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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE8
注:作者が逃げて別作品に走ったわけじゃありません。
 
 

「くーださいなッ!」
 店の中に幼い少女の声が轟き渡る。甲高い声に、他の客と世間話をしていた店主の女将は、視線を足元へと下げた。
 金髪の、短めのツインテールが、視線の下でひょこひょこと弾んでいる。赤いリボンの可愛らしい、あどけない顔と表情。大きな葡萄色の瞳がくるくるきらきらと良く動く。歳は十を出ていないだろう。小さな身体の細い腕に、大きな買い物籠をぶらさげていた。
「おや、いらっしゃい! ケナちゃん、おつかいかい」
「うん! フィーナちゃんね、家のこと大変そうだから、ケナお手伝いするの!」
「そうかい、偉いねぇ。で、今日はなんだい?」
「えっとね、えっとね……」
 んと、んと、と拙い言葉を連呼しながらごそごそと籠の中を漁る。小さなメモを取り出して、大きな声で読み上げる。
「えっとねー、たまねぎとねー、トマトとー、あとタマゴとブロッコリー!」
「おやおや、羨ましいねぇオムライスかい?」
「うん! フィーナちゃんがね、ちゃんとブロッコリー食べるなら作ってくれるって言ってたの! ケナ、オムライス大好きだから頑張って食べるの!」
「そうかいそうかい。じゃあ、おまけをつけてあげないとねぇ。ちょっと待っててね」
「わぁい!」
 女将は読み上げられたものを籠に入れ、側にあった桃を丁寧に剥き始める。ケナは商品の積まれた台に両手をついて、果汁の垂れる桃に目を輝かせている。
 女将と話をしていた買い物帰りの主婦も目を細めてそれを眺めていた。
 しゅるしゅると剥かれていく桃色の皮に、飛び跳ね始めたケナ。待ちきれなくて、きょろきょろと視線を迷わせる。と、店の影から茶色の子犬がひょいと顔を出す。
「あ」
「? ケナちゃん?」
 ぱっ、と明るい笑顔を向けると、買い物籠を置いてケナは走り出した。ぱたぱたという足音に驚いたのか、子犬はそのままストリートへと駆け出す。
「あ、こらー!」
 くるり、と方向転換。少女の視界には、へっへっと駆けて行く子犬の背中が見えるはずだった。ケナもそれを期待していた。が、

 ばふッ。

「ッ!?」
 急に視界に影が差し、何かに衝突する。軽いケナの身体は、容易くころん、と後ろに転がった。
「たぁ~……」
「け、ケナちゃん!」
 少し転がっただけなのに、血相を変えた女将がこちらに呼びかけてくる。何故、そんな青い顔をしているのだろう、とケナは目の前の障害物をきょとんとした目で見上げた。しかし、それが何なのか、確認が済むより先に、
「ぁあッ!? 何しやがる、このガキッ!?」
 無駄に大きな野太い声がケナの鼓膜を突き抜けた。思わず追いかけていたはずの子犬のように両耳を抑えて縮こまった。
 耳の痛みか、何なのか、反射的にじわり、と涙が滲む。
 おそるおそる目を開くと、思い切りつり上がった黒目が、ケナを見下ろしていた。じゃらじゃらと耳に五月蝿い、変なアクセサリーをいっぱいぶら下げて、へんてこな服を着ている。逆光にアクセサリーのきらきらが目に痛い。大きな図体もあって、まるで熊のようだ。
「ふぇ……ッ」
「俺の大事な足に体当たりたぁ、いい度胸じゃねーか、ぁあッ!? てめぇ、どこのガキだッ!?」
「……ぅ、ぅう……」
 ごめんなさい、と口にしかけたケナの表情が固まる。そのまま動けない。大声に足が竦んで、さっきまであんなに駆け回っていたのに、麻痺したように手足が動かない。怖い。
「ちょっとあんた!」
 桃を剥いていた包丁を置いて、女将がケナの前に出た。
「こんなちっちゃい子にいちゃもんつけるんじゃないよ! 何さ、怪我もしてないだろ!?」
「ぁあッ!? ババァは引っ込んでろ! こいつぁ、オトシマエってやつだよ。人の足に突っ込んできたガキにゃあ、教育が必要なんだよ!」
「何が教育だい! いい大人が恥ずかしいね! 教育なんてものがやりたかったら、こんなところブラブラしていないで、きちんと働いたらどうなのさ!」
「こんのババァ……!」
 人間は図星をつかれると、堪忍袋の尾が軟弱化するらしい。こんな粗暴を絵に描いたような男など、特に。
 ぽかんと涙目のケナの前で、熊のような男が、拳を振り上げた。
 ケナははっ、とする。女将は逃げない。むしろ男を睨みつけて、ケナを庇っている。
 ――だ、だめ……
 逃げて、と言おうとした。けれど、恐怖で喉がつかえて、声にならない。
 振り上げた拳が、動く。
 ケナは思わず目を閉じた。けれど、

 びしッ!!

