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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE1
監獄の国・ゼルゼイル入国。さあ、奈落に落ちるのは誰になる?
監獄の国・ゼルゼイル入国。さあ、奈落に落ちるのは誰になる?
泣いている声が聞こえる。
まだ小さな、小さな子供の声。
子供が泣く理由など些細なこと。お気に入りの玩具がたまたま見当たらないだけでも、母親が少し席を立ってしまっただけでも、寂しさと不安に涙を流す。
不安なのだ。
お気に入りの玩具も、母親も、優しくしてくれる手も。
不意に、どこかにいなくなってしまうのではないかと。
いきなり、自分ひとりだけが取り残されてしまうのではないかと。
不安で、不安で、仕方なくて、子供は泣く。
泣けば泣くほどに、その妄想は現実味を帯びて。
そうして、泣きじゃくる小さな頭に、そっと添えられる手に気づくまで、泣き止まない。
ああ、そうだ。あのときも。
泣いていた私は、すっと添えられた手で泣き止んだ。
「―――ふぇ?」
「どうしたの?」
「ぅ、ぅえ、ぇ…………」
今、思えば情け無いものだ。気紛れに見えた虹に、自宅の石畳を駆け出そうとして、躓いた。それだけのこと。
けれど、擦り剥いた足の痛みに堪えきれなくて、泣いていた。
頭を撫でてくれた姉は、すぐにそれに気がついて、仕方なさそうな溜め息を一つ吐いたのだ。
「しょうがないなぁ、そんなことで泣いちゃダメじゃない」
「ぅぇ、ぇ……でもぉ…」
「こんなので泣かないの。お姉ちゃんも貴女も、すごく強いお父さんの娘なんだよ?
だからこんなことでないちゃダメ。強い子になれないよ?」
「うっ、ぐすっ…………うん」
泣きながら頷いた。
その返事に、姉はにこりと笑って、擦り剥いた足に二枚の絆創膏を張ってくれた。
それはほんの些細なこと。
些細なことで泣いてしまう、弱虫だった私が泣いてるときは、必ず姉が来てくれて、慰めて、宥めてくれた。そんな姉に甘えて、甘えて、私はいつもようやく泣き止むのだ。
そんな些細な愛情。
当然のように与えられていた無償の愛情。
けれど、それは―――
酷く懐かしい夢を見た。………気がする。
瞼の裏に暗闇が戻ってきて、頭の中が冴えていく目覚めの感覚を覚えたときには、もう既に先ほどまで頭に描いていたはずの夢の内容は消え失せてしまっていた。目を閉じたまま、逡巡して思い出そうとはするのだが、どうにも上手くいかない。
仕方なく、早々に諦めて、ラーシャ=フィロ=ソルトは瞳を開く。
かすかにゆらゆらと揺れる天井が目に入った。別に地震でも何でもない。ここは今、海の上なのだから、揺れるのは当たり前なのである。
しばらくの間、数回、目を瞬かせて目が、頭が完全に冴えるのを待つ。
天井の木目の途切れが明確になって、しばし。長い息を吐いた彼女は、ようやく簡素なベッドの上から身を起こす。同時にノックの音がした。控えめな音だった。
「ラーシャ様、そろそろノール港に着くそうです」
ドアは閉められたままで、向こうから生真面目な少年の声がした。
「ああ、分かった。ありがとう。客人たちにもご連絡申し上げてくれ」
「皆様、甲板にいらっしゃいます。支度をお急ぎください」
「……すまない。すぐに行く」
言葉を返すと、少年の気配はすぐにドアの前から消える。微妙な揺れの中を立ち上がって、椅子にかけて置いた上着を手に取った。
ゼルゼイル北方王国シンシアの鷲の紋章が縫い付けられた、白の礼服。
「……」
これを纏うようになってから、どれほど経っただろう。
年数にしたら、きっと鼻で笑われるほどかもしれない。だが、ラーシャにしてみれば、もう随分と長くこの枷を纏い続けていたような気がする。
けれど。
どんな重い枷でも構わない。
その枷が、あの灰色の国を豊かな優しい国へ導けるというのなら。
どれだけ手が汚れても。
この誓いは忘れない。
今一度、深呼吸をした。髪を掻き揚げて、礼服を着込んで。立てかけていた一振りの長剣を手に取って、顔を上げた。
Death Player Hunterカノン
―ゼルゼイルの旅路―
