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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[慟哭の月] EPISODE10
思えばそれが本音だったのかもしれない。
 
 
 

 無言で髪を拭いながら、憮然と腰掛けているのは、柔らかなシーツの敷かれたベッドの上だった。
 思えば、何でこんなことになっているのか。
「おい」
「わぷッ……」
 視界が布地で遮られる。もそもそと手を動かすと、晴れた視界に飛び込んで来たのはサイズの合わない大きなシャツだった。
「特別に貸してやる。ま、そのまんまがいいってなら止めねぇがな」
「……」
 皮肉に視線を逸らしながら、シャツのボタンを外し始める。癪には障るが、このままでいいわけがない。
 ベッドの上でルナは一枚毛布を被っている状態だった。その下は、下着一枚だ。雨のダメージで下着さえも湿っていて、本当はそれすら脱いだ方がいい状態だったのだが、さすがに女としての矜持が許さない。
 もそもそと毛布の下で着替え始める。その間、カシスは自分の濡れた上着とシャツを替えていた。
 ―――……婦女子と同じ部屋で着替え始めるか、普通。
 あまりのデリカシーのなさに、そう思いはしたものの、いきなり部屋に上がり込んだ身としては何も言えない。
 湿った服を投げ出した後、彼はちらりと、こちらに一瞥をくれて(着替え中に何を考えているのか、遠慮無しに睨みつけた)、部屋を出て行った。
 毛布の下で着替えるというのは、思いの他窮屈で、その隙に毛布を出て着替え始める。
 最後のボタンが止まった頃に、きぃ、とドアが開いた。
「……あんたね、着替えてるって解るんだからノックくらいはしなさいよ」
「どうせ下着なんか濡れて透けて、元から丸見えだったつーの」
「―――ッ!!」
「飲め」
 足でドアを閉めながら、右手を突き出してくる。持っていたのは湯気の立つマグカップだった。
 反射的に受け取ると、冷え切っていた指先に熱が戻ってきた。久方ぶりに与えられた温かさに、身体が震える。また涙腺が緩むのを堪えて、ルナは顔を隠すようにカップを傾けた。
 熱い液体が、舌の上に流れ込んで、
「―――・・・ん、ぅううッ!!?」
 あまりのえぐみと苦味にカップを口から放す。
 口を押さえて、何とか飲み込んで。ばっ、と面を上げると、カップを持ってきた張本人は備え付けの椅子の上で腹を抱えて笑い転げていた。
「えほッ、けほッ……―――カシスッ! 何淹れたのよッ、これッ!!」
「くッくッくッく、濃縮した複数の薬草のエキスをたっぷり使った薬草茶だ。ああ、多少だが東方の漢方も入ってる。苦さと濃さは一般の薬湯の三倍以上ッ、てな」
「先に言いなさいよッ! 思いっきり普通に飲んじゃったじゃないッ!!」
「何言ってやがる。最初に言ったら面白くねぇだろうが」
「~~~ッ、あんたねぇッ……!」
 ふぅ、と短い溜め息が漏れた。カシスが椅子から立ち上がると、立て付けの悪い小さな椅子はぎしり、と軋む。狭い部屋の中を一歩進み、ベッドに腰掛ける少女のこめかみに小さく唇を落とした。
「な……ッ!」
「まあ、我慢して飲んどけ。風邪の予防くらいにはなるだろ」
「……」
 ルナはしばらく、断りなく隣に腰掛けてくる彼を睨んでいたが、結局は従って鼻を摘みながら薬湯を口にし始めた。
 カシスはそれを確認すると、その隣で伸びをする。ベッド脇の魔術書に手を伸ばすと、ぱらぱらと捲り、彼女がカップの中身を飲み干すのを待った。