「ッづ、だぁぁぁ~~~ッ!?」
 奇妙な音がした。えっと、ああ、八百屋の女将さんが旦那さんをビンタしてたときに、同じような音がした。でも、あんな音よりずっと重い。それに、何か人の声と思えないようなひしゃげた声がした。
 震えながら目を開けると、ちょっとだけ茫然とした女将の背中が見えた。その背中の向こうには、さっきケナがぶつかってしまった熊のような大男。
 けれど目を開ける前の威圧感はなくて、ちょっと赤く腫れた右手を押さえて蹲ってる。……ちょっと泣いてる? そんなに痛いの?
 何が起こったのかよく解らない。解らないケナの耳に、じゃり、と足が砂を踏みつける音が届いた。
 棚引いた綺麗な金色の髪が、目に入った。
「あ……」
 恐怖を忘れて立ち上がる。一歩歩くと、女将と男の合間に人影が見えた。
 少しだけ小柄。華奢に見えるが、腕足にしっかりと筋肉は付いている。ふん、と鼻を鳴らして腕を組むと、また陽光に光を放つ長い金色の髪の房が跳ね上がった。意志の強い碧眼は軽蔑するように男を睨んでいる。
 ケナと揃いの青いリボンと、ふわりとしたフレアスカートとカーディガン。歳相応の、可愛らしい村娘だが、浮かべた敵意の表情は肉食獣のそれだ。
 彼女の顔が見えて、ケナがぱっと涙を引っ込める。
「フィーナちゃん!」
「まったくもぅ……。『私が行くー!』って言うもんだから、こっそり付いて来てみれば……」
「ごめんなさぁ~い……」
 駆け寄って、女性のフレアスカートに飛び込んだ。汗と、ちょっと甘い匂いがして、そのまま抱きつく。かすかに笑う気配がして、ふわふわと頭を撫でられた。
「女ァ……てめぇ、何しやがる!?」
 男の粗暴な声が飛ぶ。対してフィーナ、と呼ばれた彼女は、眉根を吊り上げて、強面の顔を真っ向から睨んだ。
「何しやがる、はこっちの科白よ! 子供が当たったくらいでどうこうなるような軟弱な図体でもなかろーし、挙句に何? 逆ギレして関係ない女の人に手を上げるわけ? でかい図体に乗ってるのは単なる飾り? 世の中はあんた中心に回ってるわけじゃないのよ!?」
「うるせぇ!」
 一気にまくし立てた彼女に、男が語彙で反論するはずもなく。再び拳を握る。
 彼女はケナを背中に隠すと、先ほどと同じように男の手を叩き落そうと半歩、後ろに下がった。が、今度は男の手が動くよりも先に、
「ぐ、いでででででッ!?」
 拳を固めていたはずの男の手が、いつのまにか背後に回っていた。腕を捻り上げられ、ついでに背中に回されて完全に腕を封じられた男の哀れなくぐもった悲鳴が響く。
「あら、アレイア。おかえりなさい」
「おとーさん!」
 男の背後に立っていた、また別の男――青年、と呼ぶには少々歳が出ているが、中年と呼ぶには若すぎる――が呆れた表情でフィーナを見た。フィーナの背中にいたケナが、ひょこりと顔を出して、これまた同じように目を輝かせる。
 彼女が駆け出すより先に、男を拘束していた、アレイアと呼ばれた男が溜め息を吐いた。
「あのなぁ、ケナ。急に飛び出さないよういつも言っているだろう? 周りにもちゃんと気をつけなさい」
「はぁ~い……」
 やや緑がかった黒髪を、汗で額に張り付けながら彼は言う。歳よりも大人びて見えるのは、窘める口調だからなのか。
しゅん、として答えるケナから、今度は少女を庇う彼女に紫紺の目を向ける。
「フィーナ、お前もなぁ……。街中で何かあったら呼べ、って言ってるだろ……。何でわざわざ火種を広げるんだよ」
「呼んでる暇なんてなかったし。大体、日中は仕事じゃない」
「そりゃそうだが……」
「おい! 離しやがれッ、てっめぇッ!!」
 アレイアが言いよどんでいると、腕を掴まれたままの男が声を荒げて背後を睨む。しかし、彼は急にすっと無表情になって、恐ろしく冷めた表情でそれを見下ろした。気圧された男が、短い悲鳴を上げる。

 げしッ!

