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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[剣奉る巫女] EPISODE2

 ―――ったく、何であたしがこんなことで煩わせられなきゃいけないのよ……
 湿った髪を乱暴に掻き回しながら、ベッドに腰掛け、タオルを放り投げてそのまま横たわる。放り投げたタオルは狙い通りに側の椅子にかかって項垂れた。
 はぁ、と吐き出した溜め息は夜の静寂に遮られて消える。
 ちらり、と隣を見やると同室の彼女は既に可愛らしい寝息を立てていた。悩みを突きつけてくれた張本人のくせに呑気な。
 ―――……いや、まあ自分のことなんだから呑気も何もないんだけど……
「結婚、ねぇ……」
 考えたこともなかった、というのが正直なところだ。そもそもこの五年間、色恋沙汰自体、疎遠だったと思われる。
 ……いや、だったというかそんなものを考えられるほどの暇はなかった、と言った方が正しいのか。確かにカノンに対して恋情を抱く者はアルティオを始め、ゼロではなかった。
 もう随分前の、グリドリードで出会ったセルリアなど、なかなか大胆な真似をしてくれた。今頃、どこで何をしているだろうか。あまり心配はしていないけれど。
 ―――って、いかんいかん。
 思考が逸れる。
 結論から言えば考えても無駄なのだ。自分の周りにはあまりにも男の影がなさ過ぎる……いや、意図的に遠ざけ過ぎたというべきか。
 そんな状態で生産的な答えがぱっ、と見つかるわけもない。
 ……それとも、今、接している男共のことを改めろとでも言うのだろうか。
 確かにアルティオの周囲お構いなしの求愛には子供の頃からうんざりしている。だが、うんざりするの一言で切り捨てるにはもう子供ではいられない。
 迷惑極まりない求愛の仕方だが、あれほど長く続いているのだから彼の気持ちはきっと嘘でも偽りでもないのだろう。そのこと自体に悪い気はしない。あれはあれでいいところもあるし、人情家で周囲さえ見ていればそれなりに好人物である。
 今朝方、顔がどうのこうのでからかわれていたが、そう言われるほど醜悪な顔をしているわけでもない。むしろレンより愛嬌がある分、解りやすくていいというのがカノンの評価だった。
 今までの人生の半分以上を剣技に費やしてきた自分やレンに比べたら劣るだろうが、あれでもいっぱしの双剣士だ。……つまりは実は取り立てて駄目な男というわけでもないのである。
「んー……」
 じゃあ、何故その男の求愛を受ける気にならないのだろう。
 ―――簡単に言えば……好き、じゃないんだろうなぁ……
 勿論、人間的な意味ではなく、伴侶や恋人として考えた場合である。一般的なものの見方なんて知らないが、少なくともカノンは彼とそういう仲になろうとは思っていないのだ。
 ……今のところはの話だけれど。
 顔を横に向けた拍子にサイドテーブルに置いてあったネックレスが目に入った。手を伸ばし、何とはなしに拾い上げる。
 第三政団に革命をもたらし、死術の全消滅と共に終局を見せたわずか半年前の事件。
 すべてが目まぐるしくて、その最中に通り過ぎた誕生日のことなんて当人ですら忘れていたのに。
 手渡した本人はいつも通りの無表情で照れてさえなかったけれど、考えてみれば随分とらしいものを貰ったものだ。
 繰り返す戦いに気が休まらなかった中で、彼なりにご褒美でもくれたつもりなのか。それとも当時の狩人仲間との別離を済ませた直後で、それなりに寂しさを感じていたカノンを励ますつもりだったのか。
 はたまた狩人の任を解かれ、ただの年頃の娘となったカノンに対して、普通の女の子が持つようなものを持たせる目的だったのか。
 それ自体はやつれていた心身に、心底嬉しかったけれど。
 考えてみれば真意は聞けないままで、いつのまにか半年も経過していた。
 ―――大した真意じゃない、って言っちゃえばそうなんだろうけど……
 無条件に信頼出来る人間を一人挙げろと言われたら、カノンは当然レンの名前を出すだろう。やはり苦楽を共にした五年間は重い。
 ―――でもそれだけなのよね……
 それ以上でも以下でもない。その間に何か色めいたことがあるかというと、ルナに言った通りなわけで……。
 ―――まあ、あいつがあたしに感けるわけないか……
 呟いた脳裏に、朝の暴言が掠める。
『どうやら自分が所構わずことを起こす暴れ馬だという自覚はないらしい』
 ぷちっ。
「わぁるかったわね! どーせあたしは色気も可愛げも何もないただのガキよッ!!」
 叫んでしまってからはっ、と口を押さえる。慌てて傍らを見やるが、杞憂だったらしい。ルナは小さく呻いただけで、相変わらず規則正しい寝息を立てていた。
 ほっ、と肩を撫で下ろしてもそもそと毛布の中に戻る。
「……って、冷静になって考えようとしてたのに何で頭に来てるのよ、あたしは……」
 気分が悪い。
 ―――ッたく! やっぱりこんなことは考えたって無駄よッ!
 白馬の王子様を夢見るシンデレラなんてちゃんちゃらおかしいが、考えても仕方のないことだ。大体、全人類が結婚しなくてはいけないなんて法律は存在しない。
 ―――そんなのはないけど……
 ちらり、と毛布から目だけを出して深い眠りについているルナを覗き見る。彼女もいつかどこかの誰かに嫁いだりするのだろうか。そんな物好きに知り合いはいなかったと思うが。
 ルナだけではない。シリアもアルティオも、レンさえも。そういった可能性は秘めているのだ。相手が誰であるにしろ。
 そうなったら。
 そうなったら、そのとき自分はどんな顔をしていればいいのだろうか。
 ―――って、ああもう……取らぬ狸の皮算用だわ。誰が誰とくっつこうとあたしには関係ないじゃないの。
 いらない思考ですっかり眠気が取れてしまった。幸い、クオノリアの一件が教えた用心のために服は上着を羽織ればいつもの状態になるようにして寝転がっていた。
 オレンジのコートを羽織り、ベルトを締めて帯剣を欠かさずに。
 髪を束ねて外に出る。
 適当に夜風にでも当たれば気分も落ち着くだろう……。