 やがて、カップから立ち上る湯気がなくなって、中身が半分より減った頃。
 ちらちらと、彼を見やりながら、何かを考えていたルナが口を開く。
「……聞かないの?」
「言いたいなら言え。ぶっちゃけてこっちは聞きたくもないけどな」
「……あ、そ」
 ぽつり、と言ってまた言葉を切る。
 カシスは古いページから目を逸らして、俯いて床の木目をじっと見ている彼女を見た。
 どこか拗ねたような、それでいて、少し突付けばそのまま崩れてしまいそうな表情。
 苛立ちにがしがしと、白髪頭を掻き毟った。
「面倒くせぇ女だな、お前は」
「何よ、それ?」
「自分から言わねぇくせに、"聞いてください"オーラをびんびんに放ってんじゃねぇよ。らしくもねぇ、鬱陶しい」
「……悪かったわね」
 萎縮した人間にかけるとも思えない言葉だ。だが、慣れきっていると、逆に心地良くもあった。
 雨は、少し弱まったらしい。遠のいた雨足が、明確な沈黙を造る。
「……喧嘩」
「あん?」
「喧嘩、した」
 ぽつり、と呟く。
「……あのお嬢ちゃんか」
「うん」
「で?」
「……まあ、あたしが悪いんだけど」
 毛布に顔を埋めるように俯く。濡れた髪が、頬にかかって、冷たかった。
「最初に、あんたと会ったときに……ほら、女の人と男の子がいたじゃない?」
「ああ、いたな。そういえば」
「……」
 言葉に詰まる。
 どこまで、口にしていいものか、口にしてしまってから悩んだ。
 巻き込みたくないから口を噤んだ。噤んだのに、もう口に上らせようとしている。どこまで迂闊で甘いのか。自分自身に嫌気が差した。
 自分が何をしたいのか、ぐらぐらと揺れる頭では判断がつかない。
「……いいから言っちまえ」
「……」
「ここまで来て、何やってんだ? どうせ、ぶちまける人間もいないから来たんだろ?
 お前はここに何しに来たんだ? 俺は理由もなく、理不尽に泣き喚く人間を拾ってやる気はさらさらねぇんだ。ここに来た時点で、お前に黙秘権なんかねぇんだよ。
 だから、話せ」
「・・・」
 きり―――ッ、と奥歯を噛み鳴らす。
 煮えくり返る腸は、きっと自分の不甲斐なさのせい。本当に、何をやっているんだろう。支柱がなければ立てない人間になど、なりたくなかったのに。
 否、人間は所詮、脆すぎるものなのかもしれない。
 後悔はするだろうと思った。しかし、一度口に言葉を上らせると、堰を切ったように止まらない。
 それでも、これ以上、涙だけは流すまいとずっと奥歯を噛み締めていた。
 加速していく口調を押し留めながら、ルナは、それまでの経緯をすべて吐き出した。
 黒衣の少年の暗躍、『ヴォルケーノ』を利用していたクロード=サングリットの目的、その最中に現れたゼルゼイルのシンシア側の使者、彼女たちの言う黒幕の少年の正体―――即ち、エイロネイアの刺客なのではないか、という推論。
「……カノンたちはシンシア側の申し出を断ったわ。でも、あたしはそこで引くわけにいかなかった。あたしが黒幕を、真相を突き止めるって決めてたから。
 わざわざ目の前に都合の良い手掛かりが転がって来てるのに、それを利用しない手はないと思ったのよ」
「で、仲間に内緒でそいつに加担してた、ってわけだ」
「そう。エイロネイア側に武器を密輸してる、って噂が流れてる豪族を調べ上げてた。
 今日の朝もね、そいつの屋敷に訪問してあれこれ突付いてたんだけど。そいつ―――ディオル=フランシス、ってまあ、二代目になって急成長した地方豪族なんだけどね。結構、やり手の人間で上手くいってなくて、さ。