――――――――――――――――――――――――――――――――― The viewpoint of Kanon…
海上の風は肌寒い。
今日のように些か天気の悪い日なら、尚更。
どんより、というわけでもないが、灰色の雲の広がる空はお世辞にも天気が良いとは言い難い。
暗い空模様に、クオノリアからはあんなに青く見えていた清々しい海が、酷く黒く澱んだ波に見えた。やや高い波が、船体に当たる度に、ざぷん、さぷんと音を立てる。
……ということは、風も寒いと同時に少し強いわけで。小型の帆船というものは、その微風にめっぽう弱かったりするもので。
「……」
「……えーと、シリア……。とりあえず、大丈夫?」
日頃、何だかんだといちゃもんを付けられる相手でも、さすがに甲板で長時間、突き出した梁に掴まった状態で動かない人間がいると心配になってくるわけで。
「水とかいる? 持ってくるけど?」
「………~~~っ」
「……えーと、何?」
明らかに血の気の引いた、らしくない真っ青な顔で、ぼそぼそと喋るのだが、言葉にも声にもなっていないので何と言っているのかまったく分からない。
……何故か睨まれているのは分かるのだけれど。
「――ッ! ~~~ッ!!」
「え、えーと……」
口元をハンカチで押さえながら呻かれても分からないものは分からない。甲板でマストに寄りかかりながら寛いでいたレンが、見かねて傍らにいた大男の肩を叩く。
「通訳しろ」
「『随分と余裕じゃないの、敵に塩を送るつもりね! けれどこれしきのことで勝ったと思うんじゃないわ!』……とか?」
すらすらと言ったアルティオの台詞に、蹲ったままのシリアは賢明に頷いた。が、その振動でまた気分が悪くなったらしく、ますます身体を折って、
「だーッ! 待て、お前! こんなところで吐くなッ! 吐くなら海にやれ、海にッ!」
慌てたアルティオが、蹲る彼女を立ち上がらせて甲板に引き摺っていく。
何となく可哀相なので、カノンも申し訳程度にその背中を摩ってやる。
「しかし、アルティオ。あんた、良く分かるわね……」
「いや、まあ、付き合い長いからなぁ……」
「頭が足りない者同士でフィーリングが合うだけの話じゃないか?」
「うっわ、酷」
―――少しは心配してやれよ、嘘でも形だけでも良いから。
相手が船酔いでも、彼は容赦がなかった。まあ、この状況は、普段シリアに最も迷惑を被っている彼にとっては束の間の安息なのかもしれない。
「で、シリア。大丈夫?」
「……ッ、はーッ、はー……。
ふっ、カノン。これで勝ったと思わないことね……弱点の一つや二つ、曝したところでこの私の可憐さに傷はつかな……ッ
ぅ、うぇぇぇぇぇ……ッ」
「……気持ち悪くなるくらいなら無理して口上挙げんでも」
呆れて溜め息を一つ。
確かに、船は自分たちしか客がいないような小型の船。加えて天候も良くないとくれば、乗り物に弱い人間にとっては地獄なのだろう。
それほど船に乗った経験が豊富なわけではないが、確かに揺れは激しい方かもしれない。
かくいうカノンも、実は気分が良いわけではなかった。吐くほどではないけれど。
「あたし、水貰ってくるわ……」
「ああ、悪いな。頼む」
「~~~ッ! ―――ッ!」
「あー、いいから。塩送るだの何だの、別に考えて無いから。いいから黙って吐くだけ吐いときなさいよ……」
小さく首を振りながら、船縁を離れようとするカノンになおも何か言い募ろうとするシリア。
とりあえず、根性だけは認めておく。
力なく突っ込んで、踵を返し、船内へ戻ろうとして―――
「あ……」
別の方向にある甲板の船縁に、もたれ掛かっていた人物と目があった。こちらの視線に気が付くと、彼女ははっとして目を逸らす。
そして元のように、睨むような視線を暗い海へと送る。
「……ルナ」
「……」
へなへなとへたり込むシリアを、アルティオがきちんと介抱してくれているのを確認すると、カノンは少しだけ迷いながら彼女の隣へ肘をついた。
視線の先では、船体に当たる波がちゃぷんちゃぷん、と小さな音を立てているだけだ。
きっと、何も見ていないんだろう。
冷たい風に、髪に括られた羽飾りの白い羽が、寂しく靡いた。
「……大丈夫?」
「ん……まぁね」
ふと、聞いた声に彼女はひどく曖昧に頷いて、小さく笑った。大陸を出たときよりは、些か回復しているようだが、それでも声に覇気はなかった。