「ッ!」
 男が声にならない悲鳴を上げた。腕を放したアレイアが、男の足を思い切り皮のブーツで踏んづけたのだ。男は抗議しようと振り返るが、それよりも先に、喉元に手刀が突きつけられた。
 目の前にある紫紺の瞳は、それ以上なく冷えていて。視線を合わせているだけなのに、だらだらと、嫌な汗が額を、背中を流れていく。
「……二度とフィーナとケナに余計な真似をするな」
 先ほど彼女たちを窘めた声とは比べ物にならないほど低い声が発せられる。そうなって初めて男は程度というものを理解したらしい。可哀相なほど顔を歪めて、必死にこくこくと頷いた。
 その様子を見て、アレイアはようやく手を離す。短い悲鳴を残しながら、男はあたふたと通りの向こうに消えていった。
 ぱんッ! と拍手が上がる。
「やー、さすがアレイア! あっぱれ!」
「……本当に調子いいな、お前」
「おとーさん、すごぉいー!」
 ぱたぱたと駆け出したケナが、男の上着へと飛びついた。たたらを踏みながらそれを受け止めたアレイアは、ふ、と微笑みを浮かべて少女の小さな身体を抱き上げた。
「いやー、良かった良かった」
「あ、すいませんー。ご迷惑おかけしました。大丈夫ですか?」
 明るい笑顔を浮かべて話し掛けて来た女将に、フィーナは丁寧に頭を下げる。だが、女将は頭を振って、豪快に笑ってみせる。
「ぜんっぜん! 迷惑なんぞじゃないよ。あたしも助けてもらった身さぁ。
 アレイアの旦那も相変わらず逞しいけど、フィーナちゃんも強いねぇ。尻込みもしないなんてさ」
「あっはっは、あんな奴、束になってかかって来るくらいじゃないと物足りませんよー」
「はははははッ! そうかい、頼もしいねぇ!」
 女将と彼女の些か物騒な会話に、アレイアが不自然な咳をする。彼としては窘めているつもりなのだが、気づいているのかいないのか、意にも介さないのが彼女の恐ろしいところである。
「フィーナちゃん、ごめんね。だいじょうぶ?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんとケナちゃんのおとーさんが助けてくれたし。全然平気。ケナちゃんは?」
「ケナもー」
 ぱっ、と笑って再度、フィーナに抱きつく幼い少女。少女を腕に抱いたまま、彼女は勢いでくるりと一回転してみせる。はた、とその目が店頭に留まった。
 そういえば、買い物の途中だった。
「ハンナさん、あの……」
「ああ、ごめんねぇ。あたしとしたことが。はい」
「あ、ありがとうございます」
 礼を言いながらたまねぎとトマト、ブロッコリーが入った買い物籠を受け取る。中に入っていたはずの財布を取ろうとして、そのフィーナの手を女将が止めた。
「へ?」
「今日はあたしの奢りだよ。何だかんだで助けてもらっちまったしねぇ」
「そんな、だって迷惑かけたのはこっちですよ?」
「気にしなさんな、困ったときはお互い様さ! 早く帰ってケナちゃんに美味しいオムライス作っておあげよ」
「オムライス!」
 思い出したようにケナが心底嬉しそうに騒ぎ出す。まだ匂いも嗅いでないのに、無邪気なものだ。
「で、でも……」
「ねぇ、旦那? これくらい、大の男なら喜んで受け取るよねぇ? いいからさ! 潔く行きなって!」
 豊満な体を張って、からからと笑う女将に、アレイアは笑いながら溜め息を吐いた。フィーナよりもこの気さくな女将と付き合いが長いアレイアは、彼女の肩をぽん、と叩く。
「ほら、フィーナ、ケナも。お礼を言いなさい」
「え、えっと、うん……。あ、ありがとうございます」
「ありがとございますー!」
 お辞儀をするフィーナと、やや舌っ足らずながら元気に声を上げるケナ。女将はうんうん、と頷くと、思い出したように果物籠の上に置いていた、皮の剥かれた桃を手に取った。
「ほぅら、おつかいのお駄賃だよ」
「うわぁい!」
「すいません、こんなに……」
「なぁに、桃は足が早いからねぇ。ちょうど良いってもんさ。ケナちゃん、中ほどの種はすっぱいからね。気をつけてお食べ」