 今日も上手く行かなくて、明日の夕方に最後の訪問をする予定だった。
 ……で、そうこうしてるうちに、あっさりバレた」
「ンなもん、同じ町うろついてんだ。遅かれ早かれバレるに決まってるじゃねーか、解ってたことだろ?」
「……そうね」
「バカな女だな」
「……………そうね、否定しない」
「本当に、」
 バカな女だと、重ねた。
 不思議と胸も、身体も痛まなかった。代わりに、何故なのか、口元に笑みが浮かんだ。
 本当に、大馬鹿者だ。
「……本当に馬鹿ね、あたし」
「……」
「偉そうなこと言って、やることも言うことも全部、中途半端で……。
 こんなんじゃ、何一つ成功なんてするわけがない」
「どうする気だ?」
「………解らない。でも、」
 ぐい、と身体が引っ張られた。
「ちょ……ッ!」
 予測していなかった小柄な身体は、あっさりと傾いて倒れ込んだ。ぽすり、と倒れ込んだ先に痛みはない。昼間、砂と埃から守ってくれたものと同じ胸板が、目の前にあった。
 背中に回された腕が、子供をあやす様に細い肩を抱いた。その腕が、ぎりッ、と、痛いほどの力を込めて抱いてくる。
「帰れ」
「!」
「俺に、帰れ。ルナ」
「かえ………?」
「俺の許に戻って来い。どうせ、一人で立てないなら、―――帰れ」
 それが無理なことなど、ルナには解っていた。
 そうすれば、ルナは一度に二人の親友を裏切ってしまう。カノンも、そしてイリーナも。
 今まで積み上げた、無理もすべて水泡に帰すだろう。
 すぐ側にあるあの少女の好意など、この男は知らない。いや、知っていて無視しているのかもしれない。どちらにせよ、頭の中にはきっとない。
 それは彼が薄情な性分だから、というわけではなく、一方通行な想いというものがそういうものだからだ。
 どこにでも転がっている、どこにでもあるような、下らない恋話。
 友人と同じ男を好いていた、それだけのつまらない話。
 ただ、親友がこの男に好意を抱いていることに気が付くのが、ほんの少し遅すぎた。だから、青い過去の自分はつまらない意地を張った。それが捻れと交錯の始まり。
 そのつまらない意地が、五年も経過した今、こんなにも自分を苦しめる。
 もっと早く気づいて、もっと早くに身を引いていたら、困らなかったのだ。
 ルナはただ、カノン達と共に戦いながら、ただひたすらに二人の無事を、そしてこれからの幸せを願い続ければいい。息をつく間もないほど騒がしくて、忙しい幼馴染達との時間が、一人の男など忘れさせてくれるはずだった。
 ただ、気づくのが遅かった。
 そのときにはもう、戻れないところまで来てしまっていて。
 とうに、女としての情も、姿かたちも、無垢であることの象徴も、初めて開く足の震えも。根こそぎ奪われた後だった。それなのに、奪われていたことを否定したかった自分は、つまらない意地を張った。
 今、その意地を取り繕うために、中途半端に引き返そうとして。
 それが、とんでもなく胸に痛い。
「んッ……」
 茫然と思考していた唇に、何かが触れた。柔らかな、しかし驚くほど冷たい何か。
 無意識のうちに顔を逸らして、放す。
 だが、許されなかった。肩を支えていた手が、胸元を掴んで無理矢理振り向かされて、噛み付くように、ただ口付けられた。それこそ、一息も漏らせないほど。
 一瞬だけ見えてしまった眼前の朱眼は、五年前と同じ、貪欲に人を射抜いて抜け殻にする。
 がくり、と抵抗の力が抜けた。本能的に刻み付けられた衝動というものは恐ろしい。五年の月日を経ても、まだ忘却出来ていない。
 それでも、ルナは最後の抵抗に、彼の胸板に拳を押し付ける。