その横顔を覗き込んで、まだ迷いながら、けれど口を開いた。
「……あ、あのさ、ルナ」
「ん?」
「えと………あの、その……さ。イリーナ、さんのことだけど………」
「……」
その名前に、少しだけ彼女は反応を示す。けれど、結局はどこか生気の欠けた目で、波を追うのを止めようとはしなかった。
おそるおそる、カノンは小さな声で続きを口にする。
「えっと、あの……。
あ、あんたたちの間に、何があったのか、ってのは……大体、あたしでも理解してたつもりだけど。
見当違いのこと言ってたら、ごめん。
でも、あの、さ……たぶん、イリーナさん……。あんたと……あの男が、その、そういう仲だって、最初から気づいてたと思うんだよね……」
「……」
「あ、べ、別に、当人に聞いたわけじゃないしッ。これは、あたしのただの推測なんだけど……。
あんたやシリアは、あたしを鈍感とか何とか言うけど……。
その鈍感なあたしだって、薄っすらとは感付いてた、っていうか、そうじゃないかなー、くらいのことは思ってたから……。
だから、あたし以上にあんたやあの男のことを良く見て、知ってたイリーナさんが、きっとまったく知らないなんてことはなかったんじゃないかな、って……」
「……」
「………だから、たぶん……。ゼルゼイルとか、あのエイロネイアの皇太子だかいう奴とか。
そういうのが絡んだりしなければ、イリーナさんだって、納得してもらうのに時間はかかったかもしれないけど……あんたを、あんな風に憎んだりしなかったと思う。
最期は……きっと、後悔してたんだと思う。
あの男が、何で、何を思って、あんなことしたのかは分かんないけど……けど、ええと、何ていうか言いたいのは………」
きゅ、と眉根を寄せる幼馴染に、彼女はふ、と苦笑した。少しだけ、首を振る。身を起こして、仕方のない年下の妹を宥めるように、風に揺れる金の髪を撫でた。
癖のない髪は、さらりと掌を流れて棚引いた。
「……?」
「ありがとね。けど平気。敵を間違ったりはしないわよ。
あたしもイリーナも、もうちょっと何とかなったはず。何ともならなかったのは……あたしのせいなのか、あの皇太子のせいなのか、それとも、全部カシスが最初から仕組んでたのか……分からないし。
考えてもしょうがないことを、延々と考えるのもなし。
当人に会って、ちゃんと聞く。がたがた悩むのは、そこからよ」
「……」
がしがしと頭を撫でる手に、カノンはぎこちなく、しかし精一杯微笑んだ。それに応えるように、彼女も凍った表情で、けれど頑張って笑う。
暗い海が、またざぷん、と音を立てた。
かつん、かつんと船内への階段を上る音がして、カノンとルナはそちらを振り向いた。
生真面目に口を真一文字に結んだ、緑がかった銀の髪の少年―――デルタ=カーマインが、甲板の床板を跨いだ。そうして無表情に辺りを見渡す。
「デルタ……」
「……皆さん、お揃いですか?」
「うん、まあ。そっちの上官様は?」
「すぐに甲板に来るそうです。それより、そろそろ港が見えてくる頃だそうです」
言い放ってデルタは、甲板を素通りして船先へ向かう。紫の法衣を正すと、すっ、と片手で船先の丸太が差している暗い海の先を示した。
そこに、はっ、と気が付く。
薄い霧の向こうに、黒い影が見える。
山の裾野が広がるようにして、大きな投影が、霧の中に鎮座している。浮かんで、いる。
地図上では何度か目にしていた。だが、所詮は丸い島の図が描かれているだけで、大した説明もなく、存在だけが記されていた島。
大陸人にとっては、あるようで、ないような。そんな存在だった島の国。
その無形の島が、目の前に広がっている。
「………あれが、」
「アルケミア海に浮かぶ南方大陸サウス・イルネシア、統一ゼルゼイル皇国。
……正確には、統一皇国と称していたのは、五十年前までですが」
些か、緊張を張った硬い声で、デルタが宣言する。カノンは彼と同じ、船先へ移動し、霧の中の大陸を見据えた。
地図で見るよりも、それは広大で、壁のようにそびえていて。
そして何故だか。
ここは、西方大陸よりも南に位置するはずなのに。
肌には鳥肌が立っていて。
「あれが、ゼルゼイルか……」