「うん!」
 既にくしゅくしゅと果実を頬張っていたケナは、口元を果汁に汚しながら大きく頷いた。それに呆れたように、くすりと笑うと、アレイアもフィーナも女将にもう一度頭を下げる。
「それはそうと、フィーナ」
「?」
「……いくら咄嗟だったからって、その格好で足を使うな。スカートだろ?」
「へ?」
「見えるぞ」
「!」
 一瞬、きょとんとしたフィーナだったが、すぐに何のことか気が付くと買い物籠を下げていない方の手でスカートを押さえる。今さらなのに、顔は真っ赤だった。
「……見た?」
「…………………いや、それは」
「見たの?」
「……すまん」
「ッ!」
 沸騰した。
 赤い顔で彼女は男の顔を睨みつける。目尻には、心なしか涙が浮かんでいた。アレイアは何とかいい訳を探しだそうとするが、従来、正直者で性根の曲がっていない彼には無理な話だった。
 別に彼が悪いわけではないのだが、だからといって割り切れるものでもない。
 彼女は唇を尖らせたまま、「もー知らないッ!」と金切り声を吐き出して、ケナの手を握る。
「ケナ! すけべなお父さんはほっといて、さっさと帰るわよ! 今日はオムライスだから! お父さんの分はなし!」
「わぁい、オムライス、オムライスー!」
「待て! こら、ケナ! フィーナッ!」
 ケナを引き摺るようにして唐突に走り出したフィーナ。ケナもケナで、子供特有の活発さで追いかけてゆくものだから、アレイアは慌てて二人を追いかける他はなかった。
 石畳を騒がしく駆けて行くその背中に、女将がふぅ、と息を吐く。
「ケナちゃんも良かったわね。いいお母さん代わりが見つかって」
「まあ、お母さん、というよりは姉妹って感じだけどねぇ……。でもいい娘だよ。若いけど礼儀正しいしね。アレイアの旦那もなかなかいい娘を見つけて来たもんだ。
 あそこの家はいろいろと訳アリだったみたいだからねぇ。いいことだよ」
「そうねぇ」
 傍観していた女性客に答えて、女将は桃を剥いたナイフを片付け始めた。すぐに別の客から注文が入り、あいよ、といつも通りの声を返す。
 世間話の相手だった女性客は、それを眺めながら、小首を傾げる。
「でもあの娘、一体どこの娘なのかしら……?」


「はい、出来上がり!」
 ことん、と目の前に置かれた皿に、ケナは表情を輝かせた。綺麗な楕円の黄色い卵に、トマトソースがかかっている。側にあるブロッコリーが少しだけ気になるけれど、立派に綺麗なオムライス。
 ケナはひとしきり感激した後、小さな手に大きなスプーンを取った。
「いただきまーす!」
 元気に言って、いや叫んで卵にスプーンを入れる。ほかほかと湯気と共に顔を覗かせるチキンライス。トマトソースと卵と一緒に口に入れる。
 ケナの輝いていた目が一層、きらきらと輝いた。
「おいしーい! フィーナちゃん、ありがとう!」
「あはは、ブロッコリー残すんじゃないわよ?」
「はーい」
 そう答えた後はもう、すっかりオムライスに夢中だ。ときどきこぼすのが危なっかしいが、まあ、愛嬌というやつである。
 その娘を見て、逆に溜め息を吐いたのは、対面に座っていたアレイアだ。だが、それは非難するような溜め息ではなく、仕方のない娘を呆れながら見守るような眼差しだった。
 ふと、気が付いたように自分の分と彼女の分の食事を運んでくるフィーナに視線を向ける。
「すまないな。すっかりケナが世話になってる」
「別にー。それに世話になってるのはこっちだし。何も気にしてないわよ」
 そう言って彼女はからっと笑った。テーブルに二人分の、ケナのものより些か大きめに作られたオムライスが置かれた。ケナがめざとくそれを見つける。
「あー、ずるいー! おとーさんとフィーナちゃんのの方が大きいー!」
「こら、ケナ!」
「それ全部食べて、ブロッコリーも全部食べたら私の分けてあげる」
「う……」
「もう一つだけ食べて、『ブロッコリー食べたー』なんて言わせないわよ。全部! だからね」
「うー、フィーナちゃんひどいー、ばかー、おにー」
