された。
「別に取って喰おうって訳じゃねぇよ。大人しくしてろ」
「……」
 無言で身体を固くしたままいると、さらり、と目の端にブラウンの髪が落ちてきた。自分の髪だ。
 何をされたかはすぐに解った。髪につけていた羽飾りを取り外されたのだ。
「―――?」
 別段、奪い返そうとはしなかった。いや、必要がなかったのだ。
 何せ、
「まだ持ってるたぁ、思わなかったぜ」
「……別に。いいじゃないの」
 ぷい、とそっぽを向く。知らずに鼻の頭が赤くなる。
「"思い出の品"なんか取って置くようなタイプじゃねぇだろーが。それとも何だ? 俺の形見のつもりだったのか?」
「まさか。いろいろ都合が良かっただけよ。自惚れないで」
 ふーん、と素っ気無い返事を返して、彼は掌の上で羽飾りを遊ばせる。
 あれは、もともと彼が作ったものだった。魔力干渉から持ち主を防護する呪符の一つ。その試験[テスト]のために渡されていたものだった。
 ただし、それほど強い効果があるわけでもないし、時が経つと共に効果は薄らいでいく。実際、五年も経過した今では、ほんの少し、戦闘に置ける運を良くしてくれているだけだろう。
 だから、自分の言葉が何の説得力もないことは知っているのだけれど。
 彼はくつくつと笑いながら、赤石についた三番目の黒羽を引いた。厳重に括られたそれは、多少、引っ張ったところで外れはしない。
 その羽根一つだけは、カシスの記憶からは外れていた。
「自分で付けたのか。変わった呪力を持ってるな。どこで見つけた?」
「いや……どこで、っていうか……。ちょっと、ある仕事を片付けたときに報酬代わりにパクったんだけど……。ちょっと変わってるなー、と思ってやってみたのよ」
「ほー、そりゃあまたお前、度胸があるな」
「別に危なそうな感じではなかったし、魔力相互も起こらなかったし……」
「ふん……。まあ、これは今度調べてみるか……」
 黒い羽に触れながら、多少の興味を持ったらしい。口ではそう言っていても、目は子供のようにそれを見つめている。
 少しだけ、ルナの表情が和らいだ。
 こつり、とカシスは工具の切っ先を赤石に当てる。
「ちょ、ちょっと……ッ?」
「まあ、慌てんな。悪いようにはしねぇよ」
 そのまま、工具を小刻みに動かしていく。時折、傍らに置いた羊皮紙を覗きながら手を動かしていく。
 ちっ、と舌打ちが漏れた。
 机の上に石を押し付けるようにして、片手で作業しているせいか、上手くいかないらしい。
「……」
 かたん、とルナは椅子から立ち上がる。工具を動かす彼の手元に手を伸ばし、羽を押さえながら石を固定するように抑える。
 工具の動きが止まる。
 ちらりと、石と同じ色をした彼の目がこちらを向いた。
「……」
 だが、それは一瞬だけで。
 ふん、と軽く鼻を鳴らしただけで、後はかりかりと工具の擦れる音が工房に響くだけだった。


「……で、何がどうなったの、これ?」
 店主に礼を言って魔道具店を出て、ルナは手元に置かれた羽飾りをしげしげと見つめた。
 先ほどとは違って、石の部分に紋様が掘られている。形自身は防護の印だが、アレンジが加わっているらしく、見たことのない呪いがところどころに掘られていた。
 傾き始めた日に透かして見るが、何が変わるわけでもない。
「ま、ちょいとしたメンテナンス兼アレンジだ。悔しかったら自分で勉強するんだな」
「む……」
 魔道技師もものを造る人間だ。職人と同じで、自分の作ったものは例え、こんな呪符一つでも扱いに厳しい。
 だから、『ヴォルケーノ』や『ツインルーン』の悪用も、効力のなくなった呪符をそのままにして置くのも、我慢ならないのだろう。
 形すべてを読み取ることは出来ないが、そもそもこれをルナに渡したのは、防護や回復の呪いを不得意とするルナの呪文の性格を知ってのことだった。だから、これもきっと、相違はないのだろう。
「防護系だってことは解るけど……。いや、待てよ……これは違うわよね、強化系も混じってるし……」
 彫られた陣と紋を眺めて、ルナは何とも複雑な表情を浮かべる。悔しそうな、それでいて顔はやや赤い。
「……カシス」
「あ?」
「い、一応、言っておくけど……。その、ありがと……」