アルティオの吐き出した、感嘆とも、茫然ともつかない声に、カノンはいつの間にか口の中に溜まっていた固唾を飲み込んだ。
そして、全員を振り返る。
黒い島影から目を離した彼女に、小さく彼らは首を傾げた。その彼らの顔を、カノンは一人一人眺めていく。シリア、アルティオ、ルナ、―――そしてレン。
最後に相棒の姿を目に留めると、居住まいを正して、口を開く。
「……あたしは、戦争ってものを知らないわ」
「………」
「けれど、どんな規模にしろ、ろくでもないものだ、ってことは知ってる。かつての西方で行われた戦争が、今の時代に膨大な負債しか残さなかったようにね。
戦いも争いも知ってる。今まで、何人も………人を殺めたこともある。
……罪のない人間だっていた」
「……」
誰も茶々など入れなかった。静かに、彼女の次の言葉を待つ。
「だから―――そんなあたしが、言えるようなことじゃないのは、十分解ってる。
それぞれ、ここにいる理由は、いろいろあるんだと思う」
ふと、ルナが視線を落す。彼女だけではない。アルティオも、シリアも、忌々しげな視線を彼方に投げた。
「でもね」
カノンの声の、トーンが上がる。
その高らかな声が、全員の視線を上げさせた。
「あたしにとっては―――
どんな理由があろうと、あんたたちは、あたしの幼馴染で、大事な仲間なの」
「……カノン」
「あたしは戦えとも、勝てとも言わない。でも、これだけは守って、忘れないで」
「……」
全員が沈黙する。悲痛にすら等しい声で、彼女は紡ぐ。まっすぐに。
「―――生き残って、必ず」
それが、ただ一つの彼女の願いだった。
シンシアの勝利など願わない。エイロネイアの敗北など望まない。戦争の勝敗など、どうでもいいことだ。
けれど、ただ一つ、それだけは。
誰もが解っていた。体感したことなどないが、理屈では解っている。戦争は甘いものではない。
生きるときは生きて、死ぬときは死ぬ。それは、戦争でなくともそうだ。彼らが従事している他愛もない戦いさえ、その危険性を孕んでいる。
だから、彼女が言ったことは至極、今さらなことなのだけれど。
茶化す者は、誰一人いなかった。
「当たり前、だろ。そんなもん」
沈黙を破ったのは、アルティオの場違いな明るい声だった。真っ青な顔をしながらも、彼に支えられながら、シリアは無理に胸を突き出そうとして、込み上げる吐き気に身を折った。
「……お前さ。根性あるのも、自分のスタイルを貫こうとするのも嫌いじゃないけど、場合を考えようや」
「………ふっ、随分と弱気じゃない、カノン=ティルザード。その程度のことも解ってないと思われるなんて、この私も見くびられたもの……
うぅぅ……ッ」
「いや、だからさぁ」
アルティオでさえ呆れた声を出した。小さく溜め息を吐いてから、その脇を素通りして、ルナが曖昧な笑顔で進み出る。
「カノン。あんたが、そう心配するのも解らないではないけれど……。
別にあたしたちは、ゼルゼイルやシンシアやらに命を売りに来たんじゃないわ。そんなことを解っていない奴はいないわよ。心配しないで。ねぇ、レン?」
「……」
彼女がレンに話を振ったのは、おそらくわざとだった。彼はもたれていたマストから背中を離し、いつもの無表情を崩さないまま、相棒へと歩み寄る。
「レン……」
「……」
なおも不安を表情に浮かべたカノンの頭に、レンは無言で手を添えた。ん、とカノンは小さく声を漏らす。
「按ずるな。お前が心配することじゃあない」
「けど……」
「何度も生死を懸けた。ここにいる全員だ。けれど、死なずにここにいる。
―――それが、何よりの証拠だとは思わないか?」
「…………うん」
逡巡を繰り返し、その果てに顔を上げて、カノンは頷いた。その彼女の頭を、レンはまた数回撫でる。
何度も失いかけた温もりだった。けれど、まだここにある。
力も、戦うための武器も、仲間もある。
だから、きっと全力で守ることが出来る。
カノンはもう一度、全員の顔を見渡した。苦笑を浮かべながら、自信に満ちた笑みを浮かべながら、それぞれに、彼らは頷いた。
しゃきんッ
小さな金属音。カノンが、腰に下げていたクレイ・ソードを抜く音だった。その切っ先を、黒々と佇む島影に向ける。
霧を切り裂いて、その刃は、銀に気高く光を放った。