「はー……」
 酒臭い階下の空気を抜けると、一転してやや冷たい夜の風が髪を弄らせる。
 つい一週間ほど前は夜になっても昼間の内に溜まった熱気が夜まで冷めやらず、寝苦しい夜を送っていたのに今では風が素肌に肌寒いくらいだ。
 クオノリアの風は潮の香りがしたが、ここ―――ランカース・フィルの風は緑と水の匂いが混じる。
「どっちかっていうとこっちの匂いの方が好きかな。あたしは」
 海の匂いも嫌いではなかった。だがカノンは元来、どちらかというと山の方の土地の出身だ。こういった匂いには懐かしさを感じる。
 ―――故郷、ね。
 ふとルナの言葉を思い出す。
 五年前、家出同然に家を出てそれから連絡も何も取っていない。カノンの育て親である祖母のカリスは裏の社会でもいろいろと顔の効く大人物だった。その気になれば自分の居場所などすぐに知れただろうに、連れ戻そうとしなかったのは旅に出ることを許してくれたのだ、と勝手に解釈してきたが、道理に外れたことをやっているのは否定できない。
 ―――……まあ、許す許さないはともかく、お仕置きのフルコースは確実だろーね……
 昔、受けた修行と称する半虐待の仕置きを思い出し、身を震わせる。風の温度が一、二度下がった気さえした。
 さすがに冷えてきてむき出しの二の腕を摩りながら宿へ戻ろうと―――

 とんっ

「……?」
 かすかな物音がカノンの鼓膜を振るわせる。時刻は深夜に届くか否か。宿屋が兼任でやっている酒場の灯ももうじき消える頃で、中にいるのは完全に酔いつぶれた独り者くらいのものだ。
 そんな帳に。
 聞こえる音など限られている。
 無意識の内に、音の方向へ目をやって、
「!!」
 カノンは息を飲んだ。
 宿屋の向かいに佇む家屋の屋根の上。今日の月は半月。それを背景に、