「鬼でもないし、馬鹿でもない! 出されたものを手付かず残す方が、よっぽど酷いわよ!」
 文句を言いつつも、皿にもっとブロッコリーが増えるのは避けたいケナはしぶしぶと手を引っ込める。スプーンの代わりにフォークを取ると、オムライスの脇にちょこんと邪魔をする緑の物体に突き刺す。
 目に涙を溜めながら、鼻を摘んでぱくりと一口で飲み込んだ。すぐにジュースを流し込む。
 何回か繰り返すと、皿の上からブロッコリーはすべて駆逐された。
「ん、んー、ぷはぁ! 食べたよ、フィーナちゃん!」
「よし、偉い! じゃあ、あとでちょっとだけね。デザートもあるからお腹残しておくのよ」
「デザート!? わーい、デザート! 今日は何?」
「知らないなー。ケナちゃんがちゃんと全部食べたら出てくるわよ」
「うん!」
 頷いてケナは再びオムライスの解体に取り掛かった。急がなくても、きちんと食べればちゃんとデザートが出てくることを彼女は知っているのだ。
 素直に嫌いなものを口に入れた娘に、アレイアは感嘆の息を吐く。
「やっぱりすごいな、フィーナ。子供の世話の才能あるんじゃないか?」
「まさか。ここ半月でコツを覚えただけよ。アレイアが甘やかしすぎるだけでしょ」
「……耳に痛いな」
 頬に汗を掻きながら、アレイアは笑い返す。
 自分の席に着いた彼女は、小皿に後でケナの分となるだけのオムライスを自分の皿から取り分けてから、自分のものに手を付け始める。
 それを見届けてから、アレイアも自分の前に置かれた皿に手を伸ばした。
「……フィーナ」
「? 何?」
「……本当に、ありがとな」
「?」
 彼女は何に礼を言われたのか解っていなかった。身勝手だが、それで良かった。
 怪訝そうに眉間に皺を寄せる彼女だが、一瞬後にはケナに話し掛けられてその表情も瓦解する。二人の戯れに、もう一度柔らかく微笑んでから、アレイアはスプーンを手に取った。


「……南方の蛮族が駆逐された?」
「はい」
 ラーシャは今しがた持ち越された報せに眉を潜めた。
「エイロネイアか?」
「解りません。ついでに近辺に放置されていた砦が一つ、占拠されたようです」
「そうか……」
 ほ、と溜め息を吐く。戦争がある限り、その戦火から落ちぶれて、いや道を外す者は必ずいる。彼らは蛮族となって村や町を荒らす者が多い。
 今しがた入った報せは、シンシアとエイロネイアの境にあり、蛮族の紛争地帯となりつつある区域の話だった。ゼルゼイルという土俵から見れば、極僅かな土地ではあるが、無視の出来るものでもない。
 だが、先の戦で複数の蛮族の群れが網羅するようになり、シンシアもあえなく手を引いた土地でもあった。
 その蛮族が、駆逐されたというのだ。
「近くい兵を置くわけにも行きませんので……しかし、一帯で見られていた蛮族が見られなくなりました。すべて解散したという噂もあります」
「噂を鵜呑みには出来ないが……本当なのか?」
「放置した砦に、人の出入りはあるらしいのですが……」
「エイロネイアの者か?」
「まだ、確認中です」
「そうか。確認出来次第、伝えてくれ」
「了解しました」
 完結に答えたラーシャに、諜報兵は敬礼をして執務室を出て行く。
 前線の要塞内に設けられた簡易の執務室には、余計なものは一切ない。デスクと水場くらいのものだ。しかし、節制を好むラーシャにとってはある種、心地良い空間だった。曇り空の暗い光の差す一室で、ラーシャは深呼吸を漏らす。
「……蛮族を駆逐。やはり、エイロネイアの手の者でしょうか」
「おそらくな。シンシアが手を引いたのを見て、掃討にかかったのだろう」
「しかし、あの土地にはエイロネイアも手を焼いていたはずでは?」
 隣のデスクで山のような書簡を読み漁っていたデルタが問う。ラーシャは少し考えて、椅子から立ち上がり、窓辺に立った。
「……三つ巴よりも、対戦の方が些か楽だ。我々には割ける戦力もなかったが、エイロネイアにはあるだろう」
「死人と、獣の話、ですか……」
「ああ、不快だが」
 不快だが、ある意味、こちらも同罪のことをやろうとしている。