 楽しむようにぺろりと、赤い舌が離れた唇を舐めた。
「……だからお前は面白い。最後の最後まで、我を放棄しない」
「……」
「今まで逢ったことのある女はすべからく、俺に従順だった。くだらなく、退屈なほどな。
 手応えも、歯応えもなかったさ。抱いてるのは人間じゃねぇ、ただの人形だ」
 するり、と胸元を掴んでいた腕が離れる。ルナは軽く尻餅をついた。
 カシスは脱ぎ捨てた上着に手を伸ばすと、ポケットをまさぐった。そこから出て来た代物に、ルナは慌てて自分の身体を弄ろうとして、脱ぎ捨てていたことに気が付いてベッドから立とうとする。が、あっさり捕まった。
 ずい、と目の前まで持ち上げられたのは、小さな空箱だった。少し、不快な、煙たい匂いのする。けれど、先ほど顔を埋めていた胸と同じ匂いのする、ただの空箱。
「忘れもんだぜ」
「なん、で……」
「道具屋の親父から預かった。お前、確か禁煙派だったよな? 研究室内で煙草なんか吸うな、とか夜伽で吸うのは匂いが付くから止めろ、だとか何とか、昔はそりゃあもうぎゃあぎゃあ言われたもんだ」
「……ッ!」
「じゃあ、ここにあるのは何だ? 何であれほど煙草の匂いを嫌っていたお前が、俺と同じ銘柄の煙草を吸ってるんだ?」
「ッ! それは……ッ!」
 言い澱んで、唇を噛む。
 弱かったから。弱かったから、残像を求めたのだ。もう二度と戻らない風景の片鱗を、気持ちが悪くて、胸がむかむかとして、吐き気のする煙に映した。
 だって、貴方は私に何も残してくれなかった。
 何も残さないまま、ただ思い出だけを押し付けて、引き裂かれた。
 どう足掻いても潤わない渇きを、苦い煙で誤魔化していただけ。そんな虚しいだけの行為。
 そんな虚しいものに、求めていたものなど、解りきっているのに認められない。
 焦がれただけだ。昔の思い出にではなく。この人でなしの綺麗過ぎる腹立だしい男に。
 解ってはいる。ただ、認めることだけが許されない。
「吐け」
「………」
「そして俺に帰れ。
 まだ、否定するのか? 出来ないだろう?」
 返答は、なかった。出来なかった。云も否も、どちらも偽りを生んでしまう。
 猜疑と、義務感と、惑い。片や、情と、熱と、がらんどうな喪失感。
 思考して、思考して、思考して思考して思考して。今さら答えが出せるはずもない。それ故の沈黙。
 彼は、この沈黙をどう見たのだろうか。視線を上げた先、目の前にあった彼の色素の薄い唇が、不意に僅かな笑みの形に吊り上がった。
「認められないなら―――」
「ッ!?」
 急に世界が反転した。ごとり、と床で音がした。ああ、そういえばまだカップを手に持っていた。ぼんやりと、寒さと熱で劣化した頭で想う。ぎしり、とベッドが軋んだ音を立てた。
「ッ―――」
 駄目だ、と理性が警鐘を鳴らす。感じ続けていた義務感と猜疑が頭を擡げて、縫い止められたシーツからルナの身体を立ち上がらせようとした。
 しかし、それも虚しく、痛いほどの噛み付くようなキスが降って来る。
 覗き込んだ、鮮やかな血の色の瞳に、今度こそ、射抜かれる。
 胸元を押さえて、彼女をベッドの上に縫い止めていた腕が外れて、その手は、今度は異様に優しい手つきで首筋から肩の線をなぞった。
 ずくり、と久しく忘れていた、切なさを伴う甘い痛みと痺れが、全身を支配する。
「認めさせてやる、吐かせてやるよ……無理矢理にでも、な」
「カシ―――ッ!」
 声で咎めることは出来ても、雨と葛藤で凍ってしまった身体には、それを押し返すほどの力など、残っていなかった。





