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DeathPlayerHunterカノンの小説を移植。自分のチェック用ですが、ごゆるりとお楽しみください。
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DeathPlayerHunterカノン[ゼルゼイルの旅路] EPISODE12
――開戦。
 
 
 

「……どうしたの?」
 朝食の席で眉間に皺を寄せて羊皮紙を睨んでいたアレイアに、フィーナは思わず声をかけた。
 いつになく、険悪な表情で羊皮紙に活版で書かれた文字を追っていく彼に、何か不穏なものを感じたのだ。
「ん? ああ、何でもないよ……」
 アレイアは一拍置いて、羊皮紙をテーブルに置いた。軽く息を吐いて、フィーナ手製のマフィンに手を伸ばす。
 外の天気はどこか思わしくなく、曇り空だったが、ケナには関係ないようだ。窓の外の、木の下で砂遊びに興じている彼女を目に留めながら、フィーナはアレイアが置いた羊皮紙を手に取った。
 人寂れた村だが、極たまに山の向こうの町から号外が届けられる。それはその貴重な一枚だった。村長に貰ったのだろうか。
「……第三関所、崩壊……」
 ぽつり、とフィーナが呟く。アレイアは陰鬱な表情でカフェオレのカップを持ち上げた。
「ああ、シンシアのバラック・ソルディーア……第三番目の砦で、関所だ。そこがエイロネイアに落ちたらしい。
 もっとも、火に炙られて砦自体は灰と瓦礫の山らしいが……」
「……」
「エイロネイアの勢力拡大は凄まじい。あの皇太子が戦場に出てから、奪われた領土や砦が幾つもある。この村も、山を隔てていて戦略的価値がないせいで放って置かれているが、もともとは国境に近い村だからな……。それなりの備えが必要な時期なのかも知れない」
「……」
「フィーナ?」
「……」
「フィーナ、フィーナッ!」
「へッ? あ、ああ、えっと、ごめん。何?」
 アレイアの声さえも耳に入らないほど、羊皮紙を凝視していたフィーナは、ようやく気がついて取り繕うように笑顔を浮かべる。
 アレイアは、その彼女と細い手に握られた羊皮紙とを見比べて、ひどく複雑な表情を作った。
 苦く、先ほどの陰鬱な表情に、焦燥とわずかのやるせなさを滲ませて。
「……どうかしたのか?」
 伺うように、今さっき彼女から聞かされた質問を返す。
 彼女はその質問で、はっ、と我に返ったように手の中の羊皮紙とアレイアとを交互に見て、最後に天井を仰いで顎に手を置いた。
「ううん、何でもない」
 首を振りはしたが、嘘であるのは明確だった。
「ただ、何でアレイアがこんなやたら熱心に読んでるのかなー、って思ったもんだから」
 それもまた、どこか白けた疑問だった。やっと絞り出したような、そんな問いだ。
「俺は時事問題に詳しくなっちゃいけないのか……」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど。これ、村長さんか誰かに貰ったんじゃない?
 村の人でこんなもの持っている人見ないもの。特別に貰って来たんじゃないか、って思ったから」
「……いくら、外れた村、って言っても戦場は山の向こうで起こってるんだ。知らんふり出来るわけないだろう」