 きり――ッ、とラーシャは唇を噛んだ。他に術があるはずもない。もう何度も逡巡し、諦めた問いだ。
 大丈夫、ルナ殿ならば、上手くやってくれはずだ――。
 大陸で交友を持った彼女を見て、彼女が言う言葉ならば任せられようと思っていた。けれど、この事態。
 ルナだけではない。カノンも、レンも。未だに行方が知れないのだ。
 一刻も早く、エイロネイアを押さえ込まねばならないのに。
 ラーシャは首を振る。皆、頑張っている。魔道師も、シリアやアルティオ、それに勿論シェイリーンやシンシアの同士たちとて精一杯のことをやっているのだ。急ぐのはいい。だが焦ってはならない。
 窓の外に薄暗い雲と荒野が見える。戦争が始まって、この土地はどれだけ荒れたのだろう。空はいつも曇っているように見えるし、たくさんの血を吸った大地は、またラーシャも知らない昔のように肥沃を取り戻すことが出来るのだろうか。
「ラーシャ様?」
「……また、大戦が起きるな」
「……」
 前線の状況は芳しくない。先の戦は貴族院がシェイリーンを押し切って決行した侵攻戦だった。しかし、それが破れ、決行したのは貴族院であっても責任は采配を握っていたシェイリーンに押し付けられる。矛盾もいいところだ。
 今度は防衛線になる。
 エイロネイアはシンシアほど兵を消費していない。足場は前回同様、向こうが不利だろうが、だからこそこの機に進軍してくるはずだ。
 ラーシャの帰還により、兵の士気は徐々に回復しつつある。だが、どれほどかも知れない兵力差は恐ろしい。
 次の戦は近い。せめて、それまでに抵抗手段が見つけられていれば――。
 いや、これは贅沢だ。魔道の研究には、本来膨大な時間と資料と人が必要になる、と教わったばかりだ。
 ならば、ラーシャの仕事は、ここで進軍を食い止めること。それだけだった。
「ラーシャ様」
「すまない。私がこんなことでは駄目だな。兵の士気にも影響する」
「いえ。……顔色が優れません。残りの仕事は片付けて置きますから、少し休憩してきてはどうですか?」
 ばさり、と書類の束を持ち上げてデルタが言い放つ。
「出来るわけがないだろう。お前に仕事を押し付けようとは……」
「いいから、休憩を取ってください。私が倒れても、軍事にはそれほど影響しないでしょうが、貴方が倒れればそれこそシンシアは危機を迎えるんです」
 ラーシャはデルタの強情をよく知っていた。一目見ただけでは静かな印象のある彼だが、その実、かなり強情で一本気だ。こう、と言い出したら聞く耳すら持たない。
「……わかった。しかし、デルタ」
「はい?」
「お前も倒れるほどに無理はするな、魔道部隊の指揮は私では些か役者不足。お前にいて貰わねば困る」
「……」
 デルタはしばし、言葉を切った。瞑目して、やがて彼にしては珍しい労わるような笑みを口元に浮かべた。
「……はい。光栄です」
 いつも構えなくとも良い、と言っているのに、礼儀のスタンスを崩さないデルタに、ラーシャはこっそりと溜め息を吐く。
 もう一度、ペンを持った彼に礼を言って、ラーシャは帯剣して部屋を出た。


 肌寒い風だ。子供の頃は、こんなに風が冷たいものだとは思わなかったのに。
 砦の最上、屋上の石段に登り、通り過ぎた風に羽織ったマントで腕を庇いながら、ラーシャはふと考える。
 以前のゼルゼイルは、こんな天候ではなかったという。極めて温暖な気候で、晴れ空が続くような。
 なのに、急な気象変化で今では曇り空が定番。太陽がなくなったわけではない。それでも、冷夏が毎年のように続くようになった。
 ――戦を続け、血を流す者への……罰なのかな、これは。
 ふ、と自嘲気味に笑って、ラーシャは屋上に出た。
 先ほどの窓辺以上に、戦場となるだろう荒野が見渡せる。
「……」
 最後に眺望が美しいと感じたのは、いつだっただろうか。いつのまにか、景色はいつも灰色を被ってしまったような気がする。
 姉がいなくなったあの日から、甘える人間のいなくなったあの日から――?