 たおやかに広がる黒の影。

「あれは―――ッ」
 カノンの脳裏につい二週間ほど前に見た光景が鮮やかに蘇る。そのとき"それ"は血に染められた大地に立っていた。
 漏らした声に、"彼"は一瞬だけ振り返る。風で肌蹴た黒髪に、包帯に包まれた素顔に、一点だけ全てを飲み込んでしまいそうな黒耀の瞳[かがやき]。
 ……あんな人間が二人も三人もいるわけがない。
 彼はふい、と背を向けると軽やかに屋根を飛んで通りの向こうに消えていく。
 一瞬の逡巡がカノンの中を駆け巡る。即ち追うか、否か。
 得策ではないと知っていた。罠である可能性を危惧しなかったわけでもない。相手は何の技を使うかどころか、本当に人間なのかさえわからないのだ。深い詮索はしないのが身のためになる。
 だが、先の事件が示す、"彼"を野放しにして置く危険性と手口の残酷さと卑劣さを知っていて、尚且つ人並み程度の正義感を持ち合わせていた彼女は、その暗い背を、夜風を切りながら追っていた。


 空を見上げながら駆けるのは思いの外、難しい。
 しかも夜道だ。足元の確認が出来ない。知らない道を目隠しで歩かされているのと変わらない。少しでも視線を外すと夜空に浮かぶ黒い影は、溶けて消えてしまうのだ。
 ―――くッ……
 足場は当然こちらの方が有利なはずだ。屋根と屋根とを渡り歩くなどという芸当、普通なら絶対にとは言わないが容易なことでないのは明白だ。
 そのはずなのに、距離は一向に縮まらない。
「くっそ!!」
 これしきで息が乱れることはないが、終わりの見えない追いかけっこに不安が過ぎる。だが、それに潰されれば負けだ。
 ―――ッ!
 不意に影が立ち止まる。ばさッ、と纏ったコートが風に鳴る。
「ッ! 待ちなさいッ!!」
 屋根から影が下りた。下りた先は狭い向こう側の路地。
 迷いなく石畳を蹴る。が、
「―――ッ!? いない……」
 思わず呟く。
 だが、その背後に。
「ッ!」
 耳元で風が唸った。鍛え上げた神経が自然に身体を右側へと持っていく。
 ちりッ、とした痛みが左腕に走った。
 ―――掠ったッ!?
 顔を上げるよりも先に後ろ飛びに路地を逃れる。狭い場所を舞台にすることほど愚かなことはない。
 左の腕に赤い線が走り、血が滲み出ていた。それに舌打ちしながら剣を抜く。
「ちぇ、はずしたか」
 トーンの高い、少年の声が響いた。あの黒衣の少年のものではない。どちらかというと荒っぽい、粗暴な印象を受けるアルト。
 視線を上げて目に入ったのは、
「――― 子供ッ?」
「子供じゃねぇよッ!!」
 思わず口にすると倍以上のボリュームで怒鳴られた。
 夜闇に浮かび上がった輪郭は、カノンよりも背が低い……年の頃なら十三、四の少年。
 猫背に構えた姿で余計に低く感じる。
 薄炎色の跳ねた髪、曝された肌は月明かりのせいで白く見えるが、その実やや焼けているのが伺えた。簡易的な服を纏っているが、肩掛けにかけた布だけがしっとりとした上質な光を返している。
 紫がかった瞳はややつり目でひたすらな闘争心だけがその色を支配している。
「ンなこと言ったって……」
「ガキっていう方がガキだッ!」
 ―――小学生か、あんたは……
 頭が痛くなってきた。
「ムッカつく! 殺すな、って言われてたけどお前、殺すッ!」
「ち、ちょっとッ!?」
 問答無用もいいところだ。物騒な言葉を吐いて石畳を蹴る少年。
 ―――ッ!!
 カノンの表情が引き攣った。反射的に左へ避ける。すぐさま、耳の脇を風が唸って過ぎた。
「ちッ!」
 少年の舌打ちが聞こえる。筋肉質な二の腕を引いて、少年は間合いを取り直す。
 カノンの頬を冷たい汗が伝う。
 ―――この子……速いッ!
 攻撃は単調だが、ひたすら速い。動き自体はカノンの目でも追いきれない。動揺が彼女を襲う。
 ―――くッ!
 背を向けるのは自殺行為だ。抜き放った剣を構え、迎撃態勢を取る。

 ひゅんッ!

「ッ?」
 カノンの目の前で少年の右の爪が伸びる。醜悪な曲線を描くそれは、さながら斬首刀[エクゼキューショナー]を髣髴とさせる。先程、カノンの腕を掠めたのもこれだろう。
 ―――冗談じゃないわよッ!
「うぉあああぁあぁあぁあぁッ!!」
「ッ!」
 正面からの爪撃を何とか受け流し、隙だらけになった背へ斬撃を叩き込む。子供に刃を向けるのは気が進むものではないがこんな相手にそんな甘いことは言っていられない。
 到底、避けられない間合い。が、

 ぎんッ!!