 人間、礼を言うのに抵抗を覚える相手というのが必ず存在する。ルナにとってみれば、カシスがそうだった。
 視線を背けながら絞り出すルナに、カシスはふん、と息を吐く。
「はッ、だから大人しく付いて来い、つったろーが。暴れ馬が」
「だぁれが暴れ馬よッ!? あんたねッ! いい加減にデリカシーってもんを……、きゃッ!?」
 思わず漏れた小さな悲鳴に、屈辱を覚える。ふらり、と身体が宙に浮く感覚。
 悲鳴を漏らしたことで、昼間よりはだいぶ減った、しかしゼロではない人の目がこちらを向いた気がした。腰には男の腕が回されていて、軽く抱え上げられている。
「何す……ッ」
「どうせだ、もう一件付き合え」
「は、はッ? ちょっと、もう……」
 すぐ夕方だ、と抗議しようとした声は呪に遮られた。その呪の内容を理解した途端、ルナは無理矢理口を塞ごうと手を伸ばす。だが無駄だった。
「我望む、求めるは無垢なる風の加護、翔べフロウ・フライト」
 風が渦巻いた。巻き上がる髪の合間から見えたのは、風で割れる植木鉢と、日傘を持っていたためによろけ、吹き飛ばされたおばさんA。
 ルナは浮遊の感覚を味わいながら、溜め息を漏らす。
 フロウ・フライト。上級魔道師が使う浮遊の呪だが、使い勝手は恐ろしく悪い。特に、浮き上がる際に巻き起こる風は、さっきのように周囲に迷惑をかけまくる。
 ルナもまあ、周りに気を使って術を使う方ではないが、こいつにだけはとやかく言われない自信はある。
「あんた……」
「何だ?」
「……………もういい」
 疲れた、とルナは吐き出した。町並みが眼下に遠くなる。見えるのは下だけで、上を見ようとするとカシスの白い上着に視界を遮られる。
 逆らうのも疲れた。どうせ、何も聞きやしないのだ。
 諦めて体の力を抜いた。腰に回された腕に抱え直される。拍子に頬が彼の胸板に当たった。
 ―――ん……
 少しだけ、昔より広くなったかもしれない。とくり、と心臓の音が耳を打つ。
 ―――生きてる、よね……
「あん? どうした?」
「………何でもない」
 くしゃり、と歪んだ顔を見られたくなくて、ルナはわざと胸板に顔を埋めた。脳裏に浮かんだのは、煩わしくて、忌々しくて、そして恐ろしい炎の光景は。
 消した。
 生きている。
 彼は、ここで生きているのだ。
 だから、あんな風景は、もういらない。
「何でも、ない」
 自分に言い聞かせるように、ルナはもう一度だけ小さく呟いた。


「よっ、と」
「?」
 とん、と地に足が付く感覚。ブーツを短い草の先が擽っている。同時に鼻を付くのは青の匂い。
 断じて町中に存在するような感覚ではない。
 身体を離すと、視界の中に白い姿と、その背後に疎らに生えた低木が飛び込んで来た。視線を上げると、彼の、切り方の悪い短い髪が金の光を反射している。はっとして背後を振り向いた。
 そこは木陰だった。
 町から少しだけ小高い丘。見晴らしが特に良いわけでもない。実際、町が見下ろせる場所、というわけでもない。遙か山の端に傾いた日が見えるだけだ。その光も、大方は梢に阻まれる。
 利点、といえば、まあ、彼にしてみれば人がいないこと、だろうか。
 特に特別な場所というわけでもない。彼の意図が図りかねず、もう一度、顔を見上げた。
「何……?」
「特に意味はねぇ」
「は……?」
「まあ、単に人がいなかったからな」
 その場に腰を下ろすと、くい、と顎で同じようにするよう促す。警戒しながら、腰を落とす。
 刹那。
「―――ッ!!?」
「お前、足太くなったか?」
「し、し、失礼なこと言うなッ!! っていうか何すんのよッ!?」
 腕を引かれたと思ったら、この強欲が服着て歩いているような自己中男は、いきなり膝に頭を置いて寝転がる。加えて、失礼極まりない台詞のおまけ付きだった。
「いいじゃねぇか、減るもんでもあるまいし」
「精神的に減るのよッ!! どきなさいよッ!」
「断る」
 きっぱりと、何故かこちらが悪いような気にさえなってくるほど明確に言い放たれる。
 ルナは言葉を詰まらせて、振り上げた手のやり場を探す。妙に心地良さそうに目を閉じる男に、そのやり場がどこにもないことを知ると、素直に手を足の脇へ落とした。
 悔しい。
 何が悔しいかというと、良い様に使われている自分を許してしまっている自分が一番口惜しい。