「……行ってやろうじゃないの。覚悟しなさいよ……ッ」
得体の知れない闇の中、くすくすと上がる笑い声。剣はすべて、その闇を払うために。
←STORY3へ
まだ小さな、小さな子供の声。
子供が泣く理由など些細なこと。お気に入りの玩具がたまたま見当たらないだけでも、母親が少し席を立ってしまっただけでも、寂しさと不安に涙を流す。
不安なのだ。
お気に入りの玩具も、母親も、優しくしてくれる手も。
不意に、どこかにいなくなってしまうのではないかと。
いきなり、自分ひとりだけが取り残されてしまうのではないかと。
不安で、不安で、仕方なくて、子供は泣く。
泣けば泣くほどに、その妄想は現実味を帯びて。
そうして、泣きじゃくる小さな頭に、そっと添えられる手に気づくまで、泣き止まない。
ああ、そうだ。あのときも。
泣いていた私は、すっと添えられた手で泣き止んだ。
「―――ふぇ?」
「どうしたの?」
「ぅ、ぅえ、ぇ…………」
今、思えば情け無いものだ。気紛れに見えた虹に、自宅の石畳を駆け出そうとして、躓いた。それだけのこと。
けれど、擦り剥いた足の痛みに堪えきれなくて、泣いていた。
頭を撫でてくれた姉は、すぐにそれに気がついて、仕方なさそうな溜め息を一つ吐いたのだ。
「しょうがないなぁ、そんなことで泣いちゃダメじゃない」
「ぅぇ、ぇ……でもぉ…」
「こんなので泣かないの。お姉ちゃんも貴女も、すごく強いお父さんの娘なんだよ?
だからこんなことでないちゃダメ。強い子になれないよ?」
「うっ、ぐすっ…………うん」
泣きながら頷いた。
その返事に、姉はにこりと笑って、擦り剥いた足に二枚の絆創膏を張ってくれた。
それはほんの些細なこと。
些細なことで泣いてしまう、弱虫だった私が泣いてるときは、必ず姉が来てくれて、慰めて、宥めてくれた。そんな姉に甘えて、甘えて、私はいつもようやく泣き止むのだ。
そんな些細な愛情。
当然のように与えられていた無償の愛情。
けれど、それは―――
酷く懐かしい夢を見た。………気がする。
瞼の裏に暗闇が戻ってきて、頭の中が冴えていく目覚めの感覚を覚えたときには、もう既に先ほどまで頭に描いていたはずの夢の内容は消え失せてしまっていた。目を閉じたまま、逡巡して思い出そうとはするのだが、どうにも上手くいかない。
仕方なく、早々に諦めて、ラーシャ=フィロ=ソルトは瞳を開く。
かすかにゆらゆらと揺れる天井が目に入った。別に地震でも何でもない。ここは今、海の上なのだから、揺れるのは当たり前なのである。
しばらくの間、数回、目を瞬かせて目が、頭が完全に冴えるのを待つ。
天井の木目の途切れが明確になって、しばし。長い息を吐いた彼女は、ようやく簡素なベッドの上から身を起こす。同時にノックの音がした。控えめな音だった。
「ラーシャ様、そろそろノール港に着くそうです」
ドアは閉められたままで、向こうから生真面目な少年の声がした。
「ああ、分かった。ありがとう。客人たちにもご連絡申し上げてくれ」
「皆様、甲板にいらっしゃいます。支度をお急ぎください」
「……すまない。すぐに行く」
言葉を返すと、少年の気配はすぐにドアの前から消える。微妙な揺れの中を立ち上がって、椅子にかけて置いた上着を手に取った。
ゼルゼイル北方王国シンシアの鷲の紋章が縫い付けられた、白の礼服。
「……」
これを纏うようになってから、どれほど経っただろう。
年数にしたら、きっと鼻で笑われるほどかもしれない。だが、ラーシャにしてみれば、もう随分と長くこの枷を纏い続けていたような気がする。
けれど。
どんな重い枷でも構わない。
その枷が、あの灰色の国を豊かな優しい国へ導けるというのなら。
どれだけ手が汚れても。
この誓いは忘れない。
今一度、深呼吸をした。髪を掻き揚げて、礼服を着込んで。立てかけていた一振りの長剣を手に取って、顔を上げた。
Death Player Hunterカノン
―ゼルゼイルの旅路―
――――――――――――――――――――――――――――――――― The viewpoint of Kanon…
海上の風は肌寒い。
今日のように些か天気の悪い日なら、尚更。
どんより、というわけでもないが、灰色の雲の広がる空はお世辞にも天気が良いとは言い難い。