 いや、違う。
 ごそり、とラーシャは懐を弄った。手に当たる、優しい土の温もりを抜き出した。
 オカリナだ。
「……本当に、駄目な人間だな、私は」
 何かに、誰かに縋らないと生きていけないのか。
 元々、ラーシャに楽才などなかった。姉がいなくなったあと、寂しさに泣いて暮らしていたラーシャの心を慰めたのが、初めて聞くオカリナの音だった。
 後で知ったことだが、戦場に音楽を、楽器を持ち込む兵士は実は多い。楽器さえ、いや、音さえあれば楽しめる音楽というものは、戦場に立つ者に許された数少ない娯楽であったからだ。
 そして、慰められたと思ったのに。
 ラーシャに初めてオカリナの音を説いてくれた人も、やがて彼女の前から消えて。
 また、景色は灰色になった。
 結局は甘えてばかりなのだ。最初は姉に、次はその人に。今も、きっとそこから抜け出せてはいないのだろう。理由に縋って、何とかこの場所に立って、重い枷に耐えているだけ。
「……」
 だが、人は成長する。いつかは、一人の力で立たなくてはならない。
 ラーシャは曲がりなりにもこの国の指導者に認められ、中将という地位を手に入れた。けして万人に与えられるわけではない、数少ないチャンスを手にしているのだ。
 義務も、権利も、手の中にある。
 だから、剣を振るわなくてはならない。自分の力で。
 オカリナの側面についた、不自然な傷をなぞる。
 折れそうな決意を、奮い立たせながら、もう一度まっすぐに戦場を見渡す。この地を、この国を、終わらせたくはない。
 いや、それは正しくない。ラーシャはまだスタートにも至っていない。この国を、変えるスタートにすら立っていないのだ。
 悲観は、早すぎると、言ったばかり。
「そうだな。死ぬときは」
 この景色が、美しく見えていればいい。
「――?」
 不意に、耳慣れた音が聞こえた。優しく、耳に木霊する土の音色。ラーシャが初めて覚えた楽の音。かすかだが、確かに、耳に届いた。
 少しだけ驚く。音の源を探してみようにも、風の具合でどこから聞こえているのか解らない。分からないが、ラーシャのものではないこの音色を聞くのは、実は初めてではなかった。
 戦の度に、時折、ギターや鈴の音に混じって、かすかに響いて来るオカリナの音。
 戦の最中で、音楽に束の間の休息を求める者は、何もラーシャだけではない。誰が吹いているかも分からないが、その者も、戦に立つべき者なのだろう。
 もうじき始まる新たな戦に、戦意を奮い立たせているのか。あるいは、暗く寒い戦場に折れそうな自らの心を慰めているのか。あるいは……
「……悲しいな」
 こんなにも、人を追い詰めているのは同じはずの人なのだ。
 ラーシャはオカリナの吹き口を、唇まで持ち上げる。二、三度、空吹きしてから、気の早いレクイエムを奏で返した。
 かすかに耳に響いて来るオカリナが、ふと止まる。
 しばらく間を置いて、その音は、ラーシャのオカリナに合わせるように同じ旋律を紡ぎ出した。
 少しだけ寒い風と共に、ほんの短いレクイエムが、戦場を駆けた。
 戦は、もうすぐそこだった。



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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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