「……ひょっとして、これだけのためにこんな辺鄙な場所に連れて来たの?」
「俺としちゃ、街中でやっても良かったんだがね。誰かがぐだぐだ文句付けそうだったしな」
 当たり前だ。
 言い返して、頭を振り落としてやりたくなる衝動を必死で堪える。
 めっきり軽くなった溜め息を漏らすと、怒鳴るのも面倒になって木に背を預けた。
 言葉を切ると沈黙が耳に五月蝿くなる。風もなかった。雨が来るのだろうか、少し湿った空気は、梢を鳴らすこともなく、周囲はまさしく無音を奏でている。
「昔はよくやったろうが。何を今さらがたがた言ってんだ」
「あのねぇ、その一回でもあたしが膝を枕にしていい、なんて言ったことあった?」
「硬いこと言うな。散々、授業フケて同じようなことしてただろ。こんなもんどころか、それ以上……」
「言わなくていい。っていうか軽々しく言うなッ!
 大体、あんたが勝手に人を連れ出してただけでしょ。あんたは知らないだろうけど、あたし、出席日数で一回、呼び出し喰らったのよッ!?」
「何だ、つまんねぇことで悩むなよ。言えば圧力くらいかけてやったのに」
「……そういう危険性があるから言わなかったのよ……」
 ふと、思い出す。
 ああ、そうか。そういえば、前にもこんなことがあった。考えてみれば、今日の一日は、まるで昔をなぞったような。
 口喧嘩を繰り返しながら食事を取って、技師としての仕事をして。まあ、結局つまるところ、すべてこの男に我侭に付き合っていただけなのだが。
 口惜しい。
 あいも変わらず、何か不公平。
 それでも、居心地はけして悪くはない、なんて。
「……ひとつだけ、解った」
「あん?」
「あんたも一つも進歩して無い、ってこと」
「何だ、そりゃ?」
「だって、そうじゃない。人を振り回してくれるとこなんか相変わらず。人も空気も読まないし、態度も進歩なし。
 ホントに、呆れるくらい昔と同じ」
 だというのに。
 今、ここには壁があるのだ。
 絶対的な、猜疑という壁が。
 乾いた笑いが、ルナの口から漏れた。それが自嘲めいて聞こえたのは、けして気のせいではないだろう。
「けっ、お前もだろーが。相変わらずガキだし、悉く詰めが甘いし、うるせーし」
「五月蝿いのはあんたのせいよ。少なくとも」
 さらり、と数瞬だけ吹いた風が、ルナの髪を攫った。目の前に垂れてきた栗色の一房を、白い指が掴む。
「随分、伸びたもんだな」
「うん、まあ……。切らないまんまだったし」
「何だ、短いままじゃあ、男に間違われるからか?」
「……いい加減にしないと振り落とすわよ」
 軽口を叩く彼の頬を、申し訳程度に軽く叩く。気紛れに指に髪を巻きつけて遊ぶ。何故、切らなかった? と訊かれた。
「戒め、かな……」
「あん?」
「まあ、下らないことよ。そういうあんたは切ったのね」
「ああ、まあな」
 同じような問いを返してみると、「いろいろと重かった」と返って来た。それをそのまま受け止めるのは、余程の愚鈍がすることだ。
 きっと二人とも、切りたくて、伸ばしたくて、髪をいじったのではないのだ。
 言葉が途切れる。言葉を重ねようとするほど乾いていく。きっと、彼もふと気がついてしまったんだろう。
 昔と寸分違わない自分たちの姿に。
 されど徹底的に違ってしまった一点に。
「―――ルナ」
「何?」
 無音の世界に、不意に声が上がった。ルナはすぐに答えた。
「お前は、本当に何も喋ってないんだな……?」
 ぼそり、と呟かれたのは、聞き飽きた問いだった。
 だから、聞き飽きただろう、答えを返す。
「喋ってないわ」
「そうか……」
 テノールの声が平坦に響く。
 急激に、温度が冷えていく。
 その声はけして疑ってはいない。しかし、欠片も信じてはいない。ただのつまらない相槌だった。
 くしゃり、とまた顔が歪む。だから寄りかかる木のてっぺんを見上げた。それなら、膝で眠る彼に表情が見えることはない。
 自分は、ただ信じたいだけだ。信じてもらいたいわけじゃない。
 言い訳のように繰り返して、言葉を紡ぐ。
「カシス」
「……」
「解ってるはずよ。もう、昔とは違うって」
「……」
「『ヴォルケーノ』のことがなければ、確かにお互い無事で良かった、で済んだのかもしれないけど。