 アレイアは少しだけ苛立って、カフェオレを飲み干した。そのまま剣を取って立ち上がる。
 フィーナはわずかに眉を潜めて、同じように立ち上がった。アレイアはこっそりと舌打ちをする。彼女のやや浮かない顔が、自分が八つ当たりをしてしまったのだと如実に語る。
 ――とんだ馬鹿野郎か、俺は。
 胸中で叱咤しながら玄関に向かう。ドアを開いたところで、ちょうどそのドアをノックしようとしていた女性と鉢合わせた。
「やぁ、ブロードの旦那! まぁだ出勤前だったのかい」
 肝っ玉のいい八百屋の女将のハンナだった。手に大きなバスケットを提げている。
 朝からテンションの高い人に会ってしまった。ついてない。
「あれ? ハンナさん?」
「ああ、フィーナちゃん。おはようさん!」
 遅れて玄関にやってきたフィーナに、ハンナはぱたぱたと手を振った。
「どうしたんですか、朝から」
「いやね、ブロードの旦那。うちの亭主がさぁ、ちょっと馬鹿をやっちまってね。
 あんの馬鹿、品物をかなり余計に仕入れやがったんだわ。うちじゃ食べきれないし、かといっていつまでも店頭に並べておいても腐らせるだけさね。それでお裾分けさ」
「うわ……」
 ハンナがバスケットの布を取った。中に詰められていたのは、少々小振りだが茄子やじゃがいもといった野菜の数々。隅っこには、季節が過ぎつつある桃の実が三つちょこんと乗っていた。
 ハンナはそれを丸ごとフィーナの胸元にずい、と押し付ける。
「い、いいんですか……? こんなにいっぱい……?」
「ああ、腐らせちまうよりいいだろ。素直に貰っときな。ねぇ、旦那」
「……ありがとうございます」
 さすがのアレイアもやや困惑しながら礼を述べた。買い物のついでにおまけをつけてくれるのはしょっちゅうだが、些か気前が良すぎはしないだろうか……?
 八百屋が潰れないことを祈る。
 アレイアは微妙な表情のまま、太陽を見上げた。仕事の時間が迫っていることを悟ると、ハンナに軽く頭を下げて、その場を後にしようと彼女の脇を通り過ぎようとする。
 その彼の耳に、
「なあ、旦那。もうフィーナちゃんとはそれなりの仲になったんかい」
 ……思わず転びそうになった。
「な、何を……ッ!?」
 ぼそり、と女将が言った一言はフィーナには聞こえていなかったらしい。彼女はバスケットを持ったまま、いきなりバランスを崩しかけたアレイアに疑問符を浮かべている。
 ハンナは呆れたような顔で、どんっ、とアレイアの背中を思い切り叩いた。
「情けない男だねぇ、旦那も。こっちは、式はいつかと楽しみにしてんだよ」
「馬鹿なことを言わないでくださいよ」
「???」
 まったく話の内容を理解していないらしいフィーナをちらり、と見てアレイアは軽く首を振った。
「とにかく、そういうことを言うのはやめてくださいよ。女将さん」
「はっはっは、悪いねぇ。歳を取ると娯楽が少なくなるんだよ」
 やや険悪な眼差しで言っても、軽く受け流されてしまう。年の功というのは、こうも固いものなのか。
 溜め息を吐いて、アレイアは早々に諦めた。
「じゃあ、俺は行くけど。フィーナ、女将さんにお礼をしておいてくれ」
「あ、うん。いってらっしゃい」
「いってらっしゃいな、旦那」
 ハンナの笑顔に、何とも言えない一抹の不安を抱きながらも、アレイアは手を振ってその場を後にした。