暗い空模様に、クオノリアからはあんなに青く見えていた清々しい海が、酷く黒く澱んだ波に見えた。やや高い波が、船体に当たる度に、ざぷん、さぷんと音を立てる。
……ということは、風も寒いと同時に少し強いわけで。小型の帆船というものは、その微風にめっぽう弱かったりするもので。
「……」
「……えーと、シリア……。とりあえず、大丈夫?」
日頃、何だかんだといちゃもんを付けられる相手でも、さすがに甲板で長時間、突き出した梁に掴まった状態で動かない人間がいると心配になってくるわけで。
「水とかいる? 持ってくるけど?」
「………~~~っ」
「……えーと、何?」
明らかに血の気の引いた、らしくない真っ青な顔で、ぼそぼそと喋るのだが、言葉にも声にもなっていないので何と言っているのかまったく分からない。
……何故か睨まれているのは分かるのだけれど。
「――ッ! ~~~ッ!!」
「え、えーと……」
口元をハンカチで押さえながら呻かれても分からないものは分からない。甲板でマストに寄りかかりながら寛いでいたレンが、見かねて傍らにいた大男の肩を叩く。
「通訳しろ」
「『随分と余裕じゃないの、敵に塩を送るつもりね! けれどこれしきのことで勝ったと思うんじゃないわ!』……とか?」
すらすらと言ったアルティオの台詞に、蹲ったままのシリアは賢明に頷いた。が、その振動でまた気分が悪くなったらしく、ますます身体を折って、
「だーッ! 待て、お前! こんなところで吐くなッ! 吐くなら海にやれ、海にッ!」
慌てたアルティオが、蹲る彼女を立ち上がらせて甲板に引き摺っていく。
何となく可哀相なので、カノンも申し訳程度にその背中を摩ってやる。
「しかし、アルティオ。あんた、良く分かるわね……」
「いや、まあ、付き合い長いからなぁ……」
「頭が足りない者同士でフィーリングが合うだけの話じゃないか?」
「うっわ、酷」
―――少しは心配してやれよ、嘘でも形だけでも良いから。
相手が船酔いでも、彼は容赦がなかった。まあ、この状況は、普段シリアに最も迷惑を被っている彼にとっては束の間の安息なのかもしれない。
「で、シリア。大丈夫?」
「……ッ、はーッ、はー……。
ふっ、カノン。これで勝ったと思わないことね……弱点の一つや二つ、曝したところでこの私の可憐さに傷はつかな……ッ
ぅ、うぇぇぇぇぇ……ッ」
「……気持ち悪くなるくらいなら無理して口上挙げんでも」
呆れて溜め息を一つ。
確かに、船は自分たちしか客がいないような小型の船。加えて天候も良くないとくれば、乗り物に弱い人間にとっては地獄なのだろう。
それほど船に乗った経験が豊富なわけではないが、確かに揺れは激しい方かもしれない。
かくいうカノンも、実は気分が良いわけではなかった。吐くほどではないけれど。
「あたし、水貰ってくるわ……」
「ああ、悪いな。頼む」
「~~~ッ! ―――ッ!」
「あー、いいから。塩送るだの何だの、別に考えて無いから。いいから黙って吐くだけ吐いときなさいよ……」
小さく首を振りながら、船縁を離れようとするカノンになおも何か言い募ろうとするシリア。
とりあえず、根性だけは認めておく。
力なく突っ込んで、踵を返し、船内へ戻ろうとして―――
「あ……」
別の方向にある甲板の船縁に、もたれ掛かっていた人物と目があった。こちらの視線に気が付くと、彼女ははっとして目を逸らす。
そして元のように、睨むような視線を暗い海へと送る。
「……ルナ」
「……」
へなへなとへたり込むシリアを、アルティオがきちんと介抱してくれているのを確認すると、カノンは少しだけ迷いながら彼女の隣へ肘をついた。
視線の先では、船体に当たる波がちゃぷんちゃぷん、と小さな音を立てているだけだ。
きっと、何も見ていないんだろう。
冷たい風に、髪に括られた羽飾りの白い羽が、寂しく靡いた。
「……大丈夫?」
「ん……まぁね」
ふと、聞いた声に彼女はひどく曖昧に頷いて、小さく笑った。大陸を出たときよりは、些か回復しているようだが、それでも声に覇気はなかった。
その横顔を覗き込んで、まだ迷いながら、けれど口を開いた。
「……あ、あのさ、ルナ」
「ん?」
「えと………あの、その……さ。イリーナ、さんのことだけど………」
「……」