 でも、現実として、あんたはあたしを信じられていない。それを恨むつもりはないわ。仕方のないことだから」
「そうだな。自業自得だ」
「そうね。だと思う。
 信じろ、なんて言わないけど、でも、一つだけ頼みを聞いてもらいたい」
「頼み?」
 ルナは木のてっぺんを見続ける。彼はこちらを見上げているのかもしれない。もしくはまったく別の方向を向いているのかもしれない。
「……『ヴォルケーノ』と、『ツインルーン』を、忘れて」
「……」
「いや、正確じゃないわね。あの件について、これ以上、詮索するのをやめて」
「何だ、保身か」
「そんなんじゃないわ。前にも言ったように、あたしはクオノリア、ランカースであの二つを利用して事件を起こした黒幕を追っている。その黒幕がカノンたちを狙っていて、利害の一致からあの娘たちと一緒にいる」
「……」
「理由としては最低よ。協力と称して、あたしは結果的にあの娘たちを利用している。
 でも、あの黒幕はただものじゃなかった。利用出来るものは利用しないと―――勝てないわ、きっと」
 きり―――ッ。
 奥歯を、噛み締める音が、カシスの耳にも届いた。
 飛んだ馬鹿者だと、思った。
 昔から、こんな甘い女に、そんなことが出来るものか。
 そう思った。
「奴のことに関しては、あたしに、任せて欲しいの」
「……」
「あんたに信用されないまま、ってのは癪だけど……。
 あんな無茶苦茶な奴相手の戦いに、あんたもイリーナも、巻き込むわけにいかないし。
 昔の研究漏洩が後顧の憂いだってんなら、あたしが何とかする。もともとそのつもりで、あの娘たちに手を貸してるわけだし」
「……」
「あんたは、そんな過去のことで芽を潰されていい人間じゃないでしょう?
 イリーナも、多少のコネはあるんだろうし、あんたの腕ならどうマイナス点があろうがいいポジションまでいけるはずよ。あの娘なら、サポートだってしてくれる。確かにドジだし、自分は馬鹿で何も出来ない、なんて言ってるけど、それでも研究者の端くれよ。あの娘にも、あの娘なりの才能があったから、あんたもプロジェクトへの参加を許可したんでしょ?
 だったら―――さ。
 何も、考えることないじゃない。
 上に行きなさい。
 それが、あんたの夢だったんでしょう?」
 何度も言っていた。
 いつか、あの小さな『館』の中だけじゃなくて。
 大陸、いや、世界に認められる魔道技師として名を残す、と。
 ただ聞いただけでは、拙い子供の夢。でも、相応の才能と、血の滲むような努力が伴ったそれは、夢想とは呼ばない。
 ルナは、彼はそれだけのことが出来る人間だと、信じていた。
 一度は業火に焼かれた夢だった。
 だったら、やり直せばいい。傍らにいるのが自分でなくとも。
 もう、昔とは違うのだ。それでいい。いや、それを望んでる。
「それで、お前はどうなる?」
「さぁ……? 解んない。
 生きて帰れたら戻ってもいいし、むざむざ死ぬ気もないけど。ともかく、終わったら考える。
 ……話さなきゃいけないことが出来たら、それはちゃんと、話しに行くしさ。
 だから―――」
「だから―――そいつを信じろ、ってか」
「……」
 ルナは小さく呻く。
 解っては、いたのだ。結局は、信じてもらうしかないのだと。そもそもそれが出来ないから、もどかしいのだ。
 何て、煩わしい堂々巡り。
「気に喰わねぇな」
「―――ッ!!」
 ふわり、と膝から重みが消える。その代わり、後頭部に鈍い痛み。がんッ、と音が聞こえたのは何故か一瞬後だった。
 首に違和感が走っていて、後頭部と背中が幹に押し付けられている。いたい。
 ぎり―――ッ
「かッ……ッ、は……」
 口からなけなしの空気が漏れる。首の違和感は、ぎりぎりと気道を締め付けて、声と、酸素とを塞いでくる。
 苦痛を訴えて正面を見ると、吊り上げられた暗い赤眼が、乱雑に切られた白髪の間からこちらを睨んでいた。絡みついているのは、細く、長く、白い指。魔道技師の器用に鍛えられた右腕が、喉を潰していた。
「疑いが濃厚な人間に全部任せろ、だ? はッ! 随分と調子のいいことを言うじゃねぇかッ。
 仲間を利用する? "超"が何個付いても足りないくらい甘いお前に出来るわけねぇだろうッ!? とんだ笑い種だッ!