「……で、あの、これ……」
 未だ申し訳なさそうにバスケットを抱えたフィーナを見て、ハンナはからからと笑う。
「あんたも律儀な娘だねぇ。こういうときは笑顔で貰っとくのが、家庭を守るいい女だよ」
「え、えーと……は、はい……。とりあえず、ありがとうございます……」
 言われている意味は若干よく分からなかったが、とりあえず頭を下げて素直に受け取っておく。いつものことながら、この女将には敵いやしないのだ。
 ハンナは腰に手を当てて、微笑ましい表情で砂山を作って遊んでいるケナを見て、目を細めた。
「いい子だね。お父さんにもよく懐いてるし、元気な子だよ」
「そうですね」
 ハンナがどうしてそんなことを切り出したのか。ふと、疑問に思ったが、フィーナは素直に頷く。
 ケナは文句なしにいい娘だと思う。ややませたところはあるが、家事もよく手伝うし、何より明るく元気な娘だ。母親がいないというのに。
「……」
「気づいてるかい?」
「え?」
「あの子とブロードの旦那について、さ」
「……えっと」
「奥さん。いないんだよ」
 何となくは気がついていたことだった。けれど、口に出すのは憚れた。
 疑問に思ったことは何度もある。けれどそれは、ただ行き倒れになっていたところを助けられ、なりゆきで居候しているだけの他人が踏み込んで良いような領域だとは、フィーナには思えなかった。
 フィーナが困ったような表情を浮かべるのを見て、ハンナは少しだけ眉根を寄せた。
「ごめんごめん。困らせる話だったね。でもさ、どうせ話してないだろ、あの旦那」
「ええ、何も」
「まあね。あんたの事情も、あん人の事情も、ろくに知らないあたしが言っていいものかは知らないけどさ。
 あそこの家、奥さん見たことないだろう?」
「そ、そうですけど……」
 曖昧に返事をした。
 フィーナが意図して避けてきた疑問。意識して言葉にしなかった不和。
 あくまで自分は他人に過ぎない、とフィーナは意図してブロード家との境界線を引き、守ってきた。その境界線の象徴たるものが、その疑問だった。
 だから、フィーナはそれに関わる質問や問いはけしてしようとしなかった。しないできた。
「いなくなったんだ。何年か前にね」
「……いなく、なった?」
 聞いてはいけない気がした。その話は、この例え束の間であろうと、居心地のいいブロード家でのフィーナの暮らしを脅かしてしまうものだと悟っていた。
 それなのに、聞き返してしまったのは、無責任な、ただの残酷な好奇心の業なのだろうか。
 ハンナはフィーナの言葉に深く頷いた。
「ある日、ぷっつりと、ね。この村は戦地から離れていて平和さ。ただ平和ゆえに退屈なんさね。
 そのせいで出て行ったのかもしれないし、他に好きな男が出来たのかもしれないし、何か事情があったのかもしれない。
 ともかくね、ケナちゃんの母親はある日、途端に見なくなっちまった。
 ブロードの旦那は口を濁すだけだったね。そりゃあ、そうさ。女房がいなくなった、なんて旦那にとっては恥だからね。
 恥だけじゃあない。ショックだったんだろうね。しばらく、ブロードの旦那も茫然とした感じだったさ」
「……」
「村に来たときは二人共若かったさ。どこを旅して来たかは知らないが、擦り切れた服と靴。あとは身一つで、こーんなちっちゃな赤ん坊のケナちゃんを抱えてね。村長のところに『この村に住みたい』、と言ってきた。
 ……この村にはね、実は戦地から逃げてきたような人間もいっぱいいるんだよ。
 戦争に疲れちまってね。戦地から外れたこの村に流れてくるヤツも多かったから、村長は何も言わないで二人に村で暮らしていい、って言った」
「……」
「それが六年前さ。奥さんがいなくなったのは、それから一年もしないうちだった」
 やや痛ましい表情でハンナは語る。だが、その傍らで話を聞かされていたフィーナの方が余程、困惑した表情をしていた。
 解せない。何故、彼女が今、こんなことを語り出したのか。フィーナには、見当さえつかなかった。
 ハンナは視線をケナから外し、フィーナを見た。小さく溜め息を吐く。
「悪いね。こんな話、聞きたくなかったろ」
「ん、えっと……」
「あたしゃお節介な性格でさ。でも、放って置けなくてね。
 奥さんがいきなりいなくなって、しかもケナちゃんは赤ちゃんだった。放って置けなくてね。うちは子宝に恵まれなかったし、あたしもうちの亭主も、いろいろと面倒見てやってきたんだ。
 ケナちゃんは赤ん坊だった。母親のことなんか覚えてないさ。
 でも、旦那はまだ未練がある。見てれば分かるさ。あの人、ときどき遠すぎるくらい遠い目をする」
「そう、だったんですか……」
 フィーナには曖昧に答えるしか術がなかった。
 何だろう、ハンナはそのお節介の延長上でフィーナに何かを伝えようとしているのだ。だが、フィーナにはそれが見えて来ない。
「……フィーナちゃん」
「?」
「ブロードの旦那がどこからあんたを連れてきて、彼とどんな関係なのかは知らないよ」
「……」
「でもさ、旦那もケナちゃんも、少なからずあんたを好いているよ」
「そりゃ、良くはしてもらってますけど……」
「そうじゃないんだよ、フィーナちゃん」
 何とか言葉を返そうと、しどろもどろに口を開いたフィーナの声を再びハンナは塞き止める。ハンナは優しく、しかし、何かを含んだ瞳で彼女を見た。
「……フィーナちゃんが着てるのは、いなくなった奥さんのものだね?」
「え?」
「分かるよ。あたしが編んだヤツだからね。
 何で、他人のあんたに、旦那が素直に未練のある奥さんの服なんか貸してるか分かるかい?」
「……?」
 首を傾げる彼女に、ハンナはぎゅ、と眉を寄せた。言い難いことを、苦々しく口にするような、快活な八百屋の女将にしては苦悶に満ちた表情だ。
 ふと、ハンナは空を仰いだ。何かを思い出すように遠くを見て、もう一度、『彼女』を見て、頷いた。
「……似てるんだよ、あんたが。いなくなった奥さんに」
「――!」
「奥さんの名前、知らないだろ? 何の偶然なんかね、奥さんの名前はね、」