その名前に、少しだけ彼女は反応を示す。けれど、結局はどこか生気の欠けた目で、波を追うのを止めようとはしなかった。
おそるおそる、カノンは小さな声で続きを口にする。
「えっと、あの……。
あ、あんたたちの間に、何があったのか、ってのは……大体、あたしでも理解してたつもりだけど。
見当違いのこと言ってたら、ごめん。
でも、あの、さ……たぶん、イリーナさん……。あんたと……あの男が、その、そういう仲だって、最初から気づいてたと思うんだよね……」
「……」
「あ、べ、別に、当人に聞いたわけじゃないしッ。これは、あたしのただの推測なんだけど……。
あんたやシリアは、あたしを鈍感とか何とか言うけど……。
その鈍感なあたしだって、薄っすらとは感付いてた、っていうか、そうじゃないかなー、くらいのことは思ってたから……。
だから、あたし以上にあんたやあの男のことを良く見て、知ってたイリーナさんが、きっとまったく知らないなんてことはなかったんじゃないかな、って……」
「……」
「………だから、たぶん……。ゼルゼイルとか、あのエイロネイアの皇太子だかいう奴とか。
そういうのが絡んだりしなければ、イリーナさんだって、納得してもらうのに時間はかかったかもしれないけど……あんたを、あんな風に憎んだりしなかったと思う。
最期は……きっと、後悔してたんだと思う。
あの男が、何で、何を思って、あんなことしたのかは分かんないけど……けど、ええと、何ていうか言いたいのは………」
きゅ、と眉根を寄せる幼馴染に、彼女はふ、と苦笑した。少しだけ、首を振る。身を起こして、仕方のない年下の妹を宥めるように、風に揺れる金の髪を撫でた。
癖のない髪は、さらりと掌を流れて棚引いた。
「……?」
「ありがとね。けど平気。敵を間違ったりはしないわよ。
あたしもイリーナも、もうちょっと何とかなったはず。何ともならなかったのは……あたしのせいなのか、あの皇太子のせいなのか、それとも、全部カシスが最初から仕組んでたのか……分からないし。
考えてもしょうがないことを、延々と考えるのもなし。
当人に会って、ちゃんと聞く。がたがた悩むのは、そこからよ」
「……」
がしがしと頭を撫でる手に、カノンはぎこちなく、しかし精一杯微笑んだ。それに応えるように、彼女も凍った表情で、けれど頑張って笑う。
暗い海が、またざぷん、と音を立てた。
かつん、かつんと船内への階段を上る音がして、カノンとルナはそちらを振り向いた。
生真面目に口を真一文字に結んだ、緑がかった銀の髪の少年―――デルタ=カーマインが、甲板の床板を跨いだ。そうして無表情に辺りを見渡す。
「デルタ……」
「……皆さん、お揃いですか?」
「うん、まあ。そっちの上官様は?」
「すぐに甲板に来るそうです。それより、そろそろ港が見えてくる頃だそうです」
言い放ってデルタは、甲板を素通りして船先へ向かう。紫の法衣を正すと、すっ、と片手で船先の丸太が差している暗い海の先を示した。
そこに、はっ、と気が付く。
薄い霧の向こうに、黒い影が見える。
山の裾野が広がるようにして、大きな投影が、霧の中に鎮座している。浮かんで、いる。
地図上では何度か目にしていた。だが、所詮は丸い島の図が描かれているだけで、大した説明もなく、存在だけが記されていた島。
大陸人にとっては、あるようで、ないような。そんな存在だった島の国。
その無形の島が、目の前に広がっている。
「………あれが、」
「アルケミア海に浮かぶ南方大陸サウス・イルネシア、統一ゼルゼイル皇国。
……正確には、統一皇国と称していたのは、五十年前までですが」
些か、緊張を張った硬い声で、デルタが宣言する。カノンは彼と同じ、船先へ移動し、霧の中の大陸を見据えた。
地図で見るよりも、それは広大で、壁のようにそびえていて。
そして何故だか。
ここは、西方大陸よりも南に位置するはずなのに。
肌には鳥肌が立っていて。
「あれが、ゼルゼイルか……」
アルティオの吐き出した、感嘆とも、茫然ともつかない声に、カノンはいつの間にか口の中に溜まっていた固唾を飲み込んだ。
そして、全員を振り返る。
黒い島影から目を離した彼女に、小さく彼らは首を傾げた。その彼らの顔を、カノンは一人一人眺めていく。シリア、アルティオ、ルナ、―――そしてレン。