 それが俺やイリーナのためだってかッ!? 気に喰わねぇッ、偽善者くせぇことをほざくなッ!!」
「―――ッ、く、ぅう……ッ!」
「……お前にとって所詮、俺やイリーナはその程度の存在か。お前の"信じる"って言葉はその程度の効力か。
 さぁ、言えッ、それはくだらねぇ自己犠牲の偽善なのかッ! それとも自分の保身かッ!? だとしたらどっちもくだらねぇッ! 下らない、くだらない、クダらないッ!!
 ああ、信じてねぇのはお互い様だッ! 一瞬でも信用しかけた手前ぇ[オレ]が、心底馬鹿だったぜッ!! それがよぉく解ったッ!!」
「くっ、ぅ、ち、ちが、かは……ッ!」
 空気が漏れる。漏れるばかりで入って来ない。声も出せない。縋るようにぎりぎりと締め付ける腕に、爪を立てる。
 頭の後ろが朦朧として、重たくなって来た頃、ようやく首の枷が外れる。
 ぐん、と広がった気道に咽て、咳き込んだ。喉元を押さえ、身体を折ろうとするが、相手はそれを許してはくれなかった。
「―――ッ!!?」
 眼前に、細められた赤眼があった。近すぎて、睨んでいるのか素なのか、判別が付かない。たぶん、前者だろうが。
 かりり、と唇に痛みが走る。噛まれた、と知覚する。同時に舌の上に緩い錆の味。
 お礼や詫び、なんて可愛いモノじゃない。与えられているのは愛情ではなくて、暴走したただの苦痛。
 ―――ッ!
 背中が太い木だったのを思い出した。
 封じられる寸前だった右手に気づく。脳が危険信号を鳴らす。瞬間、手が動いていた。

 ぱんッ!!

 響いた音は、何かとても大きく聞こえた。
 拍子に緩んだ拘束から身を離して、距離を置いた。
「……」
「……はぁ、はぁ…」
 荒い息を吐き出しながら、ふらつく足で立ち上がった。血の滲む唇を拭って、押さえながら、視線を上げた。
 腫れた頬を、打たれた頬を押さえながら、彼は無言でこちらを見ていた。
 黄昏よりも暗い、朱い眼で。一抹の哀憐と、非難、いや敵意さえ感じさせるような、そんな眼で。
 ぎり―――ッ、噛み締めた歯が痛い。もっと痛いのは頭。もっともっと痛いのは身体。絶対的に痛いのは、こころ。
 じりッ、と後退る。妙に滲んだ視界が悔しい、悔しい悔しい口惜しい憎たらしいッ!
「―――ルナ」
 なけなしの力を足に込めて、その場を逃げ出そうとした少女の背に、凍りついた言葉がかかる。反射的に、止めてしまった足を死ぬほど後悔した。
「明日、町を経つ」
「……」
「夜に、来い。それがお前の最後のチャンスだ」
「………ッ!」
 擦り切れるような痛みが、身体を貫いた。がくがくと、膝が震えてしまう前に。頭の中の警鐘が、その場を離れることを訴えていた。
 だから。
「―――ぅッ!」
 呻き声だけを残して、彼女は振り返らず、逃げるように走り出した。


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★ プロフィール
HN:
梧香月
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性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
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