 かしゃん、と外された羽飾りが、床で虚しい音を立てた。







 ―――う~ん……
 イリーナ=ツォルベルンは悩んでいた。宿屋の廊下を歩きながら、手の中にあるメモをじっと凝視していた。
 何かを千切って、走り書きだけがしてあるメモ。夜、部屋に来るように、という意味合いの旨だけが記載されていた。こんなメモを自分の部屋の机の上に放置出来るような人間は、今のところ一人しかいない。だから、誰が出したか、なんて詮索は愚問なのだが。
 ―――口で言えばいいのに。
 何故、わざわざメモ書きなどしたのだろう。いや、単に自分がお使いに行っていて、いなかっただけの話かもしれないが。
「まあ、いいか」
 ―――それよりも、何の話だろう……?
 咎められるような派手なドジは……お使いは若干、遅れてしまったが、別にわざわざ呼び出しを食うものでもないだろう。大体、そういった面倒なお説教の仕方は、カシス=エレメントという男の行動からはかけ離れている。ルナならば解る気がするが。
 ともかく、呼び出しでお叱りを受けるようなドジはここ最近踏んでいない、気がする。
 かといって、好意を寄せている男に夜、呼び出しを受けるというのは―――
「……」
 ぼふッ!
 自分で自分の想像に赤面した。
 廊下で一人百面相も何だから、そんなはずがないと言い聞かせて咳払いをした。
「……そーだよね。そんなはずない、そんなはずない」
 ぶんぶんと首を振って理性を保つ。
 おそらくは、ルナに関する話だろう。自分が彼女に会いに行っているのがバレたのかもしれない。それで叱られることはないだろうが、彼の中で、もしくは彼らの間で、何か結論が出たのかもしれない。
 ―――先輩、今日出かけてたみたいだから、ルナちゃんのとこに行ったのかな……?
 少しだけ、気分が落ちた。
 いつのときも、ルナはイリーナの憧れだった。それはまた、カシスに向ける憧れとは少し違うけれども。
 『月の館』の無二の天才。その天才の隣の椅子―――直接的な助手のポジションを狙う人間は、実はかなり多かった。イリーナのように女として焦がれる者、あるいは単純な知識欲から、あるいは嫉妬心からその周囲から『天才』と言わしめる人間の弱点を掴もうとする者。
 良い意味でも、悪い意味でも、彼の元に群れたがる人間は多かった。
 しかし、彼はそれまで、断固として助手を取ることはしなかった。
 彼にどんな想いがあったのかは定かではないが、生半可な人間では、その椅子に座る資格などないのだろう、ということは理解できた。
 だから、誰もが諦めた。
 けれど、ある日突然、カシスはまだ新入生といって差し支えない少女を、ルナ=ディスナーを助手として据えたのだ。
 当然、数多の羨望と敵意の眼差しが、彼女には集まった。
 正直な話、イリーナもそんな眼差しをルナに向けなかったと言えば嘘になる。しかし、彼女に向けられる数々の嫌がらせや悪意があったことを知っているから、その最中でそれらを跳ね付けながら、最終的には天才の助手、という立場を周囲に認めさせてしまった彼女にも憧れを抱いた。
 そして彼女は、誰もが憧れる立場に立ちながら、けして落ち零れであった自分を棄てようとはしなかった。
 イリーナの、カシスに向ける気持ちを知ってか知らずか、同じプロジェクトに所属できるように計らってくれた。隣の椅子には座れなくても、憧れの人と同じデスクで研究が出来る、というだけでイリーナは踊り出したいほど嬉しかった。そして今、幸運の女神はイリーナに微笑んで、彼の一番側にいる。一緒に旅をしている。この仕事が終わったら、政団の開いているポジションを、カシスに紹介してみようと思っている。そうすれば、また一緒に、いや、もっと近くで研究が可能になるかもしれない。ルナも応援してくれると言っていた。
 イリーナにとって、ルナは無敵で格好良い、『イリーナの正義』の味方だったのだ。
 イリーナにも解らない話を、二人でこんこんと話しているカシスとルナに嫉妬するときもあった。でも、二人とも大好きだったから、その二人に亀裂が入ったとき、泣きそうなくらい悲しかった。
 ルナが、イリーナにチャンスをくれた。だから、今度はその恩を返す番だと思って頑張った。
 このまま、二人が仲違いしてしまえば、延々、彼を独り占めできるかもしれない。そんな暗い考えに陥ったことも……ないわけじゃない。でも、その瞬間には首を振って、そんなことを考えた自分を叱咤した。
 ルナは、イリーナにとっての良い親友で、正義の味方で在り続けている。
 だから、自分も良い親友で在り続ける。
 だって、大好きだから。
 信じているのだから。
 ―――大丈夫、大丈夫。絶対、上手くいく。
 自分には、信じることしかできない。だから信じてる。カシスは勿論、ルナだって。
 今一度、深呼吸をした。気を取り直して、隣室のドアを、
「……?」
 叩こうとして、違和感に気づく。
 室内から、僅かな声が漏れている。もう夜も遅いというのに、くぐもっていて良く聞こえないが、確かに人の声だ。
 ひょっとしたら、ルナが来ている、とか。三人で話し合う、ということにでもなっているのだろうか。
 ―――あれ?
 ふと見ると、わずかにドアが開いている。カシスらしからぬミスだ。珍しい。
 とは言うものの、まさか勝手に入るわけにもいかない。しかし、本当にルナが来ているのか、気になるところでもある。
 ノックの体制を取りながら、隙間から、自然と中を覗き見て―――