「『フィーナ』、って言ったんだ」

「・・・!」
 『彼女』の脳裏に、この家で目が覚めたときの光景が掠める。ベッドの上で、自分の名前も思い出せずに頭を抱えていた『彼女』に、彼は、アレイアがぽつりと呟いた名前がそれだった。
 それから、『彼女』はその呼び名で呼ばれるようになったのだ。
 何故、素性の知れない、それも武器など下げた奇妙な女を、彼が家に迎え入れたのか。
 未だに居候として留めていてくれるのか。
 その疑問が、氷解していく。
 『彼女』ははっ、としてハンナを見た。彼女は元のように笑いながら、しかし、どこか真剣な雰囲気を残したまま、
「フィーナちゃん、あんたがどこの誰で、旦那とどんな縁があったかは知らないよ。
 いくら世話を買って出てた、って言っても、部外者は部外者。あたしゃ、ただの八百屋のおばさんさ。
 だから、お節介なのは分かるんだよ。あんたが何者なのか、これからどうするつもりかは知らないけどさ……。
 ブロードの旦那も正直、あんたを見て戸惑ってるようだし。ケナちゃんだって、あのときほど幼くない。
 出来れば、傷つけないでやって欲しいんだよ」
「……」
 『彼女』はそのまま沈黙する。唇を噛んで、俯いた。
 答えられない問いだった。誓えない頼みだった。
 ハンナは気づいているのだ。『彼女』が何者か、どこから来たのか、そんなことは知りもしないだろうが、『彼女』が、いつかここを出て行くことになるだろうことは気づいている。
 そして、その『フィーナ』に似ているという『彼女』が出て行くことで、ずっと面倒を見てきたアレイアやケナが古い傷を思い出してしまうのを慮っているのだった。
 けれど、『彼女』はそんな約束など出来るはずもない。
 自分のことでさえ、何もわからない『彼女』が、約束出来るはずもない頼みだった。
 だから、何も答えずに唇を噛むしか出来なかった。
 気まずい沈黙が流れ、そして、
「あーッ、おかみさんッ!!」
 重い沈黙を破ったのは、ケナの甲高い呼び声だった。我に返って視線を上げると、すぐ目の前にケナが駆け寄って来ていて、ぱっとフィーナの腕にぶら下がった。
「フィーナちゃん、元気ない?」
「へ?」
「ハンナさん、フィーナちゃんをいじめちゃだめー! フィーナちゃんはケナのなの!!」
 ぷぅ、と剥れて言ったケナの台詞に、ハンナはしばしきょとんと目を丸くした後、小さく吹き出した。そのまま肩を震えさせながら笑い、しゃがんでケナの頭を撫でる。
「人聞きが悪いねぇ。誰もフィーナちゃんをいじめてなんかないさ」
「むー、本当?」
 問われたのは『彼女』だった。
 まだ剥れたままの彼女に、フィーナは、沈んだ気持ちを振り払うように笑いかけた。
「本当だってば。あたしがちょっとやそっとでいじめられるとでも思ってた?」
「ううん。だってフィーナちゃん、お父さんより強いもんね! 鬼さんより強い!」
「ちょっと、それどういう意味!?」
「あははははッ!」
 拳骨を握って怒鳴ったフィーナに、ケナは楽しげな笑い声を上げて逃げるようにぐるぐると彼女の周りを回った。
 その光景に、ハンナはどこか力が入ってしまっていた表情を緩ませる。静かな溜め息を吐くと、彼女はケナの襟首を捕まえて凄んでいたフィーナの肩を優しく叩いた。
「ごめんね。あたしが言うようなことじゃなかったね」
「いいえ……」
「迷惑なのは分かってるけどさ、最近、旦那も何だか元気なくしてるみたいだったからね……。
 どうにも気になっちまってね。あんたには何にも関係のない話なんだろうけど……。
 あんまり気にしないでくれていいよ。でも、どっかには留めて置いて欲しかったんだ」
「……」
 フィーナは答える代わりに、軽いお辞儀で返した。誠実とは言えない返事だったが、ハンナはそれで納得してくれたらしい。
 一瞬後には、ぱっと顔を上げて微笑んで、『また店で待ってるからね』と残して背を向けた。
 ハンナの背中が豆粒ほどに小さくなった頃、くいくい、とスカートの裾を引っ張られる。
「……ん?」
「フィーナちゃん、ハンナさんと何話してたの?」
「んー、まあ、ちょっと……。大したことじゃないよ」