「なッ!?」
 無理な体勢から少年はなんと、カノンの剣の柄を後ろ蹴りで蹴飛ばした。既に人間技ではないが、さすがに威力はなく、カノンは飛ばされそうになる剣を握り直す。
 が、その拍子に一瞬、動きが止まる。

 ざしゅッ!!

「―――づあッ!?」
 足を軸に反転した少年の爪がカノンの肩口を切り裂いた。焼け付くような痛みが身体を打ち付ける。
 普通の人間ならショック死していたかもしれない。
 それでもカノンは足に力を込めてその場を飛び退いた。
「う、くッ……」
 膝を付きたくなるような痛みが左の肩を襲っている。だらだらと腕を伝う温い雫が痛みに現実味を突きつける。その場で気絶してしまいそうな激痛。
 ―――まずいな、こりゃ……
 骨を痛めたか、左の腕がまったく動かない。
 目の前の少年が爪に残った血液を五月蝿そうに払って、至極、詰まらなさそうに唇を尖らせる。
「なんだ……やる、って言ってたのに大したことないじゃん」
「……」
 カノンは無言で刃を払った。
 苦痛に歪む表情を繕いながら顔を上げる。
 ―――これは……ちょっと、引くしかないか……。
 圧し掛かるような重い痛みが判断力を奪う。このまま刃を振るったところで、戦いが長引けば長引くほど最悪な想像が広がっていく。
 幸いこの少年、信じ難い身体能力の持ち主だが戦い方のムラは隠せていない。要するに大雑把で隙が多いのだ。
 その隙を突けば、痛みのハンデがあっても戦線離脱程度のことは出来るはず。
 じりッ、とカノンは右足を下がらせる。
「逃げんなよッ!」
 それに気がついた少年が跳んだ。カノンは左腕を庇いながら体勢を低く構える。少年は爪を振りかざし、首を抉ろうと切り込んで来る。
 カノンは逆に一歩踏み出して右手の刃を振るった。
 銀の煌きに、少年が爪の起動を逸らす。その一瞬の隙に、カノンは大きく後ろへ跳んだ。
 少年が舌打ちをする。少年は前のめりに倒れていくような、不安定な体勢だ。さすがにここからでは立て直しがなくては動けまい。
 そのわずかな合間にカノンは踵を返そうと、
「よっとッ!!」
「―――ッ!?」
 少年は重力に任せるまま、石畳に右の手の平を着いた。その状態で勢いを殺さずに、腕のばねだけで前方に跳ぶ。
 普通なら、そのまま石畳に突っ込んで終わりだ。だが、

 ばさッ!!!

「な―――ッ!?」
 少年の背に。
 唐突に浅黒い緑色の翼が広がった。蝙蝠のそれを思わせる二翼は風に弄られて広がって、少年の身体を持ち上げる。
 ―――半竜人ッ!? いや、まさか無茶苦茶なッ!?
「おらあぁぁああぁああぁあッ!!」
「―――ッ!」
 握り締めた左の拳がカノンに迫る。何とか身を捻る、が拍子の悪い体勢にそれだけでは足りず、

 がごッ!!

「―――ッ!」
 苦痛の悲鳴が喉元に持ち上がって、あまりの鈍痛に逆に消え失せる。
 少年の拳がカノンの右肩を石畳に縫い止めていた。重い馬鹿力の拳と固い石畳に挟まれた脆い骨は悲鳴を上げて妙な音を立てた。からん、と乾いた声を残して剣が手の平から滑り落ちる。
 鈍痛が肩から全身を駆け抜けて脳天まで突き上げる。
 その痛みに呻きさえ漏らすことが出来ない。
 それでも耐性の出来た身体は意識を手放すことは許さずに、はっとしてカノンは足に力を込めて無理矢理身を起こし、体当たりで少年を突き飛ばす。
 だが、少年は突き飛ばされるより前にわずかに身を引いて鋭い蹴りを放っていた。
 ―――しまッ……
 避けられるはずもない。