最後に相棒の姿を目に留めると、居住まいを正して、口を開く。
「……あたしは、戦争ってものを知らないわ」
「………」
「けれど、どんな規模にしろ、ろくでもないものだ、ってことは知ってる。かつての西方で行われた戦争が、今の時代に膨大な負債しか残さなかったようにね。
戦いも争いも知ってる。今まで、何人も………人を殺めたこともある。
……罪のない人間だっていた」
「……」
誰も茶々など入れなかった。静かに、彼女の次の言葉を待つ。
「だから―――そんなあたしが、言えるようなことじゃないのは、十分解ってる。
それぞれ、ここにいる理由は、いろいろあるんだと思う」
ふと、ルナが視線を落す。彼女だけではない。アルティオも、シリアも、忌々しげな視線を彼方に投げた。
「でもね」
カノンの声の、トーンが上がる。
その高らかな声が、全員の視線を上げさせた。
「あたしにとっては―――
どんな理由があろうと、あんたたちは、あたしの幼馴染で、大事な仲間なの」
「……カノン」
「あたしは戦えとも、勝てとも言わない。でも、これだけは守って、忘れないで」
「……」
全員が沈黙する。悲痛にすら等しい声で、彼女は紡ぐ。まっすぐに。
「―――生き残って、必ず」
それが、ただ一つの彼女の願いだった。
シンシアの勝利など願わない。エイロネイアの敗北など望まない。戦争の勝敗など、どうでもいいことだ。
けれど、ただ一つ、それだけは。
誰もが解っていた。体感したことなどないが、理屈では解っている。戦争は甘いものではない。
生きるときは生きて、死ぬときは死ぬ。それは、戦争でなくともそうだ。彼らが従事している他愛もない戦いさえ、その危険性を孕んでいる。
だから、彼女が言ったことは至極、今さらなことなのだけれど。
茶化す者は、誰一人いなかった。
「当たり前、だろ。そんなもん」
沈黙を破ったのは、アルティオの場違いな明るい声だった。真っ青な顔をしながらも、彼に支えられながら、シリアは無理に胸を突き出そうとして、込み上げる吐き気に身を折った。
「……お前さ。根性あるのも、自分のスタイルを貫こうとするのも嫌いじゃないけど、場合を考えようや」
「………ふっ、随分と弱気じゃない、カノン=ティルザード。その程度のことも解ってないと思われるなんて、この私も見くびられたもの……
うぅぅ……ッ」
「いや、だからさぁ」
アルティオでさえ呆れた声を出した。小さく溜め息を吐いてから、その脇を素通りして、ルナが曖昧な笑顔で進み出る。
「カノン。あんたが、そう心配するのも解らないではないけれど……。
別にあたしたちは、ゼルゼイルやシンシアやらに命を売りに来たんじゃないわ。そんなことを解っていない奴はいないわよ。心配しないで。ねぇ、レン?」
「……」
彼女がレンに話を振ったのは、おそらくわざとだった。彼はもたれていたマストから背中を離し、いつもの無表情を崩さないまま、相棒へと歩み寄る。
「レン……」
「……」
なおも不安を表情に浮かべたカノンの頭に、レンは無言で手を添えた。ん、とカノンは小さく声を漏らす。
「按ずるな。お前が心配することじゃあない」
「けど……」
「何度も生死を懸けた。ここにいる全員だ。けれど、死なずにここにいる。
―――それが、何よりの証拠だとは思わないか?」
「…………うん」
逡巡を繰り返し、その果てに顔を上げて、カノンは頷いた。その彼女の頭を、レンはまた数回撫でる。
何度も失いかけた温もりだった。けれど、まだここにある。
力も、戦うための武器も、仲間もある。
だから、きっと全力で守ることが出来る。
カノンはもう一度、全員の顔を見渡した。苦笑を浮かべながら、自信に満ちた笑みを浮かべながら、それぞれに、彼らは頷いた。
しゃきんッ
小さな金属音。カノンが、腰に下げていたクレイ・ソードを抜く音だった。その切っ先を、黒々と佇む島影に向ける。
霧を切り裂いて、その刃は、銀に気高く光を放った。
「……行ってやろうじゃないの。覚悟しなさいよ……ッ」
得体の知れない闇の中、くすくすと上がる笑い声。剣はすべて、その闇を払うために。
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