「……お母さんのこと?」

 受け流そうとしたフィーナだったが、ケナの一言にひくりと反応してしまう。慌てて取り繕おうとしたが、視線を下げた先の幼いケナの顔は、真面目に引き締められていた。
「……ケナ、お母さんのことあんまり覚えてないの」
「……うん」
「お父さんは、お母さんはどこか遠いところに旅行に行ってるって言ってたけど、嘘だと思う。良く知らないけど。
 だったら、フィーナちゃんをお母さんの名前で呼んだりしないよ……」
「……」
 少しだけ俯いて、小さく呟くように彼女は言った。
 幼い子供とは思えないほど、顔をしかめて、静かな声で。
「……ケナね」
「ん?」
「お母さんのことあんまり覚えてないけど、フィーナちゃんのこと好きだよ」
「……ありがと」
「たぶん、お父さんも、フィーナちゃんのこと好きなんだよ」
「……けど、それは」
「うん。フィーナちゃん、お母さんに似てるって言ってた。そのせいかもしれない。
 でも、きっとフィーナちゃんがいなくなっちゃったら、寂しがると思うな」
 ケナは俯いたまま、唐突にフィーナのスカートに顔を埋めた。
「ケナも、ケナもね……」
「……」
「フィーナちゃん、いなくなったら……さびしいな……」
「……うん」
 曖昧に頷いて、フィーナはどうしていいかわからずに、ケナの小さな肩を抱き締めた。
 嘘でも、『いなくならないよ』と言ってあげるべきなのかもしれない。けれど、そんな優しい嘘を吐けてしまうほど、『彼女』は大人ではなかった。
 それに――
 ――この間の……
 村長の家に行って、石段から落ちたあの日。
 背後には誰もいなかった。けれど、確かにフィーナは誰かに背中を押されたのだ。それだけではない。お菓子屋さんで感じた、あの射るような殺気。石段から転落して、アレイアに助けられたあの後、じっとこちらを見ていたあの異質な雰囲気の漂う女は、一体何者なのだろうか……。
 最近、不可思議なことが起こっている。何ともないこと、他愛もないことと、意図して考えないようにしていた。
 そうしなければ、仮初とはいえ『彼女』に今の唯一の居場所であるここが、一瞬のうちに失くなってしまうような気がした。
 でも、その一方で。
 誰も飲めないはずのコーヒー、助けられた一瞬の紡ぐはずのない誰かの名前。
 アレイアが、『彼女』を通していなくなった女性を思い出しているように。
 『彼女』も、もしかしたら、彼を通して何か思い出しつつあるのではないだろうか――
 だとしたら。
 ―― ……あたしは、どうしたらいいの……?
 力なく首を振る。
「ケナちゃん」
「……なぁに?」
「買い物、行こっか」
「……」
 ケナは一段と強く抱き着いたあと、ぱっと顔を上げた。そこには、いつもの元気な笑みが浮かんでいた。
「うん! 行こう、フィーナちゃん」
「……じゃあ、バスケット置いて来るから待っててね」
「うん!」
 不思議だ。何だかこんなに小さなケナの方が強くて、大人に見えてしまう。
 フィーナは精一杯の笑みを彼女に返すと立ち上がった。バスケットを持って立ち上がり、玄関に入る。
 ちらり、と外を見ると、玄関の柱に背をつけながら鼻歌を歌っているケナが見えた。
 フィーナはバスケットを持ってキッチンに入っていく。ひんやりとした床にバスケットを置いて、唐突に思い出す。
 腰を折って、フィーナは食器棚の裏側を覗き込んだ。ぺらり、と紙のようなものが張り付いている。
 先日見つけて、すっかり忘れていた。忘れたままだった方が良かったのかもしれない。
「……」
 『彼女』は手を伸ばして、その紙を少しだけ引っ張った。ぺり、と僅かな音を立てて、難なく剥がれる。
 ただの白い面を裏返してみる。
 意図的に飾ってあったものを裏返していたのか。それとも、もともとは飾られていたものが、隙間風の影響で中途半端に剥がれて裏になっていたのか。
 それは一枚の写真だった。
 映っているのは他でもない、アレイアと、もう一人。
 長い金色の髪をふわりを靡かせて、ケナと同じ葡萄色の瞳を細ませた――
 小さな赤ん坊を抱いた女性が、柔らかく微笑んでいた。
「……」
 『彼女』は無言で首を振る。
 そして、それを隠すように食器棚の奥へと裏返しにそっと置いた。