「・・・―――ッ!!!?」

 口元を押さえ、一気に身を引いてしまった。後ろの壁に、背中をぶつけそうになるが、それよりも前に腰が抜けた。
 ぺたん、と座り込み、目線を逸らそう逸らそうと努力するのだが、その暗い隙間から目が離せない。
 口の中が乾いていく。急激に身体の温度が下がっていく。いや、上がっていくのだろうか。血の気は引いていくのだが、身体の熱は一気に上がっていく。
 体中の臓器が、器官が、頭の中が、沸騰していく。
 目の前が真っ白になった。
 だって、だって、だって、何で?
 ―――な、な、ぁ、あぁ、ぇ、え……?
 何が、起こっているのか、解らない。
 イリーナの予想通りだった。確かに中にいたのは、憧れの人であるカシス=エレメントと、親友のルナ=ディスナーだった。
 そう、そうだった。予想通りだった。
 そこまでは予想通りだったのだ。
 でも、でもこんなのは知らない。こんな予想なんて、してない。できるわけがない。するはずがない。
 え、だって、だって、だって、だってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだって…………………………………………何で?
 何で、二人とも、先輩と、ルナちゃんが、抱き合ってる、の?
 いや、抱き合ってるなんて可愛らしいものじゃない。恋愛小説は読むけれど、イリーナが好むような少女的な小説には、あんなシーンは載っていない。
 載っていないけど。
 載っていないけど、何を、してるのか、イリーナだってもう年頃だから、だから、知っている。
 抱き合って、キスをして、それでそれで……ッ!!
 でも、何でそれが、目の前で、しかも良く知る、イリーナが大好きな、二人が………?
 ――― ……………何で?
「―――ッ!」
 急に込み上げた吐き気が、喉の奥を抉った。口元を押さえる手に、ぼたぼたと、無意識の内に流れ出る透明な雫が落ちてくる。
 抜けた腰に、吐き気が力を戻した。
 それを悟った瞬間、イリーナは、膝を笑わせながら立ち上がり、ふらふらと不安定な足でその場から逃げ出した。


「……ぅうぉえ、え、ぁあああッ……」
 込み上げた吐瀉物が、限界を迎えて撒き散らされる。涙と交じり合った体液は、もう出すものもないのに込み上げて、胸を焼いた。
 がりッ……がりッ……!
 苦しさに、掻き毟った暗い木の幹が剥げていく。爪の間に埋まった木屑は、容赦なく柔らかな皮膚を傷つけて血を滲ませていた。
 人目につかぬ宿屋の裏手。やせ細った木の根元に跪くようにして、イリーナは肩を震わせていた。
 身体の中心がぎりぎりと痛い。
 夢なら覚めればいい。幻なら消えればいい。
 でも、でも、それならこの圧倒的な胸の痛みは何?
 知らない知らない知らない、聞いてない、ありえないッ!!
 何で? 何で何で何で何でなんでなんでなんでなんでナンデナンデナンデナンデ……ッ!?
 ―――何で、なんで……ルナちゃんと、先輩が………ッ!?
 言ってくれた。勧めはしないと言いながら、芽生えて幾年の淡い想いを応援すると言ってくれた。いつまでも、イリーナの味方だった。大好きだった。大好きだったッ! その彼女が何故、何故何故何故何故何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ、何でッッッ!!!?
 キスをして、指を絡ませて、抱き合って、触れて、触って、そしてそしてそして…………ッ!
「ぅ、くぅぅううう、おえぇえ……ッ!」
 胃液が胸を焼く。胃の中には何も残ってやしないのに、痛みと熱だけが圧倒的な悲しみと共に吐き出される。それで収まるならいい。でも、痛みも熱も、収まるどころか、怒りに、悲しみに、孤独感に、様々な負の感情となって、高まっては身体を焼いた。
 何で、なんで……?
 取り留めのない疑問が、ループになって襲ってくる。答えなど出るはずもないのに、そればかりを問いかけた。
 あんなに優しかったのに。
 からかいながらも応援してくれた。勧めない、といいながらも頑張れと言ってくれた。ずっとずっと、親友でいてくれた。私の正義の味方だった。
 なのに、なのに何で私の大好きなルナちゃんが、私の大好きな先輩と……?
「―――ッぁあぁ、ぅ、うう、ぅ、ううううううぅぅぅぅぅぅぅぅううぅぅううぅううぅッ!!」
 言ったのに、応援してくれるって、頑張れって、言ったのに、言ったのに。





 信じてたのにッッッ!!!









 かつッ……。








「こんばんは、小さなお嬢さん[リトルレディ]」
「―――ッ!」
 静謐な、どこか楽しげな響きさえ含んだ、澄んだ声が頭上から降った。





 いつのまにか晴れた空には、半分の欠けた月。足元には暗い水の漂う水溜り。
 水面に映るやせ細った月を壊すように、ぱしゃり、とその圧倒的な黒は、その場に降り立った。



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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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