 どがッ!!                     ちりん。

 ―――が、ぁ……ッ
 吐き出した胃液に血が混じっていた。みぞおちを直撃した一撃は、そのままカノンの身体を吹き飛ばし、近くの民家の壁へ彼女の体を激突させる。
 何故か耳元で、わずかな金属音が鳴った気がした。
 咄嗟に取った受身のおかげで何とか内臓は守れたようだが、口の中を切ってしまった。
 叩きつけられた全身がずきずきと、体全体にひびが入っていくような錯覚に囚われる。
 咳き込みながら何とか顔を上げる。不自然に薄笑いを浮かべた少年が、爪を歪めて近づいて来る。
 低い、笑いが漏れた。
「言っただろ、殺してやるってッ!!!」
「ッ!」
 振りあがる爪に、奥歯を噛み締める。動かない身体を圧倒的な痛みに堪えながら交わそうと……

「……やり過ぎだよ、エノ」

 静かな。
 熱の上がったその場に不釣合いな、全てを凍りつかせるような、冷ややかな声が降りた。
 少年の顔から血の気が引いていく。はっ、として顔を上げ、慌てたように周囲を見回す。
 黒々と佇む町並みの、一つの屋根の上に、その影は腰掛けていた。靡く黒の暗幕に、少年が息を飲んで萎縮する。
 "彼"はしばらく無言だった。
 やがて少年を見下ろすのを止め、身体の動かせない少女を見やって息を吐く。
「誰もそこまでやれ、とは指示を出していないよ?」
「だ、だってよッ……」
「エノ」
 少年の名前だろうか。有無を言わさぬ響きを孕んで、心なしか怒りさえ漂わせながら"彼"は何かの宣告のように告げる。
 威圧か、身体に走る得体の知れない恐怖にか、少年はそれ以上何も言うことが出来ずに項垂れる。きりきりと歯を鳴らし、凄まじい形相でこちらを睨んでから翼を広げた。
「わぁったよ! ここまでにしとくよッ! それでいいんだろッ!
 けどオマエッ! 次は絶対に殺すからなッ!!!」
 少年はびっ、と指を差してこちらを威嚇してから背を向ける。
 そのとき。
「エノッ!」
 安穏と見守っていた"彼"から激が飛んだ。声に少年が振り返るより先に、黒衣の影から白い符が放たれて、少年の背で軽く爆縮する。
「な、なんだ……ッ!」
「ちッ」
 とん、と軽く石畳を蹴る音。
 薄い煙を刃で払って、少年の背に斬り込もうとしていた男はカノンを庇うようにして剣を持ち上げる。
 ―――レン……
 背を向ける青い背中が、何かどうしようもなく悔しかった。結局、彼の言う通りになってしまった。
「……引くよ、エノ」
「いいのかよッ」
「エノ」
「―――ッ!」
 容赦のない、一方的な宣言に少年は唇を噛みながらも後退る。そのまま翼を広げて屋根まで逃れ、暗闇に溶けるように消える影を追って飛び去った。
 レンは追わない。
 完全に気配が消えたことを確認してから剣を収める。
 がくり、と力が抜ける。壁からずるり、と身体が落ちて石畳へ情けなくも横たわった。
 踵を返して振り返ったレンの表情が、珍しくも変わる。……そんなに、まずいなりをしていたのだろうか。彼の血相が変わる様を久しぶりに見た。
 何かを口にしている。何度も。必死の形相で。
 あれは……ああ、そうか、自分の名前だ。でもそれも聞こえないくらい眠かった。
 抱き上げられた体に、何故か痛みは走らなかった。
 ―――あ
 霞がかった視界に、石畳に散った血液と投げ出された何かきらきら光るもの。
 あれは、……そうか、鎖だ。蹴り飛ばされた瞬間に、首にかけていたネックレスの鎖がはじけ飛んだのか。
 側に落ちているだろうリングを探そうにもまともに首も動かない。
 ない。
 ―――っ、うっく……
 悔しさと、得体の知れない苦い感情が体の中を渦巻いた。目の端に熱い何かが込み上げる。
 体が熱い。圧倒的な喪失感が喉元まで吐き気を上らせる。
 抱え上げた彼女にはっきりした反応がないことを不安に思ったのか、レンが立ち上がる。その空に浮かぶ感覚を最後に、カノンの意識はゆっくりと闇に沈んでいった。


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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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