 風に血の匂いが混じっている。ラーシャは知らず知らずのうちに深めてしまっていた眉間の皺を、無理矢理に引き伸ばした。
 白の軍服の裾が風に攫われる。目の前に広がるのは広い草原で、その一角に草色のテントが群がっているのが見える。
 八咫鴉の旗を掲げた大きな兵軍だった。
 東の空を見る。暗い夜空に、東の山端にだけ光が漏れている。朝が近い。
「コンチェルト少佐の策は成るでしょうか?」
「……分からん」
 明朝になったことを悟って、硬い声でデルタが問いた。ラーシャは正直に答える。
 平原での決戦がなされる日だった。あと一時間もしないうちに、あの平原の陣には火が放たれる。風向きは北から南。乾いた冷たい風が、火の周りを早くする。それを素直に喜べない罪悪感と戦いながら、ラーシャは薄暗い朝の中で、ただ静かに八咫鴉を睨んでいた。
 相手は大軍を率いている。成功する可能性は五分。失敗する可能性も五分。
 北都ゼルフィリッシュからは援軍を呼んでいる。どれほどの規模になるかは、シェイリーンの交渉次第だろうが、届く書面を見た限りではあまり期待は出来そうもない。
 さらに悪いことに、第三関所が落とされたという凶報もラーシャの元に届いていた。関所にいた魔道師と兵士の無事は伝えられたが、共にいた客将二人は未だに行方不明だ。
「……今、エイロネイアがあちらに軍を割くとは思わなかった。私の失策だな……」
「予測出来ないことでした。
 コンチェルト少佐が第三関所の状況の確認と、お二方の捜索を急いでいます。先に失踪されたお三方の行方も含めて」
「ああ、わかっている」
 答えながら彼女は唇を噛み締めていた。
 こんな情けないことがあるか。大陸からの客将の身柄は保障するだのとほざいたのは、どこの誰だったのだ。
 シリアもアルティオも、望んでバラック・ソルディーアに滞在していた。
 だから、これは彼らの選択であったのかもしれない。けれど、彼らをこの地へと招き、そもそもの原因を作ったのは間違いなく彼女だった。
 自責の念に苛まれながら、ラーシャは将として虚勢に胸を張るしかないのだ。それはひどく空っぽで虚しい行為だった。
 ――今の私を見て……姉上とあの子はどう思うのだろうな……。
 ラーシャは次第に強くなる東の光を目に留めながら、自嘲気味に笑った。軽く首を振る。
 冷たい剣の柄を握り締め、ラーシャは今一度、ジルラニアの夜明を瞼に焼き付ける。ラーシャはこの暁にならなくてはならない。このゼルゼイルの暗い夜に、光と風を送る人間にならなくてはならないのだ。
 それが最初で最後の約束なのだから。
「エイロネイアの皇太子は、どう出るでしょうか」
「……わからん。だが、精一杯で迎え撃つしかない。これ以上、ゼルゼイルの大地をあの悪魔に好き勝手にさせるわけにはいかない」
 "戦場の悪魔"、"漆黒の死神"。
 兵士たちからそう揶揄されるかの人物は、あの平原で今もこちらを嘲笑っているのだろうか。それとも、別の場所から高みの見物を気取っているのだろうか。
 ――エイロネイア皇太子……このままでは、済まさぬ……!
 白んだ太陽が、半分だけ顔を出した。
 時間だ。
 ラーシャは平原から視線を外し、自らが敷いた軍を振り返った。やがて平原に火が放たれる。出陣の時間が、迫っているのだ。
 デルタはまだ平原を睨んでいた。あそこから火の手が上がるかどうか、すべてはそれにかかっている。成功か、失敗か。それを判断するのはこの高見櫓の兵士と、己の眼だけだった。
 静寂が、その場を支配する。
 ごくり、と固唾を飲み込むと同時に、やたら冷えた汗がデルタの頬を伝っていった。
 たった数分が、とんでもなく長い時間に感じられた。

 カーン、カーン、カーンッ!!!

「ッ!」
 突然だった。
 甲高い鐘の音が、二人の、そしてシンシアの兵士たちの耳を貫いた。はっとしたラーシャとデルタが、丘の上から平原を見下ろした。
 草色のテントが敷かれた陣の向こうが明るい。明るすぎる。そして、赤い。
 兵士たちから『わあああぁぁぁ!!』と歓声が上がった。ラーシャとデルタは互いに視線を合わせて頷く。
 十字を切る暇もない。軍の先頭に立っていたレスターを振り返ると、彼は馬上で剣を抜いた。
「成功だ! これより出陣する! これは防衛線だ! 出過ぎるな、炎に巻かれるぞ!!」
「分かってますよ、姐さん!」
 血気も盛んにレスターが答えてきた。ラーシャは自らも馬に跨ると剣を抜く。
 銀の刃の切っ先を、燃え盛る陣の向こうに向ける。すっ、と息を吸い込むと赤すぎる暁を睨みながら、声を張り上げた。
「全軍、前へ!」
 響く歓声とともに、蹄の音が幾重にも重なって大地を揺らした。



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★ プロフィール
HN:
梧香月
HP:
性別:
女性
趣味:
執筆・落書き・最近お散歩が好きです
自己紹介:
ギャグを描きたいのか、暗いものを描きたいのか、よくわからない小説書き。気の赴くままにカリカリしています。
★ 目次
DeathPlayerHunter
         カノン-former-

THE First:降魔への序曲
10 11Final

THE Second:剣奉る巫女
10 11Final

THE Third:慟哭の月
10 11 12 13 14 Final


THE Four:ゼルゼイルの旅路
  3-01 3-02   6-01 6-02    10 11-01 11-02 12 13 14 15 16 17 18 19  20  21 …連載中…
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